月雪ミヤコの恋愛録   作:一等星の夜

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 じめじめと蒸し暑く、毎日のように雨が降り続く。そんな季節に差し掛かった。

 いわゆる、梅雨と呼ばれる季節である。

 いやはや、文字にしてみるとなんとも儚げであり刹那的であり、繊細であり泡沫のごとく……なんというか、すごく、すごい好きな感じである。

 ここでひとつ物申しておきたいのだが、好きなのは〝梅雨〟という言葉そのものであるだけで、この季節が好きなのかと問われたら私は自信を持って、はっきり、きっぱりとNOと答える。

 しかし、雨が嫌いなわけではない。

 むしろ驚かれることの方が多いのだが、私は雨が割と好きだ。

 屋根や窓を叩く雨音だったり、昼間なのに薄暗かったり、そういった、なんというか、こう、言葉にはできないがなんとなく詩的というか文学的というか、とにかく好きだ。

 私が嫌っているのはこのじめじめとした蒸し暑い気温、湿度であり、さらには梅雨が明けると夏がくるという絶望感である。

 

「夏には夏の良さがあると思いますが。たとえば海であったり、夏祭りであったり、花火であったり。夏にしか見れない星空もあります」

 

 エアコンをつけるほどではないが、私にとっては不快だと感じる湿気を飛ばすべく、ハンディファンを顔にあてて涼んでいると、執務に取り組んだままの月雪ミヤコはちらと私を一瞥して、すぐに手元の書類に戻してからぽつぽつと言葉を繋げた。

 その声音には「仕事しろよ」といったふうな感情が込められていたような気がする。

 というか、私の心の内を平然と読み取るのはやめてほしい。

 

「もしかして声に出てた?」

「いいえ。表情(かお)に出ていました」

 

 ──月雪ミヤコと出会ってから半年以上が過ぎた。

 それだけの期間、ほとんど毎日一緒にいたのだから、表情だけで私の思考を読み取ったとしても驚きはしない。

 いや、よく考えると出会った瞬間から割と思考を読み取られていた気がする。

 私はそんなにわかりやすいのだろうか。

 

「夏の良さ、とはいうけどね、その良さがすべて暑さによってかき消されてしまうと思うんだ」

 

 たとえば、海に行こうものなら、一日中太陽の熱に炙られることになる。

 夏祭りにしても花火にしても同じだ。太陽が沈んだところで、気温は30度近くもあるのだから、わざわざそんな熱帯夜に人がゴミのように集まるところへ行けば、体感温度は一体どうなってしまうのだろうか。

 汗をかきながらかき氷を食べるくらいなら、私は涼しい室内で鍋をつつきたい。

 

「夏は、嫌いですか?」

 

 また私の思考を読んだのだろうか。

 珍しくしゅんと伏目がちに月雪ミヤコは問いかけてきた。

 

「夏の暑さが嫌いなんだ」

 

 私は苦笑で返した。

 

「けど、月雪さんが浴衣を着てくれるなら、余裕で耐えられる」

「……」

「ちなみに髪型はポニーテールでお願いします」

「勝手に話を進めないでください」

 

 じとりと、彼女の目が細くなった。

 彼女のこういった表情もずいぶんと見慣れてしまったものだ。

 見慣れるということはそれだけジト目を向けられているということであるわけで──くだらないことを言うのは今後控えたほうがいいのかもしれない。

 いや、月雪ミヤコの浴衣ポニーテールは断じてくだらなくない。それだけははっきりと言える。

 

「月雪さんは、紺碧とか似合いそうだよね。雪のように白い肌と髪色がよく映えると思うよ」

「……そうですか」

 

 はいはい、といった感じで適当に私をあしらうと、月雪ミヤコは手元に視線を戻して執務を再開した。

 とつとつと窓を叩く雨音が、しんと静まり返った執務室に響いている。

 さて、私もそろそろ執務を再開しようか、と意気込んでハンディファンの電源を切った瞬間だった。

 ぽこぽこと、私のタブレットがメッセージを受信した。

 

『夏』

 

 ──送り主は飛鳥馬トキである。

 暇なのだろうか。

 

『海』

『の』

『家』

 

 暇だな。とても、かなり、まじで、暇なんだろう。

 なんと返事をするのが正しいのか。そもそも返事をした方がいいのかしなくていいのか迷っていると、続けてメッセージが送られてきた。

 

『そうです』

『これらの言葉から導き出される答えは』

『つまりそういうことなのです』

 

 どういうことなのだろうか。

 トキがなにを伝えたいのかいまいちピンとこない。

 そしてまたもや私が返事に困っていると、今度は一枚の写真が送られてきた。

 

「……!」

 

 エメラルドグリーンのビキニを着て、頬の横でピースサインを作った無表情のトキの自撮りが送られてきた。

 背景は特異現象捜査部の部室で、後ろには焦ってなにかを叫んでいるヒマリが写り込んでいる。

 ──私は驚きのあまり、手にしていたタブレットを思わず床に落としてしまった。

 ガンッとタブレットが床にぶつかる音と、アロナが「んみゃっ!?」と間の抜けた声を上げたのはほぼ同時だった。

 ちなみに月雪ミヤコは、なにしてんだこいつ、みたいなジト目を向けてきていた。

 

「いや、ごめんごめん。ちょっと手がすべって」

「はあ。気をつけてください。それと、早く執務を再開してください」

 

 やれやれ、みたいな表情を浮かべて小さく息を吐いた月雪ミヤコは、とくに気にするふうもなく執務へと戻った。

 私は慌ててタブレットを拾い上げて、もう一度送られてきた写真に目を向けた。

 うん。たしかに、間違いなく、トキの水着姿がそこにある。

 

『いかがですか?』

『先生の好みに直球どストライクでしょうか?』

 

 直球、どストライクだ。

 

 〝すごく〟。

 〝すごい〟。

 

 どんな意図があってトキがこんなことをしてきたのかはわからないが、本当に素晴らしかった。

 夏、悪くないな……。

 

「……」

 

 私はとりあえず送られてきた写真をタップして、保存することにした。

 いや、きもいか? さすがにきもいな。やめておこう。

 

『この写真はもう先生のモノです』

『お好きなように使用していただいて構いません』

 

 なにを言っているのだろうか、この子は。

 

 〝しません〟。

 

『はっ!』

『まさか!』

『バストサイズがお気に召さなかったのですか?』

 

 本当に、なにを言っているのだろうか、この子は。

 

『なるほど』

『先生は巨乳好きということですね?』

 

 断じて違う。

 たしかに巨乳もいいが、どちらかといえば私は貧乳派だ。まあ貧乳より微乳がいいし、普乳ならなおよしだ。普乳って言葉がもうかわいいし。

 萌え担当のあざとい女の子が言いそうだ。「ふにゅぅ……」なんつって。あざとい女は嫌いじゃない。

 

「……」

 

 ふと、視線を感じて顔を上げると、ジト目の月雪ミヤコと目があった。

 

「……どうしたの、月雪さん」

「いいえ。ただ、先ほどからにやにやしていて気持ちが悪いなと」

「……」

 

 言葉に詰まって苦笑を浮かべた私から目を逸らすと、月雪ミヤコは執務へと戻った。

 

『返事をしてください!』

『先生!』

 

 そんな私たちの状況など知る由もないトキからは、続けてメッセージが送られてくる。

 私はひとつため息をついて、メッセージを返してからタブレットを閉じて、執務を再開することにした。

 

 〝どんなトキでも、トキはかわいいよ〟。

 

 

 

 

 

   ×  ×  × 

 

 

 

 

 

「……私と、月雪さんが?」

「ええ」

 

 梅雨があけた。

 夏草が生い茂り、木々は緑に染め上げられている。

 蝉がうるさいくらい鳴いていて、太陽は滅入るくらい存在を主張している。

 少し歩いただけで汗をかくし、なにもしていなくても汗をかく。

 私の大嫌いな夏がやってきた。

 珍しく15時に差し掛かる5分前に執務が終わって、私は携帯のゲームアプリを、月雪ミヤコは小説を読んでいた。

 ぱたんと小説を閉じる音が聞こえたと思ったら、月雪ミヤコはソファに寝転んでいた私のもとまでやってきて、唐突に、デートに誘われたわけなのだが、暑さでおかしくなった私の頭が誤作動でも起こしたのだろうか。

 一度落ち着いて考えてみよう。本当に月雪ミヤコが私をデートに誘ったりするだろうか? 否。誘うわけがない。

 

「えっと、なにをするって? ごめん、もう一度言ってくれない?」

「ですから、デートをしましょうと、そう言いました」

「……」

 

 聞き間違いではないのだとしたら、私ではなく月雪ミヤコがおかしくなってしまったのかもしれない。

 私はのそのそと身体を起こして立ち上がり、不思議そうに私を見上げる月雪ミヤコのおでこに手を当てた。

 

「な、なにを……」

 

 熱はないようだ。

 

「……なにか失礼なことを考えているのでしょうが、べつにおかしくなったわけではありません」

 

 言って月雪ミヤコは私の手をそっと払いのけて、頬を赤く染めてこほんと小さく咳払いをした。

 

「資料と言いますか、取材のようなものです」

「……?」

「小説というのは、必ずしも自身の体験に基づいて書かれているわけではありません」

 

 なるほど。つまりどういうことなのだろうか。

 

「ですが、その……」

 

 珍しく歯切れが悪い。

 なにを言われるのか、私は黙って言葉の続きを待った。

 

「そういったシーンを書くのであれば、やはり、体験しておくべき、だと……読む際にも、そういった経験があれば、より深く作品を理解できるのでは……と、」

 

 ──そうか。つまり月雪ミヤコは私とデートがしたいわけではなく、デートという体験そのものが欲しいわけだ。

 ということは、相手は別に私でなくてもいいということか。

 月雪ミヤコは私を選んだわけではなく、ただ身近なところにいたのが私だっただけで……そうか。

 いやべつに、とくに思うところはないが、まあ……、……そうか。

 

「……いいよ、わかった。日時は?」

「明日などはいかがですか?」

「急だね」

「今日のぶんの執務がずいぶんと早く片付きましたので。明日のぶんを今からやれば、明日は一日空けられます」

 

 なるほど。つまり私の束の間の休息が終わりを告げたということか。

 え、せっかく一度切り上げたのに、また執務に取り掛かるの? やだな……。

 

「ちなみにデートの内容ですが、」

 

 打ちひしがれる私などは気にもとめず、月雪ミヤコはかわいらしいカバーのついたスマートフォンを私の眼前に突きつけて、画面を見せてきた。

 着物レンタルのサイトが開かれてあり、どうやらそこでレンタルした着物を着て街中を巡るというプランらしい。

 

「明日、私と先生は恋人です」

「そうなんだ。……どういうこと?」

「深い意味も、特別な意味もありません。ただ、資料として欲しいのがそういったシチュエーションなだけです」

「ああ、なるほど」

 

 月雪ミヤコはあくまでシミュレーションであるのだと、変な勘違いはするなと釘を刺すように、じとりとした視線をこちらに寄越した。

 ふう、危なかった。あやうく勘違いしちゃうところだった。

 

「デートにかかる費用はすべて私が支払いますので」

「え、なんで」

「当然でしょう。言ってみれば、私のわがままに先生を付き合わせるわけですから」

「でも恋人なら、わがままを言いあえる関係の方が素敵だよね」

「……」

「私にも、出させてほしいな」

 

 月雪ミヤコはまだなにか言いたげだったが、観念したようにひとつ、小さく息を吐くと、ばつが悪そうに私から目を逸らした。

 

「……変な人」

 

 今年の夏は、思ったより悪くはないらしい。

 ため息ごと吐き捨てるように小さく言った月雪ミヤコの横顔を見て、私は微笑した。

 

 

 

 

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