今回もめちゃくちゃコピってます。
原典のレベルが高すぎて全然いじれない。
時が止まる、というのはこういうことだろうか。
路地の入口、さっきまでの男たちと同じようにひとりの少女が立っている。
美しい少女だった。
腰まで届く長い銀色の髪をひとつにまとめ、理知的な瞳が射抜くようにこちらを見据える。柔らかな面差しには美しさと幼さが同居し、どことなく感じさせる高貴さが危うげな魅力すら生み出していた。
身長は百六十センチほど。紺色を基調とした服装は華美な装飾などなく、シンプルさが逆にその存在感を際立たせる。ゆいいつ目立つのは、彼女の羽織っている白いコートに入った『鷹に近い鳥』の紋章を象った刺繍か。その荘厳さすら、少女の美しさの添え物にすぎない。
どっかで見たような気がする…そんな僅かな既視感を覚えながらスバル息を殺していく末を見守った。
「それ以上の狼藉は見過ごせないわ。――そこまでよ」
再び彼女の口から言葉が紡がれ、総身を震えるような感動が走った。
銀鈴のような声音は鼓膜を心地よく叩き、紡がれる言葉には他者の心を震わせる力がある。
スバルは自分の置かれた状況すら忘れて、ただひたすら彼女の存在感に打ちのめされた。
そしてそれは男たちも同じだ。
彼女の敵意を真っ向から向けられ、先ほどまで血気に逸っていた表情はどこへやら。
ナイフを持った男も顔を青ざめさせ、袋小路を後ずさる。
「待て待て待て! 待ってくれ! な、なんだかわからねえが、こいつは見逃す! だから俺たちのことは勘弁して……」
「潔くて助かるわ。今ならまだ取り返しがつくから、私から盗った物を返して」
「だから悪かったって……へ? 盗った物?」
「お願い。あれは大切なものなの。あれ以外のものなら諦めもつくけど、あれだけは絶対にダメ。――今なら、命まで取ろうとは思わないわ」
懇願の気配すら漂わせていた言葉の最後、そこだけが明確に怒りをはらんでいた。
少女の視線は鋭く、差し伸べるように向けられた掌は何も掴んでいない。
しかし、そこに言葉にし難い何かが集まり始めるのを、この場の誰もが感じ取る。
「ちょ、待って! ……あの、話が食い違ってると思うんだがっ」
「……なに?」
男たちが足蹴にしているスバルを指差し、
「ええっと、この男を助けにきたわけじゃないんで?」
「……変な格好した人ね。仲間割れの途中? 三対一なんて感心しないけど……私に関係があるのか聞かれたら、無関係と答えるしかないわ」
話をはぐらかされているとでも思ったのか、少女の口調には苛立ちがまじる。
その態度に焦りを覚えたのか、男たちは慌てた素振りで弁明。
「ちょ、ま、待ってくれ! こいつが目的じゃないなら、俺らは別口だ! 盗まれたとかって話ならたぶん、さっきの女だろ!」
「あ、ああ、そうだ。さっきの! 壁蹴って屋根伝いに逃げてった!!」
「奥だ奥! その向こう! あの勢いなら通りをもう三つは抜けてる!」
男たちの続けざまの言い訳に、少女の視線がスバルと絡まる。
男たちの言葉が真実かどうかを問うてくる視線に、嘘を禁じられ思わずスバルも頷いてしまった。
それを見届けて、少女は「うう」と不承不承、納得の頷きを作り、
「嘘じゃ、ないみたい。それじゃ、盗った人は路地の向こう……? 急がないと」
こちらに背を向けて、少女の足が路地の外に向かう。
男たちの露骨な安堵。そしてスバルは千載一遇のチャンスを棒に振ったと、空気に呑まれた自分の馬鹿さ加減を呪う。
だが、
「それはそれとして、見逃せる状況じゃないのよ」
振り返りざまにこちらに掌を向けた少女――その掌から、飛礫《つぶて》が立ち尽くす男たち目掛けて放たれていた。
球速はメジャー級で、コースはバリバリのビーンボール。
硬球が肉を打つのに似た音が三つ鳴り、男たちが苦鳴を上げて吹っ飛ばされる。
男たちに命中し、スバルの傍らに甲高い音を立てて落ちたのは氷塊だ。
拳大の大きさの氷の塊――季節感や物理現象を無視して生じた物体は、その役目を果たした途端に大気に食まれるようにして霧散する。
「――魔法」
とっさに口からこぼれたのは、今の現象を説明するのにもっとも適した単語だ。
詠唱もなにも聞こえなかったが、今の氷は少女の掌から生まれて打ち出されていた。
こうして目の前で実際にその情景を見て、初めてわかったことがある。
それは、
「思ったより、幻想的な感じじゃないな……がっかりなリアル感だ」
光が散ったりだとか、エネルギーがはっちゃけたりとか、そういうイメージだったのに。
実際には無骨な氷が急に生じて、急に消える。情緒もクソもありはしない。
「やって……くれやがったな」
スバルの感想はさて置き、そのリアルな一撃を受けた側のダメージは甚大だ。
足をふらつかせて男が二人立ち上がる。ひとりは打ちどころが悪かったのか昏倒しているものの、残りの二人は流血こそしているが健在。ナイフ男とは別の男も、その手には錆びの浮いた鉈のような獲物を握って臨戦態勢だ。
「こうなりゃ相手が魔法使いだろうがなんだろうが、知ったことかよ。二人で囲んでぶっ殺してやる……二対一で、勝てっと思ってんのか、ああ!」
片手で曲がった鼻を押さえながら、ナイフの男が怒声を張り上げる。
その罵声に対して少女は怯んだ様子もなく、
「そうね。二対一は厳しいかもしれないわね」
「じゃ、二対二なら対等な条件かな?」
少女の声を引き継ぐようにして、中性的な高い声が新たに路地の空気を震わせた。
驚きながらスバルは視線をさまよわせる。同様の反応は男たちにも見られた。路地の入口にも、当然路地の中にも、その声を発した人物らしき姿はない。
戸惑い、困惑するスバルたち。その三人に見せつけるように、少女が左手を伸ばす。
上に向けられた掌、その白い指先の上に『それ』はいた。
「あんまり期待を込めて見られると、なんだね。照れちゃう」
そう言ってはにかむように顔を洗ったのは、掌に乗るサイズの直立する猫だった。
毛並みは灰色で耳は垂れ、スバルの常識で言うならばアメリカンショートヘアという種類の猫が一番近い。鼻の色がピンク色で、妙に尻尾が長いのを除けば。
その奇妙な猫の姿を見て、ナイフ男がその顔に戦慄を浮かべて叫ぶ。
「――精霊使いか!」
「ご名答。今すぐ引き下がるなら追わない。すぐ決断して。急いでるの」
少女の言い分に口惜しげに舌を打ち、男たちは昏倒する仲間を担ぐと路地の外へ向かう。
スバルをまたぎ、隣を抜けるときに少女をちらりと振り返り、
「覚えてろよ、クソガキ。次にこのあたりをうろつくときはせいぜい気をつけろ」
「この子に何かしたら末代まで祟るよ? その場合、君が末代なんだけど」
恫喝は精一杯の矜持だったのだろうが、それへの返答は軽い口調ながら苛烈だった。
手乗り猫はへらへらとした態度だが、男たちはそれまででもっとも顔色を青くして、今度こそ無言で雑踏の方へと駆けていく。
それきり彼らの姿が見えなくなると、この路地に残るのは少女たちとスバルだけだ。
「――動かないで」
体の痛みも忘れて体を起こし、とにかくお礼の言葉を。
そんなことを考えていたスバルに対し、少女は情を感じさせない冷たい声で言った。
彼女の瞳には警戒の色が濃い。スバルが男たちと別口だとは理解していても、その存在が善性であるとは欠片も思っていない、そんな目だ。
それはそれとして、こちらを見る彼女の紫紺の瞳は魅入られるように美しい。
美少女慣れしていないスバルはそれだけで、思わず顔を赤くして目をそらしてしまう。
そんなスバルの仕草に少女は警戒の眼差しのまま不敵に笑い、
「やましいことがあるから目をそらす。私の目に狂いはないみたいね」
「どうかな。今のは男の子的な反応であって、邪悪な感じはゼロだったけど」
「パックは黙ってて。――あなた、私から徽章を盗んだ相手に心当たりがあるでしょ?」
小猫を黙らせて少女はスバルに問いを投げる。近年まれに見るドヤ顔だ。しかし、
「期待されてるとこ悪いけど、全然知らない」
「嘘っ!?」
そのドヤ顔が崩れると、その下から少女の素の表情がちらりと覗く。
先ほどまでの凛々しい態度もどこへやら、慌てふためく彼女は掌の猫と向き合い、
「ど、どうしよう。まさか本当にただの時間の無駄……?」
「その状態も刻々と進行中だけどね。急いだ方がいいと思うよ。逃げ足がすんごい速かったから、きっと風の加護があるよ、犯人」
「なんでそんなに他人事なの、パックは」
「手出し口出し無用って言ったのそっちなのに。それと、あの子はどうする?」
思い出したように話題の焦点が戻ってきてスバルは苦笑。
あ、とその存在と状態にようやく思い至ったような少女。そんな彼女にスバルは虚勢を張って立ち上がり、
「助けてもらっただけで十分だ。急いでるんだろ? 早く行った方がいい」
ーーなんなら手伝うけど、どうするお嬢さん?
なんて髪をかきあげて歯を光らせながら言う算段だったのだが、
「あれれ?」
「あー、無理して立ち上がんない方がー、って遅かったね」
頭が重くて体がふらつき、支えようと伸ばした手が壁を掴めずに空を切る。
結果、さっきまで寝ていた地面にセカンドキスを捧げる羽目に。
受け身ゼロ。鼻面から落ちて、鋭い痛みに意識を持っていかれるスバル。
「――で、どうするの?」
「関係ないでしょ。死ぬほどじゃないもの、放っておくわよ」
遠ざかり始める意識の彼方で、そんな二人(ひとりと一匹)の会話がわずかに聞こえる。
さすがは異世界ファンタジー、人情味に関してもシビアな見解を持っていらっしゃる。
このまま路地裏に捨て置かれるのか、というネガティブな思考と。
まぁ、死ぬところだったのが命あるだけ恩の字だわな、というポジティブな思考と。
そんな消極的な両結論を得ながら、スバルの意識は段々、段々と遠くへ――。
「ホントに?」
「本当に!」
ぷつりと意識が途切れる瞬間に、赤い顔をして振り返る銀髪の少女が見えた。
「――絶対の絶対、助けたりしないからっ」
ーー怒った顔も、すんげぇ可愛いな、異世界ファンタジー。
そんな感想を最後に、今度こそスバルの意識は闇に落ちた。
眠りから目覚める感覚は、水面から顔を出す感覚に似ているとスバルは思う。
瞼を開ければ傾いた陽光が瞳を焼き、眩しさに顔をしかめながら目をこする。寝起きはいい方で、一度目が覚めればすぐに意識が覚醒するのがスバルの体質だった。
「あ、目が覚めた?」
声は真上、寝ているスバルの頭上から聞こえた。
その声に顔を向けて、スバルは自分が地べたに寝転がり、何か柔らかいものに寄りかかりながらまどろんでいた事実に気付く。
「まだ動かないで。頭も打ってるから、安心できないの」
こちらの身を案じる声は優しく、さらに頭の下には尋常でない至福の感触。
スバルは自分が意識を失う寸前の出来事を思い返し、今、自分が男の子的にもの凄く恵まれた展開にいるのではという推測に即座に辿り着いた。
――すわ、これぞまさに美少女の膝枕か!!
天恵に従い、スバルは寝返りを打つ素振りでその太ももの感触を堪能しにかかる。
円運動で頬が至高の感触に辿り着き、想像以上にモッフモフの感触が顔全体を押し返した。
――なんか美少女って思ったより毛深いんだな、と思う。
「って、そんなわけあるか――!」
「起きて良かったですわですわ(裏声)」
突っ込みを入れながら上を向き、今度こそ覚醒した視力が世界を正しく映し出す。
スバルの眼前、逆さの視界の中にもの凄いでかい猫の顔があった。
猫はやたらと愛嬌のある顔で微笑みっぽい表情を作り、
「せめて覚醒までの瞬間を幸せに過ごさせてあげようという粋な計らいだよ(裏声)」
「とりあえず、その不快な裏声はやめてくれ」
人間大の猫に膝枕されるという尋常でないシチュエーションで、スバルは何とかそれだけを注文。あとはせっかくなので、モッフモフの感触を頬で楽しむことにする。
「モッフモフ……モッフモフやぁ。なんてもんを生み出してしもうたんやぁ、神よ」
「いやぁ、こんなに喜ばれるとボクもわざわざ巨大化した甲斐があるよ。ね?」
照れた仕草で頭を掻きながら、同意を求めるように片目をつむる巨大猫。その視線の先に立つのは、路地の入口で不満げに腕を組む銀髪の少女だ。
意識を失う直前、スバルの記憶と眼に鮮烈に焼きついた少女に間違いない。
「ということは、お前はさっきのミニマムサイズ猫?」
「ふふふ、大きさ自由で持ち運びに便利。さらにユーモアあふれるトークで退屈な日常を彩ったりしちゃう。ひとりに一匹! 生活のお共に。詳しくは精霊議会に問い合わせてみてね」
器用に指を鳴らしてセールストークをかます猫。いまいち要領を得ない内容だったが、たぶんそういう芸風なのだろうとスバルは納得。
それから話題の焦点を歩み寄ってくる少女に移す。
「なんか、けっきょく目が覚めるまでいてもらって……」
「勘違いしないで。聞きたいことがあるから仕方なく残ったの。それがなかったらあなたのことなんて置き去りにしたわ。そう、してたの。だから勘違いしないこと」
念を押すように何度も言われれば、スバルもさすがにそれ以上は突っ込めない。
強い語調で美少女が迫るように言ってくるのだ。コミュレベル1な上に異性コミュレベルも1のスバルにとって、内容無視して頷くしかないほどの息苦しさ。
「だから私があなたの体の傷に治癒魔法をかけたのも、目覚めるまでパックの腹枕を堪能させてたのも、全部が全部、自分の都合のため。だから、その分に応えてもらうわ」
「なんか恩着せがましい感じを演出しつつも一周回って普通の要求だな」
情けは人のためならず、を地でいくような論法だ。
そんなスバルの返答に対し、少女は厳しい顔つきのままで首を横に振って、
「そんなことない、一方的よ。――それで、あなたは私の盗まれた徽章に心当たりがあるわね?」
おずおずと条件を受け入れたスバルに、少女はどことなく声をひそめて問いかけた。
その問いの内容にスバルは首を傾げざるを得ない。
正直、それとまったく同じ質問を、意識を失う寸前にも行った気がしてならないのだが。
「俺が意識のない短い間に、強く頭を打ったりとかした?」
「君が意識なかったのはせいぜい五分だけど、ボクの知るかぎりそんなことはなかったね」
「じゃデジャブか? あるいは俺の隠された異能が目覚めて、ほんの少しだけ先の未来の出来事を実体験しておくことができるようになったとか?」
能力名は『一昨日きやがれ』でどうだろうか。
質問に対して的確な答えを用意しておく、という意味では役立ちそうな気もする。あるいは試験前などに立ち返って気になる引っかけ問題対策も可能。夢が広がる。
「あ、俺、ひきこもりだった!」
「こっちの意図を無視して暴走しないでくれる? それで、質問の答え」
「えーっと、それでしたらあの……心当たりとか、ないかなぁなんて」
徽章、というといわゆる弁護士や検事、自衛官などが身分を証明するためにつけるバッジに当たるものだろう。
残念ながら、スバルはこの小一時間ほどの時間でそれっぽいものを見た記憶は皆無だ。
自宅に帰れれば子どもの頃に集めたオモチャのバッジが山ほどあるだろうが、帰る手段がわからない上にそれを差し出したら氷塊の餌食にされるだけだろう。
よって、スバルには彼女の求めているだろう期待に応えることはできない。
しかし、少女はそんなスバルの答えに対して落胆した様子もなく頷き、
「そう。それじゃ仕方ないわ。でも、あなたには何も知らないという情報をもらうことができたわけだから、ちゃんとケガを治した対価は貰っているわね」
と、詐欺師もびっくりな論法で自分の丸損を表明したのだった。
あっけにとられるスバルを置き去りに、少女は吹っ切るように大きく手を叩き、
「じゃあ、もう行くわね。悪いけど急いでるの。ケガは一通り治ってるはずだし、脅したから連中ももう関わってこないと思うけど、こんな時間に人気のない路地にひとりで入るなんて自殺志願者と一緒だから。あ、これは心配じゃなくて忠告よ。次に同じような現場に出くわしても、私があなたを助けるメリットがないから助けなんて期待されても困るから」
早口でメチャクチャ言いまくしたてて、押し黙るスバルの沈黙を肯定と受け止めたのか、少女は「よし」と満足そうに呟いて身をひるがえす。
長い銀髪が彼女の仕草に合わせて揺れ動き、薄暗い路地の中ですら幻想的にきらめいた。
ふいに体重を預けていた感触が消失し、スバルは慌てて落ちかける身を立て直す。
振り返ると、さっきまでそこにいたはずの巨大な猫の肥満体はなく、その姿は初見の掌サイズに戻っていた。猫はふよふよと、風に漂う風船のように浮遊して少女の背中へ向かう。
「ゴメンね。素直じゃないんだよ、うちの子。変に思わないであげて」
笑いを含んだ口調でフォローして、猫は少女の肩にやわらかに着地する。少女の手がその感触を確かめるように猫の背を一度撫で、その姿は銀髪の中にもぐるように消えた。
その颯爽とした背中を見送りながら、スバルは今の猫の言葉をひたすらに反芻する。
――素直じゃないらしい、あの少女の言動と行動の意図を。
物盗りにあったらしい彼女は、大切な物を盗んだ相手を追いかけていた。
その途中で暴行を受ける無関係のスバルを見つけて、盗んだ犯人を追う時間を削ってまで助けてくれたのだ。
その上、迷惑千万にも倒れたスバルを治療して、目を覚ますまで見張りとして立ち、聞いたはずの質問を繰り返してそれを代価とし、スバルに負い目を感じさせないようにした。
素直じゃないとかいうレベルの問題じゃない。
こんなに面倒くさい配慮ばかりを好んで実行する人物を、スバルは初めて見た。
少女にとって、スバルと関わって得た収穫は完全にゼロだ。
逃走犯を見失った上に、スバルの治療で時間まで取られたことを考えると、収支でいえばブッちぎってマイナスもいいところだろう。
少女にはスバルを責める権利があったし、スバルはどんな罵声も受ける義務があった。
しかし結果、少女はスバルを責めなかったし、謝罪の言葉も聞かなかった。
なぜなら少女にとって、スバルを助けたのは全て自分本位の目論見通りの結果なのだから。
「そんな生き方、メチャクチャ損するじゃねぇか」
言いながら立ち上がり、スバルは砂埃で汚れた己のジャージを叩く。
愛用のジャージは汚れこそ目立つものの、ほつれたりのダメージはほとんどない。それに何より、あれだけ蹴られ打たれた体の痛みが完全に消えている。
肩を回し、足腰を動かして健在ぶりを確認し、改めて魔法の非常識さを実感した。
そしてこれだけの恩を売っておいて、二束三文でよしとした少女の規格外さも。
先程会った紺色髪の青年と別方向だが似たものを感じた。
「――おい、待ってくれよ!」
路地の入口、大通りへ繋がる場所で首をめぐらす少女、その背中に声をかける。
長い銀髪を手で撫でて、わずらわしげに彼女は振り返り、
「なに? 話ならもう終わったわ。もう私とあなたは無関係の他人です。ほんの一瞬だけ人生が交わっただけの、赤の他人」
「そんな心にくる言い方すんなよ!? それにそっちは終わったつもりでも、こっちは全然まだまだ丸っきし終わったなんて思ってない」
冷めた視線の少女に縋るように駆け寄るスバル。
なんか振られた男が女に追い縋ってるみたいだな、なんて心の片隅で思いつつも、両手を広げて彼女の進路を阻み、
「大切なもんなんだろ? 俺にも手伝わせてくれ」
「でも、あなたは何も……」
「確かに、盗んだ奴の名前も素姓も性癖もわからねぇけど、少なくとも姿かたちぐらいはわかる! 八重歯が目立つ金髪のプリティーガール! 身長は君より低くて胸も小さかったし、歳も二つ三つ下だと思うけどそんな感じでリアリー!?」
てんぱると早口でテンション上がってしまうのがスバルの悪い癖だった。
今回もその癖が存分に発揮されて、はっきり言って自分で自分の発言にドン引きである。
――性癖とか胸とかいらん情報入れすぎだろ。おまけにプリティーガールとかリアリーとか俺は自分で何人設定なんだ。英語なんて中一で投げ出したくせに。
中一の夏、初めての夏休みの最中に英語の教科書をなくし、以来スバルは外来語との関わりを一方的に断ってきた。プチ鎖国である。
そんな自分がどの面下げて日常会話で小粋に英語など――。
緊張と後悔で長ったらしい回顧録に入りそうになるスバル。
冷や汗で背中ぐしょぐしょ。脇汗と手汗で腕まわりがヤバい。動悸息切れと目眩に貧血、鼻づまりと偏頭痛で四面楚歌。
そのセルフ絶体絶命状態から彼を救ったのは、
「――変な人」
口元に手を当てて、珍獣でも見るように小首を傾けた少女の声だった。
彼女はスバルを値踏みするように見据えて、
「言っておくけど、なんのお礼もできません。こう見えて無一文なので」
「丸ごと持ってかれたからね」
「安心しろ。俺も無一文みたいなもんだ。あ、エリオットに貰ったせいきんか?が一枚あった」
「エリオに会ったの!?」
「うおっ!」
「あの子ったら途中で逸れちゃって。悪い大人の人に騙されてないか心配だったの」
「ボクとしては逸れたのはエリオじゃなくてリアの方だと思うんだけどね」
「何言ってるのパック。逸れちゃったのはエリオよ。それで、会ったの?」
「あ、ああ。って事は君がエリオットの言ってたお姉さんか。アイツ、君のこと心配してたぜ。早く戻ってやんないと」
「ありがとう。でもね、盗まれちゃった徽章が先。また会ったら私は大丈夫だから心配しないでって伝えといて」
「エリオはそれぐらいで心配しなくなるような子じゃないけどなぁ」
「パック、いいの。エリオなら分かってくれるわ」
「お二人さん、悪いけど俺は戻んないぜ。もう君に協力するって決めたからな」
「何にもお礼できないのよ?」
「エリオと合流出来たら別だけどね」
ちょくちょく入る合いの手を意識的に無視して、スバルはドンと自分の胸を叩いた。
「お礼なんていらない。そもそも、俺が礼をしたいから手伝いたいんだ」
「お礼をされるようなことしてない。傷のことなら、ちゃんと代価は貰ってるから」
あくまで頑なな姿勢を崩さない少女。
そんな彼女の頑固な態度にスバルは苦笑して、「それなら」と前置きし、
「俺も俺のために君を手伝う。俺の目的はそう、だな。そう、善行を積むことだ!」
「善行?」
「そう、それを積むと死んだあとに天国に行ける。そこでは夢のくっちゃね自堕落ライフが俺を待っているらしい。だからそのために、俺に君を手伝わせてくれ」
自分でも何を言っているやらわけがわからないが、言いたいことは言い切った。
やり切った顔のスバルに少女は思案顔。しかし、そんな彼女の頬を肩に乗る灰色猫がその肉球でつつき、
「邪気は感じないし、素直に受け入れておいた方がいいと思うよ? まったくの手がかりなしで探すなんて、王都の広さからしたら無謀としか言いようがないし」
「でも……私は」
「意地を張るのも可愛いと思うけど、意地を張って目標を見失うのは馬鹿馬鹿しいと思うよ。ボクはボクの娘が馬鹿な子だと思いたくないなぁ」
肩をすくめて挑発的にたしなめる小猫に少女の眉尻が上がる。
それから彼女は数秒、「あうー」「ううん」「でもっ」と変に色っぽく悩んだ挙句、
「――本当に、なんのお礼もできないからね」
そう、どこかで聞いたような言葉と共に、スバルの差し出した手を取ってくれたのだった。
後半はちょっとだけ弄りました。
長月先生マジ半端ねえわ。