月雪ミヤコの恋愛録   作:一等星の夜

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だから飛鳥馬トキは傷つかない

 

 

   ×  ×  × 

 

 

 

 

「大好きです」

 

 ミヤコと、ヒマリ部長と、先生と。

 4人で、お祭りに行った。

 浴衣を着て、写真を撮って、りんご飴を食べて。花火をした。

 私と先生の2人だけで、線香花火をした。

 

 満たされる夏だった。

 来年も再来年も。夏も秋も、冬も春も。変わらずに、こうして過ごせたらそれでよかったのに。

 それで充分、幸せだったはずなのに。

 

「私だけを────見ていてください」

 

 それを壊して、それ以上を求めた。

 

 私の告白に、先生は目を見開いて驚きを隠せない様子だった。

 どれくらいの沈黙が続いただろうか。

 やがて私が手にしていた線香花火の先端も、ぽとりと地面に落ちて、暗闇が私たちを包んだ。

 

「──きっと、」

 

 数時間にも感じるほどの。気が遠くなるほどの、一瞬の静寂を打ち破って、足もとに落ちた線香花火の残滓(ざんし)を見つめながら、先生は言葉を繋げた。

 

「もしかしたら、君が期待する応えを──私は返せないかもしれない」

 

 覆水が盆に返らないように。死んだ人間が生き返らないように。

 きっと、それは覆らない。

 

「それでも、考える時間が欲しい。君は冗談やいたずらでそんなことを言ったりしない子だから、私も本気で向き合いたい。悩ませてほしい」

「──……」

 

 ──私が先生を好きになった理由。

 きっかけ。過程。それらを、順を追って説明しろと言われれば、きっとそれは難しい。

 曖昧で、不確かで。

 

 けれど──不意に見せる先生のこういった真摯な姿に、私はたしかに惹かれていた。

 

「……負担では、ありませんか?」

「……?」

 

 怪訝そうに先生は首を傾げた。

 

「私の気持ちが、です」

 

 先生の優しさを、私はよく知っている。

 先生の背負うものを、私は知っている。

 彼はいつだって生徒(だれか)のために身を削り、いつだって生徒(だれか)のことを最優先に考えている。

 先生がなにも考えずに、心から安らげる時間はあるのだろうか。

 与えられている仕事の量だって相当のものだ。

 そんな彼に、私は自分の気持ちを押し付けてしまった。

 

「今ならまだ、聞かなかったことにしていただいて構いません」

 

 〝聞こえなかったことに〟と言った方がよかっただろうか。

 

「……誤魔化さずに、包み隠さずに正直に言うと、困惑はしているよ。告白されるという経験は、人生の中でも数えるほどしかなかったから。──でも、」

 

 そんな私の仄暗い思考を吹き飛ばすように、先生は微笑して、言葉を繋げた。

 

「君の気持ちが負担になることは、絶対にない。それは私が大人だからだとか、先生だからだとか、そんなんじゃないよ」

「……」

「責任とか、同情とか、そういうのじゃなくて。……嬉しかったんだ。誰かに好意を向けてもらえることは、私にとってマイナスにはならないよ。それがトキなら、なおさらね」

 

 ──私が言うのもなんだが、この先生はおかしいと思う。

 

 その最たる理由として、その気は微塵もないくせに、本気で、平然と、こちらをその気にさせるようなセリフを吐いてしまうところが挙げられる。

 受け止めてくれるくせに、返してはくれない。

 好きでいさせてくれるくせに、好きにはなってくれない。

 

 けれど、そんな先生でも。そんな先生を── 誰よりも、心から愛おしいと思ってしまう私は、もっとおかしいのかもしれない。

 

「……トキ?」

 

 不意に、涙がこぼれ落ちそうになって、私は顔を背けた。

 いつのまにか月雪ミヤコは電話を終えていて、どこかもの憂げな表情でじっとこちらを見つめていた。

 ヒマリ部長は、手にしていたロケット花火に火もつけず、寂しそうな横顔で、地面を見つめていた。

 

「帰ります」

「え、急に──」

「返事は、いつでも構いません」

 

 先生の言葉を遮って、私はその場から立ち上がり、ヒマリ部長のもとへと向かった。

 彼女は顔を上げないまま、「もうよいのですか?」と、努めて明るい声色で問いかけてきた。

 

「今の私にできることは、もうありませんので」

「そうですか。では、(わだち)を拾うとしましょうか」

「普通に帰るとおっしゃるだけでよろしいのでは?」

「あら。それでは超天才文学系美少女っぽくありません」

「……」

 

 振られ……てはいない。まだ。

 まだ振られてはいないが、私の気分は割と落ち込んでいるというのに、彼女の言動は普段とあまり差異はなかった。

 こんなときくらいは優しい言葉をかけてほしいと思いつつ、変に気をつかわないでいてくれてよかったと、安堵した。

 

 立ち尽くしている先生と、戸惑ったまま不安そうにこちらを見つめている月雪ミヤコに、ヒマリ部長はぺこりと頭を下げて別れを告げた。

 それに倣って、私も頭を下げて、車椅子を押して歩き出す。

 月明かりに照らされて、私たちは来た道をゆっくりと戻って行く。

 つい先ほどまでの、祭りの喧騒がうそのようにしんと静まり返った道を、ゆっくりと。

 

「トキ。知っていますか?」

「……」

 

 私は応えなかった。

 見なくてもわかるくらい、きっと得意げな表情を浮かべているであろうヒマリ部長の揺れる後ろ頭を眺めながら、足は止めずに。

 

「失恋とは、恋を失うと書きます」

「……」

 

 もちろん知っている。

 知っているが、彼女が言いたいのは、当然そういうことではないのだろう。

 

「私はこう思うのです。万が一、いえ億が一振られてしまったとして、それでも好きでい続けられるのなら、恋を失ってしまったりはしないのではと」

「……屁理屈ですね」

「あら。恋に理屈など必要ありませんよ、トキ」

「──……」

「恋愛など、それ自体が非合理的です。種の生存を目的とするのであれば、そこに感情の入る余地はありません。私を除いて、誰しもに欠点があるからです」

 

 〝私を除いて〟などと平然と、本気で言ってのけてしまう傲慢なところが、明星ヒマリの欠点なのだろうか。

 

「小さな欠点がいくつも積み重なると、やがて感情は暴発してしまい、人々は〝別れ〟という選択をとります。ではなぜ人は恋をするのか──」

「……」

「理屈ではないのです。理屈をこえたその先に、ただ愛おしいという感情が残るから。欠点さえも全部ひっくるめて、ただひたすらに愛おしい。そういった〝本物〟を求めて、人は非合理的と知りながら恋をするのではないでしょうか」

 

 彼女はこともなげに、まるでそれが自然の摂理であるかのように、簡単に言ってのけた。

 ただ、筋が通っていないのに──筋が通っていないから、それは枯れた花に水を()すように、優しく私の心に沁み込んできた。

 

「失くしてはいけませんよ、トキ。きっと、あなたのその気持ちは本物です」

 

 ──星が降るような、そんな夜。

 恋とは一体なんなのか。その答えが、ほんの少しだけわかったような気がする。

 好きになるとはこういうことなのだろうと、痛む胸を右手できゅっと押さえた。

 こんなにも無力で、こんなにも切なくて、こんなにも苦しいのに。失くしたくないと、そう思った。

 

「……ヒマリ部長にしては珍しく、ロジカルではありませんね」

「ええ。ですが、そうであったなら、それはとてもロマンチックだとは思いませんか」

「なるほど、わかりません」

 

 自然と、口の()が持ち上がった。

 ヒマリ部長の表情は窺えなかったけれど、よく似た表情を浮かべているような気がした。

 

「見えますか、トキ。あれがデネブ、アルタイル、ベガです」

「君は指さす夏の大三角、ですね」

 

 冗談めかして星空を指さしたヒマリ部長に、私もふっと笑って応えた。

 風の音さえも聞こえない、静かな空の下に、ヒマリ部長の綺麗な鼻歌が響いた。

 彼女が腰かける車椅子を押して、ミレニアムサイエンススクールへと続く道を、ゆっくりと歩いた。

 ペースを落とさなければ学園に着くまでに、不意にこぼれ落ちたこの涙が、乾いてくれそうになかったから。

 

「……」

 

 ひとつ。またひとつ。

 大粒の涙が頬を伝い落ちていく。

 失くしてしまわないように。この手の中に在ってほしい。そう思い続けることはひどく苦しいことなのだと、はじめて知った。

 

 ──彼はきっと、私を選ばない。

 

 ずっと前からわかっていたことなのに。

 それでも伝えたかった。知ってほしかった。聞いてほしかった。

 

 私はあなたをこんなにも愛しているのだと。

 

「擦ってはいけませんよ」

 

 いつのまにか立ち止まり、嗚咽していたことに気がついた。

 ヒマリ部長はこちらを振り向かず、ただ優しい声音で、あやすように、言葉を繋げた。

 

「腫れてしまいますので。トキ、こちらへ」

 

 言って、彼女は自分の太もものあたりをぽんと叩いた。

 それに従って彼女の前にまわると、彼女はおもむろに手を伸ばしてきたので、私は膝を屈めた。

 彼女は私の左の頬にひんやりとした右手を添えて、もう片方の手で持ったハンカチを、そっと私の目もとに押しあてた。

 

「大丈夫です。あなたの恋は終わりではありませんよ。あなたはちゃんと、伝えられたのですから」

 

 梳かすように、そっと優しく撫でてくれるヒマリ部長の手が、心地よかった。

 甘やかな声が、心地よかった。

 

「よくがんばりました。トキ、あなたは本当に、強い子です」

「……」

「帰ったらすぐに、目もとを冷やさなければなりませんね」

 

 そう言って微笑したヒマリ部長は、私が落ち着くまでずっと、私の頭を撫でていてくれた。

 幾度も、大丈夫だと、そう言い聞かせるように。

 

 そうしてひとしきり泣いて冷静になった私は、学園に戻ったあとヒマリ部長が用意してくれた氷嚢で目もとを冷やして、お風呂に浸かり、たっぷりと保湿してからベッドに潜った。

 不思議と、ぐっすりと眠ることができた。

 

 朝起きて鏡の前で表情を確認すると、意外なほどにすっきりとしていた。目は少し腫れていた。

 両手の人差し指で唇の両端を持ち上げて、笑顔を作ってみた。

 そこに映る私はとてもかわいくて、なぜ先生が私を選ばないのか、理解できずに私はことりと首を傾げた。

 まだ、振られてはいないが。

 

 しかしそれから3日が経つと、私は正式に振られた。

 「ごめんね」と、先生はとても申し訳なさそうに。「それから、ありがとう」と、そう言って苦笑した。

 彼の目にはクマができていて、本当に、真剣に悩んでくれたことが窺えた。

 私はぺこりと頭を下げて、「こちらこそありがとうございます」と、そう応えた。

 

 ──恋とは一体なんなのか。

 私には、ほんの少ししかわからない。

 

 けれど。だから──もう少し、あと少し、追いかけてみようと思う。

 

 まだ、失くしてしまわないように。

 

 

 

 

 

   ×  ×  × 

 

 

 

 

 

「──つまり、先生は私ではなくうさぎ……いえ、うさ耳に発情していたということですか?」

「いやいや。たしかにトキのバニー姿はこう、私の率直な感想を伝えることが憚られるくらいグッとくるものがあったけどさ、君にもうさ耳にも発情してないよ? いや本当に」

「ではなぜ私ではなく月雪ミヤコなのですか!」

「なにが!? べつに君が思っているような感情を月雪さんには一切向けてないから!」

 

 私が振られてから一週間が経ち、なんの変哲もない日常へと、私たちは戻っていった。

 いつものようにシャーレに遊びに──先生のお手伝いをしに顔を見せると、先生は変わらず迎えてくれた。

 

「そうですか、へえ、なるほど。いえ、私も先生にそういった感情を向けられても当然辟易するだけなのですが、それはそうと真っ向から否定されるのもいささか腹立たしいですね」

「……ちょっと、月雪さん? 顔が怖いな、ははっ……」

「では、ミヤコではなく私を選ぶということですね」

 

 両手でピースサインを作って、ふんすと息を吐いた私に、先生はため息で応えた。

 

「……君、本当に強いね」

「当然です。私は先生のことが好き──いえ、先生を愛していますから」

「ちょっと?」

「先生」

「……はい」

 

 ハイライトが消えかかっている瞳で私と先生を見つめている月雪ミヤコは置いておき、私は言葉を繋げた。

 

「一度振られたくらいで、私が諦めるような軽い女に見えますか?」

「いやまあ、見えない、かな?」

「私に諦めさせたいのであれば、先生はもっとこっぴどく振るべきでした」

「……べつに、諦めてほしかったわけじゃないよ。どの面下げてって思われるかもしれないけど、傷つけたかったわけでもないし」

「……」

 

 一瞬言葉に詰まり、それを誤魔化すように大げさな咳払いをひとつ挟んで、私はじっと先生の瞳の奥を覗き込んだ。

 

「先生……愛しています」

「はい?」

「うん、でもそんなに全開でこられるとちょっと困るかな……。ほら、そういうこと言われ慣れてないし、照れるし」

「は?」

 

 威圧するように睨めつける月雪ミヤコの視線から逃げるように、先生は顔を背けながら苦笑した。

 そんなふたりを見て、私は口の()を持ち上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『だから飛鳥馬トキは傷つかない』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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