月雪ミヤコの恋愛録   作:一等星の夜

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「──わからないことがある」

 

 入りきらなくなった本棚の上に積んでいた数冊の小説から、一冊を適当に手に取り、ペラペラと読み進めた。

 最後の一文を読み終えて、ぱたんと閉じた小説をふりふりと揺らしながら、無言のまま真面目に執務に取り組んでいた月雪ミヤコへと声をかけた。

 

「私にもわからないことがあります。この状況で、小説を読む余裕がどこにあるのか、それがわかりません」

 

 大量に積み上げられた書類の山に目をやり、月雪ミヤコは呆れたように息を吐いた。

 月雪ミヤコがシャーレオフィス(ここ)に来て、はや5日が経った。

 最初の頃に比べて幾分か物腰がやわらかくなったような気がしていたが、いま私を見つめる月雪ミヤコの瞳は、最初の頃と比べてなんら遜色がないほどに、とても冷たかった。

 

「いや、まずは聞いてほしい」

「では聞きましょう。十中八九くだらないであろう先生の話を」

 

 毒気はあるが、まあいい。問題はない。

 私はこほんとひとつ大袈裟な咳払いをして、言葉を続けた。

 

「〝恋とは一体なんなのか。結局のところ、答えなんて無いのかもしれない〟」

「……」

 

 月雪ミヤコは「急になに言い出すんだこいつ」みたいなジト目を向けてきた。

 構わない。続ける。

 

「これの一節だよ」

 

 手にしていた小説をぽんとデスクの上に投げ捨てて、未だジト目を向けてくる月雪ミヤコから目を逸らした。

 

「とある女の子の恋愛録でね。つまり、恋について書かれてある」

「……」

「恋とはつまり、わからないものだと。わからないから知りたくなり、わからないから惹かれる。わからないことの方が多いから、だからこんなにも好きなのだ──ってさ」

「……」

「恋について語っておきながら、わからないってのはないだろう。どんな物語にも、それが創作である以上、落とし所が必要だと私は思うんだ」

「……」

「駄作だよ。時間の無駄だった」

「……」

 

 吐き捨てるように言ってから、視線を月雪ミヤコへと戻したのだが、彼女はまだこちらをじっと見つめていた。

 睨め付けていると言った方が正しいかもしれない。

 

「では、先生にとって恋とは一体なんなのでしょうか? 先生なら、どういった落ちにもっていくのですか?」

「……私? 私ならそうだね、ヒロインにも主人公にも、好きなんて言葉は使わせないかな。それから告白の描写もいらない」

「なるほど。それはどうしてですか」

「恋物語はね、最後まで書いちゃだめなんだよ。最終話を読んだあと、読者がこのふたりはどうなったんだろう……って、続きが気になって妄想しちゃうようなものじゃなきゃいけない」

 

 私は語った。まるで評論家にでもなったかのように、それはもう、偉そうに。

 そんな私と合わせていた目を一度伏せてから、月雪ミヤコはふっと、バカにするように笑った。

 

「つまらないですね。三流以下の二次創作者が語りそうなストーリーです。はっきり言って下の下です。なぜだと思いますか? ええ、そうです。先生の言葉には中身がないからです」

「……」

 

 ──私は大人だ。

 至って冷静である。

 子供に煽られた程度で機嫌を悪くしたりしない。

 

「…………へえ、なら君にとっての恋とは一体──」

 

 出そうとした言葉が、途中で詰まった。

 そういえば、私は常々タイトルに惹かれて本を買う癖がある。

 表紙買いは滅多にしない。

 私は先ほどデスクの上に投げ捨てた小説に目を落として、しばし考えた。

 

 ──買った覚えがない。

 

 落ち着いて思い出そう。

 私は本棚の上に積まれてある小説から、適当に一番上のものを手に取った。

 その他にも、数冊の小説があった。

 タイトルはたしか、〝銃 可愛い 青春〟。……買った覚えがない。

 あとは、〝禁断の愛〜許されないからこそ美しく〜〟。……もちろんこれも、買った覚えがない。

 

「……」

 

 彼女が噛みついてきたことも実に不思議だ。

 いや、普段の彼女を思えばそこになんら違和感はないが、噛みつくなら私が批評した小説についてではなく、執務を放り出して小説を読んでいたという事実を掘り下げて噛みついてくるだろう。

 ということはつまりどういうことだろうか。

 

 そういえば、昨日も彼女は菓子パンと飲料を持って子ウサギ公園へと向かった。

 執務室に戻ってきた際、なにかを手にしていたはずだ。

 拠点から、私物をいくつか持ってきたと話していた気がする。

 

「……」

 

 ひとつの結論へとたどり着いた。

 私が今しがた批評したこの小説は、彼女の私物であった可能性が極めて高い。

 

「……、……ああ、いや。よく考えてみると、この小説は素晴らしかった。とくにヒロインが告白する描写がよかったよ。ほら、手にした線香花火を見つめながら、〝毎年夏の終わりには、あなたとふたりでこうしていたいです〟って言ったシーン。遠回りなようで、一直線だった。うん、やっぱり恋物語は──」

「もういいです。静かにしてください」

 

 切り捨てるような、残酷なまでに冷酷で苛酷な瞳と、声色だった。

 かいていた冷や汗が急速に凍りつき、それ以上言葉を発せなくなった私を無視して、月雪ミヤコはとめていた手をようやく動かし始め、執務へと戻った。

 

 あまりの気まずさから、何度か間を置いて話しかけてはみたものの、彼女が応えてくれることは一度もなかった。

 

「……」

 

 さて、どうしたものかと、冷め切ってしまった缶コーヒーを口に含んで、喉の奥へと流し込んだ。

 月雪ミヤコが最後に言葉を発してから、20分が経った。

 あと15分もすれば、短針と長針がてっぺんで重なり合う。

 つまり、昼時だ。

 相談したところで応えてはくれないであろうことを悟り、私は勝手に出前をとることに決めた。

 タブレットで出前専用のアプリを開こうとした瞬間だった。タイミングよく、ぽこぽこと通知音が鳴った。

 メッセージを受信したらしい。

 そのまま、トークアプリを開いた。

 

『先生』

『大変です』

 

 送り主は、ミレニアムサイエンススクール所属、秘密組織『C&C』の5番目のエージェントである、飛鳥馬トキだった。

 

『なんとですね』

『実は……』

 

 どうしたの、と聞く前に、もったいぶった内容のメッセージが立て続けに送られてくる。

 文面から、さして重要ではないことが伝わってきた。

 つまり、彼女は暇なのだろう。

 

 〝い、一体なにが……?〟。

 

 しかし、ここはノっておこうと思う。

 

『驚かないでください』

『今ラーメン屋の前にいるのですが』

 

 〝ごくり……〟。

 

『ラーメンが』

『テイクアウトできるのです』

 

 〝な、なんだって!?〟。

 

『これは由々しき事態です』

 

 たしかにそれは、大問題だった。

 本来、ラーメンなんてものは出来立てをその場で食べるのが常識だ。

 もちろん時間が経てば冷めるし、味も落ちる。麺だって伸びてしまう。

 そもそもラーメンなんてものは店内で、あの器で、あの雰囲気の中で食べるからより一層美味いのだ。

 テイクアウト? 冗談じゃない。

 それはとても邪道なことだと、私は思った。

 どこぞのテロリスト……美食家ではないが、許しがたい。

 

『どうしますか、先生』

 

 〝とりあえず醤油ラーメンと、あと魚介系のラーメンをお願いします〟。

 

『さすがは先生』

『理解が早くて助かります』

 

 

 

 

 

   ×  ×  × 

 

 

 

 

 

「む……」

 

 メッセージでのやり取りからほどなくして、飛鳥馬トキはシャーレオフィスへとやって来た。

 テイクアウトした3つのラーメンが入った袋を両手に提げて。

 執務室へと入ってくるなり、トキはまず私ではなく、執務に取り組んでいた月雪ミヤコへと視線を向けた。

 

「い、いらっしゃい、トキ」

「……」

 

 とくに普段と変わりはなく、トキは淡々とした無表情で月雪ミヤコを凝視しているのだが、なんとなく、ほんの少し、不機嫌なようにも見えた。

 

「なるほど。このラーメンは……。そういうことだったのですね」

「いや、まあ、彼女は今日の当番で、月雪ミヤコさんです」

「……? こんにちは」

 

 状況をうまく把握できてはおらず、頭の上に疑問符を浮かべながらではあるが、月雪ミヤコは律儀に手をとめて、トキを見上げていた。

 

「そうですか、先生。うさぎなら誰でもよかったのですね。私にバニーガールの格好をさせたのも──」

「ちょっと? たしかに彼女はうさ耳みたいなのつけてるけどうさぎじゃないし、バニーガールの格好もあれは君が独断で──」

「私とは遊びだったのですね!」

「ちょっと!?」

 

 とんでもないことを言い出した。

 飛鳥馬トキ、やはり恐ろしい子だ。

 

「生徒に、バニーガールの格好……?」

 

 ガタッと大袈裟に立ち上がる音が聞こえてそちらを振り向くと、月雪ミヤコがドン引きしていた。

 両手で自分の身体を抱くようにして、こちらを睨め付けている。

 その瞳は、「最低ですね」とでも言いたげだ。

 

「いや誤解だよ? 私がそんな変態に見える?」

「見えます。むしろそうとしか見えません」

「大丈夫です先生。私はそんな先生の人に言えない性癖も受け入れることができます。むしろ受け入れたいと思っています」

「お願いだからトキはこれ以上話をややこしくしないで」

「本当に最低ですね。私のことも、そういう目で見ていたということですか。うさぎなら誰でも……最低です。金輪際私に近寄らないでください」

「ちょっと?」

 

 うさぎなら誰でもいいとか、パワーワードというやつじゃないだろうか。

 なんだ、うさぎなら誰でもいいって。

 うさぎよりウナギの方が好きだ。

 ウナギは食べれるし美味しいし。いや、うさぎも食べれるらしいけど。

 

「だから……いや、もういいよ。とりあえず昼飯にしよう。ラーメン、冷めたら嫌だし」

 

 私は大きなため息をついてから、ラーメンを受け取るためトキの方へと向かった。

 私が動いたのを見て月雪ミヤコが2、3歩あとずさったのを視界の端で確認して、もう一度ため息をついた。

 

「──あのね、トキ。誤解を招くような発言は困るよ。ほら、月雪さんは純粋だから信じちゃうでしょ」

「いえ、先生。私はそれを狙っているのです。牽制です。先生は私をいやらしい目で見ているのだと他の生徒たちに誤解させる必要があります」

 

 テーブルを挟んだ向かいのソファで、月雪ミヤコとトキは仲良く並んで座っている。

 私ではなく初対面のトキの隣を選んだのは、月雪ミヤコが私を警戒しているからだろう。

 なんてことだ。私と彼女の距離がより一層、離れてしまった。

 

「なんでそんなこと……」

「ふふ。それを私の口から言わせるのですか」

「いや、言わなくていいや」

「む……」

 

 頬を膨らませてこちらを睨めつけてくるかわいらしいトキから目を逸らして、私は残ったラーメンを口の中に放り込んだ。

 スープは少しぬるくなっていたが、テイクアウトでもラーメンは美味いのだという不変の事実を再確認した。

 

「それで、ミヤコ? は先生とどういった関係なのでしょうか」

 

 トキも最後の一口を食べ終えて、隣の月雪ミヤコへと視線を移した。

 

「……べつに、あなたが想像しているような関係ではないとだけ」

 

 月雪ミヤコも最後の一口を飲み込んで、ナプキンで口もとを拭ってから答えた。

 しかし、私はまだ下の名前で呼ばせてもらっていないのに、トキ……。普通にミヤコって呼んでるけど、初対面なのにいいのか?

 なぜ月雪ミヤコはそこに対してなにも言わないんだ。

 

「さっきも言ったけど、月雪さんはただの当番だよ。執務を手伝ってくれてるだけ」

「では、本当に先生は私以外のうさぎに発情したわけではないのですね?」

「君にも発情した覚えはないけどね……」

 

 トキの大胆すぎる発言にほとほと困り果てていると、彼女はふっとやわらかく笑って、身を乗り出して私の頭へと右手を伸ばした。

 

「ふふ、冗談です。やはり先生を揶揄うのは一番の暇つぶしになりますね」

 

 彼女の右手が、私の頭を優しく撫でる。

 なんだか気恥ずかしいが、悪い気はしない。

 

「……」

「……?」

 

 私は下を向いて頭を差し出していたのだが、ふと私の頭を撫でるトキの手がとまったので、どうしたのかと視線をあげた。

 月雪ミヤコが、トキの手首を掴んでいた。

 

「……なんですか」

「……。……? あ、いえ、あれ……。私はなにを……」

 

 月雪ミヤコは、自分でもなにがしたかったのかわからないといったふうに、慌てて掴んでいた手を離し、トキに謝罪していた。

 トキは乗り出していた身体を戻して、月雪ミヤコを訝しげに見つめている。

 

「……すみません。続けてください」

「いえ、そんな気分ではなくなったのと、私はこのあとC&Cとしての任務がありますので」

 

 言って、トキはソファから立ち上がると、テーブルの上のゴミをまとめ始めた。

 手伝おうとした私と月雪ミヤコを制して、トキはものの十数秒でテーブルを綺麗にしてから、帰り支度を整えた。

 

「また会いに来ます」

 

 そう残して、トキは執務室を出て行った。

 その後ろ姿に声をかけようとして、言葉が詰まって出てこなかったのか、月雪ミヤコは口を開いただけでなにも言わなかった。

 

 なんとなく、気まずさが残った。

 

 午後から執務を再開しても、彼女はまったくといっていいほど言葉を発することはなかったし、私も同じくそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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