そしてぇ
遠くから音が聞こえる。
スバルは逃げられただろうか。まさかアレで死なないなんてー一、お爺さん達は大丈夫かなー一
微睡む意識の中で思考とも言えないような思いが揺蕩って消える。
続く会話が意味も理解出来ぬままに聞き流す。離れて行くリズミカルな音が心地いい。辺りは明るく暖かい。温く優しい太陽の光ー一
そこまで考えたところで意識が覚醒する。
「ーースバルッ!」
「うおっ!?どうしたんだよ兄ちゃん。さっきからボーっとしてると思ったらいきなり叫んでよ」
目の前にいる強面の店主が驚きの声を上げる。
「店主さん!スバルーー黒髪の男の子は!?」
「もうどっか駆け出して行っちまったよ。知り合いか?」
「友達だ!」
「お、おう。アイツは向こうの方に駆けてったぞ」
「ありがとう店主さん!」
何が起きているのかはわからない。自分は間違いなく死んでるいた。友人たる“青”が居たなら直してもらえたかもしれないが、その人はこの場に居ない。
何より時間が戻っている説明がつかない。本当に時間が戻っているなら、早くスバルと合流しなければ。
「おい兄ちゃん!」
「何ですか!急いでるんですが!」
「ウチの商品買っただろうが!これ商品!そして代金払え!銅貨六枚!」
「あ、すいません。これで。お釣り要らないです」
うっかりしていた。そうだ。自分はこの果物屋の店主からリンガとレモムを買っていたのだ。詫びの気持ちも込め、少しだけ余分に払おうと銀貨を渡す。
「俺だって要らねえよ。ほら、お釣り」
「店主さん、いい人だね。今度お店の中身全部買いに来るよ」
「はっ!期待しねえで待っとくよ」
軽く笑いあって店主と別れ、エリオットは店主の指した方向へ駆け出した。
「おーい!スバルーーー!どこだーーー!」
大きく声を張り上げ、友の名を呼びながら街を駆ける。だいたいの方向は教えて貰った。スバルはきっとまた盗品蔵に向かって行っているだろう。
「…? どうしてこんなに辺りの人が苛立ってるんだ?」
エリオットの気のせいでなければ、街を歩く人々の多くが苛立っているように見える。数人ならば分かる。何か不幸な目にあったのだろうと。しかし目に映る人のほとんどが同じように苛立つとなるとさすがに不自然だ。
近くを歩いていた若い小柄な男に話しかける。
「すいません、お兄さん。ちょっと良いですか?」
「あん?俺になんのよ…う…だ…」
「ごめんなさい、さっき何があったのか知りたくて。ほら、お兄さんもだけど、みんな苛立っているような表情をしているでしょう?」
「あ、ああ。今さっき非常識な男がいたんですよ」
「非常識な男?」
嫌な予感が胸に芽生える。もしかして…
「この辺りじゃ珍しい黒髪の男なんですけどね、いきなり銀髪の女の子を
「はあ!?」
「しかも辺りに響き渡るような大声で。もう侮辱なんてものじゃないですからね。女の子も激怒して。なのに男の方は何ていうか、混乱?そんな表情で」
「はあ…」
「もう二人とも居なくなりましたけど」
「二人がどっちに行ったか分かりますか?」
「あっちの方に」
彼が指差す方向を見る。見覚えがあると思えば、スバルと通った裏路地だ。
「ありがとうございました!」
「あ、一緒にお茶でも…」
「僕男ですよ」
短く答えて、彼が指差した方向へ向かって走りだした。
一度スバルと共に通った路地裏に近づく。鼻に届いた空気は、微かに生臭く鉄くさい。死の前に嗅いだ、血液の匂いだ。
「スバル…スバル…スバル…!」
焦燥を胸に、胸に湧き出す最悪の想像を振り払うように走る。
そこに見たのは、
「はーい、何かされる前に二本目!」
無慈悲にも、ナイフを背中のど真ん中へと突き立てられたスバルだった。
既に腰のあたりに一本ナイフが刺さり、見慣れない珍しい着物は血に染まっている。二本目のナイフも深々と刺さり、そのどちらもが致命の傷である事が分かってしまう。
「――――――ぉぅぐ」
小さくうめき声が耳に届く。
「貴様ァァァァァアアアッッッ!!!」
目の前が赤く染まる。自分の友がこの三人の男のせいで死にそうになっている。巫山戯るな。スバルはお前らなんかに殺されて良い人間じゃあない。死んでも恩を返そうとするお人好しなのだ。それを、コイツらは。
否、そんなことはどうでもいい。早く邪魔なコイツらを蹴散らしてスバルの治療をしなければ。
「退けぇっ!邪魔だ!おい、スバル、大丈夫か、しっかりするんだ!」
「クソッ!なんだおま、がっ……」
「おい!逃げるぞ! ラチン、ぐぁ……!」
「待ってくれ、あやま、ぎゃっ……!!」
三人の男をまとめて蹴り飛ばして壁に叩きつけ意識を奪う。蹴り飛ばした先で壁に突き刺さったり壁で頭を打ったりしているようだが知るものか。
そのままスバルに駆け寄る。
「ちくしょうっ…傷が深い。ダメだ、僕は治癒魔法を使えない。衛兵を呼ぼうにも、もう…」
どうすることも出来ないやるせなさが心を埋め尽くす。せめて、せめて此処に自分がいることに気づいてほしくて、スバルの手を強く握りしめる。
「ごめん、スバル…」
その言葉は誰に届いたのか。エリオット自身の耳に届く前に世界が暗転した。
ー頑張って、あなたなら大丈夫一
ー私の…………を、助けてあげて一
ー私の愛しい、………一
闇の中で頰を優しく撫でられた気がした。
_________________
意識が覚醒したとき、スバルは闇の中にいた。
それが己が生んだ闇であることに気付き、そっと閉じた瞼を押し開く――と、眩い日差しが瞳を焼く痛みに、スバルは小さく呻いて掌でひさしを作った。
「――どうしたよ、嬢ちゃ…わりぃ、男なんだったな。兄ちゃん。急に呆けた面して。そっちの黒髪の兄ちゃんもだ」
聞き慣れた声色が、目の前でスバルにそう問いかけてきている。
耳は正常。大通りの喧騒は相変わらずうるさいほどで、あの路地裏の残酷なほどの静寂とはかけ離れていた。
距離にしてみれば通りを一本、横に折れただけの違いでしかないのに。
「その通りを一本、曲がるのもできねぇとは情けねぇな」
「スバル!」
果物屋の主人以上に聞き慣れた声が耳朶を打つ。聞こえてきた方に振り向けば…
「おー、俺に何のよ」
「このっ、大馬鹿野郎ッ!」
うっすら目に涙を溜め、端正な顔立ちを怒りに歪め、赤くしたエリオットに胸ぐらを掴まれ、至近距離で怒鳴られた。
「なんで僕を置いて行った!スバルは、僕の姉さんに恩を返そうとしてくれてるんだろう!?なら、僕にも頼ってよ!そんなに僕を信じられないのかよ!」
「ちが、もう巻き込めないって…」
「巫山戯るな!最後まで巻き込めよ!僕にスバルを助けさせてよ!」
「ただでさえ俺はもう一回お前を死なせて」
「僕が勝手に助けただけだ!」
言い訳にもならないような言葉を返すスバルに、激情のままエリオットは叫んだ。
そして胸ぐらを掴んだまま、スバルよりも高い背丈を崩れ落ちさせる。
「スバルを、友達だと思ってたのは、僕だけなのかよ…」
目に溜まっていた涙をぽろぽろと溢す彼は、年端もいかない幼子のように見えた。
___________________
「すいません、店主さん。お騒がせしてしまって」
涙を拭き、それでもまだ涙が陽光に煌めく少し赤くなった顔で、エリオットは店主に謝罪する。
「おう…どうせ客は来ねえし俺はいいんだけどよ、兄ちゃん達は大丈夫なのか?」
強面の店主が心配げに返す。
「はい。もう大丈夫です。心配おかけしました」
「気にしなくて良い。そっちが気にするってんならまた今度店に買いに来てくれ」
「はい。このお店の果物全部買い占めにきます」
「ははっ、期待しねえで待っとくよ」
エリオットと二人、店主に挨拶をして店から離れていく。
「…さあスバル、話して貰おうか」
そうしてエリオットは、未だ涙の名残が煌めくアメジストの双眸でスバルの目を真っ直ぐに見つめた。
「まず、何があったの?」
「ああ、一度目は俺一人だった。エリオのお姉さんにあって盗品蔵へ行った」
二人で噴水の縁に座り、会話を始める。
「スバル、さっき姉さんをまた例の名前で呼んだんでしょ。僕あんなに怒ってスバルに教えたのに。そこも怒ってるからね」
「悪かったよ…反省してる。それで盗品蔵に着いたところで俺もエリオのお姉さんも殺された。今思えばエルザがまだ居たんだろうな」
「僕が油断しなければ…」
「無理だろあれ。分かんねえよ。それが一回目。二回目はお前も知っての通りだ」
「三回目は?スバルが僕を置いて行ったヤツ」
「悪かったって…俺を庇って殺されたお前を見てもう巻き込めねえって思ったんだよ…」
「まあしょうがないから許してあげる。スバルの不器用な優しさってことで。次はないよ」
「すまん。それで一人で走って行って、お前のお姉さんに会った。それでサテラって呼んじまって…」
「次はないから」
「もう間違えねえよ。それでフェルトと徽章を盗まれたお前のお姉さんを追いかけてった先で、トンチンカンの三人に殺された」
「トンチンカン?」
「あの三人組。良い名前じゃね?」
「ふふっ、いいねそれ」
「だろ?じゃあ、行くか」
「うん。今度こそ、」
「「みんなを助ける為に」」
強く、拳をぶつけあった。
「まずどうする?」
「盗品蔵に行こう。今度はミスがないようにするが、万が一でも最初から分かってるなら大丈夫だろ」
「ああ、次は負けないよ」
エリオットは三度目、スバルは四度目になる裏路地へ、二人で歩く。
見覚えのある路地に入れば、盗品蔵への道は分かる。
しかし、それはある意味、別の再会をも意味するのである。つまるところ、
「もういい加減、見飽きたぜ、トン・チン・カン」
げんなりして振り返るスバルの正面、路地を塞ぐ毎度の三人が立っていた。
風貌も服装も人相も全部一緒。その目的も一緒なら装備も一緒だろう、進歩なしだ。同じところで足踏みしてるのだから当たり前だが。
「エリオのお姉さんとフェルトにはなかなか会えねぇってのに」
二人に会えないのは、彼女らの行動がかなりスバル以外のランダム要素の影響を受けるからだろう。
逆に毎度毎度、トンチンカンとスバルが遭遇するのは、トンチンカンが最初からスバルを標的に定めているからということらしい。
だから毎回、違う路地に入ろうと場所を変えようと、彼らとはエンカウントするのだ。
「全ッ然、心ときめかない推測が成り立ったところで、どうしたいのよ、お前ら」
「…ねえスバル、潰そうか?」(ボソッ
「待て待て!早まるな!」(ボソッ
「さっきっからブツブツと、何を言ってんだ、あいつ」
「状況がわかってないんだろ。教えてやったらいいんじゃないか?」
トンとチンの会話もテンプレートをなぞったもので、さらにスバルの気分を沈ませる。が、げんなりする反面、舐めてかかってはいけないと思う気持ちがあるのも事実だ。今回はエルザに一時的とはいえ勝利したエリオットがいるのだ。ただ倒すだけなら簡単だろうが。
トンチンカンとの遭遇はクリア条件としては緩めだが、それでも百パーセント突破が可能かというとそういうわけでもない。事実、三度目の死因は彼らなわけで。
一回目のようにエリオの姉が助けてくれるか、二回目のようにエリオットに頼めば突破できるとは思うが、それも万全ではない。
二回目のときはやたらとうまくいったが、今回もそう行くとは限らない。この先に高い確率ででかいイベントが控えている以上、手傷を負うこちも金を失うことも避けたいというのが本音だ。
こちらに何の損失もでないで切り抜けられるのが理想。
さらに一回目のときのような時間経過が起こらないのが最善だ。
どうにか彼らを避けることができないものかと、スバルは腕を組んで頭をひねる。
一方、そんなスバルの態度に無視されているとでも思ったのか、優位のはずのトンチンカンの表情は険悪に染まるばかりだ。
せめて武器を抜かれる前に、スタンスを決める必要がある。
トンチンカンの堪忍袋の脆さを嘆きつつも、スバルは「やっぱエリオに頼もうかなぁ」と結論に至りかけ――ふと、三回目の死の瞬間を思い出した。
あの状況下で、死に瀕していた状況下で、スバルは音だけは拾い続けていたはずだ。
そのときに、トンチンカンが最後に話していた内容はなんだったろうか。先に死んだ脳が理解していなかったが、今ならば理解できるはず。
――確か、そう。
「衛兵さーーーーーーーーん!!!」
予備動作なしの救命信号に、虚を突かれたトンチンカンが思わず飛び上がる。
路地裏の静寂を打ち砕き、大通りの喧騒にまで間違いなく割り込んだろう声量。剣道で鳴らした阿呆のような神経は、大声を出すことへの羞恥心をスバルからとうに奪い去っている。
助けを求めるために声を出すことなど、プライドに些かの傷もつかない。
「誰かーーーー!男の人呼んでーーーーーーーー!!!」
「ははっ!じゃあ僕も!んっんん、衛兵さぁーーーーーん!助けてーーーーーーー!」
「てめぇら……っ。ふざけんなよ!? ここで普通、いきなり大声出すか!?」
「状況的にこっちの命令きかなきゃ痛い目見る流れだろうが! 要求も聞かずにこれとかやんねーぞ、普通は!」
「黙れ!! なにが普通だ! 常識外れも横道抜け道外道悪道ALL正道! お前らの相手なんぞしてられっか! こっちゃ金銀美少女とキャッキャウフフに全力傾けてんだ!」
地面を踏み鳴らし、逆上するトンチンカン目掛けて上から怒鳴りつける。
開き直った風を装って口撃するスバルだが、その内心は表に出ないだけでかなり焦燥感が募りまくっている。助けを求める、という行動は三回目の世界の最期の瞬間に起因する、かなり危うげな記憶の上に成り立つ思いつきだ。
意識が闇に落ちる寸前、トンチンカンの誰かが「衛兵」と「逃げる」という単語を口にしていたという、そんな些細な取っ掛かりを頼ったしょぼい作戦。
叫びは大通りまで間違いなく届いたはずだが、そちらからのアクションは見られない。もともと、そこまで期待度の高い思いつきでもなかった。
「やっぱ、失敗か……」
「残念。結構いい声出せたと思うんだけど」
「お前なんであんなに女声上手いわけ?」
「やったら出来た」
「おどかしやがって……ほんの少しばかりだが、ビビっちまったじゃねえか」
「ほんの少しだけな!」
「ほんのちょびっとだけだけどな!」
息の合った連携で、自分たちの小者ぶりを否定する小者ぶり。
スバル達の初撃に持っていかれたペースを取り戻そうとするかのように、男たちは一度、深呼吸をして気を落ち着かせ、各々が獲物を手に握り始める。
ナイフ、錆びた鉈。そして、
「ひとりだけ無手ってなんなの。武器買うお金がなかったの?」
「うるっせえな! 俺は武器ない方が強いんだよ! あんま舐めた口きいてっと、本気で殴り殺すぞクソがッ!」
「それでも使える武器あるよね。手甲とか。やっぱりお金ないのかな」
「うっせえんだよ女ァ!男殺したら覚悟しろよ!」
「「僕/そいつ男だよ/ぞ」」
「「「!??」」」
いい反応に口角が持ち上がる。その反面、「かなりヤバい」を胸中で連呼してしまう程度には状況は悪い。
すでに武器が抜かれてしまった以上、突破をエリオに頼むしか無くなってしまった。
大丈夫だとは思うが万が一や消耗を考えればあまりいい選択だとは言えない。
「勘弁してくれよ……」
三度死んだからわかる話だが、死ぬというのは何度やっても慣れるものではない。
ましてやスバルの死因は今のところ、全て刃物による激痛の中でのものだ。鋭い痛みはいつだって新鮮で、神経を削り取るように終わらせる感覚はいつでもセンセーショナルだ。
そんな死に方は二度とごめんだし、何より――。
「今まで『死に戻り』してたからって、今回もできるとは限らねぇ……」
回数制限付きでないとどうして言える。
体のどこかに数字が刻まれている形跡はないが、仏の顔も三度までともいう。後者が採用された場合、スバルのコンティニュー回数はすでに打ち止めだ。ここでむざむざと犬死することがあれば、それでスバルの異世界生活はBADENDを迎える。
「……つまり、万が一とかデメリットを考えてもエリオに頼むのが正解ってことか」
「わかった。任せて」
「素手のやつは俺が行く」
「ん。頑張って」
殺傷力が高いのは当然、信頼と実績のナイフ。鉈は意外と錆が強く致死性は低そうだ。どっちにしろエリオなら大丈夫だろう。
一応スバルもステゴロを倒す覚悟を決める。なんも仕事がないのはちょっと申し訳ない。
歩み寄ってくるトンチンカンを見ながら、スバルは即行で腹を決める。
自分の担当にのみ警戒を払って、その間を抜ける秒読みを頭の中で開始。
――三、二、やっぱちょっと待って、三、二……。
「――そこまでだ」
その声は唐突に、しかし明確に、路地裏のひりつくような緊迫感を切り裂いた。…一人だけまるで緊張していない紺色髪の長身がいたが。
凛とした声色には欠片も躊躇もなく、一切の容赦も含まれていない。聞く者にただ圧倒的な存在感だけを叩きつけ、その意思を伝わせるソレは天性のものだ。
スバルが顔を上げ、エリオットが目線を向ける。そしてトンチンカンが振り返る――その先、ひとりの青年が立っている。
まず何よりも目を惹くのは、燃え上がる炎のように赤い頭髪。
その下には真っ直ぐで、勇猛以外の譬えようがないほどに輝く青い双眸がある。異常なまでに整った顔立ちもその凛々しさを後押しし、それらを一瞥しただけで彼が一角の人物であると存在が知らしめていた。
すらりと細い長身を、仕立てのいい黒い服に包み、その腰にシンプルな装飾――ただし、尋常でない威圧感を放つ騎士剣を下げている。
「たとえどんな事情があろうと、それ以上、彼らへの狼藉は認めない。そこまでだ」
言いながら、青年は悠々とトンチンカンの隣を抜けて、彼らとスバル達の間に割って入る。そのあまりに堂々とした行為に、スバルもエリオットも男たちも声を上げられない。
だが、トンチンカンとエリオットとスバルでは沈黙を選んだ理由が違うらしい。
スバルが黙ったのは驚きと、これまでにない展開を固唾を呑んで見守っていたというのが理由。エリオットは嘘だろとでも言うような驚きとげんなりが入り混じり声が出ない。だが、その顔から血の気を失い始めるトンチンカンは違う。
「ま、まさか……」
紫色になりつつある唇を震わせて、チンが青年を指差した。
「燃える赤髪に空色の瞳……それと、鞘に竜爪の刻まれた騎士剣」
確認するように各所を指差し、最後に息を呑んで、
「ラインハルト……『剣聖』ラインハルトか!?」
「自己紹介の必要はなさそうだ。……もっとも、その二つ名は僕にはまだ重すぎる」
ラインハルトと呼ばれた青年は自嘲げに呟き、しかし眼光を決してゆるめない。
視線に射抜かれた男たちは気圧されるように後ろへ一歩。逃げるタイミングを見計らうようにそれぞれが顔を見合わせる。が、
「逃げるのならこの場は見逃す。そのまま通りへ向かうといい。もしも強硬手段に出るというのなら、相手になる」
腰に下げた剣の柄に手を当てて、彼は後ろに立つスバル達を示すように顎をしゃくり、
「その場合は三対三だ。数の上では同等。僕の微力がどれほど彼らの救いになるかはわからないが、騎士として抗わせてもらう」
「じょ、冗談っ! わりに合わねーよ!」
うそぶくラインハルトにトンチンカンは慌てふためき、獲物を隠す配慮すら忘れて蜘蛛の子を散らすように大通りへと逃げ去っていく。
初回のときには残せた捨て台詞すら残せない慌てぶり。それだけで、この目の前に立つ青年の規格外さが知れるというものだ。
「お互い無事でよかった。ケガはないかい?……いや、心配は要らなかったかな」
男たちが完全に消えたのを見計らって、青年が微笑を浮かべて振り返った。
途端、路地裏を席巻していた威圧感が消失。それすらも意識的に青年がやっていたことだと体感して、スバルはもはや絶句するしかない。何より、
「あんだけのことしてこの爽やかさ……イケメンってレベルじゃねぇぞ」
顔と声と佇まいと行動、今のところ全てが高水準でイケメン判定をクリアしている。これで性格と家柄までよかったら、裏で何か悪事を働いてないと釣り合いが取れないレベルだ。
ともあれ、そんな嫉妬心丸出しの心境はさて置き、助けてもらった事実は事実。
スバルはその場に膝をつき、「へへー」と平伏して、
「このたびは命を救っていただき、心からお礼申し上げる。このナツキ・スバル、その御心の清廉さに感服いたしますれば……」
「そんなに堅く考えなくても構わないよ。向こうも三対三になって、優位性を確保できなくなってのことだ。僕がひとりならこうはいかなかった」
「いや、あのビビりようからしたら三対一どころか十対一でも逃げてそうだったけど……なんだ、このイケメン。本気で身も心もイケメンか。俺ルートのフラグが立つわ!」
「……よく言うよ。あの程度、三人どころか三万人居ようがまとめて倒せるくせに」
わりと泣ける系シナリオなのでハンカチ必須。
そんな戯言を口にしつつ、スバルは改めてラインハルトの姿を観察。
見れば見るほど神に選ばれたとしか思えない造形の美男子だが、その格好を見るにどうも衛兵という感じではない。大通りで見かけた多数の一般人と、素材の良ささえ除けば大差のない様子に思えた。
「えーっと、ラインハルトさん……でいいんスか?」
「呼び捨てで構わないよ、スバル。そしてーー久しぶりだねエリオット」
青年の青い目がエリオットに移る。
「はぁーーーーーー。ああ、久しぶりだね、ラインハルト」
「さらっと距離縮めてくるな……ってか、え?知り合い?
「ああ、友人だよ」
「……まあ、友達かな」
「歯切れが悪いね、エリオット」
「僕は君のこと人としてはかなり好き。…なんだけど、苦手意識あるんだよ。僕のジワルド全部はじき返すわ切り札効かないわ全力の僕以上の身体能力だわ、意味わかんない。なんでそんなに強いのさ」
「僕は君を友人だと思っているよ。それに、僕は君のように魔法を使うことは出来ないし、君ほど多彩でもない」
「君がそういうやつだから絶対嫌いになれないんだよなあ」
「結構仲良い感じだ…。えっと、改めてありがとう、ラインハルト。俺達の叫びを聞きつけてくれたのはお前だけだぜ、マジ寂しい」
「僕からもお礼を言っておくよ。事実、マナを消費せずに済んだし楽をできた」
あれだけ人の数がいて、聞こえたのが彼ひとりということはないだろう。人心の寂れっぷりを嘆くスバルに、ラインハルトはかすかに目を伏せ、
「あまり言いたくはないけど、仕方のない面もある。多くの人にとって、連中のような輩と反目するのはリスクが大きい。その点、衛兵を呼んだ君の判断は正しかったよ」
「その言い方だと、ラインハルトって衛兵なの? そうは見えないけど」
「よく言われるよ。まあ、今日は非番だから制服を着ていないのも理由だろうけど」
「と言うより、剣聖として有名すぎてそっちが先に来るって感じだね」
苦笑いしながら両手を広げるラインハルトに、スバルは内心で反論。
彼が衛兵に見えない最大の要因は、そんな泥臭い感じのイメージとかけ離れた雰囲気が為せる技だ。
「今さっきのエリオもだけど、『剣聖』とか呼ばれてた気がするが……」
「家が少しだけ特殊でね。かけられた期待の重さに潰れそうな日々だよ」
「………」
「何か用かい?エリオット」
「なぁんでもないよ?」
肩をすくめてみせる気軽さ、エリオットとの掛け合いを見るに、どうやらユーモアも持ち合わせているらしい。
もはや心身共にイケメンであること疑いの余地なし。存在イケメンのラインハルトに驚嘆を隠せないスバルだが、彼はそんなスバルをジッと見下ろし、
「珍しい髪と服装、それに名前だと思ったけど……スバルはどこから? 王都ルグニカにはどんな理由できたんだい?」
「そういえば僕も知らないな。教えてくれる?」
「どこからかって言われると答えづらいんだよな。東の小国って設定はダメ出し食らったから……も、もっと東とかってのはどうだー」
我ながら安直な答えだと自省の限りだ。が、それに対するラインハルトの反応は意外にも顕著なものだった。
「ルグニカより東……まさか、大瀑布の向こうって冗談かい?」
「スバル、大瀑布の向こうとか本気で言ってる?」
「大瀑布?」
聞き慣れない単語に首をひねるスバル。
瀑布、というと滝か何かだったと思うが、このあたりの地理情報にはかなり疎い。そもそも王都の広さすらまだ把握していない状況だ。スバルにとってこのルグニカという王都の活動範囲は、商い通りと路地裏と貧民街で完結している。
自宅、自室、コンビニで完結していた元の世界と変わらないレベルだ。
「そう考えると異世界でも同じ場所でばっかひきこもってんのか、もはや天性のもんだぞこれは……持ってるな、俺」
「誤魔化してるってわけでもなさそうだけど、そこはいいか。とにかく、王都の人間じゃないのは確かみたいだけど、何か理由があってきたんだろう? 今のルグニカは平時よりややこしい状態にある。僕でよければ手伝うけど」
「いやいや、休日なんだろ? それ返上してまで俺の手伝いなんてすることねぇよ。エリオが居るしさっきので十分……だけど、ついでに聞きたいことはある」
ラインハルトの申し出に首を振ってから、スバルはふと思い出したように指を立てる。ラインハルトは「なんでも聞いて」と気軽に頷いた。
「世情には疎い方だから答えられるかはわからないけどね」
「んにゃ、聞きたいってのは人探しだから平気平気。ってなわけで聞きたいんだけど、このあたりで白いローブ着た銀髪の女の子って見てない?」
何度かの大通りの観察の結果、エリオの姉の格好はかなり目立つ類のものだ。頭髪の色はスバルの黒髪同様に見かけないし、エリオットと揃いの鷹っぽい刺繍の入ったローブも同じく。思い返せば白いローブはそれなりに高価そうでもあった気がする。宝石の入った徽章を持っていたことからすれば、その素姓も自然と高い位にあるのだろうと察せるが。
「白いローブに、銀髪……」
「付け加えると超絶美少女。で、猫……は別に見せびらかしてるわけじゃないか。情報的にはそんなもんなんだけど、心当たりとかってない?」
エリオットの機嫌が良くなったのが視界の端に映る。分かりやすくシスコンだ。
猫型の精霊を連れている、まで合致すればエリオットの姉であることは疑いようもないが、通常は銀髪に埋もれているはずだからそれは高望みだ。
美少女情報を付け加えて思ったが、超美形のラインハルトと彼女が並んだらそれはそれは絵になりそうである。勝手に考えて変な嫉妬心が芽生えたほど。
「……その子を見つけて、どうするんだい?」
「落し物、この場合は探し物か? それを届けてあげたいだけだよ」
もっとも、それはまだスバルの手の中にはないし、ひょっとしたらまだなくしてすらいないのかもしれないのだが。
スバルの答えにラインハルトはその空色の瞳を細め、しばし黙考してから、
「ううん、すまない。ちょっと心当たりはないな。もしよければ探すのを手伝うけど」
「そこまで面倒はかけられねぇよ。大丈夫、あとはどうとでも探すさ。行こう、エリオ」
手伝いを申し出るラインハルトに手を挙げ、スバルはとりあえず予定通り盗品蔵に向かうことに決める。
「行くのかい?」
「ああ、行く。ラインハルトには世話になった。この礼はいずれ。……衛兵の詰所とか行けば会えるのかな?」
「そうだね、名前を出してもらえればわかると思う。もしくは今日みたいな非番の日は、王都をうろうろしてるから」
「わざわざ男を探して町をうろつき回る趣味はねぇなぁ……乙女ゲーじゃあるまいし」
「また今度ね、ラインハルト」
軽口で応じてシュタッと手を掲げると、ラインハルトは「気をつけて」と最後まで爽やかに見送りの言葉を向けてきた。
その言葉に背中を押されるように、スバルとエリオットは無傷の損害ゼロで路地裏からの脱出を果たしたのだった。
――その背中を青い双眸が、値踏みするように見ていることには気付かずに。
エリオットとラインハルトは友人です。
エリオットが“青”に会いに王都に来た時出会いました。
その時ついでに手合わせもしてエリオットは敗北。悔しさよりも驚きが勝ちました。
なんなのコイツって感じで。