ミホライとあの子が同じチームだったら   作:皆夢の月虹

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二人とトレーナー『出走準備』

 

 

     ♡

 

 

――昔から絵本が好きだった。最後はみんなが幸せになる、そんな素敵なお話が。実は自作の絵本も何冊かあったりする。拙くて絵も上手くないから、恥ずかしくて誰にも言えていないけれど。

 

小さい頃にお母様のお友達が結婚されて、結婚式に招かれた事があった。花嫁姿をしたその人はまるで絵本の世界から飛び出してきたみたいに綺麗で、自分まで物語の登場人物になったみたいだった。

 

「いつかライスも素敵な人と出会えたら……」なんて事をお母様に言った記憶が微かに残っている。その時お母様がくれた言葉は今もしっかり覚えていた。

 

「それなら、沢山の人を幸せに出来る女の子になりなさい。そうすれば、たくさんの人にお祝いしてもらえるから」

 

そう言って頭を撫でてくれたお母様が目を移す。ライスと同じ名前の祝福を受けている、今日一番幸せな二人がそこにいた。

 

それから季節が進んで大きくなったライスは、日本ウマ娘トレーニングセンター学園、略してトレセン学園に入学した。たくさんの人を、ライスの走りで幸せにするために。

 

 

――――――――

 

 

体操服に腕を通した。いつもの柔らかい感触が肌に貼り付いてくる。だけど普段より重く感じるし、煩わしさすら感じてしまう。自分が緊張している事を自覚した。

 

周りを見渡してみる。更衣室には運良くライスしかいなかった。ぎこちなく胸に手を当てて、目を閉じて、ふぅ、と一つ息を吐く。静かな更衣室とは正反対に、胸から伝わる心臓の高鳴りは騒がしい。空気を吸って、吐息をもう一つ。またもう一つ。心臓に大丈夫だと伝えるように。

 

「……がんばるぞー。おー」

 

神様にお祈りするように、小さな声で鼓舞をする。お母様がくれたいつもの言葉。ほんのりと勇気が湧いてくる。ゆっくり瞼を持ち上げた。ハンガーに掛けられた、数字の八が大きく書かれた白いゼッケンと向き合う。 ハンガーから外して首を通すと、両肩に重くもない感覚がのしかかった。準備は終わり。後は向かうだけだ。

 

ロッカーを閉めて更衣室を後にしようとする。出入口のドアまで来た時、ドアの近くに据えられた洗面台の鏡に写るライスと目が合った。真剣な顔はどこか怖い印象も与えた。

 

大丈夫、と鏡の中の自分をもう一度心の中で応援して、今度こそ更衣室から出ていった。今日はライスの走りを、しっかりみんなに見てもらうんだ。

 

 

     ♤

 

 

トレーニング論。食事管理。適したシューズの選び方やら手入れの仕方。様々な参考書とそれを書き留めたノートが机は勿論、フローリングの床にもまるで若木が生えているみたいに積み上がっている。考えないようにしていたが、流石にそろそろ整理しなくてはいけないだろう。

 

散らかった部屋に溜息を漏らしながら、俺はクリーニングしたてのスーツに身を包んだ。鏡の前でネクタイを結び、少し曲がっていたトレーナーバッジを水平に戻す。キッチリとした装いはいかにも俺が新米トレーナーである事を表現していた。これで自分と契約をしてくれるウマ娘は果たしているのだろうか……。

 

今日は三ヶ月に一度行われる選抜レースの開催日だった。契約希望のウマ娘にとって実力をトレーナー達に示す絶好の機会であり、トレーナーも基本的に選抜レースの結果を参考に契約を考える。そのため契約が結ばれる組数も、選抜レースの直後が最も多い。

 

逆に言えば、それ以外のタイミングで契約が結ばれるのは結構珍しい事だった。別に制限があるわけではないが、要はトレーナーとウマ娘間の信用問題だ。走りも見てないのにどうして契約をしてくれるの? という話になるのである。練習風景などを見た実績のあるベテラントレーナーが引き抜くなんて状況でもない限りは難しい話なのだ。ウマ娘にとっても人生をかける相手でもある。慎重になるのは当然のことだ。

 

要するに、俺のような実績もない新米がこの期を逃すと、向こう三ヶ月は契約を基本結べないことが目に見える。もちろん笑い事ではない。即刻ということはないが、一人も担当のいないトレーナーにいつまでも居場所があるなんて甘い話は当然だが無い。無能なトレーナーが淘汰されていくのはトレセン学園では至極当たり前なのだ。

 

「頑張らないと、だな。よし」

 

気合を入れるように独りごちてから、俺は手荷物を持って自宅を後にした。

 

 

―――――

 

 

トレセン学園が誇る東京レース場と同じ大きさもあるグラウンドには、既に人で賑わっていた。グラウンドを一望できる展望デッキには、双眼鏡やストップウォッチを持った先輩のトレーナーが点々とする間を沢山のウマ娘たちが埋めている。聞こえてくるウマ娘の名前はおそらく今日の出走者だろう。

 

「お? おーい!」

 

見やすい場所はないかと辺りを見渡していた時だった。誰かを呼ぶ声が聞こえてそちらを見ると、知り合いの先輩トレーナーがこちらの方を向いて手を振っていた。呼んでいる対象が自分だと察して、俺はウマ娘達の間を塗って先輩の方へと向かう。自分とは打って変わってカジュアルな服装が完全に現れた所で、お疲れ、お疲れ様です、と社会人お決まりの挨拶から会話が始まった。

 

「どうだ今日は? 担当候補に目星は付けてきたか?」

 

「いえ、下調べはしましたが、やっぱり最後はレースを見て決めようかと」

 

首を振った俺に先輩はふーん、と何度か頷いて、手に持っていた資料らしき厚い冊子を捲り始めた。

 

「でも、新人のお前は全体を見る方がいいかもな。おそらく今回は契約競走が一人に集まるだろうから。俺もそっちに参戦するつもりだし」

 

先輩はそう言いながら目的のページを見つけると、資料をこちらへと渡してきた。ページの一番上に書かれた名前と、その隣に貼られた生徒証写真のコピーが真っ先に目に入る。

 

「やっぱりこの子ですよね。俺も周りより頭一つ抜けてると思いますし」

 

同意しながら資料を読み進めてみた。練習時のタイムや模擬レースの結果など、様々なデータが揃っていたが悪いことが何一つ書かれていない。これでもかと言うほどに褒めちぎられていた。資料の最後には少し大きい目立つ字で『逃げ・短距離適性』と書かれていた。読み終わった俺は目線を資料から先輩へと戻して口を開いた。

 

「自分の適性評価が間違ってなくて安心しました」

 

「相当な馬鹿でもない限り流石に間違えないだろ。あれは天性のスプリンターだよ」

 

そう言いながら先輩は辺りを見渡し、それから少しばかり目を細めて嘆息を漏らした。

 

「ほかの出走者には悪い言い方だけど、今日のレースはみんなこの子を見に来たようなもんだ。トレーナーだけじゃなく、生徒達もな。世代のエース候補には同世代だって憧れるからな」

 

先輩の言う通り改めて周りに気を配ってみると、皆の口から漏れるのは件のウマ娘の名前ばかりだった。釣られるように、俺もその子の名前が無意識に口から漏れたのだった。

 

 

     ♡

 

 

グラウンドに出ると、レースの管理係に出走者の待機場所へと誘導された。既に同じレースを走る人達はほとんど集まっていた。仲良しなのか談笑している人もいれば、少し怖い顔で集中している人もいる。みんなライスよりずっと大きい子ばかりだ。小さな自分がもっとちっぽけに感じた。

 

毎日のように走っている芝の感触がいつもと違って、私はその場で少し足踏みした。よく晴れた今日は絶好の良馬場で、くるぶしに優しく当たる草の柔らかさもいつも通りの筈なのに、足だけがどんどん土の中に沈みこんでいくような、けれど上半身は風に吹かれたら飛んでいってしまいそうなくらいフワフワする。ちぐはぐな感覚が体の全部を包み込んで気持ちが悪い。

 

(だめ。緊張が取れていない…。嫌なイメージばかり考えちゃう。どうしよう、どうしよう。これじゃ……走れない)

 

体操服の胸の辺りを掴む手と同じくらい、ギュッと目を瞑った。更衣室であんなに深呼吸して、勇気の出るおまじないもして……。それなのに、まだ心臓の鼓動は高く収まっていなかった。 ライスの走りをみんなに見てもらうのに。 たくさんの人を、ライスの走りでこれから幸せにしたいのに。どうしてライスはいつもダメなんだろう。

 

真っ暗な世界でぐるぐると自分を責める。その時だった。

 

「ライスシャワーさん」

 

「ひゃい!」

 

自分の名前が呼ばれて反射的に飛び上がってしまった。驚いた拍子に瞼は開いて、目の前にライスより頭一つくらい高いウマ娘さんが立っていた。くすんだ赤い色のロングヘアをした人で、澄んだ空と同じ色をした双眸がこちらを見下ろしていた。

 

「あああ、ごめんなさい! 大きな声を出してしまって!」

 

慌てて頭を下げると、頭の上からまた声が降ってきた。

 

「問題ありません。こちらこそ、突然声をかけてしまったことを謝罪いたします。胸を押さえて瞑目していたものですから、体調が芳しくないのかと思いまして」

 

「い、いえ! 体調は問題ないです。ちょっと緊張しちゃってて 。えっと、えっと、どうしてライスの名前を……」

 

知っているのですか? までちゃんと言えなかった。でも目の前のウマ娘さんはそれで察してくれた様子で答え始めてくれた。

 

「選抜レース参加者の経歴などは、可能な限り重要データとして保存しています。相手を知る努力は、レースにおいても日常においても大事な事だと父から教え込まれました」

 

淡々と無感情のようにウマ娘さんは話す。だけど言葉の響きなのか冷たい人という印象はなかった。むしろお父さんと仲良しなんだなと感じて少し心が温かくなった。

 

「そうだったんですね。あの、ミホノブルボンさん、ですよね?」

 

クラスやグラウンドで耳にしていた名前を口に出した。何度か教室の移動や練習時に見かけたことがあったため間違いはないと思っていた。案の定、ブルボンさんは首肯を返してくれた。

 

「はい、ミホノブルボンです。…………」

 

すると、ブルボンさんは黙ってじっと私の方を見つめてきた。突然の沈黙も相まって体がむず痒くなる。

 

「えっと、なんでしょうか?」

 

「緊張は、取れましたか?」

 

「え?」

 

ブルボンさんに言われて気が付いた。手を自分の胸へ持っていくと、心臓はいつも通りの鼓動に戻っていた。浮いているような感じも無くて、芝の感触も問題ない。

 

「あ……、心臓のバクバク、無くなってる」

 

「それは良かったです。過度な緊張はパフォーマンスにも影響すると考えます」

 

「あ、ありが――」

 

おかげで緊張が取れたことをお礼しようとしたところだった。管理係の声がグラウンドに響き、ライスの言葉が遮られてしまった。

「出走者の生徒は、ゲートへ入ってください!」

 

「時間のようですね」

 

ゲートの近くにいる管理係の方へブルボンさんが目を向け、周りの人達はゲートへと足を進めていく。空気が一瞬で変わるのを感じた。

 

「ライスシャワーさん」

 

「は、はい」

 

「本日はよろしくお願いします」

 

ブルボンさんはそう言って頭を下げると、ゲートへと体を向けて歩き出した。その背中はライスと違って大きく、とても力強く、そして綺麗だった。つい、口が動く。

 

「すごいな」

 

その時突然、追いかけろという衝動がライスの中を駆け巡った。どうしてかは分からないけれど、それが正しいのだと本能が示す。未完成のパズルに、間違いなく正解のピースをはめる時のような絶対の確信があった。一言でいうなら、『運命』を感じた。

 

「ブルボンさん!」

 

ライスはブルボンさんの隣へと走り、並んだ。今更気が付いたが、ブルボンさんのゼッケン番号は七だった。不思議とそれだけで少し嬉しかった。

 

「なんでしょう?」

 

足を止めて、ブルボンさんがこちらに目を向けてくる。つい目を一度逸らしてしまったが、すぐに彼女の綺麗な目を見つめ返す。それから両手にぐっと力を込めた。

 

「えっと、ライス、頑張るね!」

 

「……はい」

 

ほんの少しだけブルボンさんは固まったような様子を見せた。けれど、それからすぐに頷いて返してくれた。よく見ると、ほんの少しだけ口角が上がっているように見えた。

 

「負けません。ライスさん」

 

ブルボンさんの言葉にライスも自然と笑顔を作ることができた。管理係の催促の声が飛んできたのはその直後であった。

 

 

 

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