時を巡る旅路は終わりを告げて、私は愛で満たされた。
女神を裂いた不埒者。不届者の悪魔様。それが今の私…暁美ほむら。
全ては愛するあの子の為に。彼女の幸福、それが私の幸せ。
彼女の敵であってもいい。それでも私は、彼女の──鹿目まどかの安寧を望むだけ。その愛だけが、今の私を形作るもの。
そうであるはず、なのに。
何故なのだろう。心と記憶…その彼方に
あるいはとても近くにある、小さくも眩しく光る何か。まどかへの愛とは違う、別のもの。
それが持つ暖かさを感じる度、込み上げてくるものがあるのは。
自らも通う、学校への道。時期が時期なら桜並木となるその景色に 少々不似合いな椅子とテーブルが置かれているのは、他でもない私の所業。
今日の授業は既に終了。太陽は真上からだいぶ傾き、そろそろ夕陽に変わるのだろう。
美味しい紅茶とケーキも添えて、こんな所で何をと聞かれれば、当然優雅な午後のひと時。ティータイム。
というわけでは、もちろんないけれど。
(来たようね)
目をやれば、その姿が映る。どんなに遠くからでも分かる、その愛しい姿形。私の意味。私の全て。
鹿目まどかが、今日も家路についている。
隣に何か青いのや赤いのも居るけれど、そんなものは知ったことじゃない。
私はといえば、あの子にちょっかいを出そうとか、話しかけるとか、そんなことをするつもりはない。ただ見守り、見届けるだけ。切り離した力がやってきて、愛しいまどかを連れ去らないよう。
(とはいえ、今は問題無さそうかしら)
ケーキを一口味わって、考える。
勿論この後も監視は付けるし、その為の子供達も居る。誰に似たのか、悪ガキばかりの使い魔達。
それにしても美味しいケーキだ。ただ待つのもなんだからと、ここに来る前ふらりと立ち寄った店のものだが、どうやら当たりを引いたらしい。
あの店の名はなんといったか。確かレコ…レコンパ…?
「あの…ほむら、ちゃん?」
「…」
不意に名前を呼ばれてしまい、少し驚く。どうやら考え事をする内、不覚にも意識を逸らしてしまっていたらしい。勿論、顔にも態度にも出さないけれど。
声のした方へ顔を向ければ、そこにはまどかが居る。とっくに通り過ぎたものと思っていたのに、どうしたというのだろう。
「その、こ…こんにちは?」
「ええ。こんにちは」
「………」
会話が続かない。いや、いいのだ。私にその気はないのだから。
無論 彼女が望むというなら一も二もなく、何時間でもお相手させて頂くけれど、どうにもそんな雰囲気ではない。
おっかなびっくり、探るような感触。そんな貴女も愛しいけれどね。
「どうしたのかしら。もうすぐ夕方よ。早く帰らなければ、ご家族も心配するんじゃないかしら」
「あ、うん。それは、そうなんだけど…」
「けど?」
帰宅を促してみるけれど、それでも彼女は立ち去らない。言葉を探しているのが分かるし、私もそれを待つことにする。
なんだかんだで彼女の声もまた愛しいものだし、聞ければその分、満たされるから。
「その、えっと…ほむらちゃんと、お話したいっていうか」
「……」
「あ、ううん!やっぱりなんでも…あ、や、でもっ…」
「………」
話してみようと勇気を出して、でもやっぱり躊躇ってしまう まどか。
今の彼女からすれば、私は奇妙な出会い方をした、得体の知れないクラスメイト。そんな人間と、それでも交流してみようだなんて。
例え裂いても、あなたはあなた。変わらない。
優しい優しい、あなたのままね。
「いいのよ。近寄り難いもの、私は。無理に話そうとすることは──」
「えっと…あ!その、ケ…ケーキッ!」
「? ケーキ?」
「うんっ ケーキ、好きなのかなって…。美味しそうだから」
どうにか糸口を見つけたらしいまどかの言葉を受け、ふむ と目の前のケーキを見つめる。
とても美味しいもの。とても甘いもの。女の子はまあ、好きだろう。大抵は。あの巴マミがそうであるように。
近頃は百江なぎさに手作りのものを振る舞う機会が増えたようだが…まあそんなことはいい。
「ほむらちゃん?」
「…いえ、なにも。そうね。好き、かしらね。ケーキは」
「ふえ?あぁ、そうなんだ…美味しいもんね!ケーキ…」
「ええ」
まあ、私がケーキを嗜むのは、それだけが理由ではないのだけれど。
…うん。少しだけ、興がのった。話してみるのもいいだろうか。
「何かをね、感じるの」
「え?」
「ケーキを買って、こうして食べるでしょう。そうすると、不思議なの。どこか、暖かくなる」
懐かしいような、切ないような、寂しいような。とにかく、そういったものが全て混ざったような、そんな感覚をいつも覚える。ケーキを食べる、ただそれだけで。
「理由はわからない。不思議でしょう?こんなこと、なにも特別なことではないのに」
「それは…」
「ケーキを食べるということ自体に、思うところがあるわけではないの。けれど只々、無性に温もりを感じる…気がする」
我ながらお笑い種だ。たかだか洋菓子一つ食べた程度で、そんな大袈裟なことになるなんて。確かにこの街の学校へ通う直前…退院の際、病院側がどこからかケーキを取り寄せてはくれたが、今となってはあの時のことなど特に思い出深いわけではないし、味わいもとうに覚えては…
…いや、なんだろう。よくよく思い返してみれば、今食べているケーキに近しいようなものがあったような気も…?案外、同じ店のものだったりするのだろうか。
「んっと、よく分かんないけど…それって、やっぱり好きってことなんじゃないかな…?」
「…さて、どうなのかしら」
「あはは…」
まどかが曖昧に笑ったところで、陽も更に傾いた。楽しいお喋りの時間はここまで。良い子はもう、帰らなくてはいけない。
「お話、とても楽しかった。さあ、そろそろ帰らないと、本当に心配されてしまうわよ」
「え、でもまだ」
「まどかー!何やってんのさー?早く帰るよー!」
「置いてっちまうぞー」
「お友達も…美樹さん、佐倉さんもああ言っているわ。ね?」
「うん…あ、でも、また…!」
「また」というのは、再び話をする機会を作ろうということだろう。構わない。油断はできないけれど、それでもまどかが言葉を交わしたいというのなら、私は喜んで応えよう。
多くは語らず、「ええ」とだけ返し、今度こそまどかを帰路に着かせる。
「それじゃあね」と笑顔で手を振るあの子へ、私もそっと手を振ることで答えた。
「……………」
さて、それで私はどうしたものか。
まどかには、使い魔達を監視に向かわせるからいいとして。
(…まあ、わざわざ残すこともないものね)
食べかけのケーキをフォークで優しく切り取り、口へ運ぶ。舌触りや味わいから、職人の技を注ぎ込んだ逸品であることが伝わってくる。
うん。やはり美味しい。とても。
「そしてこの感覚も、やっぱり同じ」
胸の内に灯る、暖かくも切ない想い。それが私の中に広がる。
不思議だ。こんな気持ちになることも、それを嬉しいことと感じる、自分自身のことも…。何なのだろう?これは。
まるで、そう、自分以外の誰かの温もりを求めるかのような──
『───』
その時、聴こえた。はっきりとした言葉や音ではないけれど、確かに。
今までケーキを食べた時には無かった、初めての感覚。
「誰?」
思わず、呟く。誰?誰と言ったか、私は。
聴こえたのは、人の声ということ…?
「………」
『───』
確かめる為に、もう一度ケーキを口に運ぶ。
やはり、また聴こえた。
その正体が知りたいと、か細い糸を必死に手繰るようにして、またケーキを食べる。
また、聴こえた。
食べる。聴こえる。食べる。聴こえる。食べる…
繰り返す度、音の輪郭さえ掴めない「それ」を聞く度、強くなっていく。
こんなにも知りたいと焦がれてやまない、"誰か"への想いが。
・・・・
ああ どうか、もう一度その姿を見せてという、願いが。
「あっ……」
しかし。しかしだ。私の心は尽きなくとも、限界はあるもので。
答えに辿り着くことなく、ケーキは全て私の体へ納まってしまった。
「………」
皿の上へ散らばった小さな欠片達を、未練がましくちびちびと食べていく。案の定というか、ケーキとも呼べない残骸達では、私の求める感覚は得られなかった。
では私は律儀に皿を綺麗にしただけなのかと言われれば、そうではない。
「誰か」への正体には至れなくとも、幾度も探る内に 分かったことが一つ。
(やっぱり、人ではあるのね)
何度も聴こえた声と同じで、輪郭は非常に朧げ。具体的な形や姿なんて碌に分からない。それでも私の内に見える「誰か」は、人の形をしているのだと確信できた。
(けれど…)
それが分かったとて、どうしてその「誰か」は、私にここまでの想いを抱かせるのかが分からない。
まどかへの愛で満たされた今の私の心に、別の誰かへの想いが在ったこと自体、驚くべきことだというのに。
だけど私には何故だか、「誰か」へと向けるその小さな想いは、まるで眩耀のように感じられた。
まどかのように、彼女への尽きぬ愛のように、私を照らす神聖な明光ではなくて。
どちらかといえば、真っ暗な中で私の手元、足元を照らしてくれる灯りのような、そんな輝き。さながら、共に歩んでくれる相棒。
私にはその小さくも暖かい光が、とても尊いものに感じられてならない。
いや まあ…無論、まどかへの限りない愛の前では、比べるまでもない程に小さなものではあるのだけれど。
「いえ、そもそも…」
比べる必要など、あるのだろうか?
「まどかはまどか。あなたはあなた…ということ?」
口に出すことで、理解する。そうなのか。
どちらの方が良いとか、優れているとか、そんなことは意味がないのかも。
まどかへの愛。「誰か」への想い。どれも私には大切で、大きさの違いはあれど 価値の差や優劣を付けることなどナンセンス。
そのどちらもが、暁美ほむらには必要。そういうことなのだろう。
「あなたの名前さえ、私は分からないのにね」
思わずクスリと笑って席を立ち、指を鳴らせば テーブルセットは消え失せた。
少し長くなってしまったが、一人きりの茶会はお終い。何処へともなく、歩き出す。
私の記憶に、この胸に、確かに存在する「誰か」へ。
私の心という宇宙、その果てに居る…もしくは、すぐ側で寄り添う、「誰か」へ。
「いつかまた…会いましょうね」
眩い彼方のあなたへと、この言葉を送りましょう。
今日のケーキを買った店には、また行こう。なんだったら、今すぐにでも。
珍しく年相応に胸躍らせる私を、沈む夕陽が照らしていた。
その後、何度か某ケーキ店を訪れたほむらが「誰か」と劇的な再会を果たすことになったのは、また別のお話。