月雪ミヤコの恋愛録   作:一等星の夜

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 朝。快晴。シャーレオフィスの休憩室の、ベッドの上で目を覚ました。

 けたたましく鳴る目覚ましにお灸を据えて、大きなため息をついてから伸びをした。

 ふと隣に敷かれてある布団に目を落としたが、もぬけの殻だった。

 

 寝ぼけ眼のまま歯を磨き、顔を洗って寝癖を整えて、スーツに着替えた。

 上着はもちろん、ジャージを着用した。

 

 執務室へと向かうと、そこに月雪ミヤコの姿はなかった。

 まだ2日目だというのに、彼女はもうリタイアしたらしい。

 

「……」

 

 24時間365日、傍で私の動向を監視すると言っていたのだが、早々に嫌気がさしてしまったのだろうか。

 まあいい。問題はない。

 私は寝ぼけ眼をこすって、給湯室へと向かった。

 

「──会心の出来だ」

 

 正直、目を覚まさせるほどの効果を感じたことはないのだが、やはり朝は珈琲が一番いい。

 生塩ノアや早瀬ユウカ、彼女たちが淹れてくれる珈琲には到底及ばないが、今朝のものはとても上手く淹れられたと自画自賛した。

 素晴らしい出来栄えだ。

 火傷しないよう、ゆっくりと一口、喉の奥へと流し込んだ。

 

「不味い」

 

 どうやら、よくできたのは見た目だけだったらしい。

 苦痛を感じるレベルで不味い。

 どうすれば珈琲をここまで不味く淹れられるのか。むしろ才能を感じる。

 大人しくインスタントにしておけばよかったと後悔しながら、ちびちびと泥水を喉の奥へと流し込んだ。

 

「……」

 

 ようやく最後の一口を流し込んだところで、隣の資料室からなにやら物音がしていることに気がついた。

 シャーレオフィス(ここ)には私以外誰もいないはずなのに……と一抹の不安を抱えながら、私は資料室の扉に手をかけた。

 すうと息を吸い込んで気持ちを落ち着かせてから、勢いよく資料室の扉を開けた。

 

「……」

「……おはようございます。朝から元気ですね」

 

 そこには、いなくなったと思っていた月雪ミヤコがいた。

 

「おはよう。……なにしてるの」

「見てわかりませんか。情報を集めています」

「役立ちそうなものは見つかった?」

「これといって、特には」

「そ。なら一旦中断して、朝ごはんにしない?」

「……そうですね」

 

 どこか不服そうだったが、彼女は手にしていた書類を元あった棚に戻して、入り口で突っ立ったままの私の横を通り過ぎ、数歩進んだあと、立ち止まってこちらを振り返った。

 

「なんですか、ぼうっと突っ立って」

「ああ、いや……なんでもないよ」

 

 言って、歩き出した私を見て、彼女は再び足を進めた。

 どうやら待ってくれたらしい。

 何歩目かで隣に並んだ私をちらと見上げて、すぐに視線を前に戻した。

 

「月雪さんは、珈琲って淹れたことある? 本格的なやつ」

「ありますが」

 

 それがなにか、と続けた。

 

「そっか」

「……なんですか」

「いいや。ただ、今日は飲み物は買わないでおこうかなと思って」

「意味がわかりません。なぜ私が、あなたに?」

「他の隊員たち、今日も菓子パンで大丈夫かな?」

「……」

 

 彼女は答えなかった。

 無言のまま、エンジェル24で幾つかの菓子パンを見繕い、「少し外します」と私に伝えてから、どこかへと向かって行った。

 

 数十分ほどして帰ってきた彼女は、食べずに待っていた私と、机の上に広がった2人分の菓子パンに視線を落として、私に小言をぶつけてから執務室を出て行った。

 

 ほどなくして、珈琲をふたつ持って執務室へと戻ってきた月雪ミヤコと一緒に、朝食をとった。

 

 

 

 

 

   ×  ×  × 

 

 

 

 

 

 突如として沈黙を破ったのは、ぽこぽこと連続して鳴った通知音だった。

 私のタブレットがメッセージを受信したらしい。

 執務に勤しんでいた私は一度ペンを置いて、メッセージアプリを開いた。

 月雪ミヤコは一瞬こちらに視線を移したが、とくに気にするふうもなく、すぐに書類へと戻った。

 

『おはよう、先生』

『今シャーレの近くまで来てて』

『手伝ってほしいことがあるから、シャーレに寄ってもいい?』

 

 送り主は、秤アツコだった。

 シャーレに来られるのはまずい……と思ったが、よくよく考えるとべつに困ることない。

 月雪ミヤコがいるのに他の生徒を当番として呼ぶとおかしなことになるが、月雪ミヤコが当番としてここにいるときに他の生徒が私を訪ねて来ることは、なんら問題はなかった。

 

 〝待ってるよ〟。私はそう返事をして、タブレットを閉じた。

 5分だったか10分だったか、15分だっただろうか。ほどなくして執務室へとやって来たアツコは、「おはよう」と私に笑顔を向けてから、私の斜め横の席に座して執務に取り組んでいる月雪ミヤコの姿に気づいて、そちらにも挨拶を投げかけていた。

 

「おはようございます」

 

 律儀に、月雪ミヤコは手にしていたペンを一度置いてから、ぺこりと頭を下げた。

 

「ごめんね、先生。忙しいときに」

「いいや、全然大丈夫。むしろ君には──君たちには、もっと頼ってもらいたい」

「……ありがとう。伝えておく。頼み事をしにきて言うことじゃないかもしれないけど、先生も、なにかあったらなんでも言って」

 

 ありがとう、とお礼を返して彼女をソファに座らせて、お茶とお菓子を用意しようとした私を制して、アツコは「こんなこと先生にしか頼めないから」と前置きしてから、依頼の内容を話し出した。

 私はアツコの正面のソファに腰を下ろして、耳を傾けた。

 

「これを、サッちゃんに渡して」

 

 言って、彼女は綺麗にラッピングされたブランド名の入った袋をそっとテーブルの上に置いて、こちらに差し出した。

 

「コスメ?」

「うん、リップが入ってる。私とミサキとヒヨリの3人で、お金を出し合って買ってみた。意外かもしれないけど、サッちゃんはこういうの好きなんだ」

「へえ……」

 

 聞くと、サオリはたまに、ダンボールいっぱいの食料や、衣類……主に下着などを彼女たちに匿名で送りつけてくるのだとか。

 ヒヨリは泣いて喜んで、ミサキは「ばかリーダー。自分のことだけ考えてればいいのに」と苛立っているらしい。

 

「これくらいじゃ、全然返しきれないけど」

「そんなことないと思うよ。サオリだって、泣いて喜ぶかもしれない」

「ふふ、そんな反応をしてくれるなら、写真に撮りたいな」

 

 くすくすと、可笑しそうに笑ったアツコは、けれどほんの少し、一瞬だけ、どこか寂しそうな表情を浮かべた。

 

「頼める?」

「それはいいけど、アツコたちが直接渡した方がいいんじゃない? 呼び出すのは私がするからさ」

「ううん、それはだめ。きっとサッちゃんは、まだ私たちに会うつもりはないはずだから。……だから、それはサッちゃんの想いを裏切ることになる」

「そ。ならこれは私が責任を持って──」

「それから、」

 

 私の言葉を遮って、アツコは続けた。

 

「私たちからっていうのは、伏せておいて」

「いや、でも、君たちからだと知ったらサオリはすごく喜ぶはずだよ」

「そうだね。私もそう思う」

「なら──」

「けど、それじゃあまた、サッちゃんは私たちにお返しをするから」

 

 言って、アツコは苦笑した。

 呆れたように、意地っ張りの子供を見守る母親のような優しい瞳で、テーブルの上のリップを見つめていた。

 

「だから、これは先生が上手く渡して」

「〝優しいうそ〟ってやつだね」

「……? うん。そうかもしれない」

 

 冗談みたいに笑ったアツコは、「よろしくね」と告げて、執務室を出て行った。

 その後ろ姿がほんの少しだけ寂しげに見えたのは、気のせいではなかったと思う。

 きっと本当は、自分たちの手で直接渡したいに決まっている。

 直接会って、お礼が言いたいのだろう。

 こんな回りくどいことはせず、昔みたいに、ずっと一緒にいたいに決まっている。

 

「……結局、私にできるのはこれくらいか」

 

 綺麗にラッピングされた袋をそっと手に取り、苦笑した。

 そんな私の視界の端で、じっとこちらを見つめている視線がある。

 その視線を辿って、月雪ミヤコと目を合わせた。

 

「聞こえてたよね。私は今から出かけるから、今日はもう執務は手伝ってくれなくて大丈夫だから」

「……」

 

 着ていたジャージの上着をソファに投げかけて、コートに袖を通してマフラーをくるくると首もとに巻きつけている私を見つめていた月雪ミヤコは、無言のままだった。

 タブレットを手に取りサオリに連絡を入れてみたが、繋がらなかった。

 未だこちらを見つめている月雪ミヤコに「またあとでね」と告げて手を振り、執務室を出た。

 一階からエレベーターが上がってくるのを待ちつつ、もう一度サオリに連絡を入れてみるが、やはり繋がらない。

 仕方ないのでメッセージを残すことにした。

『会いたい』

 送ってから、これはいかがなものかと後悔した。

 

「……」

 

 そうこうしているうちにエレベーターが上がってきて、足早に乗り込むと、そのすぐあとにもうひとり誰かが乗り込んできた。

 もちろん、言うまでもなく、それは月雪ミヤコだった。

 

「監視すると伝えたはずです」

 

 どうしたのと聞くよりも先に、彼女が答えた。

 シャーレオフィスを出て、ブラックマーケットの方へと向かう。

 風が冷たい。

 けれど、すぐ後ろをついてくる彼女の視線はもっと冷たかった。

 

「実際に執務を手伝ってみて、わかったことがあります」

「……うん」

「いくら当番制度があるといえど、日頃から先生にかかっている負担は相当なものだと思いました」

「……つまり?」

「こんなことをしている暇はないと思うのですが」

 

 そう吐き捨てた彼女の方を振り返り、私は足をとめた。

 

「たしかに、今こうしている間は、私のするべき仕事は滞ってる。けど、〝こんなこと〟じゃないよ。これは、私にとっても、彼女たちにとっても大切なことなんだ」

 

 ……なんだか説教くさかっただろうか。

 意外にも、月雪ミヤコは俯いて、しゅんとしていた。

 

「……すみません。今の発言は、自分でもどうかと思います」

「うん。わかってるよ。やっぱり月雪さんは優しいよね」

「はい?」

「私のこと、心配してくれてるんでしょ」

「はい?」

「……いや、なんでもないです」

 

 こいつなにふざけたこと言ってんの、冗談は顔だけにしろ──みたいな目と、声色だった。

 ような気がする。

 もしかして月雪ミヤコは私の仕事が遅れて、私にさらなる負担がかかることを心配してくれていたのではなく、今回の件がSRT復活になんの関係もないから気が進まないだけなのかもしれない。

 

 とても恥ずかしい勘違いをした。

 自意識過剰というやつだ。

 

「……」

 

 先ほどとは打って変わり、今度は私がしゅんと俯いて、歩き続けた。

 当然月雪ミヤコは私を慰めたりしない。

 私たちは無言のまま、ひたすら歩き続けた。

 

 

 

 

 

   ×  ×  × 

 

 

 

 

 

「アレ、」

 

 下ばかりを見て歩いていた私の背中に、ぽつりと呟くような声が投げかけられた。

 ちらと後ろを振り返り、月雪ミヤコの視線を辿ってもう一度前を向くと、とくに変わり映えのない街並みが視界に映り込む。

 コンビニ、レストラン、銀行……そして、私のコートのポケットに入った袋にデザインされているものと同じブランド名が、でかでかと主張しているコスメショップが並んでいた。

 その店のショーウインドーに誘われた女性が、羨ましげに、並んだ様々なコスメたちをじっと見つめている。

 

「サオリ……」

「……、……! せ、先生……」

 

 私に気づいたサオリは、恥ずかしげに、気まずそうに、目を逸らした。

 身をよじり、こちらに視線を戻したサオリは、私と目が合うとまたすぐに逸らして、店内に並ぶコスメに目をやった。

 

「……」

 

 5秒か、10秒ほどだっただろうか。

 1分ほど経ったようにも感じた。

 サオリはまた一瞬私を見て、すぐに逸らした。

 

「その……変、だろうか……。こういうのが、好きなのは……」

 

 〝意外かもしれないけど、サッちゃんはこういうの好きなんだ〟。

 

 つい先ほど聞いた、アツコの言葉を思い出した。

 

「……」

「……っ。そう、だろうな。わかっていたことだ。所詮私には……私なんかには──」

「意外だよ。でも、変じゃない」

「……」

「ごめん、ギャップ萌えってやつ。萌えすぎて、一瞬言葉に詰まっただけ」

 

 それを聞いたサオリは、頭の上に疑問符を浮かべるように、目を丸くしていたが、ゆっくりと私の言葉を噛み砕くように頭の中で反芻したのか、大きな目を見開いた。

 

「な……っ、……もういい。先生は、そういう奴だったな」

「いつも考えてたんだ。サオリが意外にも、こういうものが好きだったら、それはとても素敵なことだなって」

 

 言って、私はポケットからラッピングされた袋を取り出して、それをサオリに差し出した。

 

「これは……?」

「変じゃないよ、サオリ」

 

 受け取って、中を覗いたサオリは、また目を丸くした。

 

「ふ、ふふ……」

 

 両手で持った袋で顔を隠すようにして、サオリは肩を振るわせた。

 どうやら笑っているらしい。

 どこに笑うポイントがあったのかはわからないが、サオリが楽しそうにしてくれているならそれはとても素晴らしいことだった。

 

「……」

 

 幾度か笑い声を漏らしたサオリは、しばらくして落ち着いたのか、ふうと息を吐いてから、じっとこちらを見つめた。

 今度は逸らさずに、まじまじと見つめてくる。

 

「まだまだ、この世界は私の知らないことであふれている。知らないことばかりだ。だから悪い大人に騙されて、傷ついて、傷つけてきた」

 

 そう語ったサオリは、けれどふっと息を吐くように笑った。

 

「先生は、悪い大人だな」

「──!」

 

 その表情は、まるで全てを見透かしているかのような、タチの悪い笑顔だった。

 

「先生は他の奴らと違って、うそをつくのが下手だな。……まあいい。今回は騙されてやろう」

「いや、サオリ……なんの話? 私は本当にこれっぽっちもまったく全然うそなんて──」

「ああ、そうだな。これは先生が買ってくれたんだ。そういうことにしておこう」

 

 サオリは慌てる私にトドメをさして、〝ありがとう〟と微笑して去って行った。

 どこでバレたのだろうかと考えてみたところで、答えなど出ない。

 

「まあ、これでよかったのではないでしょうか」

「……」

「約束を守れない大人。頼りにならない大人」

「……」

「ですが、うそをつけない大人というのは、悪くないものですね」

「……私は優しいうそつきだよ」

 

 せめてもの抵抗として、不貞腐れてみたが、それすら月雪ミヤコはなぜだか、嬉しそうにしていた。

 

「では、今回のものは、〝つきたくないうそ〟だったのかもしれませんね」

「……なにそれ。君の言うことは難しくて理解できないよ」

「そうですか」

 

 シャーレオフィスへと戻る間も、戻ってから再び執務へと取り組んでいた間も、月雪ミヤコはどこか上機嫌なように見えた。

 気のせいかもしれない。きっと気のせいだろう。

 なにしろ私は自意識過剰なのだから。

 

 

 

 

 

   ×  ×  × 

 

 

 

 

 

 〝ごめん。バレちゃったみたい〟。

 

 ベッドに入ってから、眠る前に一応、アツコに謝罪のメッセージを送ると、すぐに返事がきた。

 

『そっか』

『そうだろうね』

『先生は、うそをつくのが下手だから』

 

 ……私はそっとタブレットを閉じて、頭から毛布をかぶった。

 文面からでは察することなどできないはずなのに、なぜだか、画面の向こうでアツコさえも嬉しそうに微笑している表情が浮かんできた。

 

 隣に敷かれた布団に、月雪ミヤコの姿はない。

 また、私のパソコンをいじったり、資料室を探索したりしているのだろうか。

 

 どうでもいい。

 

 納得のいかないまま、私は両目を閉じて、精いっぱい眠ることに集中した。

 

 

 

 

 

 

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