月雪ミヤコの恋愛録   作:一等星の夜

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「アル、そこの書類取ってくれない?」

 

 夏が終わって、秋がやってきた。

 暦上の秋などという大うそつきの9月は過ぎ去り、もう10月も終わりかけた頃、ようやく過ごしやすい気温が続くようになり、ときには寒い日もちらちらとあるくらい。

 あと1ヶ月もすれば、本格的な冬が始まるだろう。

 

「これのことかしら?」

「ありがとう」

 

 差し出された書類を受け取り、ふと窓の外に目をやった。

 いつもとなんら変わりのない、澄み渡った空の青さに、私は目を細めた。

 

 ──月雪ミヤコがシャーレを出て行ってから約2ヶ月が経った。

 その間一度も彼女と顔を合わせることはなく、連絡さえ取り合うことはなかった。

 当番にはアルやカヨコ、ムツキやハルカ。トキとヒマリと、ノアとユウカと。サオリやアツコといった生徒たちが入れ替わり立ち替わり来てくれたので、仕事に忙殺されることもなく、順調だった。

 

「ところでさ、私って鈍感だと思う?」

「……? 先生は鈍感なの?」

「いや、それを私が訊ねているんだけど」

「そうね……」

 

 私の唐突な、雑なフリにもアルは真面目に、目を伏せて顎に手を当てて長考している。

 ことあるごとに鈍感だと、不名誉な言葉を投げかけられてきたのだが、実際のところ、まあ、そういった節があることもないことはないまである……的な?

 

「先生は……どうしてこれが伝わらないの、ともどかしくなってしまうときがよくあるわね」

「え、それってつまり、」

「鈍感ということね!」

「……」

 

 ぱあっと、花びらでも舞っているのかと錯覚しそうなくらいの満面の笑みを浮かべたアルに、私は引き攣った笑顔を返すことしかできなかった。

 月雪ミヤコやトキ、ヒマリやノアにそういったことを思われるのは仕方のないことだと内心諦めてはいた。

 彼女らは目ざといので。

 しかし、アルにまでそう思われていたというのは普通にショックだ。

 いやべつに、勘違いしないでほしいのだがアルのことをバカにしているわけではない。

 アルは完璧で究極のアウトローだし、便利屋68の社長だし、いざというときはとても頼りになるし、きっと社員たちの些細な変化を見逃すこともなく、心の拠り所になってあげられるような存在なのだろう。

 陸八魔アルという生徒は、そういう生徒なのだ。

 ポンコツなのに優秀で、かわいいのにかっこいい。

 

「あ、いえ、べつにそれが悪いと言っているわけではないのよ!? むしろ私は先生のそういうところも好きだし──す、好きといってもあれよ!? その、尊敬してるって意味だから……だからっ……」

 

 大げさに落ち込むふりをした私に、アルは慌てて言い訳じみた言葉を並べ立てていた。

 しかし、こんなにも優しく心が綺麗なアルにまで言われるということは、やはり私は鈍感だということなのだろうか。

 

「だから……先生は今のままでも充分……素敵だと思うわ……」

 

 涙目で、頬を染めながら上目遣いでそんなことを言ってくれるアルはとてもかわいくて、とても良い子だと思った。

 気遣いというのはこういうことを言うのだろう。

 私も見習わなければいけない。

 

「ありがとう。アルも素敵だよ」

「……そういうところだわ、先生は」

 

 

 

 

 

   ×  ×  ×

 

 

 

 

 

 

 11月も半ばになると、秋と冬を何度も往復している気分になる。

 毛布だけで事足りる夜があれば、掛け布団が必須な夜もある。

 朝は寒くて起きられないし、昼はあたたかくて起きていられなくなる。

 

「聞いているんですか、先生」

「……ああ、もちろん聞いてたよ。シュークリームはカスタードよりも生クリームが至高って話でしょ。そうなんだよなあ。むしろ生クリーム単品で食べたいまである」

「なんの話ですか……」

 

 はあっと大きなため息をついて、処理し終えた書類の束を私のデスクにバサっと叩きつけたユウカは、にこにこと満面の笑みで私を見下ろしている。

 内心かなり怒っているような気がするが、おそらく気のせいだろう。気のせいであってほしい。

 

「これ、期限が昨日までなんですけど」

「え、あれ、おかしいな。いやいやそんなはずは」

「先生? ちょっとお時間いただけますか?」

「いや、今はちょっと……」

 

 たしかに笑顔のはずなのだが、ユウカの声のトーンは恐ろしいほどに低い。

 私は平静を装って珈琲の入ったカップを手にしたのだが、手が震えすぎて珈琲がこぼれそうな勢いで波打っている。

 

「ふふっ。ずいぶんと動揺してるみたいですが、もしかして知っていたんですか?」

「いや、まさかまさか……前日の夕方に気づいたけどもういいやってヤケになって放置したとかじゃ決してないから! いやほんとに!」

「そうだったんですね!」

 

 おお、恐ろしい。ユウカの笑顔が恐ろしくてついぺらぺらと本当のことを口走ってしまった。

 ユウカ、なんて恐ろしいんだ。

 

「あ、そ、そういや話は変わるんだけどさ、美食研って知ってる?」

「……」

「ほ、ほら、キヴォトスでも屈指のアウトローが集うゲヘナ学園の、その中でも異彩を放つ美食研究会だよ。キヴォトス最悪のテロリスト、美食研には手を出すな! ってもっぱら噂のあの美食研!」

「……」

「放っておくと、また罪のある飲食店が爆破されるかもしれない! だから私は見回りに行くことにする。ユウカ、しばらく留守を頼むよ」

 

 言って、私はスマートに席を立った。

 ユウカは貼り付けたような笑顔を崩さずに、だまって私を見つめている。

 どうやら上手く誤魔化せたみたいだ。

 よかった。あとはユウカの怒りが鎮まるまで外で時間を潰せばいい──と執務室をあとにしようと一歩踏み出した瞬間だった。

 ぽんと肩に手が置かれて、ユウカの手にきゅっと力が入った。

 

「せーんーせーいー!」

 

 その後はこっぴどく叱られたのだが、「もう、仕方ないですね」となんだかんだ許してくれるまでがワンセットなので、ちょろいユウカはとてもかわいい。

 

「──それで、ここ最近まではまったく当番に呼んでもらえなかったわけですけど、どうしてですか?」

「ああ、いや、やっぱりユウカひとりに当番を頼むわけにもいかないしさ、ほら、交代制だからいろんな子に……」

「月雪ミヤコ、でしたっけ?」

「あ、やっぱり知ってますよね」

 

 以前ノアにも月雪ミヤコばかりを当番に呼んでいると指摘されたことがある。

 当然、ユウカにも知られているだろう。

 

「どういったご関係なんですか?」

「どうっていわれても、月雪さんとはしばらく連絡も取ってないし、そんな感じだよ」

「……ケンカですか?」

「いやいや。べつに──」

 

 べつに、彼女だけが特別なわけじゃない。そう言おうとして、咄嗟に言葉をのみこんだ。

 

「べつに、理由がないだけだよ。連絡を取らない理由も、取る理由も」

 

 うまく笑えていなかったのだろうか。

 ユウカは心配そうな表情を浮かべて、なにかを言おうと口を開いて、けれどなにも言わなかった。

 

 

 

 

 

   ×  ×  × 

 

 

 

 

 

「その後、ミヤコとはどうですか?」

 

 12月にもなると、本格的な冬が始まった。

 朝も昼も夜も上着が必須だし、掛け布団に毛布もマストだ。

 

 ──月雪ミヤコが初めてこのシャーレにやってきた日から、早くも一年が経った。

 未だぽっかりと空いたままの月雪ミヤコの席の、その正面の席に座しているトキは、興味があるのかないのか、無表情のままに問いかけてくる。

 

「いや、まあ、どうかな。月雪さんとはもう2ヶ月ほど連絡も取ってないから」

「それはまた……。ケンカでもしたのですか?」

「そういうのじゃないんだ。ただ、彼女にはやらなきゃいけないことがあるから、忙しいんじゃない?」

 

 曖昧に、苦笑した私を、トキは訝しげに目を細めて見つめ返してくる。

 その視線がなんとなく居心地が悪くて、私は彼女から手もとの書類に視線を移し替えて、意味もなく書類をぱらぱらとめくった。

 

「先生から連絡はしてみましたか?」

「私からはしないよ」

「なぜですか?」

「そう決めたからね」

 

 べつに、確固たる意志なんてものじゃない。断固たる決意なんて大それたものでもなく、ただ──なんとなくだめな気がしていた。

 取り立てて言うことでもない話でも、取るに足らないような話でも、私から連絡してしまえば彼女は優しいから、きっと返事をくれるだろう。

 たあいのない会話が楽しくなって、そうすればきっと、私は彼女の足枷になってしまうようなことを言ってしまう気がしていた。

 

「そうですか。まあ私はおふたりの関係についてそこまで詳しいわけではありませんので、これ以上口を挟むつもりはありません。ただ──」

 

 気がつけばトキは私の傍に立っていて、伸ばした手の指先で私の顎をクイと持ち上げて、強制的に私の視線を上げさせた。

 

「最後にひとつだけ、言わせてもらってもよろしいですか?」

 

 見下ろしてくるトキは、まるでC級映画でも見たあとのような、なんともつまらなさそうな表情を浮かべていた。

 

「うそつき。へたれ。鈍感」

「トキさん? ひとつだけって……ていうか鈍感は今関係ないと思うんですけど」

 

 なぜ私は口撃されているのだろうか。

 こういうのは月雪ミヤコの役目で──いや、今彼女は関係ないだろう。

 

「先生。たしかに私は先生のそういったどうしようもない部分も好き──いえ、愛していますが、しかしそれは先生のその致命的欠点を見逃せるというわけではありません」

「え、あれ? 私はこの場合照れてもいいのだろうか?」

「いいはずがありません。反省してください」

「はい。すみません……」

 

 反省……なにを反省すればいいのだろうか。

 まったく、とでも言いたげにわざとらしくため息をついたトキは、一度じっとこちらを見据えて再びため息をついてから自分の席へと戻って行った。

 

「じー」

「……それ、口で言うんだ」

 

 目を細めて、じーっと見つめてくるトキに苦笑を返してから、再び手もとの書類へと視線を落とす。

 

「じとー」

 

 そろそろ勘弁してほしいのだが、トキは未だになにかを訴えかけてくる。

 

「あの、トキさん……」

「先生」

「はい」

 

 彼女から送られてくる圧に耐えきれず、ついそちらを向いてしまった。

 トキはこほんとひとつ咳払いをしてから、「これから真面目な話をします」と言って真面目な表情を作った。

 

「私は先生を愛しています」

「……」

「ですが、私は先生が私の愛に応えてくれないということをわかっています」

「……」

「それでも私は変わらず先生を愛していますし、先生には──」

 

 トキは、きゅっと右手で胸もとを押さえて、見間違いかと疑ってしまうほどやわらかく微笑した。

 

「幸せになってもらわなければ困ります」

「──……」

「そうでなければ、私はフラれ損です」

「……損得の問題じゃあないと思うけど」

「無理強いするつもりはありません。ただ、先生は今どうしたいのか、それだけを聞かせてください」

 

 真面目な話、というのは本当だったらしい。

 私が今どうしたいのか。それは、先生としてなのか。それとも、ただのひとりの人間としてなのか。

 もちろん問われているのは後者だろう。

 

 ──出会ったばかりの月雪ミヤコから得た印象は、とにかく私のことが大嫌いで、到底仲良くなれるような子ではないというものだった。

 シャーレにやってきたばかりの頃は、そのうち飽きて出て行くだろうと思っていたし、そうなったらそれで構わないと思っていた。

 けれど、意外にも彼女との会話は心地がよかった。

 中身がある話も、ない話も。ただ彼女と話しているだけで、それだけで楽しかった。

 彼女の反応が、棘のある言葉が、時折りかけてくれる優しさが、私は好きだった。

 

 ──いつだっただろうか。

 ずっと、こんな時間が続けばいいと、そう思い始めたのは。

 

 いつから────私はこんなにも月雪ミヤコに惹かれていたのだろうか。

 

「立場とか、常識とか、体裁とか……そういう面倒くさいもの全部取っ払っていいの?」

「私が許可します」

「私は先生(おとな)で、彼女は生徒(こども)なのに?」

「彼女は、守られるだけの子供ではありません」

「私は──」

「──先生はうそつきです。間違えないために、最善を選択するために、生徒を正しく導くために、自分の気持ちにうそをつける大人です」

 

 私の言葉を遮って、トキは淡々と言葉を繋げた。

 

「きっと、誰しもがそんなふうにいくつもの大切なものを諦めて、手放して、大人になるのでしょう」

「そうだね。私たちは大人になるんじゃない。そうやっていくつも手放して、子供のままではいられなくなるんだ」

「ですが、全てを手放すわけではありません」

「──……」

「両手に抱えたいくつもの大切なものの中から、いくつか……いえ、たったひとつしか許されないこともあるでしょう。それでも、死んでも離せないものだけは握りしめて、私たちは大人になるのです」

 

 ──手放したものと、手放せなかったもの。

 どちらが多いかは数えるまでもなく、わかりきっている。

 

「大人になってからも、取捨選択は続きます。──先生。あなたは、月雪ミヤコを手放しますか?」

 

 私の気持ちばかりを聞いて、一体どうするつもりなのだろうか。

 私が仮に彼女のことをどれだけ想っていたとしても、彼女にその気がなければどうにもならない。

 私の気持ちが大切なのかもしれないけれど、彼女の気持ちだって同じように大切にされなければならないはずだ。

 だから私は────そうやって、言い訳ばかりを繋げて、私はのらりくらりここまでやって来たのか。

 

「……手放すとか、手放さないとか、もとより彼女は私のものではないし、そんなことを聞かれても困る」

「……」

「私は大人で、先生だから。いつだって生徒たち最優先で、私の気持ちとか、恋だとか愛だとかは二の次で。はっきり言って、私は私のことなんてどうでもいい」

 

 べつに、自分のことが嫌いだとか、自己犠牲だとか。そういうのじゃない。

 ただ生徒たちが幸せに、笑っていられるならそれだけでよくて、そこに私がいるかいないかはどっちでもいい。

 そう本気で思っていたし、今も思っている。

 ただ──ひとつだけ。たった一度だけ、子供に戻ってもいいのだとしたら、

 

「それでも私は──」

 

 それなら私は、

 

「月雪ミヤコに会いたい」

 

 月雪ミヤコの傍にいて、月雪ミヤコに傍にいてほしい。

 

「面倒くさいですね」

 

 ふっと、貫いていたトキの無表情が崩れて、彼女は微笑した。

 

「自分でも思うよ」

「とても、すごく、かなり、面倒くさいです」

「あ、すいません。手心を加えていただけると……」

「ですが、そういった先生の捻くれて面倒でどうしようもない性格も、私は愛しています」

「……照れても、いいのかな?」

「もちろんです」

 

 気恥ずかしさを誤魔化すように苦笑して訊ねた私に、トキはドヤ顔で即答した。

 こんなことを思ってしまうのは失礼に値するのかもしれないが──もしも月雪ミヤコと出会っていなかったら。もしもトキがもっと早く告白してきていたなら。

 私は心底、飛鳥馬トキに惹かれていただろう。

 

「ありがとう、トキ」

「メイドとして完璧な補佐をしたまでです。ぶい」

 

 両手でぴーすサインを作ってドヤ顔を見せたトキは、たしかに完璧で究極のメイドだった。

 

 

 

 

 

 

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