「阿含君……左目が……!」
「阿含さん!? 大丈夫ですか!」
血相を変えた美羽とケンイチが真っ先に駆け寄る。
死闘を終えた阿含は顔を手で抑えながら止血を試み、ケンイチ達と言葉を交わす。
その様子をYOMIが遠巻きに見守っていた。
「鍛冶摩さん。金剛阿含は左目を失明したのでしょうか」
「……なんとも言えんな。周囲にそう思わせているだけのブラフの可能性もある。少なくとも現時点で左目を失った、と決めつけるべきではないだろう」
「どっちにしろ、今のあんたらには関係無い話だと思うが」
横から割って入ったバーサーカーの言葉に、千影が小さく頷いた。
阿含は今まさに命がけで達人を下し、手負いの状態だ。
負傷につけこんで連戦をけしかけるのは、YOMIの誇りを汚す行為に他ならない。
「それより、面白いもんが見れるぜ」
バーサーカーが指さす先、阿含が意識朦朧としているゴルベを掴み、引き起こす。
「気の運用 第三階層 "Akashic Recordへの権限委譲"――第二権限 参照権返却。"
「鍛冶摩さん、アンタ納得のいかねえツラしてたよな。どうして才能溢れる阿含がここまで犠牲を払う無謀を犯したのか……。達人っつー極上のエサが欲しかったんだろうよ」
あれほど強固で堅牢だったゴルベの気が、飴細工の様に脆く剥がれ解析情報として、阿含へ取り込まれていく。
わけがわからない内に奇襲を受けたのではなく、真っ向勝負で
その事実が阿含への決定的な敗北感を植え付け、解析作業に対する一切の抵抗力を喪失させていた。
かつて叶翔から奪った、それを凌駕する力が阿含を満たす。
全能感と充足感が全身を飲み込んでいく様は、ケンイチ達にもはっきりと見て取れた。
だがそれは、決して勝利と強さに酔っているからではない。
己の信念と目的へ、また一歩近づいた事への歓喜だろう。
「阿含君の気が一気に膨れ上がった……!」
「まさか……今の一戦だけで、達人の領域に手を掛けたというのですか!?」
「いいや、ギリギリ一歩手前だな。だが妙手の最上位レベルには間違いなく、到達しただろう」
武の道で大分先を行かれてしまった。
というのに、バーサーカーは愉快そうに笑いその光景を見届ける。
自分ならどうやって阿含に追いついてみせるか。
その算段を頭に思い描く作業工程を楽しんでいるかのようだった。
「んじゃーオレは先行くから。将吾も好きに立ち回っていいよ」
「ま、待って! どこに行くの!? この島に捕まった人を助けようとしているなら、ボクも……」
小休止する間もなく、バーサーカーと共に何処へと去ろうとする。
そんな阿含を引き留め、どうにか自陣に引き入れようと試みる。
だがケンイチの前に、鍛冶摩が無音で割って入り、立ちはだかった。
「白浜兼一、俺はまだ健在だ。金剛阿含が身を削り、梁山泊とYOMIの決着を膳立ててくれたんだ。その苦労を無碍にするわけにはいかない」
梁山泊の一番弟子と、YOMIのリーダー。
才能の欠片も無いまま、武術の世界に飛び込み勝ち続けた二人の男が、今相対する。
(な、なんだ……初対面だと言うのに、この男から妙な親近感を感じる。活人と殺人、その立場を抜きにして彼を無視するわけにはいかない。そんな気が……)
「とはいえ、お前さんは千影を正々堂々下している。俺の挑戦をそっちの風林寺に押し付けて先に進む権利があるが、どうする?」
戸惑うケンイチにあえて選択権を手渡しながらも、鍛冶摩は決闘へと誘う。
それに対してケンイチが応えるのに、さして時間はかからなかった。
彼らの出会いは金剛阿含とのそれ以上に宿命、そして必然だった。
***
夜のユーステッド島を包む静寂は、とうに破られていた。
遠くで何かが崩れ、地を伝わる衝撃と轟音が地を揺らす。
その最中、リディの視界に満天の星が見える。
「また……出られた」
生まれついて類まれな直感と五感を併せ持つこの少女は、島に迫る尋常ではない気配を感じ取っていた。
まるで強力な一塊の兵器が、この島を襲っているようだった。
名も知らぬ
それが今なのだ、と確信し脱出を図る。
最初にして最後のチャンス──逃せば、生還は絶望的だろう。
警備兵が中央施設へと援軍に向かい、セキュリティも手薄になった僅かな隙。
リディは先日と同じルートで、収容施設の外へと抜け出していた。
仮初の自由に浸る間も無く、森林を奥へと進んだ先の目的地へひたすら走り、たどり付く。
「リディ」
「姉ちゃん……」
オクタヴィアが押し殺したような声をかけ、背後の闇夜から現れる。
「無事合流できて良かった。早速私達も中央施設の方に向かうよ」
「えっ……あっちは一番危ないんじゃ?」
「レジャーエリアへ行こうとしても、あちらへの道は厳重に封鎖されている。
だからその前に
そのオクタヴィアの言葉から、阿含への他意や裏の意図は感じられない。
だからこそこんな逼迫した状況にも関わらず、リディはどうしても気になった問いを投げかけてしまう。
「姉ちゃん、あの人が私達を助けてくれる本当の理由って……」
「シッ……何か聞こえる」
その問いは途中で遮られる。
2人の視界の先、島に備わっている埠頭の一つから、何やら争うような物音が聞こえてきたからだ。
「おら、さっさと乗れガキ共」
ドスの効いた男の声に混じり、子供のすすり泣く声。
目を凝らして見てみれば、突堤に横付けされた船へと子供達を連れ込もうとする男達がいた。
「あれって……あの子達、外に売り飛ばされようとしてる!?」
「まさか……この状況で人身売買を強行するつもりか? いや……このタイミングだからこそ、か」
島にはまだまだ奴隷の子供は余るほどに残っている。
攻め入った軍勢に見つかり有事となった際は、子供達を人質代わりに盾として使い捨てるつもりなのだろう。
緊急事態であろうと、
むしろ敵戦力を分散させられて良し、と上層部が判断したといったところか。
至った推測からオクタヴィアは激昂しかける。
それでもすぐさま冷静さを取り戻し、まずは正確な状況把握に務める。
「非戦闘員が2人。弟子クラスの戦闘員が1人……臨時出荷だけあって人員は少ないな」
たとえ島が陥落したとしても、その前に船が出向してしまえば、この便で送り出される子供達を助け出すことは難しくなる。
だがここで助けに入りしくじった場合は、オクタヴィアとリディの脱出も水の泡になってしまう。
早い話、自分達と子供達どちらを優先するか、その二択を迫られている状態だ。
「私は姉ちゃんの選択を尊重するよ。どうするか姉ちゃんが決めて」
あからさまにオクタヴィアは判断に迷う様子を見せる。
それを見たリディの口から、反射的に追従の言葉が出た。
本音を言えば、あの子供達も助かって欲しいに決まっている。
だが弱肉強食と化したこの島において、リディは庇護の下に守られるだけの最下層の存在でしかない。
自我を出して、オクタヴィアにリスクを背負わせるのは、思い憚る身勝手な言動だ。
「……あの子達も助けよう。リディはここから動かないで」
熟慮の末、オクタヴィアは音もなく林を抜け、埠頭へと走り抜ける。
かつて孤児だった彼女は奴隷として、フォルトナに買い叩かれた。
同じ境遇の子供達を見て、何も思わないはずがない。
だがそれは決して正義感に駆られただけの、短絡的な行動ではなかった。
子供達を押し込もうとする男達の背後を取り、次々と奇襲を昏倒させていく。
DオブDの後、フォルトナに捕られられた後も兄弟を助け出すため、あがき続けた。
自ら見世物として拳闘場への出場を志願し、8ヶ月に渡り鍛錬を行った。
その果て、雪辱を味わった当時の叶翔相手にも、なんとか食らいつけるレベルになった。
そこまで成長したオクタヴィアにとって、不意打ちで男達を制圧することは容易い。
「皆、もう大丈夫。追手が来る前にすぐにここから離れるんだ──」
確かな算段を持って助け出した子供達をなだめ、先導しようとした。
その時、埠頭に明かりが灯る。
「ッ!?」
真昼のような強烈な照明に、オクタヴィアは思わず身をこわばらせ、子供達は互いに身を寄せ合い悲鳴を上げた。
同時に周囲の木々の陰から、武装した男達が一斉に姿を現す。
あっという間に囲まれ、四方から銃口が向けられる。
(どうして!? 私が襲撃を仕掛けて、まだほとんど時間が経っていないはず……!)
有り得ないはずの状況に、思考は否応なしにフリーズする。
それでも隠れているリディだけを逃がそうと、気を取り直そうとしたオクタヴィアの視界に、決定的な光景が映り込む。
ダガーを片手にぶらさげる浅黒い肌の男が、リディの肩を掴みながら闇より現れる。
一見心もとないその体格に、強大な気を纏わせる。
そんなアンマッチな男を見たオクタヴィアが凍りつく。
「ジャマダハルのオルタル・シン……!」
ユーステッドによりインドから雇われた、武器組の一人。
ゴルベと同じく達人の中では下位の実力だが、それでも今のオクタヴィアでは逆立ちしても勝てない強者だ。
「私の名を知っているとは光栄だな。ユーステッド氏より、今夜の
その言葉はオクタヴィアに、自分達が
この悪魔の絵図面を思い描ける者など、一人しかいない。
武装兵の一人が手にするタブレットに映し出された男。
その顔をみたリディの顔から、血の気が引いた。
「ユーステッド……様……」
『やあリディ、こんな夜更けに出歩いては危ないよ』
この島の支配者、ユーステッドが愛娘を諭すよう、面越しに語りかける。
慈善家として多くの人間から称賛される、穏やかな笑顔が貼り付いていた。
「あっ……まさか……わたしのせい?」
『これだけの情報で気付いてくれたか、やはり君は素晴らしい』
パン。パン。パン。
ゆっくりと。
まるで舞台の役者を称賛するような拍手が、ユーステッドから送られる。
リディは小動物のように心臓を早鳴りさせながら、絶望的な表情を浮かべている。
『この数十分の出来事は、随分君達に都合が良い話だったよね』
「あの男を倒した犯人を、おびき寄せるためこんな仕掛けを用意したのか……」
たまたま収容施設の警備が手薄になり、たまたまセキュリティが解除され、外に出られるようになった。
そしてたまたま島の外へ送り出されようとする子供達が目に入り、たまたま容易く倒せるレベルの相手しか居なかった。
少女達が
『ご明察。あんな低レベル人材が我が島にいた事は嘆かわしい限りだ。あやつから色々聞き取った後は反省させるため、今無給でこき使っているよ』
道を間違え、2人と出くわしたところで阿含に気絶させられ、
リディの一存から、生かしその場に放置することとなった。
だがその油断とも言えぬ仏心が、今仇となる。
『この島から脱出を企てている子供と、それに協力する武術家がいることはわかった。
あの日は下見だけの予定だったのか、途中で引返したようだ。
慎重で賢い人物像だと推察できる。
そして口を封じれば良いものの、わざわざあの愚か者を生かすということは、性根も優しい。
もしも子供達がこの島を
さてオルタル殿、2人を速やかに連れてきてくれ』
無事収容施設を抜け出せたのも、人身売買の場面に出くわしたのも、全てはユーステッドの掌の上。
オクタヴィアはこの場における完全敗北を受け入れ、力なく項垂れる。
リディに至っては心が折れたのか、膝を崩しその場にへたりこんでいた。
皆で逃げ出せるかもしれない、と久方ぶりに胸に灯った温かい気持ちは、とうに雲散している。
「……妙は真似はせず、大人しく連行されることだ。私も弟子クラスや子供を喜び勇んで手に掛けたくはない」
オルタルは任務とは言え、あまり気が進まない様子だ。
そんな彼に連れられ、2人はユーステッドの元へと引っ立てられる。
この島に襲撃した謎の勢力が完全に未知数な以上、彼らに期待するのは根拠の無い皮算用だ。
心の奥底で一縷の希望だけを思い浮かべ、今は大人しく従うことにした。
金剛阿含──未だ素質の限界を垣間見せぬ、天賦の男が間に合えば、あるいは。