「何だ……!?」
自身の経験則を凌駕する事象に、ロウエンが思わず動きを止める。
阿含の全身を駆け巡っていた気は、突如として流れを止めた。
いや、違う。止まったのではない。
既存の武術界における"気"という概念から、別の位相へ移行したのだ。
第二階層にて気の操作という基礎固めを終え、本来はもう少し早い段階で、第三階層として誕生するはずだった、気の性質変化という応用技術。
形状変化とイメージの具現化を合わせ、新たなエネルギーへと変換する。
邪神との邂逅により、想定外の形で急遽阿含が気の人工知能化を考案したことで、階層と開発作業が一段後ろ倒しとなっていた。
そして、阿含が試運転として真っ先に取得した性質。
それは炎でもなく、水でもない。
古代より人類が自然界に宿る力を理解しながらも、人の手に制御するまで悠久の年月を要したエネルギー。
生命信号を伝え、情報を運び、機械を動かす――。
「未完成品のぶっつけ本番ってことで、しくじったらわりぃ。2か月前倒しの先行プレミア上映ってことで勘弁してくれや」
"神速のインパルス"。
阿含の身体能力,反射神経を知る者達は、こう称えた。
だが、阿含の前に立ちはだかる武術界の壁,ハードルは加速度的にインフレする。
幾多の強敵に攻略、見くびられ、もはや形骸化してしまっていたこのキャッチフレーズ。
耐えに耐え、雌伏の時を経た。
「
ケンイチの、ロウエンの、美羽達の眼前から。
阿含の姿が、スパークを纏いてゆらめき、霞んでいく。
神速は今、天賦の手により蘇る。
電気に似た性質へ再定義された気を、神経伝達そのものへ介入させる。
ノーモーションで超人的な反射行動を可能にする、阿含の新奥義。
試作段階ではあるが、妙手以下の反応を置き去りにする速度を叩き出し、一瞬でロウエンの懐に潜り込む。
「むっ……!? だが視えているぞッ!」
とはいえ相手は達人級。
辛うじて反応が間に合い、迫る阿含の右掌にバスタードソードを添えガードする。
「武器は手足の一部……ってこたぁ、武器への衝撃も仲良く分かち合わねえとな」
口元を三日月の様に吊り上げる、悪童の筋書きであるとも知らずに。
「――!?」
ロウエンが己の失策に気付いた瞬間、掌から流れた気が刃の腹を伝った。
金属を媒介に増幅された電流の様なエネルギーが、腕から神経へ流れ込む。
本来ならば、達人級の気血で威力は半減するはずだった。
だが武器を己の一部とすべく、気を介して剣と自身を融合せんとイメージしていたことが裏目に出る。
剣への衝撃までも、鮮明,正確に全身へと伝達されてしまう。
「グルルルオオッ!」
結果、実物の電撃を浴びせたように、ロウエンに筋肉の痙攣と呼吸の停止を引き起こした。
時間にしてほんの数秒。
しかし十分致命的な隙といえる、好機を伺っていたケンイチが飛びかかる。
「小さく前へならえ……」
第一に選ばれしは、ケンイチという武術家の特性から生まれ、幾度と無く己の窮地を救った切り札。
「"流水深層制空圏"」
第二に選ばれしは、彗星の如く現れた天賦に影響され、模索と相互作用の果てに生まれた奥義。
「ヒュオオオオッ」
そして最後に選ばれしは、武術の才能が欠片も無い少年が、たった今授かった要訣。
気の知覚に特化した制空圏を相手では無く、己自身へ向ける。
結果──気の発動タイミングを極限までに集中した拳が、最高の瞬間に重なる。
バリィィィッ!
ノーモーションで放たれた突きが叩き込まれ、瞬間、衝撃が爆発する。
それは、まるで黒い閃光。
打撃が衝突する際の時差がほぼ0に等しいタイミングで、気を発動させ拳に纏わせる。
その際に生じる空間の歪み──阿含が便宜上(というか既存の名を借りた)、"黒閃"と名付けた現象が、本来の力に累乗する火力を叩き出す。
それは、ロウエンの屈強な肉体を気血ごと貫く程だった。
「"黒閃無拍子"……」
黒閃とはただの事象であり、狙って出せる技ではない。
結果オーライ、ただ機運に恵まれただけ、とも言える。
が、兎にも角にもこの場において、少年達は見事賭けに打ち勝った。
(ぐっ……まさか弟子クラスがこの俺を一方的に……ぬかったか)
当のロウエンは、身体に刻まれた被害状況を即座に算出。
これ以上の任務継続が不可能となった事を悟る。
フォルトナから懲戒解雇されても、文句の言えない失態を犯してしまった。
だというのに、脳裏に過ったのは自身の進退ではなく、今も戦っているであろうジャギバ達の姿だった。
たまたま同じ職場でチームを組んでいる同僚。ただそれだけの関係。
それでも、ナンパにしくじったジャギバ、過去の男達へのレアラルの愚痴を聞きながら飲む酒は悪くなかった気がする。
(俺はここまでだが、お前らはこんなヘマすんなよ……)
だがしかし、彼らを案じるロウエンの思い虚しく、時をほぼ同じくして3人の達人は敗れ去った。
数瞬の空白を置いて、新島そして連合の皆による歓喜の鬨が、銃撃音と喧騒をかき消し闘技場に反響する。
阿含の指示により待機していた美羽が、ケンイチへと一目散に駆け出す傍ら。
秋雨が、素養に溢れるとはいえ弟子クラスの若者達が達人を軒並み退けた事実に、一人静かに瞠目していた。
一方、勝ち確と言って良い状態から一転、完敗したこの島の主はというと……
『うぬぬぬ……残存兵、警備兵は戦闘中止! 仲間をカバーしつつ退ける者は退くのじゃ!』
悔しさと狼狽を滲ませる声色で、慌ただしく撤退を命じる。
「キィィ……フォルトナ様、任務失敗の件、どうかお許しを……」
気が気でない様子で、動けぬジャギバとロウエンを両脇に抱えるレアラル。
対するフォルトナアバターは、それを大して気に留めていない様子で腕組んでいた。
『此度は不問じゃ! イレギュラーが重なった上に、ワシの指示に落ち度が無かったわけでもない……。
それに、若い無限の可能性を見せてもらい、それなりに愉しませてもらったからのう……』
にぱっ、とアバターが微笑むと同時、それまで新島達を付け狙い、秋雨の動きを足止めする事に終始していたドローンが急遽、堰を切った様に慌ただしく動き始める。
明らかに指揮系統が変わった。おそらくは兵士とVIP客を逃がす時間稼ぎのため、オートパイロットモードになったのだろう。
「皆、私が鎮圧するまで遮蔽物などの安全な所に避難するんだ! フォルトナも直に島を制圧した後に仲間が捕獲する!」
ようやくフリーとなった秋雨が、瓦礫をドローン兵目掛け投擲、駆除していく。
だが悪化するはずの戦況を見下ろすフォルトナアバターから、余裕の表情が消えることは無かった。
『ククク……ワシを捕まえるじゃと? 哲学する柔術家よ、この戦場においての負けは素直に認めよう。じゃがワシを少々侮り過ぎじゃないかね?
大会期間中、常にワシはアバターを介して話していた。その事実が示唆する可能性を考えてみよ』
「なに!? ……ええい!」
低く笑うアバターを映し出すドローンを、投擲で叩き割る秋雨。
撤退する達人と兵隊。
庇い合いながら闘技場の出口へと先に離脱していった、連合の皆。
そして……
「気抜いてねえで"黒閃"の感覚をちゃんと身体に憶えさせとけよ。
そうすりゃ、気の運用とコントロールの核心に近付けるはずだ」
「はは……努力するよ」
「ふふふ……阿含さんが求めるハードルは、梁山泊の皆さん以上ですわね」
今度こそ力を使い果たし、駆け寄った美羽に手を引かれ歩くケンイチ。
前方からかけられたのは称賛でもねぎらいでもなく、叱咤。
だが、金剛阿含という武術家から今まで受け取った言葉の中で、それはケンイチにとって最大級の贈答品となった。
「ねえ阿含君……もしかしてだけど、でんきタイプだけじゃなくて、将来全18タイプ極めるつもり? 頑張ったら、フェアリータイプとかになれちゃうの?」
冗談交じりにケンイチが先往く阿含の背に声をかける。
「ん? ……あ"ー今なんか言ってたか?」
数秒遅れて、心ここにあらずといった様子で振り返った。
普段との様相の違いに、ケンイチは内心違和感を抱く。
(なんだ? 阿含君の反応というか、集中力が鈍ってる?
それに……全身の気もほとんど感じられない。
もしかしてさっきの技……たったあれだけの攻防で、気を全部使い切る程のとんでもない荒業だったのかな?)
「おい、大丈夫か秋雨! ケンイチ!」
その時、闘技場の外から、駆けつけた逆鬼の声が聞こえてきた。
後は出口の通路にさえ逃げ込めば、もう安全。
ケンイチ、美羽共に思わず緊張の糸が緩む。
あの阿含ですら、一瞬の安堵を抱いたその時──
「うう……最後の一兵まで戦うのだ……最後まで……」
気絶から目覚めた一人の兵士が、ゆっくりと身を起こす。
龍斗によって打ち込まれた攻撃が甘かったわけではない。
ただフォルトナに仕えんとする忠誠心が、覚醒を早めていた。
撤退の指示が失神により聞こえていなかった兵士は、己の判断で殲滅を選ぶ。
最初の標的、それは離脱する子供達の殿を務める、道着姿の少年。
その背へ、アサルトライフルの照準が向けられる。
本来であれば、兵士の目論見は秋雨ないしは阿含による気の検知により捕捉されていただろう。
だが、秋雨はドローン兵からのヘイトを一手に引受け、殲滅する際。
そして阿含は──
(待て……オレは根本的な何かを見落としている?
クソが……気のコントロールと性質変化に力使い過ぎたせいで、思考が進まねえ)
フォルトナアバターが置き土産に残した捨て台詞。
それが負け惜しみでは無いとするなら?
その仮説から導き出される、ある一つの良からぬ可能性に気を取られたが故、
"カチリ"
遠方から聞こえた、銃のトリガー音。
それに対する秋雨の、そして阿含の"神速の超反応"に、少しの
「……いかん!」
「あ”!?」
「ケンイチさん、危ない!」
弟子クラスの命を容易く奪い去る、近代兵器の炸裂音が死神の足音代わりに鳴り響いた。
次回でDオブD編完結します。