月雪ミヤコの恋愛録   作:一等星の夜

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 月雪ミヤコと出会ってから、はや3ヶ月ほどの月日が流れた。

 3月ともなると、気温は少しずつ落ち着いていき、昼間などは暖房器具がなくとも暖かさを感じられるような、そんな日が増えてきた。

 まあそれも室内での話なわけで、外はまだまだ全然寒い。日は差していても、風は冷たい。

 ガタガタと風に揺られる窓と、その先の空を流れる雲に少しの間目をやって、手元の小説に戻した。

 ぱたんと本を閉じてから、月雪ミヤコが淹れてくれたお茶に口をつけると、すでにぬるくなり始めていた。

 

「──これは純粋な疑問なんだけど」

 

 前置きしてから、私は手にしていた湯呑みをデスクの上に置いて、大袈裟に間をとった。

 そんな私をちらと横目で流し見た月雪ミヤコは、どうせまたくだらないことを言い出すのだろう、みたいな表情を浮かべながら呆れたようにため息をついている。

 

「一応聞いておきます」

 

 しかし、一応は聞いてくれるらしい。

 

「キスについてどう思う?」

「はい……?」

 

 唐突な疑問を投げかけた私に、彼女は素っ頓狂な声と、表情で応えた。

 

「いやほら、月雪さんって恋愛小説が好きじゃん」

「……はい? 好きではありませんが?」

「いやいや、月雪さんが買ってくる小説、恋愛物多めだし」

「多くありませんが?」

「書いてるのも恋愛物だし」

「書いていませんが?」

 

 月雪ミヤコは無表情のまま、つらつらとうそを連ねているが、そこに触れてしまっては話が先へと進まないので、私はぬるくなったお茶を呷って、手元の小説の背表紙を軽く撫でた。

 ちなみに今読み終えた小説は以前月雪ミヤコが買ってきて執務室の本棚の上に積んでいたもので、恋愛小説だった。

 

「キスシーンがないんだよ。どれもこれも、全部。月雪さんが持っている恋愛小説には」

「……?」

 

 それがなにか、とでも言いたげに、月雪ミヤコはことりと首を傾げた。

 いやまあ、私も以前偉そうに、恋物語には告白の描写などいらないし、最後まで書いてはいけないなどと持論を語ったことがある。

 しかしそれはあくまで私が書く場合の話であり、読み手としてはそりゃあたまには、まあ、そういったラブなシーンが読みたいと思ったりすることもなくはないまである。

 

「これは持論なんだけど、」

「……」

 

 またくだらないことを言い出すな、みたいな呆れた目でこちらを見つめている月雪ミヤコに構わず、言葉を繋げる。

 

「普通のキスはいらないんだ」

「……」

「たとえばなんだけど、キヴォトスではありふれたいざこざに巻き込まれた、ヘイローを持たない男がいたとしよう」

「はあ」

「飛び交う鉛玉。降り注ぐ手榴弾。そんな中、ヒロインはその男を守り切るんだけど、不覚にも男は爆煙を吸い込んでしまうんだ」

「なるほど」

 

 月雪ミヤコはもう興味を失ったようで──ていうか最初から興味がなかったのかもしれない。

 すでに視線は手元の書類に戻っており、ペンを握っていた手は動き始めている。

 

「喉が焼けてしまった男は枯れた声で、水が飲みたいことをヒロインに伝えるんだ。けれど水道までは距離がある。男を背負うほどの体力は残っていないし、両手に水を汲んでも男のもとに戻るまでにほとんどこぼれてしまう」

「……」

 

 相槌すらなくなってしまったが、続ける。

 

「だからヒロインは、口の中に水を含むんだ」

「……──」

「それが、男にとって、ヒロインにとっての、ファーストキスとなる」

「なるほど……」

 

 いつの間にか月雪ミヤコの手は止まっていて、顔ごと視線はこちらを向いていた。

 

「どう? 理解(わか)るよね?」

「ええ。先生が気持ち悪いということが」

「……」

 

 おかしいな。共感(わか)ってもらえた流れだと思ったが、そうではなかったらしい。

 私を軽く傷つけて、月雪ミヤコは再び執務へと戻った。

 

「──ひとつ、勘違いしてほしくないのですが」

「え、なに」

「そのシチュエーションが気持ち悪いというわけではありません。そういったことを、執務を放り出してまで熱く語ってしまう先生が、その、気持ち悪──気持ちが悪いというだけで」

「ちょっと? 2回傷つけるのやめない? 言い直す意味ないからねそれ」

 

 引き気味に抗議した私を見て、月雪ミヤコはくすくすと可笑しそうに笑った。

 そんな彼女から目を逸らして、私も執務に戻ることにした。

 比較的急を要する書類が幾つかあったことを思い出し、引き出しを開ける。

 書類の束を取り出して、さあ執務に取りかかろうと意気込んだ、まさにそのときだった。

 

「……」

 

 ぽこぽこと、ソファの上に置いてあったタブレットが通知音を鳴らした。

 緊急の連絡の場合もある。放置するわけにはいかず、私はとりあえず内容を確認するべく席を立ち上がり、ソファの上のタブレットを拾い上げた。

 

 ──差出人は、飛鳥馬トキだった。

 

『たこ焼き』

 

 意図がわからない。

 なにかの暗号だろうか。

 

『焼きそば』

『かき氷』

 

 思考していると、間を空けず連続でメッセージが送られてくる。

 これはあれだろうか。

 呪言師が安全を考慮して語彙を絞っている、みたいなやつなのか。

 シャケ、おかか、ツナマヨ、とか、そんな感じだろうか。呪術で廻戦しちゃうのか?

 

『これらの言葉からイメージして答えを導き出すのは容易かと思いますが』

『先生は鈍感なので明確に言葉にして伝えておきます』

 

 どうやら私がくだらないことを考えていたことはバレていそうだ。

 

『そうです』

『夏祭りです』

 

 夏祭りのことだったらしい。

 たしかに、夏祭りといえば出店だし、出店といえばたこ焼きも焼きそばもかき氷も王道と言えるだろう。

 私はイカ焼きとから揚げと瓶ラムネ1択だが。

 そういえば私がまだ大人ではなかった頃には、瓶ラムネの中にあるビー玉を取り出せたためしがないのだが、大人になった今なら容易いのではなかろうか。

 

『ここまで言えば』

『もうおわかりですね?』

 

 また私が思考している間に、メッセージが送られてくる。

 一体なにをわかってほしいのだろうか。

 月雪ミヤコもそうだが、みんな私を鈍感だと言うけれど、普通にみんなが言葉足らずなだけだと思う。

 私は鈍感ではない。

 

「……」

 

 〝打ち上げ花火〟。

 

 私は鈍感ではないのだが、彼女らが言葉足らずなおかげでいまいち汲み取れないので、なんとなく、夏祭りといえば、的なそれっぽいことを送って、私はタブレットの画面を閉じた。

 

 

 

 

 

   ×  ×  × 

 

 

 

 

 

 『キヴォトス夏祭り』とどでかく書かれたポスターの下の方には日付と時刻も記載されている。

 ええと、たしか今はまだ3月なはずで、なぜすでに8月開催の夏祭りのポスターが刷られているのだろうか。

 ていうかこれを持ってきて、私に見せて、どうしようというのだろうか。

 

「──やはり、チョコバナナは外せないと思います」

 

 私が座るソファの隣に腰かけた月雪ミヤコは、私の手にあるポスターを覗き込みながら、いつになく真剣な表情で言った。

 

「なるほど。ではりんご飴も外せませんね」

 

 なにがなるほどなのか。

 テーブルを挟んで正面のソファに座るトキもこれまた、いつになく真剣な表情だった。

 

「……」

 

 私はひとつ、小さく息を吐いてトキの隣に座るヒマリへと視線を向けた。

 ヒマリはなぜか得意げに、月雪ミヤコとトキの会話にうんうんと頷いている。

 

「あら、」

 

 私の視線に気づいたヒマリは、右手を口もとにあてて、にまにまと揶揄うような目を向けてくる。

 

「ええ。言わなくともわかっています。先生はこうおっしゃりたいのでしょう。『水色に花びらの浴衣がこの世で一番似合うのは、明星ヒマリ』だと」

「……ああそうだね。わたがしも外せないね」

 

 適当に受け流した私に、ヒマリはむっと眉を寄せて抗議の目を向けてくる。

 それさえも受け流して、私は手元のポスターに視線を戻した。

 ええと、これを持ってトキとヒマリが唐突にシャーレを訪ねてきたわけなのだが、これは夏祭りのお誘いということなのだろうか。

 しかし未だ一度もそういった言葉は出てきていないのだが、3人の会話を聞いていると、もうすでに行くことが確定しているかのようだった。

 ということはつまり、どういうことなのだろうか。

 行くのか? 夏祭りに? この4人で?

 

「──そういうわけですので、」

 

 思考していると、私の手からポスターを取り上げたトキは、ふんすと息を吐いた。

 

「この日は必ず空けておくようにお願いいたします」

「え、行くの? 夏祭り。私も?」

 

 戸惑いつつ、苦笑で応えた私に、トキとヒマリと月雪ミヤコの視線が向けられる。

 なに、まさか断るつもり? ありえないでしょ、みたいな感情が込められている、ような気がする。

 

「──先生」

 

 はあ、と。呆れたようにため息をついたトキが、じとりと目を細めて言葉を繋げる。

 

「青春とは一体なんなのか、おわかりですか?」

「概念としては理解しているつもりだけど、言葉にして説明するとなると難しいね」

「では連想ゲームをしましょう。お題は〝青春〟です」

「ん?」

 

 急展開についていけず、間抜けな表情を浮かべた私を気にもとめず、トキはもう一度同じ言葉を繰り返した。

 

「お題は〝青春〟です」

「……」

 

 なにを求められているのかわからずに固まっていると、「ん!」とでも言わんばかりに顎をクイとあげて私に指図した。

 

「……ええと、青春といったら?」

 

 私は観念して、お題を振ることにした。

 

「恋です」

「なるほど?」

「では先生、恋といえばなにかおわかりですか」 

「もちろん。鯉といえば淡水魚──」

「そうです。夏です」

 

 私の言葉を遮り、ふんすと息を吐いたトキは満足げな表情を浮かべた。

 そうか、鯉といえば夏なのか。

 

「そして夏といえば、お祭りです」

「まあ、夏の醍醐味だよね」

「そういうわけですので」

「どういうわけ?」

 

 まったくもって理解できずにいる私のことが理解できないようで、トキはことりと首を傾げた。

 そんな私たちを見ていたヒマリがひとつ、澄み渡る夏の空のような病弱美少女系儚げため息をついて、揶揄うような流し目をこちらへ向けてきた。

 

「先生」

「はい」

「私たちはうら若き乙女です」

「若さっていいよね」

「美少女が3人集まって、夏のお祭りに伺うのもそれはそれでとてもよい描写でしょう。ですが、」

 

 ヒマリは得意げに、突き立てた人差し指をくるくると回しながら続けた。

 

「美少女、夏、お祭りとくれば、そこには欠かせないものが幾つかあります」

「はあ」

「それは花火、星空、それから恋です」

「なるほど?」

 

 結局なにが言いたいのかはわからないが、とりあえず理解しているふうに頷いておこう。

 

「これらを簡潔に、ひとまとめにしたものを──人は〝青春〟と呼ぶのです」

「ああ、それね、わかりみ」

 

 ふふんと慎ましやかな胸を張って満足げに息を吐いたヒマリから目を逸らす。

 ええと、結局、私も夏祭りには参加しろということだな。

 蒸し暑い夏の夜に、汗をかきながら人ごみの中をかき分けて歩き回ることが、青春だというのならだまって見届けようではないか。

 学生時代の夏は、二度と戻ってこないのだ。

 たとえそれがマスコットとしての役割だとしても、彼女らが望むのであれば私はどこへでもついて行こう。

 夏、嫌いなんだけど。

 

「……」

 

 複雑な心境のまま苦笑を浮かべていると、ふと隣からの視線を感じたのでそちらを向くと、月雪ミヤコとばっちりと目があった。

 

「……なんですか」

 

 訝しげに、彼女が問いかけてくる。

 いやそれ私のセリフだと思う。

 

「──いいや。月雪さんは浴衣で来るのかなって」

「着てほしいのですか?」

「着てほしくないと言えばうそになると思う」

「相変わらず、面倒くさいですね」

「え、相変わらず? 私ってそんなに面倒くさい?」

 

 この報告は先生にとってはショックだった。

 私は普段から、そういうふうに思われていたのか。

 

「参考までに、どういうところが面倒くさかったか訊いてもいい?」

「そういうところです」

「……」

 

 苦笑を浮かべることしかできず、言葉に詰まった私を見て、月雪ミヤコはくすくすと可笑しそうに笑った。

 そんな私たちを、目の前のトキとヒマリは不満げに目を細めて睨め付けてくる。

 どうしたのかと訊ねようとした私よりほんの少し早くトキは立ち上がり、手にしていた夏祭りのポスターを私と月雪ミヤコの目の前にそっと置いた。

 

「私は浴衣で行きます」

 

 目を丸くして見上げる月雪ミヤコを、切れ長の(ひとみ)で見下ろしながらトキは言った。

 言葉を詰まらせて伏目がちに目を逸らした月雪ミヤコから視線を私に移すと、トキはぺこりと頭を下げた。

 

「本日は先生の夏を予約しにきただけですので、私はここで失礼します」

 

 言って、トキはヒマリの手を取って車椅子に座らせると、そのまま執務室の出口へと向かって歩き出した。

 トキに車椅子を押されたまま、ヒマリは「ちょっと! 私も決めゼリフを──」と叫んでいたが、あえなく2人の姿は見えなくなった。

 

「私も──」

 

 ぽつりとつぶやいた月雪ミヤコの言葉は聞き取れなかったが、なんとなく、聞き直すのをためらって、私たちはだまったまま再び執務へと取り掛かった。

 

 

 

 

 

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