夜が、暗闇が怖いのは、そこに見えない何かが潜んでいるか分からないから。
けれど、本当に怖いのはお化けなんかじゃない。
ユーステッド島に売られたわたし達は、よくよく思い知らされる。
昼間こそヒトの恐ろしい本性が可視化される、と。
太陽が眩しく照りつける綺麗な砂浜で、何も知らない観光客の子供達が、無邪気にはしゃぐ声が聞こえてくる。
その笑顔の裏、隔離エリアのこちら側では今日も誰かが陵辱され、支配者の気まぐれで命を落とす。
分厚い壁一枚を隔てた、楽園と地獄。
毎日知らない大人達の
生を諦めてからは、恐怖もマヒして毎晩の嘔吐と夜泣きもしなくなった。
そんな絶望の日常が──ある日狂い、動き出す。
ここに来てから、監視の大人達が初めて焦って走り回っているのを見た。
"これからセキュリティの緊急メンテナンスをする"って口を滑らせたのが、たまたま聴こえた。
ここから逃げ出せるかも。
僅かでもそんな希望が芽生えた時、やっぱりわたしは生きたいと思ってしまう。
気付けば、絶対に近づくなと言われていた電子扉を開けていた。
無機質な造りの廊下を一目散に走り抜け、
星空の下、生ぬるい風と虫の鳴き声が出迎える。
でもまだ自由じゃない。
なんとなくレジャーエリアの位置はわかる。
このまま隔離エリアから脱出しなきゃ──
「おい急げ、ミーティング遅れるぞ! リーダーにどやされたくねえだろ」
暗がりの奥から声と懐中電灯が近付いてくる。
遅刻した監視の大人達が、今になってこっちに来たようだった。
ヒッ、と思わず口から漏れそうになった悲鳴を手で抑える。
どうしよう、見つかって捕まったら──多分死ぬより酷い目に合わされる。
最後のチャンスを諦めて引き返す?
無理、足が震えて動けない。
どこかに隠れる?
一体どうすれば──
「リディ、こっち」
立ち尽くすだけだったわたしの背後から、押し殺すような声が聴こえた。
それはこの場にいるはずの無い人の声だったけど、わたしは反射的に従って声が聞こえた袋小路の壁奥へと飛び込む。
「オクタヴィア……姉ちゃん」
「しっ……この時間はまだ奴らがいる。ここでやりすごそう」
半年以上前にこの島に連れて来られた、ここの収容所で最年長のお姉さん。
この島の影の支配者──フォルトナの養子。
わたしたちが"姉ちゃん"と呼ぶ人。
彼女の姿を見て、わたしは久しぶりに安堵という感情を思い出す。
「リディ、どうして一人でこんなところにきた? お前死にたいのか?」
兄弟を叱るような声色で姉ちゃんが私の両肩を掴み、見下ろしてくる。
最初はフォルトナの養子と聞いて、わたし達奴隷側のふりをした、内部の監視役だと姉ちゃんを疑ってた子もいた。
わたしも正直、姉ちゃんをすぐには信じられなかった。
でもそれはすぐに違うとわかった。
姉ちゃんはこの島に来てから、いつも真剣にわたし達のことを気にかけている。
自分もいっぱいひどい目に合ってるはずなのに、身体を張って、わたし達を懲罰から庇ってくれたりもする。
今ではここに収容されてる子供、全員が姉ちゃんを頼りに生きているくらいだ。
「姉ちゃんだってわかってるでしょ。ここにいても長くは生きられない。
私より前に連れて来られた子、もう誰もいないよ。
私の見た目はあの大人達のお気に入りらしいから、まだ生かされてるけどそれでも時間の問題だよ。
だったら、最後のチャンスに賭けて今日逃げ出そうって思わない?
姉ちゃんこそ、どうして……」
「やべー定例会に遅れる! くそっ……道こっちじゃねえ……って、誰かいんのか!?」
慌ててスマホを見ながら歩いて、道を間違えたのか。
監視の男が袋小路にやってきて、引き返そうとしたところでわたし達の気配に気付く。
懐中電灯の灯りがわたし達の顔へ向かう。
ダメだ。終わった。姉ちゃんだけならまだしも、お荷物のわたしを抱えて追手から逃げられるはずが──
ほんの一瞬だけ、助かるかもと思ってしまった。
なのに、そこから絶望に突き落とされた。
そんなわたしの眼前で、どこかどんくさそうな男が「おごっ!」とマヌケな悲鳴をあげて、その場に崩れ落ちる。
「……え?」
何が起きたのか分からなかった。
懐中電灯だけが地面を照らし、その場は再び静まり返る。
しばらくして、背後の人影が懐中電灯を拾った。
闇の中から月明かりに照らされた姿。
フードを被った……体格的に、男の人? が静かに歩み出てくる。
『あ"ー……もしかして、オクタヴィアか?』
どこか渋みがかった低い声で、知らない言語が飛んできた。
でも確かに、今「オクタヴィア」って言った気がする。
その声を聞いた姉ちゃんが、小さく息を飲んで顔を見上げた。
『あなた、もしかして金剛……』
『待て、名前は出すな。……そっちのガキは日本語わかんのか?』
『いいや、英語だけだ』
そこでようやく、相手はわたしにも通じる英語で話し始める。
「何でここにいんだよ……って、わかりきったことか」
「察しの通りだよ。デスパー島から逃げ出してすぐ、フォルトナ……あの男に掴まり、ここに連れて来られた。
今は、この先脱出のチャンスがあった時に、経路と手段の下見をしておきたくて偵察に出ていたんだ。
こっちはリディ。1年半前に連れて来られた子だ。ここでたまたま出くわした。
この子は賢く、勘が鋭い。おそらく今日が最初で最後の好機だと嗅ぎつけ、ここから逃げようとしたんだろう」
このフードの人はお姉ちゃんの知り合いらしい。
顔は見えないけど、なんとなくわたしを品定めするような視線を感じる。
この人、かなり強いんだろうな。
島を警備してる"達人"って呼ばれてる人に近い気配がする。
でも、眼の前にいるのに不思議とどこか存在感が薄いっていうか、意識し辛い感覚もある。
「私もリディも
「なるほどね……そっちのガキもその見た目じゃ、キショいロリコン共がほっとかねえわけだ」
姉ちゃんが自嘲気味に笑うと、表情は見えないけど、フードの兄ちゃんが少し怒った様な気がした。
姉ちゃんのこと結構気にかけてるのかな。
「そっちこそどうしてここに……」
「この島をようやく嗅ぎつけて、警備って形で雇われて潜り込んでんだよ。
今ここにいんのはお前らと似た理由だ。お前ら逃がしに来た。
んでガキ……悪くねえ勘所だが、今日の脱出は諦めろ」
おもむろに希望を削ぐような言葉を投げつけられる。
でも同時に、声色から有無を言わさぬ威厳というか、話をそこで終わらせずに最後まで聞かせようという気勢も感じられる。
「おそらくお前達の身体には、ID付きのセンサーが埋め込まれてる。
オクタヴィアが島の外でフォルトナに捕まったのも、そのせいだろ。
今は緊急アプデでその監視も効いてねえが、あと2時間程度で復活しちまう。
そうなったらお前ら瞬殺で捕まるだろうな」
ゾクリと血の気が凍る感覚がした。
いつわたしの身体にそんなものが?
ここに来る時、薬で寝かせられて身体検査を受けてたけど、そこで埋め込まれた?
姉ちゃんは──大して驚いてるように見えない。
もしかして、気付いてた?
「ごめんねリディ。"センサーが埋め込まれていると、勘付かれている"と奴らに悟られたくなかった。あなたこそよく知ってたね。警備の人間から聞き出した?」
「手持ちの情報から推測しただけだ。それにセンサー無力化した程度じゃ、お前はまだ逃げられねえよな」
「ど、どういうこと?」
姉ちゃんの眼に悔しさが浮かぶ。
確かに、姉ちゃんはここに来てからはずっと大人しくしてる。
そこらの大人じゃ歯が立たないくらい、強いらしいのに。
「オクタヴィアなら手段を選ばなきゃ、ワンチャン脱出できるわな。
それをやらねえのは、スパルタ君やら他の兄弟を人質に取られてるからだろ。
誰か一人でも逃げ出しゃ、他の4人が始末されるってとこだろうよ。
悪党は恐怖とシステムの二段構えで他人を縛り付けるって、相場は決まってんだ」
兄ちゃん……姉ちゃんとずっと会って無かったんだよね?
島にも来たばかりだよね? なんでここまで背景を読み取れるの?
この兄ちゃん……本当に何者なんだろう。
「……どうしてわたし達を助けてくれるの?」
気付けばすがるような声を出していた。
悪人でも、怪しい人間でも、この兄ちゃんが誰でもいい。
わたし達をここから本当に出してくれるなら。
「オクタヴィアをここに連れてきた奴に、良いようにしてやられたからだよ。
フォルトナが今も好き勝手やってんのも、元を辿ればオレと梁山泊の失態だ。
この島をぶっ壊して逃がすことが、奴への借りを返すことになる。そんだけ」
「そんな理由で無茶な真似を……」
兄ちゃん、多分ウソはついてない。
でも何か別の事を隠してる気がする。
だから、煙たがられるのを覚悟でもう一つだけ聞いてみることにした。
「ねえ兄ちゃん。危険を顧みず助けようとしてくれる人に、こんなこと頼むのは厚かましいってわかってる。
……この島にまだ大勢の子供が捕まってる。全員、助けられないかな?」
「んな約束できるわけねーだろ。おめーら助けるだけでも分が悪い勝負だっての。オレは敵を侮る様なカスじゃねえ」
「……リディ、彼はあまり希望的観測をしない主義だ。あまり気にすることは……」
「ううん、大丈夫。わたし何となく相手が本当のこと言ってるかわかるから。
兄ちゃんは結構優しい気がするんだよね。他の大人より、信じられる」
「……言い寄ってくれんのは有難ぇが、ガキは守備範囲外なんだよね」
どこか照れ隠しをするように、兄ちゃんが頭をかく。
「……リディって言ったか。おめーの仕事は他のガキを気にかけることじゃねえ。
来る時まで、自分の命だけ全力で守り抜くことだけ考えてろ。
……で、そこで伸びてるアホの処遇だけど。口封じとくのが安牌だよな」
顔は見られていないはず。今収容所に戻れば、私達だと特定されることもないと思う。
それを踏まえて、わたしと姉ちゃんが出した結論は──
***
深夜、ゲストルームに音もなく戻ったオレを、
「無事偵察から戻ったか、我が仮弟子よ。
しかし何故今日動いた? 昨日この島はスパイにしてやられて、今頃警備が強化されてるはずでは……」
「こういう事故が起きた時には、必ず原因特定と再発防止策ってのが練られんだよ。
んで、真っ先に責任取らされる管理職の奴は、必死こいてその新体制のセキュリティがまともなプランか精査すんだ。
お偉いさんの決議やら稟議まで含めたフローは、1日やそこらじゃまず終わらねえ。
事故の直後こそ、身内がゴタついて動くチャンスってとこだな」
再定義四式 ゴーストタイプ "ミスディレクション"。
他者の意識を誘導させる、隠密行動用の技術。
あー維持すんのだる。コソコソすんのは性に合わねえわ。
ようやく一息つける。
オクタヴィアの生存が確認できただけでも、今日の偵察は十二分な収穫があった。
あとは梁山泊がこの島に攻め入った時だな。
警備に綻びや隙が必ず生まれるはずだ。
そこを突いて、オクタヴィア達を今度こそここから逃がす。
んで体内に埋め込まれるセンサーは──
「仮弟子よ、言うまでも無いことだがくれぐれも決戦の日までドジを踏んでくれるなよ。
私は己の剣技が試せれば、キミが影でどう立ち回ろうと知ったことではないが、バレたら庇い立てできないからね」
思考を巡らせると、背後からのっサンの釘刺しが飛んできた。
「……わぁーってるよ。アンタの手は煩わせねえって」
オレがしくじった場合、アンタは潔白の証明代わりに、オレを即座に切り捨てなきゃな。
そんでもってオレは逃げられねえ。
今のオレが達人共の本気の追跡から逃れるのは無理だ。
んなことしたら、アンタも処分の対象になっちまう。
これはオレ個人のケンカだ。来る日までは巻き添えにする気はねえよ。
"失敗=速やかな自刃"
ま、ヘタこくつもりは毛頭もねえがな。
前回登場した真野さんは一影の変装ではありません。
念のため。