「プロムパーティ?」
転校して半年が過ぎた。
見知らぬ土地、見慣れない言語、妙に陽気なクラスメイトたち。
最初こそ居心地の悪さを感じていたが、今では少しずつ、けれど確実にこの町とこの暮らしに馴染んできた。借りているアパートメントも、今では帰る場所としてちゃんと胸に収まっている。
ウイイレで日本チームを操る俺がブラジルチームを操るビリーに3回目の失点を受けて「はぁー、やってられんわこんなクソゲー」と匙を投げかけていたのを見かねてそんな話題を振ってきたのだろうか。
「なんだよ、プロムパーティも知らないのか? 龍一」
「……プロム?」
言葉の意味を咀嚼するように繰り返すと、ビリーは「マジか」とでも言いたげに目を丸くした。
「プロムってのはな、高校のビッグイベントだ。卒業前に、みんなでドレスアップして踊ったり騒いだりするんだよ。最高にエモくて、青春って感じのやつ」
「へぇ……そんな文化、日本にはないな」
少し考えながら答える。卒業式といえば、スーツを着て厳かに式典を受けるイメージしかない。パーティなんてのは、金持ちの社交場かドラマの中の出来事だ。
「せいぜい卒業旅行で仲のいいやつらと温泉行くくらいだな」
そう言うと、ビリーは笑って「じゃあ俺たちも温泉行くか」などと軽口を飛ばしてきた。
そのやりとりの最中、後ろのソファではクリスが漫画を読んでいた。翻訳版の『はじめの一歩』だ。お気に入りらしく、読みながら時折うなずいたり笑ったりしている。
「ねぇ、龍一。この次の巻ってどこ?」
「2番目の奥の棚。けど、それが翻訳版のラスト。最新刊は日本語だけだぞ」
「マジか……そろそろ日本語、真面目に勉強しようかな」
冗談めかして言う彼女に、俺は内心でぼやく。そろそろ自分で買ってくれよ。うちは漫画喫茶じゃねぇんだぞ。
転校初日にひと悶着あって以来、クラスメイトとの距離は一気に縮まった。
とくにビリーやクリス、スー・スネルと彼女の恋人のトミー・ロスとは、家族みたいに一緒に過ごすことが増えた。アパートも、気づけば誰かが遊びに来るたまり場のようになっていた。
「それで、プロムだけどさ。龍一は誰と行くつもりなんだ?」
ウイイレからクラッシュバンティクーにソフトを変えてプレイするビリーが尋ねてきた。質問の意図を探るようにチラと彼の表情を伺ったが、からかうでもなく、ただ興味があるといった様子だった。
「んー……そもそもルールとかマナーとか、全然知らないからな」
正直言って、緊張しかないイベントだ。ダンスもできないし、ドレスコードも知らないし。文化の壁ってやつを、いまさらながら実感していた。
「じゃあ、私と行こっか?手取り足取り、ぜ〜んぶ教えちゃうよ?」
クリスがいたずらっぽく笑いながら手をわきわきさせてきた。……その発言、彼氏の前で言っていいのか。君の彼氏隣にいるビリーなんだが。というか、そういうノリ、軽すぎやしないか。
「やめとけって。クリスに手ぇ出したら火傷じゃすまねぇぞ」
横からビリーが突っ込んでくる。余裕の笑みと、ちょっとした警告の混じった声。……まぁ、そうなるよな。
「ひどーい、冗談なのにー」
肩をすくめて笑うクリス。軽い、軽すぎるぞアメリカ。あ、ここアメリカだったわ。
「……そういえば、キャリーは?」
ふと、部屋の隅に目をやる。
そこには、膝を抱えながら英語翻訳版の『ベルサイユのばら』を読んでいるキャリーの姿があった。
「プロム、興味ないのか?」
声をかけると、キャリーは肩をビクッと揺らし、こちらを見た。大きな瞳が揺れている。言葉を探しているのが、遠目でもよく分かった。
「え、わ、わたしは……その……」
おどおどとした声。それ以上の言葉は出てこなかった。
その様子を見ていたスーとクリスが、表情を曇らせ、ふとキャリーに向き直った。
「……ごめん、キャリー」
クリスが静かに言う。
「これまで、ほんとにひどいことをしてきたと思う。でも、龍一が来てから、私たち……変わったんだ」
「都合よく聞こえるかもしれない。でも、プロムに君もいてほしい。心から、そう思ってる」
言葉に偽りはなかった。少なくとも、俺にはそう思えた。2人とも、きっとずっと後悔していたのだ。
だから、俺も続いた。
「キャリー。良ければ……俺と行かないか?」
キャリーの目が見開かれた。
「龍一……?」
「……お互い色々あるだろ?だったらちょうどいいっていうか。バランスとれてるっていうかさ」
「誘い方下手かよ」
ビリーがにやけながら突っ込んできた。反論しようとしたが、言葉が見つからず、結局「うるせーな!」と声を上げるだけだった。
だが、キャリーの頬に、ほんのりと赤みがさした。
「わ、わたし……龍一と行きたい! もし、わたしで良ければ……!」
震える声。それでも、はっきりとした意志がこもっていた。
「じゃあ、決まりね!」
唐突に声を上げたのはクリスだ。
「ここからは女の時間よ。キャリー、最高のドレス、見つけに行くわよ!」
「待ってよ!私も一緒に行く!」
スーが追いかけるように立ち上がる。ビリーの車のキーを持って、3人は嵐のように部屋を出て行った。
残されたのは、野郎3人。
ビリーとトミーがやたらと楽しそうな顔をして、目の前にウイスキーボトルを置いてきた。
「さて、男の時間だ。レッスン1!プロムで酒が出されたら断るな!」
「おい、未成年だろ……」
「ノープロブレム!プロムだからOK!」
「先生に見つかったらどうすんだよ」
「そのときゃ反省文と停学だな」
「全然ノープロブレムじゃねぇじゃん!?」
笑い声が響くアパート。あたたかくて、どこか騒がしくて、でも不思議と落ち着く時間。
後日、帰ってきたキャリーのドレスのファッションショーが始まり、部屋はさらにカオスになった。けれどその光景は、確かに俺の心の中に「青春」という言葉を刻んでくれていた。
日本から遠く離れたこの場所で、確かに俺は今――青春を生きていた。
▼
「な、何が起こった……?」
咳き込みながら砂埃を手で払うビリーの視界はまだぼやけていた。
光と音楽、笑い声が渦巻いていたはずのプロムパーティ会場は、一転して瓦礫と硝煙の渦に飲まれていた。照明は割れ、壁は崩れ、天井の装飾すらも黒く焦げて落ちている。鼻をつく鉄と焦げの匂いが、空気の異変を如実に物語っていた。
ぐらつく意識をなんとか繋ぎ止めて起き上がろうとしたその時、誰かがビリーの手を掴んだ。思わず顔を向けると、そこには黒い上着を脱ぎ捨て、白シャツにネクタイのまま、背に霊刀を背負った龍一の姿があった。
「ビリー、立てるか?……どうやら、嫌な予感が的中ってわけだ」
低く、しかし冷静な声。その背に漂う気迫は、普段の彼とはまるで別人のようだった。
手を引かれ、ビリーはようやく足元を安定させた。周囲には結界の内側で守られたクラスメイトたちが、倒れたり呻いたりしながらも無事を確かめ合っている。
龍一が爆発の瞬間に咄嗟で結界を張らなければ、確実に多くの命が失われていたはずだ。
「ギリギリでなんとかなったが……」
龍一が視線を会場の外へ向ける。そこには今なお薄く立ちこめる黒煙と、渦巻く負の気配。
「こいつはやばいな」
「今までの比じゃないくらい……やばい?」
かすれた声でクリスが問う。
龍一は短く頷いた。まるでそれが事実であることに、一片の疑いもないというように。
「物理現象にまで干渉できるレベル……。これは、相当深いところまで根を張ってる」
その言葉に、場の空気が一気に凍りつく。
平 龍一。
妖祓い師として、日本で数々の霊災を鎮めてきた少年。
彼の霊刀は、目に見えない穢れを斬り祓う特別な力を持っている。物理的な斬撃はできないが、負のエネルギーを断ち切る力では他の追随を許さない。
「これは、誰かが意図的に負のエネルギーを増幅、解放させた……そうだな?」
「……ああ、間違いない」
龍一の活躍を見てきたビリーがそう言って龍一も頷く。そんな中、突然スーが声を張り上げた。
「……キャリー?ねぇ、キャリーがいないの!」
一瞬で全員の視線が会場内を泳ぐ。名前を呼びながら走り回るスーの背後で、トミーとクリスも必死に呼びかけていた。だが、返事はない。どこにも、キャリーの姿はなかった。
「……じゃあ、狙いはキャリーってこと?」
ビリーが吐き出すように呟く。
龍一の中で、かすかな記憶がフラッシュバックした。
あの瞬間。
ベストカップル賞に選ばれたのは、キャリーと自分だった。拍手とライトの中で、ぎこちないながらも手を取り合って壇上に立った。キャリーが笑っていた。あんなに幸せそうに笑っていた。
そのとき、爆発が起こったのだ。
隣にいたはずのキャリーの手が、光の中で引きちぎられるように離れていく。
守りきれなかった。
自分は結界を張ることで手一杯で、彼女を連れていかれるのを、ただ見ているしかなかった。
「くそ……どこに連れてかれたんだよ……!」
拳を握りしめ、龍一は奥歯を噛み締める。
「わ、わたし!キャリーの家、知ってる!」
スーが叫ぶ。龍一はその声に応じるように霊刀を背から外し、いつものように腰へ差し直した。
この町に潜む“何か”。それは、恐らくキャリーの内にある力を感じ取っていた。そして、狙いを定めた。
「……目的がキャリーなら、救うしかない。スー、案内頼む」
「私も行くわ!一人じゃ迷うし、時間がない!」
「助かる。だが、もし俺が逃げろって言ったら、迷わず逃げること。いいな?」
「……わかった!」
すでに指示は始まっていた。
「ビリー、お前は車出せるな?クリスと一緒に街の人たちの避難誘導を頼む!」
「任せろ、道は全部把握してる!」
「他のみんなは負傷者の手当てを!この場所には結界を張っておく!避難所として機能するはずだ!」
頼もしい仲間たちの背中に、一瞬だけ視線をやり、龍一は駆け出した。
夜の闇を裂くように。
燃え尽きた会場を背に、彼とスーはキャリーの家へ向かって走る。
奪われた少女を救い出すために。
彼女の中に眠る、真の“力”を、闇に染めさせぬために。