妖祓いとコズミックトンチキ野郎たち   作:紅乃 晴@小説アカ

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前日譚

 

 

 

 

絶望しかなかった。

 

乱暴に蹴り上げられたちゃぶ台から、なけなしの給金で作ったカレーがベシャリと音を立ててあたりに散らばっていく。髪を引っ張られて、頬を殴られて、力ではどうすることもできない現実を叩きつけられる。

 

せめて。せめて。

 

せめて娘だけには、この絶望を知ってほしくなかった。懸命に娘を守ろうと、娘を抱えて守り抜こうとしても、すでにこの手から娘は離れていて、小脇に抱えられた娘は泣きじゃくっていて、その隣ではベロで指を舐めてこの家にあった全財産の金を数える男がいた。

 

絶望だった。

 

そこにあったのは絶望しかなかった。

 

最初は夫が賭けで負けて作った借金が原因だった。法外な利息で少し借りていた借金はどんどん膨らんでいって、借金を作った夫は負けを取り返そうとギャンブルにのめり込んでいって、気がつけば支払いきれない借金の書類を残して姿を消していた。

 

平凡な幸せだけでよかった。贅沢なんてしようと思っていなかった。ただ、娘と共に暮らせる生活だけでよかった。

 

その全てを奪っていく。私が守ろうとした全てを奪い去っていく。誰も助けてくれない。娘の泣き叫ぶ声が聞こえる。殴られた頬の痛み、折れた歯の痛みも我慢して立ち上がる。

 

見下げていた借金取りの男たちの目には、容赦なんて物は残っていなかった。目の前にいた男が足を上げる。靴を履いたままの蹴り。それが顔目掛けて飛んでくるのが見える。

 

あぁ、神様……。

 

どうか。

 

どうか。

 

あの子だけでも……この絶望から……助けて。

 

ぎゅっと目を閉じて来る痛みに備える。

 

辺りが弾けるような物音が響いた。蹴られた影響が大きいのか、吹っ飛ばされた感覚も痛みも感じない。きっと自分は部屋の隅に倒れているのだろう。

 

意識を失うな!と自分に言い聞かせて立ちあがろうとする……けれど、〝何も起こっていなかった〟。

 

目を開けると自分は痛みに耐えるために身を縮めている状態のまま。吹っ飛んでも転がっても倒れてもいなかった。

 

ふと、斜めにいる娘の顔が目に入った。

 

泣き叫んでいた顔には涙が浮かんでいたけれど、その顔は恐怖や嫌悪感はなく、ただ驚いたような、そんな表情がのぞいていた。

 

娘を抱えている男や、札束を数えていた男も驚いたような、ポカンとしたような顔で娘が見ている方向に顔を向けている。

 

導かれるように私も全員が見ている向きへ顔を向けた。

 

「クソだらぁ……こいつはなかなか根が深い依頼だぜ……」

 

そこには私を蹴り飛ばそうとしていた男が泡を吹いて倒れていて、その男を跨ぐように緋色のコートを着た男が立っていた。

 

黒い髪と真紅の瞳。そしてその手には一振りの日本刀が握りしめられている。

 

「な、なんだテメ……」

 

札を数えていた男が声を上げる中、緋色のコートを翻した男は有無を言わずに日本刀を振り抜いた。男の体を斜めに切り裂いたその一閃で、勇んでいた男は糸が切れた人形のように倒れて、口から泡を吹く。

 

気がつけば娘を抱えていた男も斬り伏せられていた。胴薙のような横一閃の剣戟を繰り出した緋色のコートを着た男は、血振りするように日本刀を振るってから腰にある鞘に納める。

 

その動きには一切の澱みはなく、まるで時代劇でよくできた殺陣を見ているような感覚にまでなっていた。

 

「ママ!!」

 

ほうけている私に、泣きじゃくった顔のままの娘が首元に小さな手を回して抱きついてきた。反射的に娘を抱きしめていると、緋色のコートの男は倒れている男を起こして台所のシンクに背を預けるように座らせた。

 

「ひ、人を殺し……!?」

 

先ほどの行動から一気に冷静になる。思わず声を上げるとおかしなことに気がついた。

 

血が一切、あたりに散らばっていないのだ。

 

「問題ない。殺してないからな」

 

そう言ったのは緋色のコートの男だった。彼は刀の鍔をいじると、小さなナイフをそこから引き抜く。そしてそのままナイフを泡吹いて気絶している男たちの首筋に刺した。

 

思わず娘の目を手で覆うが血は出ていない。代わりに目に見えるほどはっきりと黒い煙のようなものが男たちの体から出ていった。

 

「よくできた洗脳術だ。おそらく極限まで情けや罪悪感、躊躇い、嫌悪感を薄めていたんだろうよ」

 

そう独り言を呟いた男はそのまま気絶している男たちの背を押す。すると押された順番に男たちは目を覚ましていった。

 

また絶望が始まるのかと身をこわばらせていると、男たちには怖いほど醸し出していた凶暴なオーラはなく、わなわなと震えて蹲ってしまった。

 

「お、おらは……おらはなんてことをぉ……!」

 

「許して……許してくれぇえ!」

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

蹲った男たちはか細い声でそんなことをブツブツと呟き始める。緋色のコートの男はそんな男たちを背中を摩って落ち着かせる。

 

そんな飲み込めない状況を、私と娘はただ黙って身を縮めて見守っていることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

「あれはアスマによる洗脳だ」

 

数十分くらいか。男たちを宥めた緋色のコートの男は、罪悪感と悲壮感に満ちた男たちを見送ると、部屋に残った私にそんなことを言い始めた。

 

先ほどの出来事があったからか、娘は私の膝の上で静かに寝息を立てていた。

 

「……ア、アスマって……何でしょうか」

 

「超簡単に言えば人の負の側面を好む存在だ。スター○ォーズで言えば暗黒面の元締めみたいな奴」

 

「すいません、映画を見にいく余裕はなくて」

 

何とも言えない空気の中、男は先ほど振るっていた刀を私に見せてきた。

 

「この刀は霊刀といってな。現世にいる人の体や物質は斬れないが、それ以外の物を斬ることができる」

 

さっき男を斬っても血は出なかっただろ?と言う男に私は頷く。試しに男は鞘から剣を抜く。淡い水色の刀身に滑らかな刃紋が浮かぶその刀の刃を男は自分の腕に添え、引く。

 

見るからに鋭利な刃物で男の腕の皮はすっぱりと切れると思ったけれど、その後には傷一つついてなかった。

 

「本当に傷ひとつない……」

 

「さっき斬ったのは男たちの心に植え付けられたアスマの念だ。アスマは目的のために傀儡を用意し、その傀儡が集めた負のエネルギーを食らって大きくなる」

 

バブルが崩れ去って生活が混迷を極める今の世界。悪どいものが跋扈する時勢こそアスマが力をつける絶好の機会だ。

 

「つまり……その、アスマっていう悪の存在があの男たちを支配していたってこと……?」

 

「まぁざっくり言えばそうなるかな」

 

もっと具体的に言えば、男たちの特定の感情や感覚を封じ込めて、より非情になるように調整していたと言える。おそらくアスマに利用された男たちだろう。すでに幾度と手を汚していて、その魂じゃ許容できない罪の意識を感じているはずだ。

 

残念ながら、そうなってから救う方法はない。操られていたとはいえ犯した罪は消えることはない。誰かのせいになどできるはずがない。ベッタリと張り付いた罪の意識をずっと引きずることになる。その結末は様々だ。警察に出向いて罪と向き合うか。あるいは罪に押しつぶされて自ら命を断つか。

 

それは個人の在り方の問題だ。アスマの支配から解放することはできるが、その罪を無くすことはできない。

 

「つまり……ここにきたのは単なる偶然……」

 

「いや、あいつらの魂を解放したのはついでだ」

 

え?と私が言うと同時、緋色のコートの男は淡い水色の刀を私の腹部に突き刺す。

 

痛みはない。異物感も感じられない。ただはっきりと私の目には腹部を貫く刀の姿が見えていた。

 

「ちょ……」

 

「俺の目的はアンタ……というより、アンタのうちにこびりついたものだ」

 

その瞬間、男たちから出た黒い煙とは比較にならないほどの煙が私の体から溢れ出した。思わず顔を手で覆う。しかしその煙の放出はわずかな時間で、目をままたくと煙はすっかり治っていた。

 

「こいつは強烈だな、アスマが狙うわけだ」

 

緋色のコートの男は私の腹部から刀を抜き、鞘に納める。しかし視線は私に向いてなかった。まるで私の後ろを見つめるような目だった。

 

そして同時。背後から圧倒的な存在感を感じる。息が詰まる。膝で寝息を立てていた娘もどこか息苦しそうにうなされていた。

 

恐る恐る振り向く。

 

私の背後には何かが立っていた。人とは思えない存在感。強力な力を持った何か。思わず喉が詰まった。

 

息ができない。

 

そんな存在感を持つ相手は、刀を持つ男に……ではなく、私に意識を向けてくる。

 

殺されると思った。

 

しかし、その存在はすぐに踵を返して、部屋から飛び出していく。ガタガタとボロい窓が揺れて、まるで突風でも吹いたように轟々と音を立てて、その存在は私の前から姿を消した。

 

その音に娘が一瞬目を開けて起き上がったが、すぐに治ったからか何もなかったように再び私の膝に頭を預けて寝息を立て始める。

 

「かしこみかしこみ」

 

緋色のコートの男はそう呟くと、いつでも刀身を抜けるよう中腰に添えていた刀を腰に差し直した。

 

「お、追わなくていいですか!?アレ!?」

 

「いや、これが目的だった。アンタ憑かれてたんだよ。もう一歩遅かったらあの力に飲まれてたぞ」

 

おそらくどっかで呪いを受け、それが長年剥がれないまま力をつけすぎた、と男は続けた。

 

「人の恨みや妬みってすげぇ負のエネルギーを引き寄せる。おそらくアンタに掛けられた呪いの類はそれさ。それが剥がれないもんだから雪だるまみたいに負のエネルギーを集めて、アンタたちを不幸に導いた」

 

不幸……その言葉を聞いて私はこれまでの出来事を思い出す。夫との出会い、娘が生まれるまでは順調だった。バレエも趣味で続けていたし……でも、どこかで何かが狂ったように下り坂に進むことになった。きっかけはもう何なのか思い出せない。

 

借金を作るだけ作って姿を消した夫か。それとも別の何かか……。けれど、これまで心の奥底にあった絶望感や、未来へ希望が持てない暗い思いは、不思議とどこかにいっていた。

 

「……あの、私から出ていったアレはどうなるんですか?」

 

「さてなぁ。この刀は剥離剤みたいなもんだ。呪いを無理やり剥がしたんだ。剥がした呪いはかけた相手に帰る時もあれば、アンタに似たような存在に鞍替えすることもある。ただ、剥がした時に負のエネルギーは大きく消耗させたから、これまでと同じ力はしばらくは出せないはずだ」

 

なんだか無責任だな、と思っていると「呪いってのはそんなもん」と男はあっけらかんと言う。

 

一般人でも手順を踏めば相手を呪える。

 

そんなごくありふれた存在をどうにかできるほど、人は高尚なものじゃない。集まったエネルギーは自然と無くなるか、または猛威を振るった時に減衰させるか。それくらいしか対処法はないのだ。

 

「さて、と。アンタがアスマに狙われる理由も無くなったし、これからは緩やかにいい方向に向かっていくだろうな」

 

「え、でも……まだ借金が」

 

「たぶん、それどころじゃないと思うぜ」

 

そう言った男は立ち上がると玄関から立ち去ろうとする。私は思わず緋色のコートを着た男に声をかけた。

 

「わー!待って!待って!ここまで巻き込んで何も言わずに去るつもり!?」

 

「えー、だってもうここには用はないし……」

 

「せめて自分が何者かくらい説明はしなさいよ!?」

 

思わず突っ込んでしまうと、緋色のコートを着た男も「それもそうだな」と納得した様子で、玄関から出ようとしていた体を私の方に向けた。

 

「俺の名は平 照英(たいら しょうえい)。しがない妖祓いだ」

 

それが、私と……後に私の夫となる、妖祓い(あやかしはらい)との出会いだった。

 

 

 

 




息抜きに思いついたまま書いた

気が向いたら続けます
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