月雪ミヤコの恋愛録 作:一等星の夜
お祭りに行く理由は、人それぞれ、様々なものだろう。
浴衣を着たいから。雰囲気が好きだから。青春を謳歌したいから。
私はもちろん、屋台目当てである。
「私の指の先をなぞって、空を見上げてください。あれがデネブ、アルタイル、ベガです」
「え? 君は指さす夏の大三角?」
だから、祭りが終わって、コンビニで購入した手持ち花火を持って河川敷までやってきた理由が、わからずにいる。
私とトキ、それからヒマリと月雪ミヤコ。メンツは変わらず、浴衣のまま。
「〜〜〜っ!」
「……」
足もとでうねうねとうごめくヘビ花火に驚き、声にならない声をあげているヒマリと、それを呆れたような目で見つめている月雪ミヤコ。
そんな2人を横目にベンチに腰掛けた私の隣に座ったトキは、夜空に浮かぶ星々を指さして、無表情のままつらつらと言葉を連ねる。
「織姫と彦星をご存知ですか?」
「さすがに。一年に一度会える、ってやつだよね」
「ええ。いわゆる七夕です。ですが、実際に織姫から彦星までの距離は14光年ほど離れています」
「へえ?」
「つまり、織姫が光速で移動できたとしても、彦星のもとへたどり着くまで14年以上かかるのです」
「なるほど?」
ということはつまり、天帝は織姫を騙したということだろうか。
一年に一度彦星に会わせてやるから真面目に働けと言っておきながら、その実会いに行ってもいいけど、彦星までは光の速さで移動しても14年以上かかるよーん、というわけか。
ひどい神様だ。
「でもそれって私たち人間基準の話じゃない? ほら、天帝ってすごい神様らしいし、なんかこう、すごい力で、ね? きっと、14光年程度ならまた巡り逢える、みたいな」
「……」
トキは「なに言ってんだこいつ」みたいな感情を孕んでいそうな目で私をじとりと見つめている。
私自身なにが言いたかったのかよくわからないが、彼女がなにを言いたかったのかもよくわからない。
「騙されたと知ったとき、彼女はなにを思ったのでしょうか」
どうやら、騙されたということで話は展開していくらしい。
まあたしかに、星が移動することはないのだから、織姫と彦星は騙されたのかもしれない。
ふと、遠く離れた場所に浮かぶベガとアルタイルに視線を移した。
「まあ、織姫の気持ちはわからないけれど、私が彦星なら、それでも必ず会いに行く」
「──……」
「もしも
星に向けていた視線を真隣のトキへと戻すと、こちらを見つめていたトキとばっちりと目があった。
切れ長の
「私は──」
ほんの少し固まっていたトキが、やがてなにかを言おうと口を開いたのと同時に、大きな破裂音が鳴った。
その音に重なってヒマリの叫び声が響いて、そちらに目をやると、ねずみ花火に驚かされているヒマリのおもしろ──かわいらしい姿と、それを呆れたように眺めながら、袋から打ち上げ花火を取り出した月雪ミヤコの姿があった。
「ふっ……、くふっ……あははっ」
「……な、なにが可笑しいのですか、先生? ええ、もちろん、『全知』の学位を持つこの私が、花火などに驚かされるはずがありません。先ほどのものはなんと言いますか、当然
眉を寄せて、苦笑にも似た表情でつらつらと言い訳じみた言葉を連ねるヒマリの隣で、月雪ミヤコが打ち上げ花火に火をつけた。
その音に大袈裟に肩をびくりと震わせたヒマリの口から出た吐息のような悲鳴は、なんというかとても、かわいらしかった。
「心配しなくても、これは変わり種ではありません」
「大丈夫だよ、ヒマリ」
「落ち着いてください、ヒマリ部長」
「私は冷静です!」
導火線をゆっくりと伝う火が、火薬にたどり着き、安っぽい音を立てながら空へと飛んでいった花火が、これまた安っぽい火花を散らせて、あっけなく消えた。
打ち上げ花火は、何度かそれを繰り返す。
べつに見惚れていたわけではないけれど、私たちはみな黙ったまま、それを眺めていた。
「夏ですね」
ふと、視線は空に向けたまま、月雪ミヤコがひとりごちるように呟いた。
「夏だね」
私も打ち上がる花火を見上げたまま、それに応える。
──夏は嫌いだ。
暑いし、蝉はうるさいし、虫がいっぱいいるし、それから暑い。
動いてないのに暑いし、動いたらさらに暑い。
「夏といえば恋。恋といえば線香花火です」
ただ、数年に一度くらいは、夏もそう悪くはないものだと──ふんすとドヤ顔で袋から取り出した線香花火をこちらへ差し出してきたトキを見て、そんなことを思った。
「恋と線香花火に共通点ないでしょ」
「恋も線香花火も、先に落ちた方が負けです」
「なるほど?」
トキから手渡された線香花火を受け取り、相槌をうつ。
恋、先に落ちた方が負けなのか。
惚れた弱み、みたいなものなのだろうか?
「そういうわけですので、勝負をしましょう」
「どういうわけかはわからないけれど、乗った」
ちらと、他の2人にも勝負を投げかけようと視線を移すと、月雪ミヤコは絶賛通話中だった。「ですから私と先生はそういう関係では──モエ!」とかなんとか聞こえた。
ヒマリはというと、袋の中を覗いて手持ち花火を物色している。
どうやら私とトキの一騎打ちらしい。
「負けたらなんでもひとつ、言うことを聞くんだよね?」
「はい。バニーでも、首輪でも、裸エプロンでも、なんなりと」
「ちょっと? 君の中の私、どうなってる?」
「私が負けたら、私を先生だけのモノにしていただいて構いません」
「トキちゃん?」
おふざけでもなんでもなく、至って大真面目な表情でそんなことを言うトキに、これ以上反論しても無駄だということを悟り、私はライターを手にして、ひとつ息を吐いた。
その場にしゃがみ込むと、トキも同じように私の隣にしゃがみ込む。
手にしていたライターで花火に火をつけると、勢いよく小さな炎がパチパチと音を立てて吹き出した。
それを見て、トキが自分の手に持っていた花火を近づけてくる。
彼女の線香花火の先端が、私の線香花火にゆっくりと触れた。
彼女の花火に火がつくのと、私の花火の先端が丸い玉に変化したのは同時だった。
あれ、なんかずるくない? ラグがある。
「……久しぶりにやったよ。線香花火なんて」
そもそも、花火自体が久しぶりだ。
「私は初めてです。つまり先生は私の初めてを奪ったというわけです」
「言い方」
「責任を取る必要があると思いますが」
「なんの!?」
いつのまにか、トキの花火の先端も、丸い玉に変わっている。
火花が玉のまわりをサラサラと弾けて、風に吹かれれば消えてしまいそうな儚い光がいま、たしかに私たちの手の中に在った。
「先生──」
どちらが先に落ちるのか、ハラハラしながら玉を見守っていると、不意にトキが私を呼んだ。
視線は外さずに、「んー?」と気の抜けた返事だけをする。
こくりと、トキの喉が鳴って。一瞬、静寂が私たちを包んだ。
「好きです」
「──……」
先に、私の花火が落ちた。
心臓がドクンと大きな音を立てる。瞳孔が開いていくのを感じる。
私はゆっくりと、彼女へと視線を向けた。
「大好きです」
じっと、切れ長の
「私だけを────見ていてください」
──それが、飛鳥馬トキの願いだった。
× × ×
私が言うのもなんだが、この先生はおかしいと思う。
× × ×
「先生。恋とは一体なんなのでしょうか?」
それはまだ、調月リオという主人を失って、私が暇────やるべきことを見つけられずにいた頃。
暇つぶし────当面の主人代理としてシャーレの先生にお仕えすることを決意してから早数週間が経った。
その日もいつものように遊びに────先生のお世話をするためシャーレオフィスへと赴いた。
書類仕事に追われる先生を横目に、ソファに腰かけて読んでいた小説をぱたりと閉じて、私は先生へと問いかけた。
〝恋とは一体なんなのか〟。
「コイ目コイ科の淡水魚で──」
書類から目を離さず、ぺらぺらと適当な返事を寄越す先生をじとりと睨めつけて、私はむっと口を尖らせた。
「で、そこは
そんな私の視線には一向に気づかず、先生はひとりで喋り続けている。
恋が鯉になり、いつのまにか野球の話にすり替わっている。
あの選手がうんたららーとか、永久欠番がなんたららーとか。一体いつまで喋り続けるつもりなのか。
「──というわけで、鯉とはつまり、野球のことなんだよ」
ようやく話し終えた先生は、いつのまにか書類そっちのけで、とても晴れやかな笑顔を私へと向けていた。
「なるほど、わかりました」
「え、もしかしてトキも野球に興味が──」
「先生はいわゆる〝クソボケ〟というやつですね」
「ちょっと?」
噂では、異性からの恋愛感情に対して極めて鈍感な人間を〝クソボケ〟と表現することがあるらしい。
先ほどの会話から、先生はそれに該当する、あるいはその素質がひしひしと感じられた。
「では、次の質問です」
「クソボケって一体……」
「恋愛経験はありますか?」
私の問いに、先生は一瞬引き攣った笑顔を見せてから、ばつが悪そうに目を逸らした。
「……ないけど」
「やはり、そうでしたか」
「納得しないで?」
先生は「付き合ったことがないだけで告白なら何度かされたことが──」などともにょもにょと言い訳じみた言葉を連ねている。
「では、さらに次の質問です」
「まだ続くんだ」
「好きな異性のタイプを答えてください」
「ポニーテール」
即答した先生は、極めて大真面目な表情を浮かべている。
「好みの髪型はわかりました。ですが、ここで私が訊ねたのは性格などの中身の方です」
「中身ねえ……。まあ、しいて言うなら無表情系の子が好きかな。あ、無表情といってもね、無感情じゃないんだ。喜怒哀楽はたしかにあるけれど、でもそれを上手く表に出せないような、そんな不器用な子が好き」
「しいてとおっしゃった割には具体的ですね」
ふんふんと頷きながら、徳用サイズのスナック菓子の封を開けた。
ポテチを一枚手に取り、ひと口かじる。パリっと小気味よい音が鳴った。
「あ、だめだよトキ。今そんなの食べたらお昼ごはん入らないでしょ」
「すみませんお母さん」
「性別まで変えないでくれる?」
はあっとため息をつきながら、先生は出前をとるべくスマートフォンを開いて、メニューを吟味している。
デスクに就いている先生の背後にまわり、彼の肩から顔を覗かせて、私は手を伸ばして人差し指で彼のスマートフォンの画面に触れた。
「ラーメン、お寿司……ピザも悪くありませんね」
「いやいや、もっと健康に気をつかった食事をだね、」
「先生は自身の健康には気をつかわないくせに、私の前ではまともなことを言うのですね。もしかして私のことが好きなのですか?」
「え、飛躍しすぎじゃない?」
「では、私のことが嫌いなのですか?」
先生の両肩に手を置いて、鼻先が触れ合いそうなほどの至近距離で先生の瞳をじっと見つめる。
まばたきを我慢して、瞳を潤ませると、彼は一瞬焦ったような表情を浮かべて、慌てて取り繕った。
「いやいや、好きだよ。超好き。トキ好き」
「ふふっ。ありがとうございます」
「……なんかすごく揶揄われた気がする」
「気のせいです」
意外にも、自然な笑みがこぼれた。
大人を──というよりかは先生を揶揄うのは、楽しい。
「そういうわけですので、私はピザを所望します」
「どういうわけかはわからないけれど、じゃあ、ピザを注文するよ」
苦笑して、折れてくれた先生から距離をとり、私は再びソファへと腰かけた。
封を開けたばかりのスナック菓子に手を伸ばすと、「その代わり、おやつはご飯のあとね」と、先生は私を窘めた。
「……わかりました、お母さん」
「やめて……」