月雪ミヤコの恋愛録 作:一等星の夜
とても嬉しいです。
いつものように、朝食を持って子ウサギ公園へと向かった月雪ミヤコの帰りを待ちながら、デスクの上に置いていた缶コーヒーを手に取ったのと同時に、突然何者かによって執務室の扉が開かれた。
月雪ミヤコが帰ってきたのかと一瞬思ったが、それにしては早すぎる。
彼女と別れてからまだ5分ほどしか経っていない。では、忘れ物でもしたのだろうか。
答え合わせをするべく顔を上げると、見知った顔がそこにあった。
「動かないでください。ネタはすでにあがっています」
と、そんな言葉が投げかけられる。
執務室の入り口に立っている飛鳥馬トキは、構えた銃をこちらに向けている。
今日は、一体どんな遊びなのだろうか。
「……なにこれ」
「申し遅れました。私は完璧かつ最高のメイドであり、秘密組織『C&C』5番目のエージェント、コールサイン04──飛鳥馬トキです」
どうやら遊びは続くらしい。
ドヤ顔のメイドエージェントはこちらに銃口を向けたまま、「両手をあげてください」と続けた。
私はそれに付き合って、手にしていた缶コーヒーをデスクの上に置いてから、言われた通り両手をあげた。
どういう遊びなのか説明してもらおうと私が口を開きかけたとき、扉の向こうからそれはとても清楚で儚げな声が聞こえてきた。
「ふふ。そして私は──」
どうやら、もうひとりいたらしい。
車椅子に乗った少女は、ゆっくりと扉の向こうから現れて、なんだか得意げな表情をこちらに向けている。
「ミレニアム……いえ、キヴォトスに咲く一輪の花。『全知』の学位を持つ稀代の美少女、立てば芍薬、座れば牡丹。そこに存在するだけで誰もが羨み憧れてしまう眉目秀麗な乙女──超天才清楚系病弱美少女ハッカー、明星ヒマリです」
とんでもないふたりがやって来た。
どこから突っ込めばいいのか、もはやわからない。
ふたり揃うと無敵だ。強すぎる……。
さしずめ『最強のふたり』といったところだ。
「あなた、推薦はある?」とでも問いかけておこうか。
「……」
彼女らは、私がいるデスクの前まで来ると、無言のまま私を見下ろした。ヒマリは車椅子に座っているため、目線の高さは私と同じくらいだった。
しかし、本当に、一体なんのつもりなのか教えてほしい。
そう心の中で願った私に応えるように、トキはほとほと困り果てている私を見て、淡々と言葉を紡いだ。
「今日は先生を尋問しに参りました」
「なにゆえ……」
「白々しいですね。ご自分の胸に手を当ててみては?」
「いやほんとにわからないんだけど……」
「トキ、物事には順序というものがありますよ」
窘めるように、されど笑顔を絶やさず言ったヒマリに首肯したトキは、「実は、私にも考えがあります」と続けて、「それは?」と訊ねたヒマリの耳もとに届くよう屈んで、こしょこしょとなにかを耳打ちしていた。
「いいですかヒマリ部長。まず私が先生に月雪ミヤコが好きなのかを訊ねます。少しでもまごついた様子を見せたらすかさず私が『聞きましたかヒマリ部長、否定をしませんでしたね。大人のくせに子供相手に恋愛感情を抱くなんて、これは由々しき事態です』と煽ります」
「……なるほど?」
「ヒマリ部長は『やーいやーい、このロリコン』と言う係です」
「私のイメージが壊れるのですが!?」
なにを話しているのかは聞き取れず、いいなあ、私もヒマリの耳もとに口を近づけてみたいなあ……と考えていると、ヒマリは突然叫び出した。
ヒマリのイメージとは一体なんなのだろうか。
超天才清楚系病弱美少女ハッカーというイメージなら、わりともうすでに壊れてしまっている気がするのだが、これは黙っておくことにしよう。
「先生──」
話はまとまったのか、私を置き去りにしたままだったふたりがこちらに視線を向けて、トキがいつになく真面目な声で私を呼んだ。
「先生は、私のことをどう思っているのですか?」
「質問が違いますが?」
「大切な生徒だよ。君がなにかに困って助けを求めるなら、私はどこへでも駆けつける」
「……」
私の答えに満足したのか、トキは無表情を貫いたまま、されどほんのりと頬を赤くした。
「大変ですヒマリ部長。不覚にもきゅんとしてしまいました。こういう場合はどうすればよいのでしょうか」
「なにをしているのですか、しっかりしてください。というかセリフが全然違いましたが?」
また、なにやらふたりでこしょこしょと話し合っている。
会話の内容は聞き取れなかった。
しかしすぐに話はまとまったらしく、もう一度ふたりはこちらを向いて、再びトキが真面目な声で私を呼んだ。
「ずばり、先生は月雪ミヤコに対して恋愛感情を抱いていますね!」
「──……」
直球、しかも唐突だった。
どういった話の繋がりでそこへと至ったのか、私にはわからない。
理解が追いつかず困惑している私に、「隠しても無駄ですよ、なにせ『全知』の学位を持つこの超天才──」とヒマリは追い打ちをかけてきた。
それにしても、まったくもってバカバカしい。
私が月雪ミヤコに──いや、生徒に恋愛感情を抱くはずがない。私は大人で、教育者なのだから。
そういえば関係はないが以前キリノが先生と生徒が恋愛をするのはキヴォトスでは犯罪ではないと言っていた気がする。
関係はないが。
「先生と生徒が恋愛をするのはキヴォトスでは犯罪ではないんだよ」
しまった。まったくもってなんの関係もないのに、言うべき言葉を間違えてしまった。
「ということは認めるということなのですね!?」
「ひどいです、普段私のパーフェクトメイドボディを舐めるように見ていたのは、私の身体にしか興味がなかったということなのですね、シクシク」
「ちょっと!? 今のはセリフを間違えただけで──ていうかトキの身体もべつに舐めるようになんて見たことはないから!」
やはり、このふたりを私ひとりで相手にするのは骨が折れる。というより土台無理な話なのだ。
彼女たちのペースに乗せられてつい変なことを口走ってしまったし、頼むから月雪ミヤコは一刻も早く帰ってきてほしい。
いや、彼女が帰ってきたからといってべつに私の味方になってくれるわけではないのだが。
「一度落ち着いて話を整理しましょう」
こほんと、超天才清楚系病弱美少女ハッカーの名に恥じぬ、儚げな声で咳払いをしたヒマリは、一度伏せた目を再び私へと向けた。
「要約すると、先生は月雪ミヤコに恋愛感情を抱いているということでよろしいですね?」
「よろしいわけないよね? なにを要約したの?」
「落ち着いてくださいヒマリ部長。先生のいやらしい視線は常に私だけに向けられているのです。もちろん恋愛感情も私が独り占めです、ぶい」
「君に一番落ち着いてほしいんだけど」
朝からこのテンションは重すぎる。
もうこの際、間に入ってくれるなら月雪ミヤコじゃなくてもいい。
誰でもいいから今の私を助けてほしい。
もちろんそんな願いも虚しく、誰も助けになどはやって来ない。
「大人のくせに生徒である私に欲情するなんて、これは由々しき事態です。ですが、私は気にしません。私が気にしないということは、問題にはならないということです。つまり、問題は問題にしなければ問題にはならないと、そういうことです」
「や、やーいやーい、このロリコン……」
トキの暴走はある程度いつものことで通るのだが、まさかヒマリまでもがトキみたいなノリをしだすとは思わなかった。
というか、恥ずかしいなら言わなければいいのに……と、耳まで真っ赤にして俯いているヒマリを見て、そう思った。
しかし、らしくないセリフを、言ったのか言わされたのかはわからないが、恥ずかしそうにしおれている超天才清楚系病弱美少女ハッカーの姿は、実に私の気分を高揚させた。
月雪ミヤコの淹れてくれる珈琲には足もとにも及ばないが、今の明星ヒマリを眺めながら飲む缶コーヒーは、3割増で美味だった。
「……なにが言いたいのですか」
「いやべつに……くふっ」
恨めしそうに私を睨めつけてくるヒマリを見て、つい笑いがこらえきれなかった。
「すみません遅くなりまし……た」
さて、ヒマリは自滅してくれたし、残るトキをどうしようかと考えていると、ようやく月雪ミヤコが執務室へと戻ってきた。
彼女はトキとヒマリと、私を見て、頭の上に疑問符を浮かべている。
「おはようございます。あなたが月雪ミヤコですね」
「……そういうあなたは、明星ヒマリですね」
なんとなく、執務室の空気が重くなったような気がする。
ピリピリと、肌に電気が流れるような感覚さえ覚えた。
彼女らに、とくに因縁めいたものはなかったように思うのだが。
「ご名答です。あなたの言う通り、私はミレニアム……いえ、キヴォトス史上最高の美少女、万年雪の結晶と──」
「ご用件は一体なんでしょうか。取るに足らないつまらない
「……」
なんだかこのガチでツンツンした感じ、久しぶりに見た気がする。
そう、まるで出会ったばかりの頃の月雪ミヤコを見ているようだった。
両目を伏せて用件を促している月雪ミヤコを、震えた手で指さして、ヒマリはこちらに訴えかけてきている。「初対面なのにこの冷たさはなんですか?」みたいな目で。
トキも珍しく沈黙を貫いている。
「あの、月雪さん? ヒマリになにか恨みでもあるの? さすがに可哀想だと思うんだけど……」
なんだかヒマリがあまりにいたたまれなくて、渋々助け舟を出すことにした。
「……」
そんな私に、伏せていた目を開けてジトリとした視線を向けてから、月雪ミヤコは小さく息を吐いて、ヒマリの方へと視線を移した。
「夜な夜な先生のPCをハッキングして変なメッセージを画面上に表示させるのはやめてください!」
「……、……んなっ!? 変ではありません! というより、なぜそれをあなたが!?」
「そ、そんなことは今関係ありません! とにかくやめてください!」
「……ヒマリ、まだあれ続けてたの?」
「……」
以前から時折り、私のPCが突然フリーズしたかと思えば画面上に、ミレニアムに咲く一輪の高嶺の花がなんたららーとか、『全知』の学位を持つ眉目秀麗な乙女がうんたららーみたいなメッセージが表示されることがあった。
数分待つとメッセージは消えて、操作権限はこちらに戻るのでとくに本気で困ったということはなかったので放置していたら、いつからかパタリとやんだのですっかり忘れていたのだが。
そういえば月雪ミヤコは情報収集のため、私のPCをいじる機会が多々あった。
運悪く、そのタイミングでヒマリのメッセージを何度か受信してしまったのだろう。
「──そういえば、とても大切な用事を思い出しましたので、私はここで失礼させてもらいます」
言って、くるりと出口の方へ向き直ったヒマリは、そのまま月雪ミヤコの横を通り過ぎて行った。
去り際にちらりと振り返りトキに視線をやったあと、執務室を出て行った。
ヒマリの寂しそうな背中を見送って数秒固まっていたトキは、私に視線を移すと、こほんとひとつ咳払いをした。
「──私は完璧なメイドです。心はキヴォトスよりも広いです。ですので、先生のおいたにも目を瞑りましょう。最終的に私のもとへ戻ってきてくれるなら、もうなにも言いません」
「……」
「それでは、私も失礼させていただきます。私たちが心から愛し合っていた日々を、その事実を、ゆめゆめお忘れなきよう」
トキは律儀に両手でスカートの裾をつまんで頭を下げてから執務室を出て行った。爆弾を残したまま。
忘れようにも、
だがしかし、私の心に直で刺さる痛々しい冷酷なまでの視線が、どうにも気になった。
「〝飛鳥馬トキは生徒で、それ以上でも以下でもない〟」
「いやその通りだよ、本当に、まったくもって」
額から流れた汗を拭って、私は苦笑した。
私に向けられている月雪ミヤコの視線から、毛ほども信用されていないということが窺える。
「愛し合っていたのですね」
「……話し合おう。人間にはそれができる」
「それができたとして、理解を得られるかはべつの話です」
「それでも、私は君に聞いてほしい」
「なぜですか。仮に誤解だったとして、それを私に証明する必要は──」
「君にだけは、誤解されたくないんだよ」
「──……」
彼女の言葉を遮って、いつになく真面目な表情で語った私に面食らったのか、彼女は目を丸くして一瞬固まったが、すぐに顔を伏せた。
前髪で隠れて、彼女が今どんな表情をしているのかはわからない。
「そ、」
まあなんにせよ、これからもしばらくは彼女に執務を手伝ってもらうことになるのだから、誤解されたままでいられると非常に困る。
生徒に恋愛感情を抱く変態ロリコン野郎だと思われては、最悪口をきいてもらえなくなることもあるだろう。
気まずい雰囲気の中で仕事なんて絶対にしたくない。
「そう……ですか……」
消え入りそうな、弱々しい声だった。
目の前の彼女に意識を戻すと、彼女は俯いたままだったが、どうやら怒っている感じではなさそうだった。
私はひとつ、小さく息を吐いて安堵した。
「すっかり遅くなってしまったけど、朝食にしようか」
私はデスクの上に置いていたビニール袋を引っ掴み、テーブルの上に買ったおにぎりを広げた。
月雪ミヤコは顔を見せないまま執務室を出て行き、給湯室へと向かった。
しばらくして、熱々のお茶をいれた湯呑みをふたつ持って執務室へと戻ってきた月雪ミヤコと一緒に、朝食をとった。