63話 最終局面へ
「陽炎殿……無理はされるな!」
「あなた達活人拳に比べれば、この程度無理には入りませぬよ」
ユーステッドに虐げられたリディ達の亡骸を裏山の霊園に埋葬した後、陽炎は戦火の中を渡り歩いていた。
超人同士の戦いを見つけ合流するやいなや、肩を並べ共に世戯と戦う隼人の忠告に、陽炎は額から脂汗を流し応える。
共闘が始まってから十数分が経った頃。
その左腕は、肘から先が存在しなかった。
全身の軽い切り傷に加え、脇腹には深々と斬撃が刻まれていた。
裂けた黒衣の下からは、気血により凝固された血が滲んでいる。
達人であろうと、これほどの傷と失血を負ってなお平然と戦っていること自体が異常だった。
深手を与えた張本人が、静かに目を細める。
「……無敵超人の言う通りだ。その生命力には目を見張るが、貴公の剣が我に届くことはない」
隼人と二人がかりだというのに、世戯はまともな手傷を負っていない。
特A級の達人といえど、超人と比較すれば明確な彼我の差が存在する。
当然の帰結に対し、陽炎はふとその場の空気に合わぬ奇妙な笑い声をあげ、破顔する。
「ムホホホ……私も同じことを思っていましたよ。昨日までならね」
常闇の剣気に包まれた世戯の表情が、僅かに動く。
強くなるため。
執念,信念のため。
愛のため。
私欲のため。
生き延びるため。
──あらゆる行動原理に生きる者を、世戯はひたすら斬り捨ててきた。
だが陽炎の眼に宿る意思は、そのどれとも異なっていた。
次の瞬間。陽炎の姿が消え、膨れ上がった闘気だけが戦場を包み込む。
「"八門遁甲 第五門・杜門" + "秘剣・薄刃陽炎"」
「――ッ!」
全身の肌を粟立たせ、危険を察知し咄嗟に飛び退いた世戯の頬に、細い赤線が走った。
刀の軌道が今までとまるで違う。
"相手を斬る"のではなく、"刀を最適な経路で動かす"。それだけに注力した一閃と化していた。
負傷により鈍った動きは、気のリミッターを外すことで無理矢理底上げし、万全以上の速度を叩き出している。
「なんと……!」
陽炎の剣が初めて世戯の身体に届き、見守る隼人も思わず瞠目する。
特A級の刀では超人を捉えられない。
つまりこの光景は、陽炎が闇の一影その人と同じ、特A級から頭一つ抜けた"S級達人"の領域に迫る証左であった。
「……気の制御機構を繰る術を身に着けたか。しかし……」
ゆっくりと構えを取り直しながらも、世戯は剣気を僅かに乱れさせていた。
「世戯殿、あなたは何故私の剣筋が豹変したか理解できていないようだ。
理由を教えて差し上げましょうか」
沈黙。それを無言の肯定と受け取った陽炎が、刹那丸の切っ先を世戯へ向ける。
「私も弟子から学んだのですよ。その答えを」
「何?」
「我々はどれほど力を得ようとも、世のカテゴライズから避けられなかった。
弟子級に達人。活人拳に殺人拳。無手組に武器組。静と動のタイプ。善と悪──。
ですが、彼にはその境界に己を縛りつけるという発想がなかった」
武術に留まらず普遍的な才能という一点において、陽炎が出会った誰よりも恵まれた男。
だがその男の本質は、決して天賦の才だけではなかった。
その本質が露わになったのは、先ほどリディの首を刎ねた時のことだ。
阿含は殺人を忌避していた。
少なくとも、何の躊躇もなく殺せる人間ではなかった。
それが、ほんの一分足らずの瞑想と葛藤を経て、罪なき少女の命を自らの手で絶った。
殺人に快楽を見いだしたわけではない。
かつての陽炎のように、他者の命など己の目的のための些事、と切り捨てたわけでもない。
阿含は活人拳をやめたわけでも、善を捨て悪に堕ちたわけでもない。
"もはや助からぬ少女を苦痛から解放し、救う"
ただそれだけのために殺人剣を手段として組み込み、その判断の責任とリディの命を生涯背負うと心に決めた。
傲慢で女好き。気に入らない相手をプチッとすり潰す、欲望に忠実な人間性。
他者のために己の手を汚す器量。
この島で行われてきた所業を許ぬという意思。
"何も切り捨てず、全て貫き通す"。それこそが、阿含の本質であった。
「私は剣を極めたい。己の欲望を満たすために。
同時に、我が殺人剣が他者を救った事実に、少なからず高揚している自分に気付いた。
そして今は愛弟子が歩む道を、この目で見届けたい。
そのどれもが、私の本心です。
どれか一つを選び、残りを偽りとして切り捨てる必要などなかった」
静かな声が静寂の戦場に響く。
「そして今は、あなた達から武術を──剣をもっと学びたい」
陽炎は今、弟子に倣い己の中にある全てを抱えたまま、己の剣を振るっている。
それが絡み作用し、数年近く頭打ちにあった彼の剣技を進歩させている。
神妙に聞き入れていた超人達は、武術の世界がまた一つ前へ進もうとしているその事実を痛感し、享受する。
そしてそれは、遠巻きに様子を眺めていた新島にとっても同様であった。
(阿含の師匠のオッサン……援軍に駆けつけた時は押されっぱなしだったのに、ものの短時間であのヤベえ二刀流の爺さんに喰らいつきつつある。
つってもまだ1:9で相手が優勢だろう。それにあの爺さんは長老達を相手にしながら、キッチリと俺にも意識を割いている。
ここで下手に動けば、あっという間に俺の首と胴体は泣き別れ……。さっきまでと同じ、ひたすら静観に徹するしかねえ)
「金剛少年は良き師に……そしてお主は、良き弟子に出会えたようじゃの」
「おや……我が自慢の弟子をご存知か、無敵超人殿」
「最近ちょっとした腐れ縁があってのう。
梁山泊の一番弟子、白浜兼一がワシの若い頃に似ちょるなら……金剛少年はさしずめ、幼き頃に憧憬を抱いた、地元でヤンチャしていた兄ちゃんと言ったところか」
「ほう、言いえて妙ですねえ。しかし、我々が呑気におしゃべりをしているのに世戯殿が動かないということは……」
「うむ。あやつは今、下手に攻撃を仕掛けるよりも、剣気を溜める事に終始しておるようじゃ。
一秒でも早く奥義を打ち込み、勝負を決めるつもりじゃろう」
陽炎に起きた変化。
それは皮肉にも世戯の警戒レベルを引き上げていた。
確実に仕留めるべく、再び奥義を撃ち込むという、慎重な立ち回りに徹しているようだ。
やがて、世戯の剣気が再度膨れ上がる。
次に
片方を囮にもう片方が奇襲を仕掛けるのか。
そんな見立てを世戯が思い描く中──
「……まったく」
その声が、戦場の喧騒から少し離れた場所で響いた。
「人が気持ちよくノビてた間に、我を除け者にして随分お楽しみだわいのう」
***
――静かだった。
音もなければ、先ほどまで全身を苛んでいた激痛も無い。
ケンイチは、ゆっくりと目を開けた。
「……ここは?」
見渡す限り、白い空間が広がっていて、地があるのかすら分からない。
上下の感覚も曖昧で、ただ自分がそこに立っているという事実だけが、奇妙なほどはっきりしていた。
「相変わらず間の抜けたモブ顔だなあ、白浜」
「……!?」
聞き覚えのある声に、ケンイチが弾かれたように振り返る。
忘れられるはずがない。
快晴の空を彷彿とさせる青い髪。
力強く発色するオッドアイ。
かつて共に同じ女性を愛し、デスパー島の死闘で美羽を守り抜き、命を落とした男。
「……叶翔……!?」
もう二度と会えないと思っていた少年と再会し、言葉にできない感情が込み上げる。
DオブD決勝当日、そのままの姿で腕を組んだまま、翔はそんなケンイチに対して呆れたように息を吐いた。
「どうやらお前も阿含に
「どうして……死んだはずじゃ。それに何度もって?」
「こうして会うのは2回目だろ。憶えてないのか? お前がコーキンにぶっ殺されちまった時だよ」
かつて、ティーラウィット・コーキンとの決闘で、一度心の臓を止められた。
秋雨から蘇生措置を受けるまでの間、彼岸を彷徨った様なそうでないような──朧気な記憶がケンイチに蘇る。
「でもボク、今は別に死にかけてないような……」
「物理的な死とは限らねえだろ。お前の武術家としての魂の死だとしたら……。
とまあゴチャゴチャ言っちまったが、ここが夢だろうが、お前の脳内が描いた都合の良い妄想だろうが、あの世のとの境だろうが、そこはどうでもよくねえか。それより白浜──」
翔の眉間にシワが寄せられる。
「お前、どうしたいんだよ?」
半ば成り行きの様な形で、阿含と戦い敗れてしまった。
内心を射抜くように睨まれ、ケンイチの瞳が揺れる。
仮に阿含が大量虐殺を強行したとして。
それは果たして"悪"になるのか。闇に堕ちた、と言っていいのか。
曖昧な判断で、阿含の信念を邪魔してよかったのか。
答えの出せない悩みに捕らわれるケンイチの背後から──
「数十分ぶりだねぇ、迷える少年」
どこか気の抜けた男の声が聞こえ、振り返る。
「真野さん!?」
ほんの少し前に命を落としたはずの男。
公安の真野が、生前纏っていた闇の雰囲気は何処へやら、憑き物の落ちた表情でタバコを片手に、白無地の空間に腰を下ろしていた。
「黄泉の狭間か白浜君の精神世界かはさておき、どうにもけったいな場所だねえ翔君」
「真野さんの過去バナおもれーからもっと聞かせてよ。生前相当色々やってたみたいじゃん」
「君こそ、愛する女性のために命を張るなんてカッコイイ無茶をするじゃないか。犬死にした僕とは大違いだ」
出会って早々に意気投合したのか、朗らかに談笑する2人にケンイチが目を丸くしていると、真野が思い出したように振り向いた。
「そうだ白浜君。さっき伝えようとした言葉の続きだけどさ」
「え? そういえば、さっき看取った時に何か言おうとしてましたね。
"ユーステッドと闇が勝てばこの世は悪くなる。だから、自分達が勝たなければならない"という考えは捨てろ……と」
「ああ。私は職業柄、正義のため、悪を倒すため、命を投げうち戦った国士を何人も見てきた。
そういった考えを持つ者はやがて世の醜さに絶望し、正義に蝕まれ堕ちていく。君達もそうなるとは限らないが……」
いつの間にか神妙な表情で聞き届ける翔の傍ら、真野が言葉を続ける。
「君たちの様に、世のため人のために生きる者。
ユーステッドの様に私利私欲のために生きる者。
あらゆる人間がぶつかりそれがどうなろうと、人類と世界は次のステージに進むだけ。
そう信じて結果をありのまま受け入れるんだ。勝者が全てを総取りする、野蛮な価値観ではあるがね。
……とまあ、グダグダとおじさん臭い説教になってしまったが、要するに正義は貫いていいけど、自分の正義に世界のすべてを背負わせることはないってことだよ」
頭をボリボリと掻きながら真野が語る言葉を、必死に噛み砕こうとするケンイチ。
その様子に、痺れを切らしたように翔が割って入った。
「白浜、お前もっと素直になれってことだよ。つっても、俺も死んだ今だからこそ、真野さんの言葉がわかるんだけどな」
「翔……」
「オレは別に殺人拳とか殺法とかどうでもよかったんだ。
たまたま時代錯誤の戦闘民族に産まれ、武術の才能を闇に買い叩かれたから、成り行きでああなっただけ。
別の星の下に産まれてりゃ、呑気に鷹匠でもやってる人生もあっただろうよ」
闇の一影を継承する予定だった人間とは思えない言葉を平然と吐く。
そんな翔に呆然とするケンイチを、今一度鋭い眼光が射抜いた。
「白浜、お前には俺達と違ってまだチャンスがあるだろ。言ってみろ。
活人拳とか梁山泊とか、立場全部丸投げしたお前の正直な望みを」
ケンイチは俯いた。
自分の欲求を口にする、ただそれだけのことが怖い。
活人拳の一番弟子を背負い続けてきた。
その気になれば、一般人を容易く殺せる程の武力も手にしてしまった。
だからこそ、心を鍛え己を律して来たのに、全て投げ出し私情で動いて良いのか。
迷いに迷った末……
「僕は────したい」
口にした瞬間、ケンイチの胸の奥にあった何かが、すとんと落ち着いた。
「……へー、ちゃんと言えるじゃねえかお前も」
翔が静かに笑い、ケンイチが照れを隠すようにまた俯くと、真野が満足したように合の手を入れる。
「うん。若いってのは、いいものだねえ」
「真野さん、もう俺達死んでるから」
「ははは、そうだったね。……さあ、そろそろ戻る頃合いじゃないか。しかし手ぶらで帰すというのもねえ」
「だな。白浜、お前にはちっとばかし渡してやんなきゃならねえようだ」
***
ケンイチが翔と
意識が徐々に遠のき、真野と翔の全身が次第にもやがかっていく。
「また死にかけたら遊びに来いよ。だがその後できっちりと現世には帰れ。
美羽が天寿を全うするまでは、お前が守り抜くんだろう?」
翔の言葉にケンイチが小さく笑う。
ただの直感だが、おそらくこの2人の幻影と会うことは──もう無いだろう。
あと少しだけ、この場所にいたい。
叶翔と話したいことも、真野に聞きたいことも、まだたくさんある。
だが、ケンイチには帰らなければならない場所がある。
だから、最後は心からの笑顔と礼のまま目を閉じた。
「ああ、行ってくるよ。二人とも……ありがとう」
今度こそ。自分の意志で、この世界と──金剛阿含と向き合うため。