Re.ゼロから始める姉弟生活   作:黎川暁明

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第15話 三度目

「――どうしたよ、嬢ちゃ…わりぃ、男なんだったな。兄ちゃん。急に呆けた面して。そっちの黒髪の兄ちゃんもだ」

 

「…は?」

 

「は――?」

 

厳つい顔立ちの中年にそう声をかけられ、思わず間抜けた反応が出てしまう。左側からも何処か気の抜けた声が響く。

 

意識が覚醒した瞬間、スバルの目の前にあったのは赤く熟した果実だった。

リンゴそっくりなそれを見て、ふとそれは知恵の果実などとも呼ばれているよな、と益体もない思考が走る。

食べることで、楽園から追放されるような禁断の果実。

もしも齧りついたのなら、このわけのわからない状況から救い出してくれるのだろうか。

 

昼下がり、露天商の前。動く左腕が腹部に触れて、そこに何の異常もない肉の感触を感じ取り、内臓がこぼれたような形跡も、体を貫かれたような痕跡も、何もないのを確認した。

 

もう、訳がわからなかった。

 

それら全てが、どうでもいいと思えるほどにスバルに衝撃を与えたのは───

 

「あれ…?僕は死んだはずじゃ…?」

 

横から聞こえてきた、もう聞けないはずの声。右も左もわからないスバルを助け、この世界で初めて友人となり、最後にはスバルを庇って死んでしまった青年。

 

信じられない。彼が息絶えるところをスバルは目の前で見たのだ。信じられない……が、スバルは声が聞こえてきた方を向き…………

 

かぶりを振った。

 

「…悪いエリオ。もうお前を巻き込めねえよ」

 

「おやっさん、悪かったな。またいつか会おうぜ」

 

スバルは、エリオットの意識がはっきりする前にその場から駆け出した。

 

 

 

しばらく走った先、噴水に着いた辺りでスバルは止まる。

 

「腹と目、やられたはずなんだがなぁ……」

 

呟き、瞼に触れてきっちり光を感じているのを改めて確認する。

腹の傷ももちろんないし、砕かれたはずの左肩も健在だ。またもやケガの一切を治療されて、こだわりでもあるのか八百屋の店先に放置されたらしい。

 

「それにしても……あれは……参ったな」

 

瞼から手を離し、離れた手を眼前へ持ってくる。

その指先はなににも触れていないにも関わらず、細かな震えを発していた。それは指先から次第に腕へと伝わり、しまいには全身を襲う悪寒と化してスバルを締めつける。

思い出しただけで歯の根が噛み合わず、スバルは立てた膝の間に頭を入れて、喧騒すら置き去りに迫ってくる恐怖に体を震わせた。

 

おぞましく、得体の知れない、どうしようもなく理不尽な、絶望の体現だ。

あれほどの殺気にさらされたことなどなければ、あれほど痛みを伴う暴力を振るわれた経験もなく、あれほど肉体を破壊された記憶などあるはずもない。

 

友人と知人と自分の命を奪われて、こうして縮こまっていることしかできないほど、スバルの心はあの恐怖に壊し尽されていた。

あの常軌を逸した存在と向き合うことなど、考えることすら拒絶する。

 

「考えんな考えんな、馬鹿馬鹿しい。どうにもならねぇよ、どうにもできねぇよ。死ぬんだ、あんなの。死ぬしかねぇじゃねぇか、あんなの。命拾っただけめっけもんだろ?」

 

誰にともなく同意を求め、スバルは必死で許しを乞う。

脳裏を、自分を庇い腹を割かれたエリオットの、撫で切りにされたフェルトの、両腕に加えて首まで飛ばされたロム爺の最期がフィードバックする。

その後に続くのは切られ、砕かれ、開かれ、光を奪われた痛みと恐怖の記憶だ。

 

吐き気と濁り切った負感情がこみ上げるのを感じて、とっさにスバルは噴水の水を頭から被る。

手で掬えるぶんだけのため、大した量ではなかったが、それでも頭に冷や水を浴びせるには十分な量だった。

前髪から滴る水を手で払い、スバルは何度も顔を叩いて気持ちを切り替えようとする。

 

「切り替えろ、そーだ、パーっとな。簡単な話だ。あんな場所のことなんか忘れちまえ。それよりもやることも考えることも山ほどあるはずだぜ、俺。たとえば異世界、生きていく方法を考えなきゃならん。悩んでる間に面倒事が起きて、そんでそこを……」

 

――助けてもらって、その恩を返したくて、死ぬような思いまでして。

 

「だから、そうじゃねぇって、言ってんのに」

 

考えないようにしようとしても、銀髪の少女は、紺色髪の友人はスバルの記憶で輝き続ける。

もともと、この世界でスバルの身に起きた出来事の大半は彼女を切っ掛けとしている。だから彼女やエリオットを意識から外して、この世界のことを語ることはスバルにはできない。

だが、彼女にしろエリオットにしろ、思い返せば、それは巡り巡って最終的にはあの苦痛と絶望の記憶に辿り着く。

 

思考は負の螺旋を繰り返し続けていた。

震えは止まず、堂々巡りを続ける陰鬱な思考は光明さえ見出せない。

なにをどうすれば前に進めるのか、立ち止まったままでいないで済むのか、その糸口すらも今のスバルには掴めないでいた。

 

「……盗品蔵に」

 

行くべきなのだろう、とは漠然と思う。

思いはするが、その方向に足が向くことはない。そちらへ行くということは、あの恐怖に向き合うということだ。

まかり間違って再び、『エルザ』と遭遇することがあれば、そのときこそスバルは拾った命をドブに捨てることとなるだろう。

異世界に召喚されて、何ひとつやり遂げることなく、ただ朽ち果てるだけの終わりだ。

 

「はっ。それは、このまま逃げられてもおんなじことか」

 

自嘲の言葉と笑みが浮かび、スバルはポケットに手を入れて歩き出そうとする。

盗品蔵とは反対の方向だ。それがスバルの出した結論。

なにもかも投げ出し、諦観の海に沈んで、受けた恩義も忘れて見て見ぬふりをする。

ここにくる前だってそうやってきた。もともと、事無かれ主義なのだ。貸し借りだなんて人との接点、面倒くさいと思って生きてきたはずだ。

それがどうして今さら――。

 

「え……?」

 

顔を上げて、逃避の一歩を踏み出す瞬間、スバルの口から困惑の声が漏れていた。

見開く視界の中、行き交う人波が立ち止まるスバルを避けるように通り過ぎる。爬虫類の肌を持つ長身がいて、スバルの腰ほどまでの背丈の獣人がいて、桃色の髪をした若い踊り子がいて、六本もの剣をぶら下げた剣士がいて、

 

 

 ――白いローブを羽織り、銀髪を揺らして歩く少女がそこにいた。

 

 

少女は立ち止まるスバルを一瞥して、その体が触れないように身をずらして隣を通り過ぎる。

ひとつに束ねた長い銀髪が揺れ、風にまじる花の芳香のような匂いが鼻孔をくすぐる。アメジストの意思の強そうな瞳はすでにスバルを見ておらず、ただ真っ直ぐに自分の進むべき道を見据えているような鋭さを秘めていた。

 

その凛とした佇まいに変わりなく、その震えるような美貌に陰りなく、求め続けた彼女の存在がスバルの目の前を通り過ぎようとしていた。

 

「ま――」

 

とっさに声が出ず、喉の奥で音を詰まらせて行き過ぎる背中に追いすがる。

すいすいと、人波を縫うように歩き抜ける少女。逃げる銀髪を戸惑いと困惑、混乱の意識の中で追いかけながら、スバルは泣きそうな声で呼びかける。

 

「ちょ、待って……待ってくれ……っ。頼む、待って……」

 

一瞬、こちらを見た彼女の瞳は他人を見るかのように冷たかった。

ほんの数時間、彼女にしてみれば行きずりの相手だ。最低限の警告すら守らず、自らの身を危険にさらした憎むべき相手でもあったかもしれない。

そう思われているかもしれなくても、スバルは彼女の背中を追いかける。

どんな風に思われているかわからない。ならばせめて、どう思っているのか言ってほしい。

想像するしかない想いに傷つけられるくらいなら、痛みを伴う現実に傷つけられた方がずっとマシだ。

 

「待ってくれ。――サテラ!」

 

彼女を引き止めて、どんな言葉を交わしたいのか。

己の中で明確な答えが出た瞬間、スバルは始めに聞いた彼女の名前を思い出したように叫んでいた。

スバルの頭の中に、エリオットの怒声の記憶はなかった。

 

その叫びは通りの喧騒を正しく切り裂き、遠ざかろうとしていた背中にまで届く。

ぴたり、と足を止める銀髪の少女。

その立ち止まった少女に人込みをかき分けて歩み寄り、彼女の細い肩に手を触れる。

 

「無視、しないでくれ。いなくなったのは本当に俺が悪かった。でも、俺もわけがわからなかったんだ。あのあとも盗品蔵まで探しにいったし、それでも会えなくて……」

 

肩に触れられたサテラが驚きを顔に浮かべる。

振り返った彼女に対し、口を開けば飛び出したのは言い訳の言葉ばかりだった。早口で、傷つけられるのを恐れるような自己弁護。

それは彼女のスバルを見る、あまりに透徹した眼差しが原因だったのかもしれない。

 

しかし、そんな眼差しを向けられながらも、スバルは焦燥感とは別に安堵感も得ていた。

一見したところ、サテラの体には目立った外傷は見当たらない。スバルと同じで、あの盗品蔵での一件のあと、彼女もまた何者かの治療を受けたということなのか。あるいは自分で治したのかもしれないが、何より重要なのは、

 

「ごめん、自分のことばっかだ。……でも、無事でよかった」

 

二人、またこうして出会えたことが何より嬉しかった。

そうと思えば、次に気にかかるのは彼女の同行者――パックの安否だ。特にスバルは彼に対し、謝罪しなければならないことが多すぎる。

男と男の約束を守れなかったのだ。それは責められて然るべき罪だった。

 

「あなた……」

 

早口のスバルが口を閉ざすと、それと入れ替わりに唇を震わせる目の前の少女。

数時間ぶり、なのにもうずっと聞いていなかったような気がする銀鈴のような声音。

彼女の姿が目の前にあって、こうして触れてまでいるというのに、ようやっと彼女を捕まえることができたような、そんな場違いな実感がスバルを満たす。だが、

 

「どういうつもり――?」

 

安堵感を受け入れるスバルに彼女が向けたのは、眦をつり上げた怒りの形相だった。

白い頬をわずかに紅潮させ、少女は小さく身をよじると肩に触れるスバルの手を振り払う。一歩下がって間を開け、こちらを見上げる瞳には強い敵意が光っていた。

 

思いのほか厳しい反応を返されて、スバルは息を呑んで黙り込む。

だが、考えてみれば当たり前の話だ。彼女からすればどの面を下げてというところだろう。

どんな罵声を浴びせられようとも、甘んじて受ける。

 

そんなスバルの覚悟は――、

 

「誰だか知らないけど、人を『嫉妬の魔女』の名前で呼んで、どういうつもりなの!?」

 

放たれた想像の外からの怒声によって、粉々に打ち砕かれ、それと同時にスバルはようやくエリオットに怒鳴られた内容を思い出した。

 

 

 

 

 

予想外の怒りの言葉をぶつけられて、スバルは時が止まったような錯覚を得ていた。忘れていた。分かっていれば絶対に避けられた未来であるはずなのに。今の彼女の怒声は、スバル自身の短慮が招いた最悪の結果だった。

雑踏から音が消えている。聞こえるのは自身の高い心臓の鼓動と、肩を怒らせる銀髪の少女の呼吸だけだ。

それ以外の一切の音が消えたような錯覚――否、錯覚ではない。

 

「あ、う、あ…」

 

言葉にならない音を口から漏らし、ぎこちなく首をめぐらせてスバルは気付く。

周囲、露天商と通行人に満ち溢れるこの大通りにおいて、今や誰もが二人を注視していた。

そこには色濃い動揺が浮かび上がり、誰もが身じろぎを禁じられたように押し黙っている。

まるで、スバルと少女の二人の会話が、この場所の全てを支配しているように。

 

「どういうつもりって聞いてるのよ。だんまりはやめなさい」

 

しかし、少女はそんなスバルの逡巡を許さない。

厳しい口調でこちらを弾劾する。

なぜ忘れていたのか。この世界で初めての友人が、これ以上ないほどに激怒した理由を忘れることができたのか。

 

「もう一回、聞くわ。――どうして私を、『嫉妬の魔女』の名で呼ぶの?」

 

「あ、ちが、そんなつもりじゃ……」

 

「誰に言われたのか知らないけど、タチの悪い趣向すぎる。乗る方も乗る方よ。――禁忌の象徴、『嫉妬の魔女』。口にするのも憚られる、そんな名前を呼び名に選ぶなんて」

 

嫌悪感も露わに、銀髪の少女はスバルを糾弾する。

彼女の言に頷くのは、周囲を取り巻いている群衆の全てだ。それはとりもなおさず、彼女の言葉の正しさを証明しており、それがますます罪悪感がスバルの心を押しつぶす手助けをする。

 

忘れていたじゃ済まされない。絶対に許されるものではないと既に教えられていたのだ。

にも関わらず、あろうことかスバルは彼女をサテラと呼んでしまったのだ。

 

「――用がないなら行くわ。私も暇じゃないの」

 

うなだれるスバルに断ち切るように言って、銀髪をひるがえらせ颯爽と少女が歩き出す。その背中に声をかけようとして、とっさに名前を呼びかけた喉が凍る。

名前で呼べば二、いや、三度目の過ちだ。だが、それなら彼女をなんと呼べば。

 

その躊躇がスバルの判断を鈍らせた。

故に、彼は目の前で起きた出来事を、指をくわえて見過ごすことになる。

 

「――――っ!」

 

小さく息を呑む声がしたのは、スバルの身長より頭ひとつ高い位置――露天商の屋台、その幌立ての屋根の上からだった。

跳躍。小柄な体が重力に引かれて軽やかに落ち、着地と同時に風に乗って加速する。

疾風は薄汚れた服を着て、金色の髪をなびかせていた。人込みを神がかり的な体捌きですり抜けると、スッと伸びた腕が鷹の刺繍の入ったローブの中へ侵入する。

 

接触は一瞬、しかし、風にとってはその二秒の邂逅で十分だった。

風がローブをはためかせ、身をよじる少女から跳ねるように飛びずさる。

 

「まさか――!」

 

銀髪の少女が驚愕の声を上げ、己のローブの内に手を入れる。

そこに目的のものが見つからず、見開く彼女の目が追うのは急速に遠ざかる風の行方。

その風の手に握られた竜を象った徽章、そして後ろ姿を見てとっさにスバルは叫ぶ。

 

「フェルト!?」

 

呼びかけに風が戸惑うように揺れる。が、その速度はゆるまずに一気に大通りから細い路地へと飛び込んでいく。

すさまじい早業。そして、それを成し遂げた風との刹那の邂逅。ほんの一瞬だけしか見えなかったが、あの姿はおそらく――。

 

「やられたっ。このための足止め……あなたもグル!?」

 

めまぐるしく動く状況に対応できず、棒立ちのスバルに悔しげに少女がうなる。

とっさに彼女はこちらに掌を向けかけたが、すぐに思い直したように走り出し、風の消えた路地へとその身を躍らせていった。

 

「おい、待て!待ってくれ!俺は……っ」

 

その二人の誤解を解こうと、スバルもまた路地へと二人の影を追う。

走りながら、スバルの胸中は罪悪感と困惑で埋め尽くされていた。

先程の失敗だけではない。今日は二度も死ぬような目にあって混乱しているのだ。

 

「誰かもっと、俺に優しくしろよ! 何のための異世界召喚だよ!」

 

理不尽に対して暴言を吐き、薄暗い路地をふらつきながら駆け抜ける。

持久力には自信がない。が、短距離での速度ならば二人にも引けをとらない。すぐにその背中に追いついて、この疑問を晴らしてやる。

そんな心づもりで走っていたのだが、

 

「しまった……壁かよ!」

 

吐き捨てるスバルの眼前、待ち構えるのは行き止まりの袋小路だ。

そこにスバルが追った二人の姿はない。記憶が確かならば、フェルトの身軽さは壁を楽々とよじ登るほどだ。銀髪の少女もまた、魔法を使えば壁のひとつや二つ乗り越えることはわけないだろう。

 

「よじ登ってもいいが……追いつけるとも思えねぇ」

 

何より、距離が開けばスバルはずっと走り続けていられない。

筋力系の基礎体力は部屋の中で鍛えられても、有酸素運動は室内では無理だ。スタミナ不足はスバルの深刻な弱点であり、ここでもその決断の足を引く。

 

「ここがダメなら、盗品蔵か? エリオもフェルトも生きてるなら……ロム爺も」

 

もうエリオットの助けを借りないと決めた以上、先回りして、ロム爺との合流を急ぐべきだと判断する。

とにかくまずは袋小路を出て、貧民街へ向かうのが優先。そうしてスバルは振り返り、

 

「……嘘だろ、オイ」

 

振り返った視線の先、路地の入口を塞ぐ人影の存在に気付いた。

三人、身なりは薄汚く、粗暴な性質がそのまま顔に出たような荒々しい雰囲気。もはやその姿かたちを口にするのも煩わしいほど、スバルの前に立ちはだかる障害。

 

路地裏を狩り場とするチンピラ三人組と、この日、三度目のエンカウントが発生した。

 

「いい加減にしろよ! 性懲りもないにもほどがあんだろうが!」

 

見飽きた三つのがん首に向かって、スバルは地面を踏み鳴らして苛立ちをぶつける。

三度目の邂逅、その全部が路地裏で三対一の状態だ。一度目は徒労でしかない結果、二度目はエリオットが居たため儲けがあっただろうが今回は居ない。それでもスバルを獲物にする彼らの執念深さには驚嘆する。

状況が状況でなければ、拍手のひとつでもしてやったかもしれないが、

 

「今はお前らに構ってる暇がない。落ち着いたら相手してやるから、そこを通せ」

 

コイツらに付き合っているヒマはない、そんな思惑だった。だが、

 

「通せ、だってよ。どーするよ」

 

「その態度が気に入らねえな。命令すんのがどっち側か、わかってねえよ」

 

「三対一で無様に負けておいて、どの面下げて大口叩くんだ、お前ら……負け犬でももうちょっと申し訳なさそうに遠吠えするわ」

 

今の状況だと、正直なところスバル自身も負け犬気分は拭えない。

つまるところ、この場は負け犬だの敗残兵だのがこそこそと集まった寄り合い所か。

 

「ネガティブシンキングがすぎる! 俺はもうちょっと上を見るキャラだったはず!」

 

「ダメだ、完全に頭おかしいぜ。珍しい格好だからって狙ったけど外したんじゃねえか」

 

スバルの大きい独り言に、男たちは苛立ちを隠さずに話し合う。鉈と素手は微妙にスバルへの興味を失い出しているが、最大の脅威であるナイフ男の視線は鋭い。

その目はスバルの財布としての価値は見限ったようだが、それ以外の暗い感情でひどく残酷に揺らめいていた。

 

その視線にスバルは胸中で「ヤバいな」と呟く。

一度目の会合で、男たちの中で一番厄介なのはナイフ男だとスバルは結論している。獲物の殺傷力もそうなら、その性質の面でも彼が一番『キレやすい』。

もみ合いになるどころか、接近するのすら避けるのが上策だろう。

 

「わかった。抵抗しない。なにが要求なのか言ってくれ」

 

両手を挙げて、敵意がないことをアピールしつつスバルは彼らにそう応じた。

さっきまでの強気な外交と打って変わって、相手の要求を呑むスタンスの弱腰外交だ。

ナイフ男の琴線に触れないことと、今はこの場を脱することが優先と考えたが故の判断。多少の損失は仕方ないと割り切って、とにかくこの場を逃れようと考える。

 

――まぁ、復讐目的だと下手したら袋叩きにされる可能性もあるけど。

もしも話の流れがそうなりかけたら、刺される前に一発入れて離脱しよう。大通りまで逃げ込めば奴らも派手な真似はできないだろうし。

 

内心で虎視眈々と保身の案を練るスバルに、男たちの態度は軟化する。

素直に要求に応じる構えを取ったスバルの臆病さを嘲笑うように、

 

「んだよ、最初っからビビってんならそーしろってんだよ、アホ」

「クソが。イモひくぐらいならでかい口叩くんじゃねえ」

「いいじゃねーの。なーんにもしないし、いうこと聞くんだろ? 腰抜け」

 

カチンとくるワードがいくつか飛び出すが、スバルは「ハハハ」と乾いた愛想笑いでどうにか受け流す。

心の内で懲りない三人組を『トン・チン・カン』と名付け、ひそかに溜飲を下げながら、

 

「で、このアホでクソの腰抜けにいったい何をお求めでしょうか?」

 

「とりあえず身ぐるみ全部置いてけ。その珍しい着物と履物も全部だ。パンツだけは履いたままでいーぜ? 俺らも悪魔じゃねえからな!」

 

へりくだったスバルに情け容赦のない嘲弄がぶつけられる。

『悪魔』の概念がこの世界にもあるんだな、と的外れな感想を抱く反面、彼らの発言にスバルは強い違和感を覚えていた。

 

身ぐるみ全部と着物と履物、これらの要求は確か――。

 

「お前らって、やっぱり俺の知らないところで頭とか強く打ったろ?」

 

最初の遭遇のとき、奴らが求めてきた内容とまったく同じなのだから。

頭を打ったか、でなければ自分たちの発言も顧みる記憶力がない残念な輩か、あるいは使い過ぎているテンプレ台詞なので誰に言ったかまでは覚えていない札付きのどれかだろう。

上から下にいくほど救えないが、自分たちを叩きのめしたスバルに対する態度の不可解さを考慮すると、最後の可能性が一番高いというのがまた救えない。

 

「フェルトといい、なんか記憶力残念な奴らが多すぎるな……」

 

「無駄口叩くんじゃねーよ。言う通りにする気がないのか? それとも言う通りにやれる頭がないのか?」

 

「頭とかお前らに言われたら終わりだな……」

 

最後の呟きだけは口の中だけにとどめて、スバルはとりあえず言う通りにするスタンスを見せる。

さすがに服と靴は勘弁してもらうよう交渉するか、あるいは近づいてきた奴らをいっぺんにどうにかしてしまおうかと考えながら、手の中のビニール袋に手を入れて――、

 

「あれ――?」

 

異世界へきてから最大級の、違和感にその眉を寄せていた。

 

「なん、で?」

 

呻くように呟き、スバルは白いビニール袋の中をゆっくりと確認する。

とんこつ醤油味のカップラーメンが入っていて、ズボンに入れておくのがわずらわしかった携帯と財布も一緒に入っている。

そして、個人的な嗜好にもっとも合致する金色のお菓子。

そう、金色のお菓子――コーンポタージュ味のスナック菓子だ。

 

この世界へ放り込まれて以来、初めて口にした食べ物であり、スバルとエリオットの二人で食べ、最後は盗品蔵でロム爺の憤激を和らげるのに大いに役立った外交手段であり、その結果として中身のなくなったはずのもの。

――その菓子が、中身をいっぱいにした状態でコンビニ袋の中に詰まっている。

 

「食べたはず、だ。ちょっぴしか残ってなかった、絶対に」

 

袋の中身は三分の一ほどまで減らされたはずだ。

そのはずの菓子の中身が元に戻っている。袋には開けた形跡も見当たらない。どう考えても異常だ。

 

傷の治りは説明ができた。銀髪の少女、それにエリオットの魔法という前例があったからだ。故に盗品蔵での二度の惨劇の結果も、何者かの治療という形でスバルは己の中に決着を見ていた。

 

――だが、仮に超級の回復魔法の使い手が存在したとして、無くなったはずのものを復元することまで可能なのだろうか。

 

「そうだ、複製魔法……」

 

ロム爺がぽつりとこぼしていたことを思い出す。

複製魔法――そこにある存在を、外側だけとはいえ複製することが可能な魔法。その魔法を使えばこの状況を再現することも。

 

「袋の口はどーする。まさか糊付けまで直せるのが回復魔法なんて言うんじゃねぇだろうな」

 

現実的な考えだとは思えない。

そしてこの機械文明の発展を犠牲に、魔法系の文明が発達したと思しき世界において、この菓子袋の口を糊付けするという概念が理解できるとも思えない。

 

思考は八方ふさがりだ。だが、塞がった思考の中で、スバルはこの現象は回復魔法ではないと半ば結論していた。結論していながら発展を見せないのは、他に思い当たった可能性というものがあまりにも常識外れで、あり得ないと理性が否定していたからだ。

 

「おいコラ、てめえ、何をしてやがる」

 

「あ?」

 

ふいにすぐ近くで声をかけられて、スバルは呆気にとられた声を出していた。

男のひとり――徒手空拳の三番手『カン』と内心で呼んでいた男だ。いつの間にかすぐ側に寄ってきていた彼の姿にスバルは眉根を寄せ、

 

「なんだよ、近づいてきて。言っとくけど、手伝ってもらわなくても服ぐらい脱げる」

 

「誰もそんな手伝いしてやろうなんてしてねえ! お前がふらふらとこっちにきたんだろが!」

 

怒鳴りつけられて初めて、スバルは自分の姿が路地の奥から通り側まできていたことに気付いた。

思考の海に沈むうちに、無意識に移動していたらしい。しかし、男たちにはそんなスバルの呆けた態度が敵対行動にしか思えなかったらしい。

 

「言う通りにしねえなら、少し痛めつけてやろうか?」

 

「っつか、もう面倒くせーよ。こっちでやってやろーぜ」

 

男たちが短絡的な行動に出ようとし始めるのを見て、スバルはしばし思考に没頭するのを取り止める。

今、この場で必要なことは――、

 

「そーら、取ってこーい!!」

 

「なっ!?」

 

手の中のビニール袋を振り上げて、遠く路地の奥まで放り投げる。

放物線を描き、飛んでいくビニール袋は暗がりの方へとまっしぐらだ。当然、それを獲物と目論んでいた男たちの視線もそちらにつられる。

 

その隙を見て、男たちの脇を掻い潜ってスバルは猛ダッシュ。

何度も結論した通り、この場は男たちから逃れることが最優先。それから盗品蔵へ赴いて、浮上した疑惑への答えを得なくてはならない。

 

馬鹿馬鹿しい考えだとは自分でも思う。

治療魔法の使い手が、複製魔法だか復元魔法だかも極めた超人レベルの使い手で、たまたま盗品蔵の惨状に出くわし、持ち前の慈愛の精神から無償でスバルたちを治療し、スバルだけを八百屋の前で解放して、ハードボイルド一直線にそこから名乗りもせずに立ち去った。

そんな荒唐無稽な四方山話を聞かされる方が、まだそれなりに納得できる。

 

「いや、それも納得には程遠いけど」

 

整合性はまだそちらの方が取れるのだ。

少なくとも、今さっき脳裏を過ぎった根拠皆無な愚考に比べれば。

 

相反する二つの思考を持ったまま、スバルは路地裏の汚れた地面を駆け抜ける。

大通りへ出て、でかい声を出しながら走り回れば奴らも追いかけてくるわけにもいくまい。ビニール袋の中身は惜しいが、直前に抜き取っておいたので中に残っているのは菓子袋と重石代りの小銭が少々――被害としては軽微。

 

そう結論して足を踏み出し、スバルはふいにその一歩が大きく狙いをずらしたのに焦った。

ぐらりと体が揺れて、前に出したはずの足でたたらを踏む。が、今度は膝から力が抜けてその場に跪いてしまう。

前のめりに手をついて、このタイミングで転ぶなんて馬鹿かと己を叱咤。しかし、

 

「あれ、おかしいな……」

 

立ち上がるために力を込めようとして、地に立てた腕がガクガクと震える。とてもではないが体を持ち上げられない。それ以前に、手に持っていたものも落としている始末だ。

 

「だから素直に言うこと聞けってったんだよ、バーカ」

 

嘲りの声が真後ろから聞こえて、スバルはどうにか首をそちらへ傾ける。

後ろ、スバルのすぐ側に立っているのは二番目に立っていたから『チン』ともっとも屈辱的な渾名を付けていた男だ。

彼はその粗野な態度のままに、口の端を歪ませてスバルを指差す。

その指した先を視線で追って、スバルは自分が倒れた理由を把握した。

 

――倒れるスバルの背中、腰あたりにナイフが突き刺さっているのだ。

 

「ごぁっ……がっ……」

 

意識した瞬間、堪え難い激痛が走ってスバルの喉を塞いだ。

極々純粋で原始的な、鋭い痛みにのた打ち回る自由すら奪われる。

 

――刺された! 刺された刺された刺された刺された刺された刺された。

 

他の二人と違い、ナイフを持ったチンだけは意識がビニール袋に向かわなかった。彼だけはあの時点で、物の価値よりスバルを痛めつける方に魅力を感じていたということだろう。

やはりトンとカンの二人より、優先すべきはチンへの対処であった。

それを怠った報いがこれだ。この数時間で、もはや何度も味わった類の激痛。しかし、何度味わったとしても、これに慣れることは永遠にあり得ない。

 

「おい、刺しちまったのか」

 

「仕方ねえだろ。表に逃げられてみろ。衛兵でも呼ばれちゃ面倒どころの話じゃねえ」

 

「あーあ、こりゃダメだ。腹の中身が傷付いてっから死ぬな。……着物もびちゃびちゃだ」

 

人をひとり刺しておいて、他に考えることはないのかと激痛の端で文句を垂れる。

別のことに思考を割いていないと、意識が持っていかれかねない痛み。そしてトンの言葉を鑑みるに、一度意識を失えばもう戻ってこれない類の傷だ。

 

まだ意識のあるうちに対処しなくてはならない。

そう決断し、全身に残された力をかき集めて、遠吠え一回分の力を寄せ集める。それを舌に乗せて、いざ咆哮しようとし、

 

「はーい、何かされる前に二本目!」

 

二本目のナイフが無慈悲にも、背中のど真ん中へと突き立てられていた。

 

「――――――ぉぅぐ」

 

発しようとしていた叫びが、手足の先にまで走る電撃のような痺れにキャンセル。

もはや衝撃は痛みを堪えることや、叫びを発するといった行動を許す次元にはとどまっていない。スバルに残された選択肢はもう、何もなかった。

 

背中の傷が肺に達したのだろう。

掠れるような荒い息を繰り返しても、肺が膨らまずに呼吸が苦しくなっていく。酸素不足はスバルの活動に多大な影響を及ぼし、思考は今にも途切れそうなほど弱々しい。

 

手足の感覚は消え、自分がうつ伏せなのか仰向けなのかもわからない。

今回は目は切られていないはずなのに、視界は真っ暗で何も見えなかった。

 

――今回って、なんだよ。

 

馬鹿馬鹿しいと切り捨てたはずの考えに、縋っている自分がいるのが哀れだった。

その哀れな考えに縋るのなら、いっそとことん縋ってやろうとも思う。

 

――死ぬことから意識をそらせ。死ぬ前に、世界を把握しろ。

 

目は死んでいる。手足も終わっている。残っているのは鼻と耳ぐらいだ。ならばその両方を最大限まで駆使する。どんな残り香でもいいし、罵声を聞かされるのでも構わない。路地の泥の臭い。こみ上げてくる血の鉄臭い香り。今、鼻が死んだ。死んだ。耳も残りわずかしか活動できそうにない。

 

死の感覚。二度味わったその足音が、どんどんと明確になっていき──

 

「……魔だ!………スバ……大じょ……!」

 

「……ソッ!なん……がっ……」

 

「おい!逃げ……! ラチ……ぐぁ……!」

 

「…………待っ……ぎゃっ……!!」

 

「……しょうっ………ダメだ、僕は治……魔法……、もう……」

 

その世界で。友人の、自分が巻き込めないと切り捨てた声を聞いた。死に際にその青年が現れたのは、それこそ運命の悪戯だっただろう。

 

前回は自分のせいで死なせる目に合わせてしまったというのに。伝わってくる柔らかい手の熱が、強くスバルの手を握ってくれている手の力強さが、どこまでも優しくて。

 

──なんだ。結局もう巻き込めないなんて、俺の身勝手だったのか

 

この、お人好しめ。

 

 

恨み節とは裏腹に、優しい友に安堵を覚えたまま。

 

ナツキ・スバルは、三度目の命を落とした。

 

 




今回エリオットが出てこないのでほぼほぼ変更出来なかったんですよね。

次回は出てきます。
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