薄暗い静寂の最終防衛拠点。
ケンイチは阿含の姿を認識した瞬間、即座に彼が別次元の存在に昇華した事を察知する。
阿含が蛮刀使いを倒してから、ほんの1,2時間程度の別れであったが、それでも変貌を遂げるには十分な出来事があったのだろう。
そしてそれはケンイチにとっても同じことだった。
阿含はケンイチが放つ闘気のうねりを一目みて、スッと目を細める。
「阿含君……無事か! それに、隣にいるのはパンクラチオンチームの人か!?」
「ああ、梁山泊の弟子達か……。恥ずかしながら捕らわれの身だったが、阿含に助けられたとこだ」
「この奥に行ってももう敵はいねえ。全部片付いちまったからな」
「阿含さん……奥で何かあったのですか?」
美羽はケンイチとしばし顔を見合わせ、そしてあえて言及せずにいたケンイチに代わり、阿含に問うた。
「ちっと"殺人剣"デビューしただけ。最初に殺したのは、ユーステッドに虐げられてた罪もないガキだったな。後ろに倒れてるフォルトナもオレがやった」
説明を拒むことも、彼らを無視することも、阿含にはできた。
だがあえて、得た情報を惜しみなくケンイチ達に開示していく。
2人の表情は見る見る凍りついていった。
隣のオクタヴィアが帽子のつばを深く被り、唇を噛む。
阿含の自己申告が、偽りではないということなのだろう。
阿含はフォルトナから受け取った端末を軽く掲げる。
そのままコントロールルームへ去ろうとすると、ケンイチが呼び止めた。
「ま、待ってよ。阿含君。大量殺戮兵器を無力化して……
「それをオレが言って、お前は信じるのかよ?」
「頼む、ボクの目を見て否定してくれるだけでいいんだ。正当防衛以外の理由で、無闇に人を殺さない、と……!」
「……やけにつっかかるねえ凡才クン。
オレは最初に味方じゃねえって言ったよな? お前にゃ関係のない話だね。
それに今も師匠達と連合の奴らは、この島を制圧するために血流してんだろ。オレに構ってるヒマあんのか?」
取り付く島もない様子で一蹴されたケンイチから視線を向けられ、オクタヴィアもかぶりを振る。
「私も阿含が最終的にどうしたいかまではわからない。でも彼の意思を最大限尊重するつもりだ。あなた達は自分のすべきことをするといい」
「ケンイチさん……阿含さん達の言う通り、中枢の制圧は阿含さんに任せて、今は他の戦局へ加勢に行った方がいいかと」
オクタヴィア、そして美羽の言葉もありケンイチは阿含への追及を断念する。
モヤモヤした気持ちを抱えたまま、その場を去ろうとした。
「そうだ。お前はスルーするしかねえ。仮にオレがこの後、
だが、そんなケンイチの背に阿含が投げかけた言葉が、その場の空気を一転凍りつかせる。
「ッッ!?」
「阿含!?」
美羽、オクタヴィア共に戸惑いを隠せない。
今の阿含に危うい雰囲気があることはわかっていた。
それを知った上で、あえてなあなあにすることでこの場を流そう、と皆が暗黙のままに立ち回ろうとした矢先、それをちゃぶ台返しにした阿含の意図が理解できない。
「あ、阿含君……何故だ!? 今そんな事言われたら──」
見過ごすわけにはいかない。
困惑のまま相対するケンイチに、阿含は冷めた表情のまま肯定する。
「だろうな」
一歩、二歩と距離を詰め数メートルの所まで迫る。
「オレの標的は、ユーステッドの尻馬に乗って児童虐待と売買に加担した連中──およそ一万人強。
ただ痛めつけるのか、捕縛するか、それとも殺すのか。答えは開示しない。
その上であえてカス共の命を見捨てずにオレを咎めるのか、任務を優先するのか──お前の武人としての本質がここで顕れる」
あまりにも淡々と告げながら、射抜くように阿含は視線を送る。
ケンイチの表情が更に強張り、闘気に揺らぎが生まれていく。
ケンイチは中途半端な気持ちのままに、阿含を問い詰めてしまった。
それを見抜かれ、逆に咎められようとしている。
(ケンイチさんは真野さんの死を目の当たりにして、平静とは程遠い精神状態で阿含さんと接触してしまった。
私もまだ気持ちを切り替えられていないのに、阿含さんからこんなことを言われたら……)
美羽の懸念は決して見当外れのものではない。
だがそんな彼女にも嬉しい誤算があった。それは──
「正直、君の目論見が何なのかボクにはさっぱりわからない。
でも……いつか、こんな日が来るような気がしていた」
困惑するだけだったケンイチの表情、そして闘気から迷いが雲散する。
あれほど精彩を欠いていたケンイチのオーラは、見る見るうちに重く、静かに研ぎ澄まされていく。
(これは……ケンイチさんが先程の戦いで目覚めた、"気の掌握"! ほんの一瞬で、迷いを断ち切ってみせましたわ!)
(DオブDで見かけた時は、
美羽──オクタヴィア──その場にいる妙手以下の武術家達は、否応なしに一瞬で警戒し、戦慄させられる。
「数の大小で差を付けるようで嫌だけど……それほど多くの命を仮に葬ってしまったら、君はもう
だから……今ここで君を止める! 阿含君!」
では、現在妙手級に位置づけられているはずの金剛阿含は?
その重厚な気を直接叩きつけられ──静かに肩をすくめ、薄ら笑う。
「組手でオレに勝つどころかまともに攻撃すら当てたことのない凡才クンが、オレを止める……ねえ」
阿含の揶揄は正しい。
阿含が梁山泊に入り浸っていた約2ヶ月間。
2人は3桁を超える回数の組手を繰り広げた。
その間、ケンイチは一度たりとも阿含に勝てていない。
龍斗を倒した頃、阿含との実力差が最も小さかった時期に、精々一度だけ拳が僅かに頬を掠めたくらいだ。
その後、100年に一度の才能を開花させ青天井の成長を経た阿含を、どう攻略しろというのか──
「来いよ、活人拳の一番弟子──白浜兼一」
阿含が腰の刀を抜くと、静かに研摩された剣気がケンイチの闘気を啄み、蝕んでいく。
それだけではない。
阿含が生来持つ、野生の気迫と冷徹な合理性を併せ持つ、独特の闘気までもが空間を満たし、ケンイチの本能を脅かす。
(まるで無数の細胞一つ一つが、意思を持ってボクの一挙手一投足を観測、情報収集しているような感覚だ……!
ただ対峙しているだけで、不利になっていくような焦燥感を感じる! 組手とは違う……これが、臨戦態勢の阿含君の闘気!
本来だったら、勝てるイメージが全く思い浮かばない。だけど……)
ケンイチにも、一つだけ勝機と言える要素がある。それは──
(ボクと美羽さんだけが知っている……今、阿含君は
蛮刀使いの一撃は、鮮やかに阿含の左目を切り裂き、機能停止へと追い込んでいた。
現在、阿含の視界は狭まり精密な距離感が測れない。
その隙を突き、一縷の希望に繋ぐことが出来ればあるいは──
「こぉぉぉ!」
達人の如く世の理を掌握した気が、"流水深層制空圏"を構築していく。
これまでにない密度の気を纏い、ケンイチの全身を巡った。
「"八門遁甲 第四門・傷門" + "才気煥発の極み" + "
一方阿含は不動のまま気のリミッターを四段階外し、ケンイチを迎え撃つ。
かつて阿含がまだ弟子クラスだった頃、ケンイチと共闘して達人と戦った時と同じ門の数だ。
そして叶翔の動きを見切った眼力、正体不明の新技までも解禁している。
自身への警戒レベルを察したケンイチは、思わず緊張と歓喜の武者震いを起こしながら、重心を前へ傾ける。
ケンイチは仲間の援護、阿含はこの島の
時の制約を鑑みて、この戦いは短期決戦になるだろう。
両者の本能がそう告げ──
「いざっ!」
ケンイチが開戦の狼煙を上げるべく、一直線に阿含目掛け飛び出した。
決着まで──10秒
秘剣 "
飛ぶ斬撃に紛れ、無数の空気弾がケンイチを迎え撃つ。
ケンイチはとっさに急所の眼と首を手甲でかばい、その他の部位の守備を全て撤廃する。
阿含が愛用する飛び道具の殺傷力がさして高くない事は、共に過ごしてきたケンイチにとっても周知の事実だ。
「ぐ……あああ!」
拳と胴部に走る、焼けるような痛みに耐えながら衝撃波の網をくぐり抜けると──
「よし……っ!?」
視界がほんの一瞬塞がれた。
それだけで阿含の姿は忽然と消えていた。
残り──9秒
そこからのケンイチの一手は、まさに直感と本能だった。
とっさに頭上を手甲で庇うと同時、上腕に落石の様な、衝撃が走る。
"龍槌閃"
頭蓋を狙い空より阿含が振り下ろした峰打ちが、辛うじて手甲に阻まれた。
(あぶなっ……一度見た技じゃなければ、喰らってたかも知れない! っていうか、どうして阿含君は既にボクに対してタネが割れている技ばかり使うんだ?)
疑念が残る戦術ではあったが、悠長に考えている余裕はケンイチに残されていない。
ガードをするのに費やした一瞬の隙を、阿含は容赦なく咎めていく。
残り──8秒
気の運用 第四階層──
「うぐおおおお!」
残り──7秒
電撃に酷似した性質に再変換された気が、阿含の掌を伝いケンイチの全身を駆け巡り、神経,脳髄を蝕み犯す。
達人、妙手問わず幾多の武術家を崩してきた御業であったが、ここで阿含の読みに初めて狂いが生じる。
「な、なんのおぉぉぉぉ!」
電撃に灼かれながら、ケンイチが更に一歩を踏み込み至近距離の間合いへ侵入したからだ。
(梁山泊式拷も……トレーニングの成果だ! おかげでほのお、みず、こおり、でんき、どくタイプ耐性となんでもござれの身体になったよ!)
(おいおいこいつゾル家かよ。岬越寺先生辺りの仕込みか? チッ……読んだ未来が若干ズレた)
残り──6秒
「小さく前へ倣え……」
気の再定義に阿含が時間を費やした、その隙を逆に突いて攻撃の
ケンイチは"無拍子"を放とうとしている。
美羽は一瞬でそれを察知し、阿含が即座に対応する未来を察してしまう。
この技は発動すればノータイムで相手に着弾するが、発動前に一瞬の"タメ"を要する。
そのタイムラグがあれば、阿含が更にカウンター返しを仕掛ける事も不可能ではない。
最悪、無拍子の発動を阻害するくらいは容易だろう。そう見立てた美羽の眼前で……
「はっっ!」
最強の弟子の右拳が、無防備な阿含の腹元に吸い込まれる。
阿含はあえてケンイチの"タメ"を見送り、無拍子の発動を素通ししたからだ。
残り──5秒
(あ、阿含さん……!? 今のケンイチさんの突きは、ただの妙手のレベルに収まらないはず。直撃を許せば阿含さんといえど……)
だが、現実は動揺した美羽の懸念を凌駕する。
バリィィィッ!
着弾の瞬間、衝撃が爆発し黒い閃光を生み出し、美羽の両眼を殴るように照らす。
不可思議──いや、一度だけ美羽はこの事象を見たことがある。
打撃の衝突と気。
その発動時間をシンクロさせた時に生まれる空間の歪み──
ケンイチがかつて唯一これを成功させたのは、まだか弱い弟子クラスだった時。
当時とは比にならない、掌握により濃縮された静の気が、爆ぜ阿含の肉体を撃ち抜く。
"流水黒閃無拍子"
結論から語ると、この日阿含は黒閃を成功させることは無かった。
今宵黒い火花は100年に一人の天才ではなく、史上最強の弟子に微笑んだ。
残り──4秒