月雪ミヤコの恋愛録   作:一等星の夜

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「ねえ──」

「あの──」

 

 私と、月雪ミヤコの声が重なった。

 トキが帰ってから、実に6時間ほどが経過した頃だった。

 ようやく、執務室を支配していた気まずい静寂をやぶることに成功したのだが、別の気まずさが生まれそうだった。

 この場合、正解は2分の1になる。

 黙って彼女の言葉の続きを待つか、それとももう一度私から声をかけるか。

 

「……」

「……」

 

 私は黙って彼女の言葉の続きを待ったのだが、どうやら外してしまったらしい。

 彼女も無言で私の言葉を待っていた。

 

「月雪さんは、」

「先生が、」

 

 再び、私たちの声が重なった。

 

「……」

「……」

 

 また、静寂が戻ってきた。

 もう彼女は言葉を紡ぐ気をなくしたのか、私に向けていた視線を手元に落として、握ったままだったペンを動かし始めた。

 私も、そんな彼女から視線を外して、タブレットを開いて出前専用のアプリを開いた。

 

 寿司でも取ろう。寿司が嫌いな人間などそうはいない。たぶん。

 

「……」

 

 私の出しかけた言葉など、これで難なく解決するのだ。

 〝月雪さんは、なにか食べたいものとかある?〟などと訊いたところで、「ない」と答えるのはわかりきっている。

 なのに言葉にして確認しようとしたのは、ただ彼女と言葉を交わしたかったからに他ならない。

 気まずさをなんとかしたいという思いも少なからずあった。いや、9割ほどそうだった。

 

「……?」

 

 何店舗かある寿司屋の中から、送料が無料である店を選んでメニューを吟味していた私の隣に、いつの間にか月雪ミヤコが立っていた。

 

「……」

 

 顔を上げて彼女の表情を覗き込むと、すぐに目を逸らされた。

 どうしたの、と聞く前に、彼女は二つ折りにしたメモ用紙程度の小さな紙を私のデスクの上にそっと置いて、自分の席へと戻って行った。

 しばらく彼女の方に視線を向けていたが、彼女がこちらを向く気配がなかったので、私は仕方なく差し出された二つ折りのメモ用紙を手に取り開いてみた。

 

『先生が、私たちに優しくする理由はなんですか』

 

 少し丸い、かわいらしい文字でそんなことが書かれている。

 声に出すと重なるので、文字に変えたらしい。

 

『理由なんてないよ。性分だから』

 

 特に綺麗なわけでも、汚いわけでもないつまらない文字で、返事を書いた。

 それを二つ折りにして、斜め横に座している月雪ミヤコのデスクにそっと置いた。

 

『ありえません。見返りも要求せずに、理由もなく優しくしてくる大人なんて、いつの時代も掛け値なしにうそつきです』

『P.S.マグロとエビと鯛はマストです』

 

 しばらくして、また返事が届いた。

 先ほど私の隣に来たときに、タブレットの画面を覗いていたらしい。

 ちゃっかりしている。

 

『私は大人だけど、先生でもあるからね。困っている生徒がいたら無条件に手を差し伸べる。それが先生の役目だから』

 

「信用できません。アツコさんやサオリさん、トキさんのように綺麗でかわいらしい素直な生徒なら、納得もできますが。私たち、特に私が先生に理由もなく優しくされるのは理解できません」

 

 月雪ミヤコは、とうとう面倒くさくなったのか、私が返したメモ用紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱の中に放り込んだ。

 声音は淡々としたものだったが、私を見つめる瞳にはほんの少し怒気を含んでいる。ような気がする。

 

「いやそんなことは──」

 

 言いかけた言葉を、途中でとめた。

 そういえば、初対面で彼女たちに吐き捨てられた言葉はなんだっただろうか。

 

 たしか──

 

 〝私たちは、あなたのような大人が一番嫌いです〟。

 

 〝地獄に落ちろ〟。

 

 〝もう二度と会わないだろうね〟。

 

 ……言われてみれば、たしかにそうかもしれない。

 彼女たち──とくに月雪ミヤコが私に好意を抱くことはこの先もきっとないだろう。

 以前、月雪ミヤコは私に言った。

 下の名前を呼び捨てられるほど私とは親しくないし、今後もそうなるつもりはないのだと。

 

 なら、どうして優しくする必要があるのだろうか。

 彼女たちはべつに私の手助けを必要としていないし、所詮私にはSRT特殊学園の今後を左右できるような力もない。

 そういえばいつだったか、〝私たちは、ただ無力なだけの子供ではありません〟と、そんなことを月雪ミヤコに言われた。

 

「……」

 

 私が生徒たちに──RABBIT小隊に、月雪ミヤコに優しくする理由。

 べつに、優しくしたから、優しさを返してほしいわけじゃない。

 誰が相手でも、それが子供であるならば、そのスタンスを変えるつもりはなかった。

 ただ、問われて初めて気がついた。

 私の中にある、ひどく独善的で気持ちの悪い、自己完結型の〝うそ〟に。

 

「……君が言ったんだろう」

「……?」

「私は甘くて優しいだけの、反吐が出るような性格だと」

 

 月雪ミヤコは一瞬、瞳を閉じて考え込むような仕草を見せたけれど、すぐに私に視線を戻してなんでもないように口を開いた。

 

「……さあ。あなたと交わした言葉なんて、いちいち覚えてはいられません」

「うそつきだね」

「あなたほどではありません」

 

 つんとそっぽを向いて、デスクの上に散りばめられた書類をまとめ始めた月雪ミヤコを見て、私は苦笑した。

 今日の執務はここまでらしい。

 ぐるっと鳴った腹を押さえて、再びタブレットへと視線を落とした。

 ええと、マグロ、エビ、鯛と、それから──

 

「……」

 

 壁にかけられた時計の秒針が、カチカチと音を鳴らしている。

 未だ調子の悪い暖房器具が、ガタガタと暖かい風を吐いている。

 

 ここから立ち上がって、数歩も進めば簡単に彼女に手は届く。

 けれど、その距離は、果てしなく遠く感じた。

 

「月雪さん」

「……なんですか」

 

 今夜は雪が降るらしい。

 月は、雲に覆われて見えなかった。

 

「これからも、よろしくね」

「……」

 

 けれどそれは、たしかにそこに在った。

 

 

 

 

 

   ×  ×  × 

 

 

 

 

 

「RABBIT-31式短機関銃」

「……?」

 

 月雪ミヤコと同棲を始めてから、5日目の夜だった。

 久しぶりにゆっくりと湯船に浸かり、十分に保湿してから歯を磨いて、白湯を飲んでからベッドへと潜り込んだ。

 真っ暗な部屋の中で、タブレットで犬の動画を見て癒されていると、初めて月雪ミヤコは休憩室へと足を踏み入れた。

 

 毎日使われもしない布団を彼女のために敷いていたのだが、今日、ようやくそれが役に立つらしい。

 

 真っ暗な部屋で動画を見ていた私に呆れたのか、彼女は休憩室に入ってくるなり部屋の電気をつけて、ため息をついていた。

 それからおもむろに部屋に侵入してきた彼女はズカズカと私のベッドまで歩いてきて、隣に敷かれてある布団を入り口付近まで移動させた。

 そのあとは一本のロープを私のベッドと、彼女の布団の間に置いて、境界線を作った。

 布団の上に割り座して、私を睨めつけた彼女が唐突に放った言葉が、『RABBIT-31式短機関銃』だった。

 

「え、なに?」

 

 私はもぞもぞと起き上がり、ベッドの上に座り直した。

 彼女の手には銃が握られている。

 

「この線から一歩でもこちらに入って来た場合、撃ちます」

「ちょっと?」

 

 休憩室の出入り口は、境界線の向こう側にある。

 つまり彼女がこの部屋にい続ける限り、私はトイレにも行けない。

 

「私はうそつきではありません。なので自分の言葉に責任を持って、24時間365日、あなたを監視します」

「監禁だよこれじゃ」

「これくらいの制約を設けなければ、あなたはなにをするかわからないので。……言っておきますが、私は絶対に屈したりはしません。バニーガールの格好なんて、させられると思わないでください」

「ちょっと? トキにもそんなことさせてないんだって」

 

 どうやら私は毛ほども信用されていないらしい。

 まあそれは仕方ないと切り捨てることはできる。しかし、境界線は困る。

 夜中にトイレに行きたくなることはあるし、喉が渇くこともある。

 なんだか眠れなくて、どうせならとカップラーメンを食べたくなることだってある。

 

「……〝飛鳥馬トキ〟とは、どういった関係なのですか?」

「どうもこうもないよ。彼女は私の生徒だ。それ以上でも以下でもない。ただ、大切な生徒だよ」

「……そう、ですか」

 

 月雪ミヤコは右手で左胸のあたりをきゅっと押さえて、俯いた。

 見た感じ落ち込んでいるわけではなさそうだが、なにやら考え込んでいるらしい。

 〝大切……。特別……?〟と、小さな声でぶつぶつと呟いていた。

 

「なんで?」

「……?」

「どうしてそんなこと聞くの」

「……? どうしてでしょうか?」

「いや、そんなきょとんとした表情(かお)で私に聞かれても」

 

 自分で訊ねておいて、自分でもわからないらしい。

 月雪ミヤコの考えていることが、私にもわからない。

 

「彼女は、いつも先生の頭を撫でるのですか?」

「まあ、割とね。……撫でろと要求してくることの方が多いけど」

「理解できません。なぜわざわざ先生なんかに触れたがるのでしょうか?」

「あの、月雪さん?」

 

 私は今、攻撃されているのだろうか。

 口撃というやつだ、これは。

 

「触れられたがるのも理解できません」

「……あの子はね、少しだけ、特殊な環境に身を置いていた時期があるんだ。まあ、つまり……寂しがり屋なんだよ」

 

 苦笑した私を見て、彼女は申し訳なさげに目を逸らした。

 

「……そうでしたか。彼女のことをなにも知らないのに、不躾なことを言ってしまいました。申し訳ありません」

「うん。気にしなくて大丈夫だよ」

「あなたに謝罪したわけではありません」

「……ああ、そうだよね……」

 

 彼女は落としていた視線を戻して、私を睨めつけた。

 そういえば、月雪ミヤコの部屋着姿は初めて見た。かわいらしいプルオーバーのパーカーを着用している。

 立ち姿では下にはなにも履いていないように見えたのだが、割り座している今の状態ならショートパンツを着用していたことがわかった。

 眼光鋭い彼女の(ひとみ)に気圧されて目を逸らしたのだが、結果として彼女の太もも付近を凝視する形となってしまった。

 これはよくない。

 客観的にも主観的にも、今の私はまともな大人とは言い難いだろう。

 私は観念して、もう一度彼女と目を合わせた。

 

「言うのを忘れていましたが、」

 

 そんな私の心情など一切知らず、月雪ミヤコは淡々と続けた。

 

「暗い部屋で電子機器をいじるのはよくないと思います。目に」

「わかってはいるんだけどね」

「わかっているならやめてください」

 

 母親みたいだねと言いそうになったが、言ったら撃たれそうなのでやめた。

 

「……気をつけます」

「そうしてください。では、そろそろ電気を消しますね」

 

 言って、月雪ミヤコは立ち上がると、私の返事を待たずに部屋の電気を消した。

 暗くて見えないが、もぞもぞと布団に潜り込む音が聞こえる。

 私も同じようにベッドに潜り込んで両目を閉じた。

 

「おやすみ」

 

 見えないが、きっと私に背中を向けているであろう月雪ミヤコに声をかけて、私も寝返りをうって背中を向けた。

 ガラス一枚隔てた外の世界は、この部屋よりは暗くはないらしい。

 目の前にある小窓から、雪が降っているのが見えた。

 積もるほどではない、小さな雪が、ふわふわと舞っていた。

 

 明日はより一層寒くなりそうだと、憂鬱な気持ちを抱えて、今度こそ眠りにつくために両目を閉じた。

 

「……おやすみなさい」

 

 そんな私の背中に、ワンテンポどころではないくらい、遅れて声がかけられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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