月雪ミヤコの恋愛録 作:一等星の夜
久しぶりに、目覚まし時計の音で目を覚ました。
最近ではなぜか月雪ミヤコに頬をつねられて目を覚ますことが常になっていたので、どこか懐かしい感覚に陥った。
それにしても、月雪ミヤコに起こされると気分良く朝を迎えられるのだが、目覚まし時計の音は妙に身体をだるくさせる。
だから月雪ミヤコと出会う以前、アロナに起こしてくれと頼んだことがあるのだが、アロナが寝坊したおかげで、当番にやってきたユウカに起こされて、こっぴどく叱られたことがある。
それ以降は必ず毎日目覚まし時計をセットしてから眠りにつくようにしていたのだが、つまりなにが言いたいかというと、月雪ミヤコの布団はすでに畳まれていて、休憩室には私しかいなかった。
むくりと起き上がり、寝癖のついた髪を右手でかきあげてから伸びをした。
とにもかくにも身支度を整える必要がある。
私はのそのそとベッドから降りて、服を着替えて歯を磨き、顔を洗ってから休憩室をあとにした。
「……」
執務室にも、資料室にも月雪ミヤコの姿はなかった。
ただ、私が使用しているPCの横にはかわいらしい文字で書かれたメモが貼り付けられてあり、要約すると月雪ミヤコは一度子ウサギ公園の拠点に戻ったらしい。
武器の補充やらなんやらで、2、3日ほどここを離れるとかなんとか。そんな内容だった。
つまり、私は唐突に与えられたのだ。
たった今袖を通したばかりのスーツを脱ぎ捨てて、ベッドに飛び込んで二度寝をしたり。もしくはソファで寝転がりながら漫画やアニメを見たり。あるいは好きな飲み物と好きなお菓子を好きなだけ買って暴飲暴食の限りを尽くしてみたり。
そんな自由が、私に与えられた。
まあ、だからといってそれが嬉しいのかと問われれば、不思議とそんなことはなかった。
ちらと、いつも彼女が座っているデスクに視線を向けてみたが、もちろんそこには誰もいない。
月雪ミヤコがいないというだけで、執務室はこんなにも広く感じてしまうのかと、自分自身に呆れてため息をついた。
まあ、執務を放り出して遊び呆けるのも悪くはないのだが、彼女が帰ってきたあとが怖いので、私は渋々自分のデスクについて、タブレットの画面を開いた。
通知が3つ届いている。
どれも同じ生徒からのメッセージだった。
『先生』
『私は常々思うのですが』
『チョコファッションのチョコの部分をもう少し増やすべきではないでしょうか』
とくに急用、それから重要ではないことを確認してから、私はタブレットの画面を閉じて執務室を出て、朝食を買うためにエレベーターへと乗り込んで一階まで降りた。
ぽんと到着を知らせる音が鳴って扉が開かれる。
目の前にはちょうどエレベーターを待っていた人がいて、軽く会釈をしてから横を通り過ぎた。
「……、……?」
いや普通に通り過ぎたけど、なんか見たことある顔だった気がする。
ていうか絶対気のせいじゃない。
私は恐る恐るうしろを振り返った。
「先生の反応は間違っています。ここは驚いて素っ頓狂な声をあげるところです」
「アポはなかったと思うんだけど……」
「はい。私と先生の仲なので」
「理由になってないよ?」
続けて私が出かけていたらどうするつもりだったのかと問いかけようとしたが、そのときはきっと忠犬のように大人しく待っている気が──いや、きっと私のベッドに勝手にもぐりこんで呑気にお菓子を食べながら漫画か小説でも読んで待っているような気がして、言葉をのみこんだ。
メイド服でもバニー姿でもなく、珍しく制服に身を包んだ飛鳥馬トキはなにか言いたげに、というよりかはなにかを待っているようにじっと私を見つめている。
「制服姿のトキちゃんです。ぴーすぴーす」
オーバーサイズのカーディガンの袖口から半分ほど覗いている手の人差し指と中指を立てて、少し不服そうな表情でトキは未だこちらに視線を向けている。
もう片方の手にはドーナツが入った袋を持っている。
「あ、正直たまりません。いやほんとに」
彼女の表情、そして彼女の性格から察するに、制服姿を褒めろと催促しているのだろう。
だから私は要求どおりに賛辞を贈った。
「メイドもバニーもいいけど、制服が一番いいね。本当に似合ってる。いや似合いすぎて怖い。ていうかバニーのときも思ってたんだけど、髪下ろしてるの素晴らしくいいね、うん。素晴らしいよ」
少し興奮気味に褒めそやした私を客観的に見てみると、たぶん、いや普通に気持ち悪かったとは思う。
自分でもわかってはいるのだが、制服姿の飛鳥馬トキを目の前にして、気持ち悪くならずにいられる男がいるのだろうか。いやいない。
そしてトキはそんな私を見ても気持ち悪がらずに、「むふー」と満足げな声を漏らして、その場でくるりとまわってスカートを揺らした。
「もっと見てください。そしてもっと褒めてください」
「かわいい。恐ろしくかわいい。かわいすぎて恐ろしい」
「語彙が乏しいのはこの際目を瞑りましょう。先生の気持ちはたしかに受け取りました」
言ってトキは数秒間私をじっと上目遣いで見つめてから、口の
「ご褒美です」
少しかかとを上げて伸ばした右手で私の頭頂部に触れたトキは、まるで子供を相手するかのように私の髪を撫でた。
「……まあ、誰も見てないからいいけどさ」
割れ物を扱うような繊細な手つきで私の髪に触れるそれは、毎朝私の寝癖を手櫛で梳かしてくれる月雪ミヤコのそれによく似ている。
優しくて、丁寧で、むず痒くなる。
「飲み物買ってくるよ」
「……」
放っておくといつまでもやめる気配がなかったので、私は優しくトキの手を払いのけて、背後にあるエンジェル24へと視線を向けた。
そんな私の態度が気に入らなかったのか、トキはむっと不満げな表情を浮かべて、無言のままこちらを見上げている。
「私はアイスカフェラテにするけど、トキはどうする?」
「……私も同じものを」
「了解」
未だ不満げなトキに背を向けて、店に入ってアイスカフェラテをふたつ買って、エレベーターの前で待っていたトキと一緒に、執務室へと向かった。
「──やはり、チョコの部分をもう少し増やすべきではないでしょうか」
ソファに腰かけた私の、テーブルを挟んで正面のソファに座るトキは、袋から取り出したドーナツを一口かじって、不服そうな声をもらした。
「まあ、チョコファッションの主役ってやっぱりチョコの部分だよね。全部とは言わないけど、半分くらいはチョコをかけておいてほしいと私も思うよ」
「やはり、私がイチから先生のために手作りして差し上げるべきですね」
「いやそこまでしてもらうのはさすがに……」
極めて大真面目にそんなことを言うトキに苦笑で返して、私も頂こうとテーブルの上に置いてある袋に手を伸ばした。
袋の中のドーナツを見て、ふと疑問が浮かんだ。
中にはチョコファッション、エンゼルフレンチ、ダブルチョコレートの3種類が3つずつ入っている。
「朝食にしては多くない? 結構食べるね」
「いえ。私と先生と、それからミヤコの分も買ってきたのですが、そういえばミヤコの姿が見えませんね」
「ああ、なるほど」
無表情で、両手に持ったドーナツをかじりながらことりと首を傾げたトキに、私は事情を説明しながら袋の中のドーナツをひとつ手に取った。
「──つまり、今日から私が当番だということですね」
「ん? どういうこと?」
本当にどういうことなのだろうか。
月雪ミヤコが私情で2、3日戻らないという話をしただけなのだが。
たまに、いや割とトキは人の話を聞かないことがあるので困る。いや本当に。
「ふふ。照れる必要はありません。先生の執務をサポートしつつ、先生の私生活も私が全て面倒を見ます。このパーフェクトメイドエージェントの飛鳥馬トキにお任せを。ぶい」
「……」
まあなにしろ、人の話を聞かない子なので。
しかし、たしかに激務なので、月雪ミヤコがいない今、トキが補佐してくれるのは素直に助かる。
ここは甘えておこう。
よろしくお願いします、そう言って頭を下げると、トキは小さく笑って私の頭を撫でた。
これ、やめてほしいなあ。恥ずかしいので。
× × ×
執務が始まってしまえば、トキは静かだった。
カタカタとキーボードを叩く音だけが響いていて、会話のひとつもないのは意外と寂しい。
しかし、真面目な表情で仕事に取り組んでいるトキにくだらない話を振るのも気が引けて、私は彼女の長いまつ毛や、切れ長の眸、それから白くて細くてしなやかな指先を、時折りぼうっと眺めることしかできなかった。
「熱いですね」
ふと、ようやく、トキが口を開いた。
手は止まり、顔をこちらに向けている。無表情のまま。
「そう? 暖房効きすぎてるかな?」
「いえ。先ほどからちらちらと私に向けられている先生の視線がです」
「……」
気づかれていたのか。
ていうかそんなに見ていたのか、私。
「とはいえ、仕方ありませんね。完璧かつ最高のメイドでありエージェントであるこの私と同じ空間にいるのです。自然と目は奪われるものでしょう」
「……なんかヒマリに似てきたよね。いや元からそんな感じだったっけ?」
「先生がなにをおっしゃりたいのか理解できませんが、私はただ事実を述べているだけです。ふんす」
「ああそう……」
ヒマリもそうだが、この自信は一体どこからくるのだろうか。
いやたしかにトキは完璧かつ最高のメイドだし、ヒマリも超天才清楚系だし、2人とも美少女なのは間違いない。
しかしそれを自分の口から、さも当然かのように語れるのは尊敬に値する。
私も言ってみようか。
超変態軽率系驚愕非常識ティーチャーとか。いやなんだそれ。口が裂けても言えない。
「む……。なんですかその反応は。傷つきました。先生は今すぐ私の頭を撫でて耳もとで『よしよし、トキはかわいいよ』とささやくべきです」
「ハードル高くない?」
「ハードルは高ければ高いほどよいとされています」
「初耳なんですけど?」
「ですのでもう少しあげてみましょうか」
「ちょっと?」
「頭を撫でたあと、私の後頭部に右手を、腰に左手をまわして優しく抱き寄せながら耳もとでささやくようお願いします」
「追いつかないよ。ツッコミが」
驚きのあまり逆に無表情になってしまっている私を完全に置いてけぼりにして、トキは期待に満ちた瞳をこちらへ向けている。
そんな
「執務が終わってからだったら、頭を撫でるくらいならできるけど」
言って、私は手もとの書類に視線を落として、あがりすぎたハードルを下げた。
「ふむ。……今はそれでよしとしましょう」
全くもって納得のいっていないような声音だったが、のみ込んでくれたらしい。
私に突き刺さっていた視線が外れて、再び執務室にはキーボードを叩く音が響き始めた。
ふと、ため息がこぼれ落ちそうになったのをぐっとこらえて、代わりにひとつ咳払いをした。
月雪ミヤコが帰ってくるまでの、たった数日の間だけれど。
飛鳥馬トキという寂しがり屋の女の子の相手が私に務まるのか、少しだけ不安になった。