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最終直線の最内を駆け抜ける。今まで練習でも感じたことのない感覚に高揚感のステータスを検知する。まるで別の動力を得たみたいに足が前へ前へと進んでいった。スピードは今まで積み重ねた自身のデータ全てを越えていた。
「――ゴールイン!」
係員の実況が耳に入りハッとする。いつの間にかゴール板を駆け抜けていた。それからすぐに展望デッキから歓声が飛んできた。ゆっくりスピードを落としていく。
ようやく体が立ち止まった所で自身の足を見つめた。体からあの不思議な感覚は無くなっている。レース前、強いて言えば最終直線に入る直前の状態に戻っていた。体に痛みはなく正常、強いて言えば疲労感が普段のレース後よりも高いだろうか。
「わああああああ!」
展望デッキの方から歓声が飛んだ。顔を向けると大勢の方が私の勝利を祝福してくれていた。学園の制服を着たウマ娘達の中で、バタバタと慌ただしそうにしているのはおそらくトレーナーの方々だろう。直ぐにでもスカウトの依頼をしにきていただけるのだろうと演算する。
一度息を吐き出してから顔を引き締めて、私は展望デッキへ一礼する。再び大きな歓声と共に顔を上げた。応援への感謝を示した後、荒い息遣いに気が付いてゴール盤の方を向いた。
共にレースを走った方達が膝や腰に手を当てて呼吸を整えていた。何人かの表情は幾分か晴れやかに見えて、おそらくは着順が上位だったのだろうなと推定する。
ライスさんはどうだったのだろう? 小柄な彼女を探して目を動かす。自然と視点が下がって芝コースをなぞる様に探すと、最後方に跪いた彼女がいた。疲労の色が濃いと目に見えて判断できる。
手を貸すべきと判断して彼女の方へ向かおうとした時だった。多数の声が私を呼び止めた。トレーナーの方達が私に向かって走り寄ってきていた。
「ミホノブルボン! 見事な走りだった! ぜひ君をスカウトさせてほしい!」
「ブルボン! 話だけでも聞いてくれないかしら? あなたの実力を効率的に伸ばしていけるトレーニングプランがあるの!」
係員が慌ててトレーナー達を取り纏めていく。長い列ができていくのを眺めていると、喜びと達成感のステータスを検知した。しかし、今は少し待ってもらった方がいいだろう。
「皆さん申し訳ありません。少々お時間を――」
そう言いながらライスさんの方へ顔を向けた。スカウトに来たトレーナーと言葉を交わしている方や、早々にグラウンドを立ち去ろうとしている方の間で、いまだに膝を芝に付けたライスさんの側には一人の男性トレーナーが立っていた。
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「頑張れ! ライスシャワー!」
最終直線にライスシャワーが入った時、俺は自然と叫んでいた。展望デッキからでも彼女がスタミナ切れを起こしているのは分かった。バランスの良さ、綺麗で安定した走行フォームといった彼女の持ち味は既に消え去り、ただ気持ちだけで走っている。
最終直線手前まで詰めていたミホノブルボンとの距離はもう絶望的なほどに開いていた。逃げの脚質から最終直線でこれほど脚を伸ばせるとは想像以上の怪物だ。既に決着がついていることなど誰の目にも明らかだった。それは今レースを走っているライスシャワー達とて同じだろう。
それでも、ライスの走りに諦めの感情は一切感じなかった。どんどん小さくなっているだろうブルボンの背中を真っ直ぐ見つめ、我武者羅に足を動かしていた。
「いけ! いけ!」
胸とか心とか、そういうのが熱くなるのを感じる。もう俺には、ライスシャワーの不格好な、けれど小柄な体とは思えないほど力の籠った走りしか見えなかった。
最終直線も半分まで来た所で、早々に二着三着狙いに切換えた後続のウマ娘達がライスシャワーを次々に追い抜いていく。俺の言葉とは裏腹にズルズルと下がっていく彼女を案じていると、ブルボンがゴールした事を知らせる実況が響いた。ゴール盤に目を向けると、遅れて二着のウマ娘が丁度ゴールして次々と他のウマ娘達も駆け抜けていく。そしてさらに遅れてライスが一人取り残されたようにゴールした。
「ブルボンのペースに乱されてしまったみたいだな、彼女は。判断力は今後の課題か……っとこうしちゃいられない!」
隣で呟いた先輩が慌てて走り出した。気が付くと周りにいた他のトレーナーもドタバタと慌ただしい。ブルボンのスカウトに向かうつもりなのだろう。俺も荷物をまとめるとグラウンドの方へと向かった。
グラウンドに下りると、既にブルボンがいるのだろう場所には大勢のトレーナーが押し寄せていた。他のウマ娘にもちらほらと声をかけているトレーナーがいる。俺はそちらの方へ走った。走る途中でターフに膝をついたライスシャワーの姿が目に入った。
数人のウマ娘の期待がこもった視線をくぐって、跪いたライスシャワーの側に到着する。彼女は息を荒くして俯いたままだった。自分の接近に気づいていない様子だった。
「ライスシャワー?」
「ひゃい! ゴホッゴホッ!」
声をかけるとライスシャワーは尻尾を飛び上がらせた。咳き込む彼女を見て咄嗟に体が動く。
「大丈夫か!」
ライスシャワーの背中に手を触れてさすった。その拍子に彼女の背中にくっついた体操着越しから何かが手に引っかかった。それが女性の下着だと気付いたところで我に返った。いきなり知らない男に触れられて不快にさせてしまうのではと体が固まる。軽率な行動を瞬間的に後悔した。
手を動かすことも離すこともできずにいると、ライスシャワーは呼吸を整えるとこちらに目を向けてきた。
「えっと、トレーナーさん、ですよね? あの、あ、ありがとうございます。心配してくださって」
ライスシャワーはえへへ、と笑顔を浮かべた。自身の背中に伸びた俺の手は気にしてないのか気付いてないのか分からないが、とにかくその笑顔のおかげで体の硬直は溶け、伸ばした手はまた自然と動いた。今度はさするのではなく優しくポンポンと触れるようにした。
「よく頑張った。つい応援しちゃったよ」
ライスシャワーに応えるように俺も笑ってそう伝える。しかし今度は恥ずかしそうに彼女は顔を伏せてしまった。
「で、でも、結局ブルボンさんには追いつけなかったし、順位だって最下位になっちゃって、ライス、結局ダメダメで……」
「それでも、君だけだった」
「え?」
戸惑ったような顔をライスシャワーが向けてきた。確かに結果だけを見れば、彼女がレースで決めた選択は間違っていたのかもしれない。けれど、絶対に失敗などではない。証拠は、俺自身だ。
「君だけが、ミホノブルボンに最後まで勝とうとしていた。最下位になってしまっても、そんな君だったから、俺は君を応援したくなったんだ」
ライスシャワーが目を丸くする。少し目を瞬かせてから彼女は呟いた。
「お兄様みたい……」
「え? お兄様?」
「あ! い、いえ何でもないの!」
慌てた様子で首を振るライスシャワー。随分と息も落ち着いたようだ。俺は彼女の背中から手を離して立ち上がり、彼女に手を差し伸べた。
「立てそうかな?」
「あ、ありがとう、ございます」
おずおずとライスシャワーは俺の手を取り、彼女は立ち上がった。改めて彼女の小柄さに少しばかり驚いた。もちろん彼女以上に小柄な子なんて何人も見た事はあるが、心を震わせられたあの走りを見せられたからこそそう思った。
「ライスシャワー。一つだけ、質問させてもらってもいいかい?」
「あ、はい、何でしょうか?」
「どうして君は、トゥインクルシリーズに挑戦したいと思ったのか、理由を教えて欲しい」
「ら、ライスが、トゥインクルシリーズに挑戦したい理由?」
頷いて返すと、ライスは少しばかり視線を泳がせた後、ゆっくりと答え始めてくれた。
「え、えっと、ライスは、たくさんの人に幸せになってもらいたくて、そのお手伝いができたらなって、ずっと思ってて」
「そうなんだ」
「そ、そう。えっとそれで、小さい頃テレビでね、トゥインクルシリーズのレースが中継されてて、ライス、それを見ていたら、レースに勝ったウマ娘さんを見てるみんなが、とっても嬉しそうにしてたんだ」
段々と、ライスシャワーの声から緊張が抜けていって、優しい気持ちだけが込められているように感じた。それだけ、彼女にとってそれは素敵な瞬間だったのだろう。
「だから、ライスもあんなウマ娘さんみたいになれたらなって思ったんだ。ライスの走りでたくさんの人達が笑顔になって、幸せになって欲しいなって。それで、ライスはトゥインクルシリーズに挑戦したいって思ったんだ」
言葉に込められたライスシャワーの強い思いが俺に胸に響く。殆どここに来た時点で心は決まっていたけれど、改めて自分の気持ちを強くすることができた。
「答えてくれてありがとう。おかげで決心が着いたよ」
「え?」
「ライスシャワー、君をスカウトさせて欲しい」
またライスシャワーは目をまん丸にした。
「あ、あなたが、ライスのトレーナーさんに?」
「もちろん、君次第だけどね」
「で、でも、ライス今日は最下位だったし」
「それはさっきも言ったよ? 最後まで諦めなかった君だから、俺は君を支えたくなったんだ」
俺がそう言うと、ライスシャワーの目がまた見開かれた。キラキラと輝いて俺を見つめているようだった。俺はそんな彼女の前に手を差し出す。
「君が夢を叶える瞬間を、俺にも一緒に見させてくれ、ライスシャワー」
ライスは俺の手と顔を交互に見る。それから意を決した様子で、俺の手を両手で取ってくれた。優しい力で包み込むように。
「そ、そっか。えっと、じゃあ……よ、よろしくね、トレーナーさん」
ライスシャワーはえへへと笑顔を見せてくれた。釣られて俺も笑顔を深める。
「こちらこそよろしく、ライスシャワー」
「あ、ライスの事は、ライス、でいいよ、トレーナーさん」
「そうか。じゃあ、改めてよろしく、ライス」
「うん。ライス、頑張るね!」
ライスはガッツポーズをして見せてくれた。俺も彼女の頑張りに応えなくてはならない。早速彼女のデータを取り直して練習プランを作らなければ。そう考えた所で俺は大事な事を思い出した。
「そうだ。先に契約書を作らないと。ライス、午後もし時間があれば、俺のトレーナー室にきてくれるか? 明日でも構わないけど」
「あ、うん、全然大丈夫だよ」
「良かった。じゃあ書類は用意しておくから、また後で落ち合おうか。あ、クールダウンは普段より入念にするつもりでな」
頷いてくれたライスに自分のトレーナー室の場所を教え、その場を俺は立ち去ろうとした。すると、背後からライスが俺を呼び止めた。
「と、トレーナーさん!」
「ん? どうした?」
振り返るとライスは口籠って視線を泳がせた。あわあわと声にならない声を少しばかり発した後、ようやくはっきりとした言葉が出てきた。
「えっと、トレーナーさんの時間に余裕があればで、もちろんいいんだけど……」
「ああ、なんだろう?」
「えっとね、契約書、五枚くらい用意する事ってできるかな?」
「五枚?」
「う、うん。ライス、きっと契約書、届けるまでに失くしちゃったりすると思うから」
最後の言葉を言うライスはとても切実な様子だった。少しドジな所でもあるのだろうか。気になりながらも俺は了解の返事をライスに返して、今度こそライスに背を向けた。
コースから出ようとする途中、俺は気になってミホノブルボンの方をちらりと見た。いつの間にか長蛇を為していたトレーナーの列は随分と減っていた。随分とはけるのが早い。経歴など、ブルボンが明確なトレーナーの条件でも提示したのだろうか。
少し不思議に思いながら、俺は自分のトレーナー室へと足早に向かった。ブルボンの事は、これからの期待やら責任感やらですぐに頭から消えてしまった。