ケンカ、勉強、スポーツ。
思い通りにならないことなんてなかった。
特に女関連は、苦労という概念すら理解できない。
この
それが歯痒くも、どこか楽しい日々だった。
そして今日、金剛阿含という神に選ばれし天賦の才に、最大の試練と岐路が待ち構えている。
「なっ……警備の達人共は何をやっている!? フォルトナ殿は……!」
中央施設の最奥。
厳重な警備を潜った先に備えられた、
彼らを前に、ユーステッドは奥の壁へと逃げ惑い、泡を吹いた様子でまくしたてる。
普段メディアに見せている、紳士を気取った外面など欠片も残っていなかった。
「オルタル殿……こいつらを排除するんだ!」
「それは無理です、ユーステッド殿」
部屋の隅に待機していたオルタルに泣きつくが、バッサリと切り捨てられユーステッドが凍り付く。
上ずった声で護衛を拒絶したオルタルの意識は、室内に侵入するやいなや睨みを効かせる金剛阿含──そしてその奥に控える、紀伊陽炎へと向けられる。
「我が契約内容は、自身の戦力で対応可能な範囲で善処するというもの。
この場面で生殺与奪の権を握っているのは、そこにいる裏切った特A級戦力の陽炎殿です。
彼との交戦は防衛ではない、ただの自殺行為……銃器を持った兵士に子供が素手で突っ込むようなものです」
非武人にも分かる例えを聞いたユーステッド、そして彼を取り巻く半裸の男達が、死地に叩き込まれた事を察し恐怖から崩れ落ちる。
まるで先程までの、リディを見ているかのようだった。
「虎の威を借る狐ってのは趣味じゃねえんだが……武器と通信機器を置いてどっか行ってくんね? 少しでもモタつく奴がいれば容赦なく斬る」
「ふっ……君はもう狐などという枠には収まらないだろうに」
あ……あ……と声を漏らし、あたふたするしかないユーステッド。
彼を尻目にオルタル、そして衛兵達が阿含に従い武装解除し、部屋を順に去っていく。
阿含はその間も、室内全域を抜け目無く警戒した。
先の戦いで痛手を負ったばかりだというのに、その視線と感知には一切の淀みがない。
むしろ蛮刀使いから奪い取った力が、身体へ馴染み始めているかのようだった。
そしてその意識は、室内の奥に建てられた半個室へと向けられる。
足を踏み入れると、手枷に拘束された少女の姿があった。
「オクタヴィア!」
名を呼ばれた少女は、身も衣服もボロボロで、満身創痍を体現していた。
虚ろな意識のまま、視線を阿含へと向ける。
「金剛……? まさか……本当にここまで助けに来てくれたのか。その傷も……」
否が応でも意識を包帯に巻かれた左顔面に向けられ、阿含は話題を逸らすように鼻を鳴らす。
「
外にいる半裸の男達、そして下半身に体液を付着させるオクタヴィアの様相と気の流れ。
「奴の仲間になれ、と言われて拒否したら烈火の如く怒り狂われて、このザマだ。
今は薬を飲まされて戦える状態じゃないけど、後遺症は多分残っていないはずだよ。
それより、金剛こそここに来るまで大分無茶をしたんだろう? どうしてそこまで……」
オクタヴィアにまじまじと見つめられながら問われ、阿含の表情と気が僅かに揺らぐ。
そしてその場を和ますように、悪童らしく口の端を吊り上げた。
「アンタだから助けたんだよ。それ以上言わねえとわかんねえか?」
数秒の静寂。
オクタヴィアの表情が戸惑う。
そしてその後にあからさま、照れから朱に染まっていく。
「え……まさか。もしかして……」
「デスパー島の教会で会ったあの日からだよ。あん時は
またも、数秒の沈黙が流れる。
島に連れてこられてから半年間。
義兄弟を、奴隷の子供達を想いひたすら張り詰めっぱなしだったオクタヴィアの気持ちが僅かに緩む。
だが阿含へ何かを言おうとして、はっ、と顔を見上げた。
「そうだ──リディが……他の子達もまだ向こうにいる」
部屋の奥には更に扉があり、その通路の先にもう一部屋あるようだ。
陽炎を引き連れてそちらに行きたいが、ユーステッド達を野放しにはできない。
どうしたものか、と阿含が思案すると──
「ギャアアアッ!」
半個室の外から、男達の野太い悲鳴が上がる。
阿含が様子を見に行くと、陽炎が通信機器を破壊しながらも、ユーステッドを含めたその場の全員を、斬りつけたようだ。
「私お手製の気当たりを浴びせておいた。一般人なら10分はまともに動けないだろうが、念のため殺さない程度に斬って逃げ足を奪ってもいる。さあ、奥へ行きたいのだろう」
「いやあ、ほんと話が早くて助かる仮師匠だね」
続きの言葉を言いかけて、陽炎は言葉を飲み込んだ。
直に阿含達も気付くだろう。
通路の奥から感じ取れる、小さな気の数々。それらは弱まり、もう──
***
静寂の通路を進む間も、嫌な予感がする。
陽炎は口を挟まず、いつもの飄々とした様子でただ二人の後を追うだけ。
それが阿含の不安を加速させていた。
武人としての直感ではない。
もっと原始的な、生物としての警告だった。
通路を踏破した先。
拷問部屋と思わしき、あまり清潔ではないスペースに踏み入れる。
玩具や衣服の端切れが雑多に床に散らばるその先、一塊の
「リディ……!」
「あ"……?」
オクタヴィア、そして遅れて向かった阿含がそれを見た瞬間、同時に息を呑んだ。
リディ──いや、
ユーステッドに服従することを、拒否した報復を受けたのだろう。
周囲をよく見ると、そのとばっちりを受けた他の奴隷の子供達も、見るに耐えない姿で転がっていた。
生かさず殺さず、明確な悪意のもとに、人間の形すら壊すほどの拷問を施したのか。
その凄惨な形跡は、阿含ですら嫌悪と抵抗を抱く程だ。
「……姉、ちゃん……?」
少女の微かに瞼が開く。
「リディ!……」
オクタヴィアが抱き起こす。
しっかりしろ、と言いかけた言葉は飲み込まれた。
誰がどう考えても手の施しようが無い状態。
ここで励ましの言葉をかけるのは、あまりにもむごい行為だ。
既にリディは、ただその場で浅い呼吸を繰り返すしかできない。
その身体から伝わってくる生命の気配は、あまりにも弱かった。
今からどれほど優れた医療を施したとしても、長くはもつまい。
「ゴメン……オクタヴィア姉ちゃん、兄ちゃん……最後にワガママ言っていいかな」
少女は自身の状態と
「姉ちゃんと兄ちゃんが生き残るのが一番だけど……余裕があれば奴隷の子供達を……助けてあげて欲しい。私達の……無念を……」
そこで少女は言葉を途切らせ、目を瞑ったまま苦痛に唸る。
喋る気力すらもなくなったのだろう。
「私は……」
リディが遺した最後の願い。
それに真っ先に反応する声があった。
阿含でもオクタヴィアでもなく、一歩引いた態度で見守っていた陽炎に、2人の視線が移る。
「数え切れない程の命を斬った。我が剣技のため、私欲のため。おそらく私の最期は、弱肉強食の輪廻の果て殺される運命だろう」
後悔も懺悔も垣間見せない。
そんな機械か昆虫の様な無機質な双眸に、ほんの僅か感情の様なものが浮かび上がる。
「
それだけのために悪意を以て命を弄んでいる。
言えた筋合いではないのだろうが……こんな私でも思うところはあるよ。
今こそこの娘に
「使うのか……あの技を」
かつて阿含が修得に難儀した、開発中の技があった。
いつかの食事の席で、話半分に陽炎へ理論と要訣だけを伝えた憶えがある。
陽炎の人間性、武術理念とは合わない技であるため、当時真面目に聞き入られたとは思ってなかったのだが、己の剣技を進歩させるヒントとして、さり気なく取り入れていたようだ。
「ああ。だがやるのは君だ。私じゃない」
"殺人剣の技を人に振るう"。
それが意味するところは一つ。
理解した阿含の身体が、ほんの僅か揺れる。
現状と技の性質を踏まえても、当然失敗は許されない。
隣のオクタヴィアにも伝わるほど、阿含が緊張と逡巡に浸かっていた。
「怖気づいたのかい? "100年に一人の天才"よ。私が代わろうか」
促した張本人の陽炎が察し、言葉を投げかける。
1年足らずの付き合いから出たそれは、阿含が最も欲する、相応しいものとなった。
「あ"ー!? アンタの手は煩わせねえ。……全部
一瞬でも躊躇を感じた自分に憤り、全身の闘気,剣気が一気に膨れ上がる。
やがて覚悟と集中から凝縮し、静かに研ぎ澄まされていく。
悶えるリディに自身の剣気を摺り合わせ、互いの呼吸と意識をリンクさせる。
刀の柄に手を掛けながらも様子を見極め、乱れる呼吸に己の呼吸を合わせていく。
数十秒ほどの静寂が流れ、そして──
スウ、と薄汚れた室内に澄み切った静かな音が流れる。
「あ……」
阿含が身をかがめたまま抜刀し、リディの頸を撃ち抜いた。
だというのにそれは金属音とも、肉を斬った音とも違う、水面が優しく撫でたような音だった。
生物には無意識と意識が切り替わるバイオリズムがある。
完全な無意識状態となる、僅か0.1秒の間隔。
その一点を見極めた斬撃は、斬った者に一切の痛みを与えず、むしろ安らぎと平安を願う。
れっきとした人斬りの技でありながら、ひたすら慈愛を極めた剣。
「水の呼吸 伍の型 "干天の慈雨"」
抜刀した刀が鞘に収まる前に、リディは
まるで天使に迎え入れられた様な、安堵の死に顔を検め、オクタヴィアはその場に崩れ落ちる。
「阿含……」
喪失と安堵が同時に襲い、力が抜けてしまった彼女の横で──
「素晴らしい剣筋,剣気だ。見事だったよ、
ミスの許されぬ一太刀をぶっつけ本番でやり遂げたことで、どこか気の抜けた様子の阿含を称えながら、陽炎がリディの亡骸を静かに抱え上げる。
「"鍔鳴り"の名に賭けて、この場にいる子供達の亡骸はこれ以上辱めさせない。
君達は先に行きたまえ。まだやることがあるんだろう」
しばらく放心していた阿含であったが、ふとオクタヴィアの手を引き、そのまま元来た通路へと踵を返した。
「ああ、助かるよ……
視線を交わさず、言葉だけで通じ師から遠ざかっていく。
その背に纏う闘気には、重々しい決意の様なものが宿っている。
半生を己の欲だけに費やした男の生き様は、そこにもう欠片も残っていなかった。
***
「つーわけで、アンタこいつの側近だろ。知ってる情報全部開示しな。他の汁男優のカス共は壁に向かって正座でもしとけや」
遊戯室へ戻り早々に。
阿含はその場を制し、一人の男へと詰め寄る。
ユーステッドを除き、この場で唯一衣服を纏っていた秘書の男。
陽炎に斬られたヒザを大げさに擦りながらも、媚びる様子で阿含へ二つ返事で頷いてみせる。
「はっ……はい! 何なりとお答えしますので、何卒命は……」
「おいッ……やめろ! 闇の機密情報を話したら、ここで助かっても我々は……」
「黙れ! 私が今までユーステッド様に……アンタに一度たりとも文句も言わず服従してたのは、勝ち続けてこの世界の覇者になると信じていたからだ。
じゃなけりゃ、アンタ子供を弄ぶような、唾棄すべきただのクズじゃないか!」
「キサマぁ……良くも今まで私の下についた恩恵を忘れて……!」
「はぁ、オッサン同士でキレ過ぎだろ。1日30分睡眠チャレンジでもしてんのかよ」
自己保身に走る余り、大の男達が口角泡を飛ばしながら内輪揉めする。
情けない醜態を、阿含は呆れるでもなく淡々とした表情で見下ろしている。
剣で彼らの身体を軽く突き刺し黙らせると、今一度男から必要な情報を洗いざらい聞き出した。
「……ってことはフォルトナの特権ID使えば、オレが欲しい情報は全部手に入るってことね。ま、こりゃ予想通りだな。
で……次の質問だ。今までお前らの犠牲になったガキ共の人数を概算で言え。
ただ、お前らが表面上とはいえ一部のガキを保護してた功績に免じて、救済措置はやる。
救ったガキの数分は差っ引いていい。死ぬ気で頭使って答えろ」
問い詰める声のトーンがあからさま、低くなった。
眼光鋭く、己を刺す阿含の敵意は増していく。
偽証や遅延行為は命取りだと察した秘書が、恐怖から生唾を飲み込みんだ。
「1万人は確実に超えるかと……それ以上の正確な数字は今は……」
「なら、お前らの尻馬に乗ってガキ共を食い物にした連中で、今この島にいる人数は?」
「推定で良ければ、それも1万人強……あひっ!?」
偽り無く正直に答えたはず。
なのに、部屋の空気が一瞬凍りついた。
そんな気がして、秘書の男は情けない悲鳴を漏らす。
「阿含……?」
隣で様子を伺うオクタヴィアが、堪らず息を呑む。
活人拳の志を持ちながらも、殺人剣の資質に目覚めた"100年に一人の天才"。
隣の少女を含め、この場の全員が思わずゾクリと背筋を凍らせる笑みを浮かべ、彼は一言だけつぶやいた。
武人達が己の理念,理想,欲求のため血肉を削り闘う、ユーステッド島。
熱気溢れる理想郷に、ヒヤリと初冬の冷風が吹く。
「へえ──