気の掌握と黒閃により、桁違いに増幅された無拍子の一撃。
達人級の水準に到達するほどの威力を正面から受け止めた阿含は──
八門遁甲 第五門 "杜門" + 再定義二式 はがねタイプ "鉄塊・剛"
肉体への反動と負荷が危険水域に及ぶ第五段階までリミッターを外し、増幅した気を硬質化させ、腹部へ集中させていた。
最強の矛と盾の衝突。
その衝撃が密な室内の空気を振動させ、美羽とオクタヴィアの肌と耳朶を強かに叩く。
「あ、阿含さん……さすがにこれは……」
「なんて一撃だ……阿含!」
2人の懸念は、攻撃を受け止めた阿含へと向けられる。
だが、すぐにそれは杞憂であったことを思い知らされた。
「うぐっ……」
全身へと跳ね返った衝撃に、思わずケンイチが顔を歪め後ずさる。
まるで大地に拳を撃ち込んだ様な、異様な手応え。
気血を固めた逆鬼やアパチャイの肉体を殴った時に、良く似た手応えがあった。
残り──3秒
「さすがにかなり痛えな」
(そのセリフ、言いたいだけじゃんか!)
内心ツッコミつつも、ケンイチは状況の逼迫を察知していた。
"黒閃"とは偶発的に起きる現象であり、狙って出せる技ではない。
先程の一撃は、白浜兼一という武術家が、今宵此度出せるはずの最大出力を
それが通用しなかったという事は──
(ボクの攻撃では……阿含君を倒すことはできない)
勝ち筋の大半を消され、思考が一瞬止まったケンイチの頬へ、阿含の拳が叩き込まれる。
本来ならば、気の掌握により阿含の攻撃に含まれる気を防ぎ弾くはずだった。
だが着弾の瞬間に衝撃が腔内で増幅、爆散する。
頑強を誇るはずのケンイチの肉体、そして意識までも削り後方へ吹き飛ばす程だった。
"
「おごっ……!」
なんとか態勢を立て直したケンイチの視界に、深く前傾した阿含の後頭部が映り込む。
抜刀していた刀を鞘に納め、足裏に収束させた気を雷の如く爆ぜ解放した。
雷の呼吸 壱ノ型
「あっ」
"ただ前に突進して居合切りを放つ"
それだけの阿含の動きを見たケンイチは、
(この速度と気の充実……師匠達の……達人の攻撃みたいだ。今のボクに回避はできない。
そして喰らえばおそらく峰打ちだろうと一撃で戦闘不能になる。この時点で、
全身にスパークを纏わせながら、抜刀する阿含の動きがケンイチにはスローモーションの様に映っていた。
梁山泊で揉まれ続けたケンイチの動体視力は、土壇場で達人級の動きに対応できる程に磨かれた。
だが、見るのと実際に避けられるのでは、難易度に天地の差がある。
回避,防御共に不可能だと察したケンイチは──
「うおおおっ!」
反射的に前進を選択する。
それは見守るオクタヴィアと美羽が戦慄する一手だった。
残り──2秒
(なっ……それでは阿含の攻撃がクロスカウンターとなって叩き込まれる……威力が倍増してしまうぞ!?)
(そうか、ケンイチさんは阿含さんの攻撃を防げないと判断して、中途半端な守備を撤廃した。ケンイチさんの狙いは……相打ち!)
だが2人はその攻撃に対する認識を、"勇猛"から"無謀"の2文字へ即座に切り替えた。
ケンイチの攻撃が今の阿含に通用しないことは、先ほど証明されたばかりではないか。
それを最も痛感しているはずの本人は、阿含と接触する刹那、走馬灯の様に思い出を巡らせていた。
『ケンイチ、あんだけ金的と
『ヒトは感覚の八割を視覚に頼っている。奪われるのは致命的だよ』
『アパパパ、ムエタイでも
『武器使いは素手より容易く部位破壊を行え……る。警戒をなるべく解くな……よ』
『相手が格上だろうと決まれば一気に戦況が傾くほど、これは有効的かつ
師匠達とのやりとりが脳裏に蘇る。
技術として教わってはいた。
それでも、ずっとこれだけはヒトに使うまいと一人心に決めていた。
だが逆だ。使うなら今。
いや、今日のために自分はこの技を教わっていたのだ、とケンイチは確信する。
雷速の抜刀術から放たれた刀が、飛びかかったケンイチの脇腹をめり込み侵食する。
0.5秒後には、気血を貫き肉体を破壊し、容赦なく戦闘不能に追い込むだろう。
その間僅かに残された猶予に縋り付くよう、ケンイチの左手が伸ばされる。
それは美羽達の眼には、無駄な抵抗,悪あがきに映っただろう。
その掌が、
(おい……まさか!)
(ケンイチさんの狙いは……)
"目潰し"
そのワードが2人の掌に浮かぶと同時──
残り──1秒
"流水浸透水鏡掌"!
あらゆる中国拳法の達人、馬剣星の絶招。
寸勁と浸透勁の複合により、外部と内部を同時に破壊する一撃が阿含の眼窩を包囲する。
今のケンイチの技量をもってすれば、威力でオリジナルに劣るとは言え、剣星の技を再現する事は不可能ではない。
強力な気血の鎧を剥がし、剥き出しとなった阿含の眼球へ全力の勁が叩き込まれる。
必死の形相で自身へ飛びかかるケンイチ。
それがこの島における阿含の右目が捉えた、最後の光景となった。
「ッ……グッ!」
だが、同時に阿含の愛刀がケンイチの脇腹とアバラをを完全に食い破り、戦闘不能を通り越す深手を負わせていた。
「グオオオアアアッ!」
阿含は手で右目を覆い、ケンイチは吹き飛ばされ、遅延して襲いかかる激痛にのたうち回る。
見事なまでの相打ちの形となり、両者に確かなダメージが刻まれる。
(は、初めてケンイチさんの攻撃が、阿含さんに当たりましたわ!)
(阿含……!)
2人の意識は真っ先に阿含の右目に集中する。
既に左目を失った阿含が、右目にも深刻なダメージを受けたのならば──。
その危惧を予期していたかのよう、苦痛を押してケンイチが言葉を絞り出す。
「し、心配は……要らない。
ボクが阿含君の眼に流し込んだ気は……そう長く保たない。後で視力は回復するはずだ」
勝つのではなく、無力化させる。
ただそれだけに殉じ、ケンイチは見事天賦相手に完遂した。
その偉業に、対立側であるオクタヴィアまでもが感嘆させられていた。
(そうか……この島の戦いの間だけ阿含を機能停止させれば、それで白浜の目的は達成される。悔しいが、視力を失ってしまってはこれ以上は……)
「ク……ククク……」
低く冷たい笑い声が拠点に響いた。
それは安堵に浸っていた美羽を。
計画の頓挫に気落ちしたオクタヴィアを。
終生の目標であった阿含と痛み分けの形に終わり、満足していたケンイチの肝を等しく冷やす。
「あ”ーオレの左目は死んでたのはわかってたよな。死角の左側から攻め立て続けりゃ、もうちょいダメージを受けずに済んだはずだが……おめーは終始真正面から向かってきたな」
顔の大部分が手で覆い隠され良く見えない。
それでも薄っすらと阿含の口元が三日月に吊り上がっているのが、垣間見える。
「そう……だね。1秒でも早く……1cmでも近く、ボクの拳を近付けることしか考えてなかったや」
「そうかよ……。確かにオレの右目は、おめーの捨て身でしばらくオシャカになっちまったな。
だが、機能停止したと決めつけるにゃまだ早えんじゃねえの?」
この期に及んでまだ侵攻を諦めていないというのか。
不敵な笑みを絶やさぬ阿含を、ケンイチが慌てて言葉で静止する。
「よ、よしなよ。いくら阿含君でもその状態で戦うのは……」
その指摘は正しい。
ケンイチはかつて盲目の拳士、ルグと拳を交えたことがある。
彼のケースから、全身の気を体外に展開し、周囲の探知に用いる技術がある事は知っている。
だが、視覚情報は光の速さで伝達されるのに対し、気の感知は僅かに遅延が生じるという欠点がある。
ルグは長年の経験から聴覚,触覚と併用する事でそのタイムラグを緩和していたが、たった今失明した阿含が今すぐその境地に達するのは、流石に無理があるだろう。
その状態で妙手以上の武術家や、遠距離からの銃火器攻撃を相手取るのは無謀と言える。
「それに、生物の気は感知できても無機物の把握まで出来るとは……」
ケンイチに続き、阿含を説き伏せようとした美羽の言葉が途切れる。
ザワ、と彼女の全身を得体の知れない感覚が襲い、反射的に総毛立っていた。
武術の才能という一点において、阿含をも凌駕した叶翔。
DオブD決勝で彼の動きすらも読み切り、完璧なゲームメイクで手玉に取り勝利を納めた。
その阿含が、目潰しを果たして想定できなかったのか。
それはあまりにも都合の良い話なのでは──
「戦いが始まった時、闘気を特殊な脳内物質に変換した。
あらゆる選択をシミュった結果、ケンイチに勝ち目は無かった。
オレの右目を狙う。唯一それだけが引き分け択だった」
この男は一体何を言っているのか。
皆が顔を見合わせ、動揺する中お構いなしに口上は続く。
「才能の欠片もないその脆弱なスペックで、よくこの答えに辿り着いた。
そんなおめーだからこそ、
気の運用 第四階層
仰向けに倒れ朦朧とするケンイチが、阿含を見上げる。
その視界には、2種類の闘気がぼんやりと映り込んだ。
一つは深紫色の神秘的な雰囲気を持つ。
達人が探索や索敵を行う時に用いるオーラに近い。
そしてもう一つは、半透明の黒い闘気。
まるで生命の内部に、魂に干渉するような仄暗い輝きを放っている。
2つの気が交わり凝縮し、阿含の頭蓋,脳髄へと集束されていく。
「ッッ……グッ!」
既に戦いは終わった。
だというのに、阿含は脂汗を流しながら余裕のない表情で気張り、歯を食いしばる。
そう、今まさに阿含は天賦と持て囃される頭脳を極限まで稼働し、先の2つの気を融合すべく、演算と精製作業を繰り返していた。
やがて、阿含の脳内という小さな密室で新たな気が膨大な処理の果て、生まれる。
その力が、蛮刀使いの凶刃により、未来永劫光を失ったはずの左眼に絡み作用した。
吉川将吾との戦いで、気の接続という新たな運用を開発。
叶翔との死闘で、気の機械学習という規格外のシステムを立ち上げ。
闇の達人との戦いで、気の性質変化に目覚め、覚醒する。
これら一つ一つが、"100年に一人の天才"と語るに相応しい所業──
ケンイチ、そして美羽は思い知らされる。
全ては今日のための前フリ。ただの序章に過ぎなかったのだ、と。
「再定義二十六式 ゴースト + エスパー タイプ "反転術式"」
次回は月曜投稿予定です