月雪ミヤコの恋愛録   作:一等星の夜

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「なぜ、うそをつく必要があったのですか」

 

 朝食に買った菓子パンを食べ終え、お供に買ったホットカフェラテをちびちびと啜っていた頃だった。

 月雪ミヤコも同じように、正面のソファに腰かけながら両手でホットカフェラテを抱えて、じとりとした視線を向けてきた。

 

「君と同じで、きっと私からだと言えば彼女たちは誰も受け取らないだろ」

 

 そんな彼女から視線を落として、もう一度、一口喉の奥へと流し込む。

 大量に購入した菓子パンといくつかの飲料を、子ウサギ公園のとある拠点に届けてほしいと依頼した。

 フブキはドーナツを食べるので忙しいらしく、キリノだけが笑顔で快く引き受けてくれた。

 私からではなく、月雪ミヤコからだと言って渡してほしい旨を告げると、キリノは頭の上に疑問符を浮かべていたが、理由を訊ねてくることもなく了承して去っていき、その後ろ姿に手を振る私を、月雪ミヤコは少し離れた位置からじとりと睨め付けていた。

 

 キリノと別れたあとすぐに、執務室へと向かうエレベーター内で問い詰められそうになったところに、きゅう、と月雪ミヤコの腹が鳴った。

 かわいらしい音だった。それから真っ赤に頬を染めて俯いた姿も、とてもかわいらしかった。

 

 お互いしばらく無言になり、朝食をとり終えてようやく落ち着きを取り戻したのか、彼女はあとにまわした疑問を今さら口にした。

 

「〝優しいうそ〟というやつでしょうか。相変わらず、甘いですね」

「そうかも。でも、月雪さんも甘いよね」

「はい?」

「だって、本当は私がうそをついた理由、わかってたでしょ。なのにとめなかった」

「……」

「優しいよ、君は。私よりもずっと」

 

 目が合うと、彼女はばつが悪そうにふっと逸らして、手元のカフェラテに口をつけた。

 そんな彼女の仕草がなんとなく、愛らしい子ウサギのように思えて、どうにもゆるむ口もとを抑えられなかった。

 

「……変な人」

 

 にこにこと、隠す気もなく笑顔を浮かべている私に視線を戻した彼女は、ぽつりと小さな声で吐き捨てた。

 しかしそこには昨夜のような、あるいは今朝のような毒気は感じられなかった。

 しかし純粋に、私という人間を見定めるようにじっと瞳の奥を覗き込んでくるような、たしかめるような視線がだんだんと居心地の悪さを募らせて、私の口もとはゆっくりと引き攣っていった。

 

「……」

 

 なんとなく、気まずさを感じる。

 時計の秒針が進む速度が、いつもより遅いような気がする。

 話のタネが見つからない。

 依然として見つめ合ったまま、ガタガタとうるさい暖房器具だけが、この執務室を支配しようとする静寂に抗っている。

 20秒が経過した。彼女はまだ、こちらをじっと見つめている。

 

「……」

 

 30秒が経過した。彼女はまだ、こちらをじっと見つめている。

 趣味の話とか、天気の話、あるいは好きな動物の話でも振ればいいのだろうか。

 いや待てよ、好きな動物……好きな──

 

「そうだ。好きな異性のタイプとか──」

「そろそろ執務に取り掛かりましょう。口ではなく、手を動かしてください」

「……」

 

 ああ、この手の話題はいわゆる、セクハラというやつだったのかもしれない。

 今後気をつけよう。

 つんとそっぽを向いた彼女を見て、自然と笑みがこぼれた。

 

 

 

 

 

   ×  ×  × 

 

 

 

 

 

「カップ麺はね、醤油一択だよ。間違いないんだ」

「正気ですか?」

「もちろん」

「話になりません。シーフード以外の選択肢はあり得ないと思いますが」

 

 終わる気配はないが、執務がひと段落ついたところで、昼食をとることにした。

 時刻はすでに12時を少し過ぎている。

 買いに行くのは煩わしいし、作るなんてのはもってのほかだ。

 そうして執務室の棚に常備してあったお手軽なカップ麺をふたつ取り出したところで、月雪ミヤコと口論になってしまった。

 カップ麺と聞いて思い浮かべる味は、基本的に3つだろう。

 醤油か、シーフードか、カレーか。

 私はもちろん醤油が一番好きだし、醤油以外のカップ麺を買うことはほとんどない。

 いま現在も、棚には醤油味のカップ麺だけが10個ほどストックされている。

 

「まあ、ここには醤油味しか置いてない。〝選択肢〟と君は言ったけれど、今この場においては、君が選べるのは醤油だけだ。どうする?」

「……度し難いです」

 

 バチバチと火花が飛び散るほど大袈裟ではないが、私と彼女の視線が衝突する。

 

「君の掲げる正義を否定したくはないけれど、こればっかりは譲れない。大人として」

「やはり、あなたは信じるに値する大人ではありません」

 

 ため息ごと吐き捨てるように、彼女は言った。

 まあ、それとこれとは別に、選択肢が醤油しかないのなら普通にいただくらしい。

 意外と食い意地が張っているのかもしれない。

 いや私もそこにシーフードしかなければ普通に食べるし、なんならたまに自発的にそれを買うこともある。もちろん好きだ。

 カレー味にはチーズを乗せたりなんかして、冬の夜中に食べると特別美味かったりする。

 結論、醤油もシーフードもカレーも、普通に好きだ。

 

「……そもそも、大人としてどうかと思います」

 

 お湯を注いで3分待つだけで手軽に食べられるラーメンを一口啜ったあと、味わうように咀嚼してのみ込んだ彼女は、私と、棚にある大量のカップ麺を交互に見やって、呆れたようなため息をついた。

 

「いいじゃんか。醤油味が好きなくらいでそこまで──」

「そうではありません」

 

 もう一度、ことさら大きなため息をついた。

 

「まさかとは思いますが、毎日このような食生活を送っているわけではありませんよね?」

「……」

「そういえば今朝のコンビニの店員さん、『いつもありがとうございます』とおっしゃっていましたね」

「……」

「呆れます。自分のことを気遣えない人が、どうして私たちの現状を気にかけられるのでしょうか」

 

 怒気を孕んでいたわけでも、毒気があったわけでもない。

 ただ純粋に、彼女の声音からはどことなくあたたかさのようなものを感じた気がした。

 

「……つまり、君は私を心配してくれてるってこと?」

「……。失言でした、忘れてください」

「失言!?」

 

 気のせいだった。

 

「食事中ですので、話しかけないでいただけると助かります」

「ええ……君から話しかけてきたのに……」

 

 しかし、その言葉の通り、食べ終えるまで彼女は本当に一言も話してはくれなかった。

 時折りじっとこちらを見つめてきては、目が合うとすぐに逸らしてまた箸を進める。

 そんなことを数回繰り返しているうちに、気がつけば麺は無くなり、スープまで飲み干してしまった。

 

「──月雪って、すごく綺麗な名字だよね」

「なんですか、突然」

 

 昼食も食べ終わり、執務を再開した。

 無言のまま、カリカリとペンを走らせる音と書類を繰る音、それからガタガタとうるさい暖房器具の音だけが響く執務室が、なんとなく気まずかった。

 ある程度の信頼関係を築けていなければ、密室で2人きりという空間は、どうにも耐えられないらしい。

 他の人がどうかは知らないが、私はそうだった。

 

「ミヤコっていう名前も、すごく愛らしいよね」

「べつに、私だけが特別なわけではないと思いますが。──たとえば、聖園や十六夜、歌住や明星なんかの方がよっぽど綺麗な名字ではないでしょうか」

「たしかに、キヴォトスには綺麗な名字の子が多い気がする」

「納得していただけたのなら、口ではなく手を──」

「けど、」

 

 私には目もくれず、書類に視線を落としたままの彼女の言葉を遮って、私はふっといたずらに笑った。

 

「特別綺麗なのはやっぱり、〝月雪〟だと私は思うな」

「……」

 

 その言葉に、落としていた目をこちらに向けた彼女は、照れるでもなく喜ぶでもなく、怒るでもなく気持ち悪がるでもなく、ただきょとんと、不思議そうに目を丸くしていた。

 

「私はそう思うよ、月雪さん」

「……やっぱり……変な人」

 

 そう言った彼女は少し、居心地が悪そうだった。

 月雪ミヤコはこちらに向けていた目をまた書類に落として、握っていたペンを動かし始めた。

 再び、執務室には静寂が戻ってくる。

 けれど、先ほどとは違い、今はこの沈黙がどこか心地よいと思ってしまう。

 彼女の方が気まずそうな雰囲気を出しているからだろうか。

 

 ……曰く、〝誰もが世界を変えようと考える、だが誰もが自分を変えようとは考えない〟らしい。

 

「……」

 

 ──根拠も、確信も、理由さえもないけれど。

 今なら、ずいぶんと離れてしまっている私たちの距離を少しだけ、縮められるような気がした。

 

「ねえ、ミヤコ──」

「馴れ馴れしいです」

 

 気のせいだった。

 

「この際なので言っておきますが、私はあなたに下の名前を呼び捨てられるほど、あなたと親しくはありませんし、今後そうなるつもりもありません」

「……」

 

 全くもって、全然、完全に気のせいだった。

 

「ミヤコちゃん」

「やめてください。寒気がします」

「ミヤコさん」

「……〝ミヤコちゃん〟を先に出されてしまったので一瞬それならと思いましたが、やはりありえませんね。あなたに名前を呼ばれる筋合いがありません」

「ええ……筋合いとかいるんだ……」

 

 どうやら、まだまだ私と彼女の距離は縮まらないらしい。

 それどころか、むしろ以前にも増して離れてしまったのではないかとすら思ってしまう。

 

 つんとそっぽを向いた彼女を見て、苦笑を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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