月雪ミヤコの恋愛録   作:一等星の夜

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「毎朝毎朝、同じような寝癖がつくのはなぜですか」

 

 いつも通りの、目覚ましが鳴るより少し早い時間に月雪ミヤコに揺り起こされ、ベッドに腰掛ける状態でまだ寝ぼけている身体を起こした。

 膝を折り、上半身を屈ませて私の髪を撫でるように梳かす目の前の月雪ミヤコは、呆れたような声を出しているが、内容はあまり頭に入ってこない。

 

「子供ではないのですから、しゃんとしてください」

「……うん。おはよう」

「はあ……」

 

 今朝は一段と頭がぼんやりとしている。

 昨夜ベッドに入ってから、月雪ミヤコにバレないようこっそりとゲームアプリをやり込んでしまったせいだろうか。

 とても眠たい。

 

「立てますか?」

「あと5時間待ってもらえれば」

「ふざけないでください」

 

 私の髪を梳かし終えた月雪ミヤコは、その手で私の手をとって、ゆっくりと私を立ち上がらせた。

 

「顔を洗えば目も覚めるでしょう」

「ずっとまどろみの中にいたい」

「ふざけないでください」

 

 私の右手は、彼女の左手に掴まれている。

 そのまま手を引かれて彼女のあとをついていくと、月雪ミヤコは脱衣所の扉を開けて洗面台に備え付けられた蛇口を捻ってお湯を出した。

 観念して洗顔を終えてから、用意してくれていたタオルを受け取り、顔を拭いた。

 眠気は覚めた。

 そのまま昨日の洗濯物を洗濯機に放り込んでいる月雪ミヤコの姿を眺めながら歯を磨いて、ひとつ大きなあくびをした。

 

「おはよう、月雪さん」

「おはようございます、先生」

 

 こちらに向き直り、律儀にぺこりと頭を下げた月雪ミヤコは、続けて私に右手を差し出した。

 なんだろう。カツアゲだろうか。

 

「……?」

 

 私はわけがわからず、彼女の手のひらの上に、自分の右手をぽんと置いた。

 

「……なんのつもりですか」

「いや私もそれが聞きたくて」

「タオル。洗濯しますので」

「ああ、これ」

 

 先ほど顔を拭いたタオルを首にかけていたのだが、洗濯するから寄越せという意味だったらしい。

 お手、もしくはおかわりではなかったのか。

 

「あれ? ていうか今週は私が洗濯当番じゃなかったっけ?」

「時間が惜しいので。今日は私がやっておきますから、先生は先に着替えてきてください」

 

 手渡したタオルを洗濯機の中に放り込んだ月雪ミヤコは、こちらには視線を向けず答えた。

 時刻はいつも通り。執務を始めるにはまだ少し早いくらいなのだが、なにか急ぎの用でもあっただろうか。

 とくに思い浮かばない。

 

「このあとなにかあったっけ?」

「私が留守の間に先生が溜め込んだ執務をまず片付けなければならないのですが」

「あ、ああ! そうだよね、そうそう!」

 

 月雪ミヤコの視線は私に向かないのだが、声には怒気が含まれている。

 お説教が始まる前に、私はそそくさと脱衣所をあとにして、スーツに着替えて執務室へと向かった。

 途中給湯室の冷蔵庫から缶コーヒーを2本取り出し、昨夜買った菓子パンをテーブルに並べる。

 本当は月雪ミヤコが淹れてくれる珈琲を飲みたかったのだが、致し方ない。

 待っていると程なくして彼女は執務室へとやって来て、ふたりで朝食をとった。

 

 

 

 

 

   ×  ×  × 

 

 

 

 

 

「恋を自覚する瞬間ってものすごく尊いと思わない?」

「……」

 

 相変わらずの執務の量に嫌気がさした私は、休憩がてら唐突に話を振ってみた。

 私の問いかけに応えることなく、月雪ミヤコは書類に視線を落としたまま、手にはペンを握っている。

 一応言葉の終わりには疑問符をつけたつもりだったのだが、独り言だと思われたのだろうか。

 

「恋に落ちる瞬間っていうのも悪くはないんだけど、やっぱり恋を自覚する瞬間が至高だと思うんだ」

「続けてください」

 

 聞いてくれていたらしい。

 月雪ミヤコの視線は依然として書類に向けられたままでいるが、反応はもらうことができた。

 

「たとえば、無表情系の子が恋を自覚する瞬間なんかは、極上だと思う。無表情といっても、無感情じゃないんだ。ここが重要でね」

「なるほど?」

「不器用な子がいいんだ。自分の感情を表に上手く出せないような、自分の気持ちに鈍感な、そんな子がいい。そんな子がふとした瞬間に恋心を自覚する。そういうシチュエーション、いいよね、きゅんだよね」

「抽象的でいまいち理解し難いのですが、なんとなくわかります」

 

 珍しく、月雪ミヤコが私の意見に寄り添ってくれている。

 ここぞとばかりに推しシチュエーションをもっとプレゼンしたいのだが、惜しむらくは、私の語彙力がなさすぎること、か。

 

「──たとえばなのですが」

 

 ようやく手を止めた月雪ミヤコは、顔ごと視線をこちらへと向けた。

 

「仮にですが、生徒で例えるならば、そのシチュエーションには誰が当てはまりますか」

 

 さて、そのシチュエーションに当てはまるような生徒となると、一体誰になるのだろうか。

 ヒナ……は少し違うような気がする。

 たしかにヒナも感情があまり表には出にくいタイプかもしれないが、無表情系ではない。

 トキも少し違う。

 トキは無表情系といえなくもないかもしれないが、割と自分の気持ちをはっきり自覚している、と思う。

 アツコも違うしカヨコも違う。

 あとは──

 

「あ、そうだ! リオとサオリなんかは結構当てはまりそうな気が──」

「あ、もういいですその話は。執務を再開してください」

「えぇ……」

 

 解釈違いだったのだろうか。

 月雪ミヤコは再び書類に目を落とすと、もう話しかけるなとでも言わんばかりのオーラを身に纏っていた。

 結構いい線いっていたと思うのだが、どうやら彼女にとっての正解はそうではなかったらしい。

 どこか不機嫌そうな横顔を見て、私は苦笑を浮かべた。

 一体、なんと答えていたら彼女は満足していたのだろうか。

 そもそも、この問いの真意はどこだったのだろうか。

 そういえば月雪ミヤコは恋愛小説(仮)を書いているので、もしかしたらその参考になるような答えを欲していたのかもしれない。

 

「なんですか、ニヤニヤと。不気味ですね」

 

 私の視線に気がついた月雪ミヤコは顔を上げ、じとりと目を細めた。

 ニヤニヤなんてしていただろうか。

 

「苦笑してたつもりなんだけど」

 

 あるいは微笑。

 

「へんた──変態と言っても差し支えなかったと思いますが」

「ちょっと? なんで今変態って言おうとしてしまったところを言い直そうとして結局変態って言ったの?」

「すみません。オブラートに包もうとしたのですが、それ以外に当てはまる言葉が思い浮かばなかったので。あと、ツッコミが長くてつまらないですね」

「情けって知ってる?」

 

 どうやら月雪ミヤコは『どこか不機嫌そう』ではなく、しっかりと不機嫌らしい。

 

「なに、なんで怒ってるの」

「はい? 怒ってませんが」

「怒ってるよね」

「怒ってません」

 

 どうやら怒っていないらしい。

 ならどうして眉間にシワが寄っているのか。なぜ声が普段より低いのか。

 納得のいく説明を求めたいところではあるが、そんなことをすれば余計に機嫌が悪くなる可能性もないことはないまである。

 

「ちなみに月雪さんはどんなシチュエーションが好きなの?」

「……そうですね」

 

 月雪ミヤコはペンを握ったまま手を顎に当てて、考える素振りを見せた。

 

「──変な人」

「え」

「損得を度外視して、自分のことは後回しでいつも──誰かのために動いているような、そんな変な人が、」

 

 ちらりとこちらに視線を寄越した月雪ミヤコは、揶揄うように口の()を持ち上げた。

 

「私は嫌いではありません」

 

 その珍しい表情に驚いて固まっていると、もうすでに彼女の視線は手元の書類に戻っていた。

 好きなシチュエーションを訊ねてみたのだが、返ってきた答えはあまり要領を得ないものだった。

 そもそも、そんなお人よしはそうそういないだろう。

 しかし、月雪ミヤコの恋愛録では、そういった変な人とやらが主人公なのかもしれない。

 まあ、そんな変な人は私も嫌いではないので、やはり彼女が今書いている小説ができあがったら、どうにか読ませてほしいところではある。

 

「ちなみに、」

 

 どうやら彼女の話はまだ続いていたらしい。

 視線は書類に向けられたままだが、月雪ミヤコは言葉を繋げた。

 

「うそつきは嫌いです」

「……」

 

 うん。たしかにうそつきはよくない。

 これはあくまで月雪ミヤコの好きなシチュエーション、もとい、月雪ミヤコの好きなタイプの話だと思うのだが、いかんせん今の言葉はなぜか私に向けられたものだったような気がするのは気のせいだろうか。気のせいだろう。

 

「私にも書けるかな、小説」

 

 唐突に話題を変えたのは、べつに無表情のままこちらをじっと見つめてくる月雪ミヤコの視線の意図がわからなくて少し怖くなったとか、決してそういうわけではない。

 月雪ミヤコはうそつきが嫌いだと言っただけで、それは私の話ではない。

 

「べつに、書くだけなら誰にでもできると思いますが」

 

 頭の中でぐるぐると言い訳をめぐらせていた私のことなど気にもとめず、彼女は淡々と言葉を繋げた。

 

「ちなみにジャンルは?」

「恋愛小──」

「無理だと思います」

「せめて最後まで言わせて?」

 

 私の言葉にかぶせて否定してきた月雪ミヤコは、呆れたようにこれみよがしにため息をついている。

 

「無理でしょう。先生に女心が理解できるとは到底思えません」

「いやいや、めっちゃ理解してるから、本当に」

「超がつくほどの鈍感なのに、ですか?」

「鈍感? 私が? ははは、まさかまさか」

 

 そんなわけはない。

 恋愛小説も、恋愛漫画も、鈍感系主人公にはいつもヤキモキしていた私だ。

 まあそれは、物語を展開していく上で必要なモノだと理解はしているのだが、それが現実ともなれば話は変わる。

 私は鈍感系ではない。

 

「うそつき。鈍感。変な人」

「ちょっと?」

 

 なぜ私は口撃されているのだろうか。

 

「じゃあ逆に訊くけど、月雪さんは男心を理解してるの?」

「……、……当然です」

「今の間はなに」

「気のせいです。理解しているからこそ書けているんです。現に私は──」

 

 なにを口走ろうとしたのか、月雪ミヤコはハッと手で口もとを押さえて、じとりと私を睨めつけた。

 まあ今のセリフから恋愛小説を書いていることが確定したので、それは良い収穫になった。

 口撃されたことにも意味が見出せてよかった。

 

「狡猾ですね。危うく内容を洗いざらいぶちまけてしまうところでした」

「いやべつに私が誘導したわけではないよ?」

 

 私はなにもしていないのだが、月雪ミヤコは両手で自分の身体を抱くようにして、少し引き気味に私を睨めつけている。

 

「やはり、あなたは信じるに値する大人ではありません」

「え、うそ。ここでまた距離が離れちゃうの?」

 

 最近では月雪ミヤコとの距離もかなりいい感じで縮まってきて、名前呼びできる日もそう遠くないだろうと感じていたのだが、もしかするとそう思っていたのは私だけで、出会った頃から彼女との距離はほとんど縮まっていなかったのかもしれない。

 

「あの、月雪さん……?」

「……」

 

 もう私とは話す気がないらしい。

 つい先ほどまで交わっていた視線はいつの間にかほどけていて、少しばかりの反応さえ返ってこなくなってしまった。

 

「……」

 

 書類を片手に、つんとそっぽを向いた月雪ミヤコを見て、私は苦笑を浮かべた。

 

 

 

 

 

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