月雪ミヤコの恋愛録   作:一等星の夜

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「──お風呂は沸かしておきましたし、休憩室は清掃からベッドメイキングまで完璧です。夕食も下準備は全て済ませてありますので、あとは焼くだけです」

 

 執務が終わって、トキが風呂場の掃除をしてくれている間に休憩室に置いてあった月雪ミヤコの布団をクローゼットの中にしまい込んでおいてよかった。抜かりはない。

 夕食の下準備については手伝うと申し出たが「結構です」と一蹴されてしまった。

 まあたしかに? 私は料理が得意な方ではない。とはいえ手伝わせてすらもらえないのは傷つく。

 得意ではないとは言っても、別に下手なわけでもない。玉子焼きを焦がすこともあるし、米を炊く際に水の分量を間違えることもあるし、私が淹れた珈琲は泥水のような味がするが、せいぜいその程度だ。……なにもしない方がいいか、私は。

 ていうかそもそも、ほとんどの下準備は昨夜のうちに終えていたとのことで、結局どちらに転んでも私が手伝えることはなかった。

 

 トキの判断が間違っていなかったことに気がついて、私は吐き出そうとしたため息をのみ込んだ。

 そしてそんな私を、制服の上からエプロンを着けたトキがじっと上目遣いで見つめている。

 

「……?」

「それでは満を持して、古より伝わる〝お約束〟を」

 

 言ってトキは極めて真面目な顔つきで、こほんと咳払いをした。

 

「──お疲れさまです、先生。ご飯にしますか、お風呂にしますか。それとも、」

 

 古より伝わる〝お約束〟。これはもちろん私も知っている。

 世の全ての男の夢が詰まっているセリフだと言っても過言ではないまである。いや過言だが、私にとってはそれは夢だった。

 だがしかし、なんだろうか。このセリフはもっと色っぽく、ときには恥ずかしさを隠しきれなくて照れ笑いをしながら、あるいは少女のようなあどけなさを残した感じで言ってほしかったのだが、目の前のトキはどうだろうか。

 

「わ・た・し?」

 

 抑揚がない。しかも無表情。

 こんなにもときめかない、あるいは昂らないお約束があっただろうか。

 否。この無表情、抑揚のなさが、逆に良いまである。

 たとえばトキが艶やかに笑ってさらにはウインクまでして今のセリフを宣ったら、それは解釈違いだ。もちろんトキに色気がないだとか色気はいらないだとかそういう話ではない。

 現にトキのバニー姿には大人の私も少しクるものがあったし、なんだったらときめいた。むしろトキめいた。

 自分でもなにが言いたいのかわからなくなったので話を戻す。

 つまり、適材適所というと聞こえが悪い気がするしなんだか違う気もするが、なんというか、そう、こういうときのトキには無表情で淡々としていてほしいのだ。

 笑ったトキはかわいい。当然だ。

 照れたトキも言葉にできないほどかわいい。

 拗ねたトキもすごく、すごいかわいい。

 

 ……なんの話をしていたのかわからなくなったので話を戻そうと思うのだが、私は一体なんの話をしていたのだろうか。

 

「先生?」

 

 しばしの間固まったまま、長考していた私を怪訝そうに上目遣いで見つめたトキの声に意識が呼び戻された。

 ええと、たしか、お風呂にするかご飯にするか──それとも飛鳥馬トキにするか、だったな。

 

「じゃあ、ご飯で」

 

 むっと、トキの無表情が歪んだ。

 

「なんですか」

「えっ」

「私を選ばない理由はなんですかと訊ねているのです」

「いや、君を選ばないというか、ただ普通にお腹が空いているのでご飯が食べたいというか、あれだよ、ほら。私はトキが作ったご飯を選んだわけで、つまりこれは逆説的にトキを選んだのと同意なわけで──」

「A5ランクの和牛です。お楽しみに」

 

 筋の通らない私の言い訳は聞くに値しないとでも言いたげに、私の言葉を遮ってくるりと身体を反転させたトキは、そのまま執務室をあとにした。

 その場にひとり取り残された私は大きく息を吐いて、大仰な音を立ててソファに座り込む。

 タブレットを手に取り、トークアプリを開く。未読のメッセージが7通。

 

 差出人:月雪ミヤコ

 

『お疲れ様です先生』

 

『私がいないのをいいことに、ハメを外していませんか?』

 

『夕食は食べましたか?』

 

『くれぐれもカップ麺などではなく、栄養のあるものを摂取してください』

 

『できれば自炊が好ましいです』

 

『夜更かしはしないように』

 

『夜中にアイスを食べるのもやめてください』

 

 ……まるで一人暮らしを始めたばかりの息子を心配する母親のようだ。

 これではどちらが大人なのかわからなくなる。

 いや、まあ? たしかにいつも口うるさ──的確なアドバイスをくれる月雪ミヤコがいないので、今日は夜中にアイスを食べようとか考えていたんだけど、なんでバレてるんだ。

 

 〝常日頃から心がけている健康的な生活を今日も変わらず実践しています〟。

 

 返事を送って、画面を閉じたタブレットをそっとソファの上に置く。

 と同時に執務室の扉が開いて、制服の上からエプロンを着けたトキが入ってきた。

 

「食事の準備が整いました。こちらへ」

 

 言って手を前で組んでぺこりと頭を下げたトキは、しばらくして顔を上げ、ついてこいと視線で訴えかけてきた。

 私は黙ってそれに従い、執務室を出てシャーレオフィスに併設されてある食堂へと向かった。

 

 促されるまま席へと座ると、テーブルの上にはスプーンやフォーク、ナイフが数本並べられてある。

 察するにコース料理らしい。

 

「では始めさせていただきます。まずはピンチョスからです」

 

 差し出された小皿にはチーズ、生ハム、オリーブがステンレス製のピックに刺さった状態で四つ添えられてある。

 

「すごい。レストランみたいだね。あの、でも私はできればトキと一緒に食べたい──」

「それではのちほど」

 

 ぺこりと頭を下げたトキは食堂を出て行った。

 無駄に広い食堂にひとり取り残された私はとりあえずピックをひとつ摘んで、ピンチョスを口の中へと放り込んだ。

 自分の語彙力のなさが悔やまれる。とても美味しいとしか言えない。

 これが大人の感想なのかと嘆きたくもなる。

 

「続きまして、こちらです」

 

 次に運ばれてきたのはどこぞの銘柄なのか、私のような情けない大人でも一目でわかる〝あっ これうまいやつーっ〟な豚肉が運ばれてきた。

 曰く、低温調理でうんたららーで、ライプオリーブのパウダーがなんたららーらしい。

 つまりローストビーフならぬローストポークなのだと。

 もちろん非常にうまかった。

 

「季節野菜のポタージュです」

 

 とてもうまい。

 

「焼きたてではありませんが、私が丹精込めて焼き上げたブレッドです」

 

 かなりうまい。

 

「甘鯛の鱗焼きです」

 

 すごくうまい。

 

「黒毛和牛ロース肉のグリエ、エシャロットとバルサミコのソースです」

 

 やばいぐらいうまい。

 

「ショコラとベリーのムース、バニラアイスです」

 

 ……私に語彙力がなさすぎるせいで、まったくもって食レポをすることができなかったのだが、トキの腕前を証明するために、みなが納得できそうなことを一応言っておく。

 美食研究会、ひいてはその会長である黒舘ハルナでさえ舌鼓を打つであろうレベルだと。

 

「いかがでしたか?」

 

 食べ終えて、トキが淹れてくれたホットコーヒーを啜る私の正面の席に腰を下ろしたトキは、余った具材で作ったスープをスプーンでくるくると混ぜながら、聞かなくてもわかっているというふうに得意げな表情で問いかけてきた。

 

「お金を出していいと、出したいと思ったよ」

「そうですね。先生のその反応は予想通りです、ふんす」

 

 手にしていたスプーンを置いて満足げに息を吐いたトキは、そのまま勝利のダブルピースでも披露してくれそうな勢いだ。

 

「ぴーすぴーす」

 

 してくれた。

 

「でも、本当に美味しかったよ。もっと食べたいって思った」

「……ふむ。では、口を開けてください」

 

 スープを一口すくって、トキはじっと私の瞳を覗き込む。

 

「それ、トキのご飯でしょ」

「調理中に味見をたくさんしましたので、さほどお腹は減っていません」

「へえ、そうなんだ。で、なにしようとしてるの?」

「無粋ですね、みなまで言わせるのですか。しかしそれもプレイの一環だというのならば、仕方ありませんね」

 

 トキはスープをすくったスプーンを私の口もとまで近づけたまま、淡々と言葉を繋げる。

 

「では、説明させていただきます。──古より伝わるお約束、〝あーん〟です」

 

 そうか。昔の人もやっていたのか。

 じゃあおかしなことではないのだろう。

 

「……」

 

 私は口を開けて、差し出されているスプーンをぱくりと咥えた。

 気恥ずかしさのせいか、味はあまりよくわからなかったのだが、美味かったと思う。

 

「いかがですか」

「……うん。美味しい」

「そうですか」

 

 微笑して、再びスプーンを使ってスープを飲み始めたトキに、私はそれって間接キ──と言いかけて言葉をのみ込んだ。

 いちいちそんなことを意識するのはなんだかキモがられそうだし、なによりトキが気にしていなさそうなので触れないことにする。

 

「……」

 

 そんな複雑な心境のままトキを見つめていると、ふと目が合った。

 トキは数秒私の瞳を捉えていたが、一度視線を落としておもむろに立ち上がると、皿を持って私の隣の席に腰かけた。

 

「え、なに」

「……? 私を求めている気配を感じましたので」

「?」

「??」

 

 なんだかよくわからないが、とにかくトキは私の隣へやってきた。

 そのままなにをするでもなく、普通にスープを飲み始めたトキから視線を外して、私は携帯を開いてゲームアプリを起動した。

 

 十数分ほどか、スタミナを消費し終えてふと顔を上げると、いつの間にかスープを飲み干していたトキが横から私の携帯の画面を覗き込んでいる。

 

「興味ある?」

「いえ」

 

 退屈だったのだろうか。

 無表情のまま素っ気なく返された。

 

「先生がやっていたゲームに興味はありませんが、先生の携帯には興味があります」

 

 言って手を伸ばしてくるトキから携帯を遠ざける。

 不満げな表情でもう2、3回ほど伸ばしてきたトキの手はどれも空を切った。

 

「トキが気にいるようなものは入ってないよ」

「ですから、入れるのです」

「なにを」

「写真をです」

 

 なるほど。私の携帯で写真を撮りたいらしい。

 なぜ私の携帯で撮る必要があるのかはわからないが、それくらいなら構わないと、私は観念して携帯を差し出した。

 カメラを開いたトキがなにを撮るのかと眺めていると、彼女は自分の腕を私の腕に組んで、ぴとりと肩をくっつけた。

 

「トキ?」

「撮ります。ポーズをとってください」

「え、なにすればいい?」

「古より伝わっているのは、〝ぴーすぴーす〟です」

 

 言われるがまま、私はポーズをとった。

 

 ──カシャ。それからすぐにシャッター音が鳴って、私の携帯のフォルダに写真が一枚増えた。

 互いの頬をくっつけて身を寄せ合い、腕を絡ませ、ぎこちない笑顔でピースをしている私と、無表情の飛鳥馬トキ。

 

 うん。なんというかまあ、これはこれで味のある写真なのかもしれない。

 

「よく撮れていますね」

 

 言ってトキは私から距離を取ると、数秒私の携帯をいじってから返してきた。

 それを受け取って画面を確認すると、先ほど撮ったツーショットが待受に設定されていた。

 

「トキちゃん、これなあに?」

「愛の証です」

 

 引き攣った笑顔で携帯の待受をトキの眼前に突きつけて問いかけた私に、トキはふんすと息を吐いてドヤ顔を浮かべる。

 そうか、これは愛の証だったのか。

 愛とは一体なんなのだろうか。

 

「変えていい?」

「むしろよいのですか? 変えたら私は即座に傷つきます。泣きます。号泣です」

「なるほど、それは困る」

「わかっていただけたのならなによりです」

 

 なにひとつわかっていないのだが、待受はこのまま変えられそうにない。

 ていうか今気づいたのだが、ロック画面まで先ほどのツーショットが設定されてある。

 飛鳥馬トキ、抜かりないな。

 

「まあいいけどさ……べつに」

 

 私は渋々観念して、携帯をポケットの中にしまい込んだ。

 椅子半個分あけた隣の席で、飛鳥馬トキは勝利のダブルピースを作っている。

 

「ところで先生、先ほどの写真を私に送っておいてください」

「ああ、はい」

 

 言われた通り写真を送ってから、ふとあることに気がついた。

 

「え、トキも待受にするの?」

「もちろんです」

 

 まずいな、そうなると話が変わってくる。

 私が写っている写真を待受にされるとか、普通に恥ずかしすぎる。

 トキが携帯を開くたびに私の顔が映るということなのだから。

 

「……」

 

 いましがたトキに送った写真に写る自分の顔を、目を細めてじっと見つめた。

 なんか微妙な笑顔だなこれ。

 

「あの、撮り直しとかできない?」

「私は構いませんが、その場合私の携帯のフォルダに先生の写真が一枚増えることになるだけです」

 

 増えるだけで、さっきの写真は消してくれないらしい。

 

「あ、じゃあいいです、はい」

「……?」

 

 ことりと首を傾げたトキから目を逸らし、私は小さくため息をついた。

 

 ──写真を撮られる際の笑顔は、今日から鏡の前で練習しておこう、と。

 

 

 

 

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