「………なんだこりゃ。」
亀仙人のじっちゃんに修行をつけてもらえることになった。 強くなれる。 死なずに済む。 "主人公としての役割を果たせる"そう思って胸が高鳴った。
……なのに。
最初に課せられた修行は――ただの瞑想だった。
「目を閉じるんじゃ、悟空。己の心を見通せ。」
「なんの意味があんだよ。オラ強くなんなきゃなんねぇんだぞ。」
「だからこそじゃ。」
亀仙人の声は静かだった。 だがその静けさが、逆に胸をざわつかせる。
「……お主に今、力をつけさせるわけにはいかん。」
「なんでだよ。オラは早く――」
言いかけた瞬間、じっちゃんの視線が俺を貫いた。
まるで心の奥底まで覗き込まれたような感覚。 背筋が冷たくなる。
「悟空。お主は何故、そこまで力を求める?」
「……強くなんなきゃ……終わっちまうんだよ。何もかも。」
「その“終わる”という恐怖の根底はなんじゃ?」
胸が締め付けられる。
言葉が出ない。
心の奥に、触れたくない“何か”がある。
「……みんなを……守るた――」
「嘘はつかんでいい。」
その一言で、呼吸が止まった。
嘘を見抜かれたからじゃない。 “俺の心を見てくれている”と感じてしまったからだ。
胸の奥が熱くなる。 痛いほどに。
「……オラは……」
喉が渇く。それはその吐き出そうとしている言葉に確かな熱があったからだ。
ここまで心と体の乖離に苦しんでまで俺が主人公になろうとした理由ーーーそれは単純で矮小で、小物臭いどうしようもない願いのためだ。
「…俺は」
オラ、ではない。俺自身の確かな願い。
「… 俺は死にたくない……」
ようやく絞り出した言葉は、情けないほど小さかった。
「死にたくない。それだけだ。 俺が戦わなきゃ世界は終わる。 みんな死ぬ。だって俺は主人公だから…… 敵を倒さなきゃ……全部崩れ落ちる。」
亀仙人はしばらく黙っていた。 その沈黙が怖かった。
その時間は永遠のようにすら感じた。
拒絶されると思った。 見放されると思った。
だが――
「……なるほどのぉ。」
じっちゃんは、優しく笑った。
「悟空。お主は儂が思っていたよりも……よほど“人間らしい”奴じゃ。」
「……え?」
「死にたくない。 それは誰しもが抱く自然な感情じゃ。 それを隠さず言えたお主は……誠実じゃよ。」
胸が痛む。
やめてくれ。 そんな目で見ないでくれ。
自然と目を逸らした。
俺は誠実なんかじゃない。
全て確かに覚えている。
殴り続けた肉の感触を。
骨をへし折ったときの音を。
ニンゲンの壊れた姿を。
俺は…全て脳裏に焼きついたように覚えている。
既に俺の手は血と憎悪と死で埋まっている。
敵の命を奪い、心を折り、尊厳すら淘汰した。ーーー全部、“主人公だから”という言い訳で
「……じいさん。俺は……誠実なんかじゃねぇよ。」
「悟空。」
亀仙人は俺の肩に手を置いた。ーーーその体温は暖かいのに何故か体は震えていた。
「誠実とはな……“自分の弱さを認めること”じゃ。」
その言葉が、胸の奥に深く刺さった。
俺は弱い。 臆病だ。 逃げたい。
どこまでも、逃げたい。
"だからこそ"主人公を演じた。
正義の処刑人にーーー我儘な偽善者になりきった。
それでも――
「……じいさん。俺……頑張るよ。」
このじいさんの期待は裏切りたくない。
その言葉は、悟空としてではなく、役割でもなく “俺自身”としての本心からの言葉だった。
ーーーーーーー
亀仙人との会話が終わったあと、 俺はしばらく動けなかった。
胸の奥に、ぽっかりと穴が空いたような感覚があった。
(……自分の弱さを認めること、か。)
じいさんの言葉は優しいのに、 その優しさが刃物みたいに胸に刺さる。
(俺は……別に自身の弱さを認めてるわけじゃない。どこまでも自分本位なだけだ。)
ーーー前世でどんな死に方をしたのかは知らねぇが、俺は何故か無意識に"死"という事象に恐怖心を覚えていた。
1度死を経験したことで魂にトラウマが刻まれてるのか、それとも元から俺が特別臆病な人間なのか。
まぁ、理由なんてどうでもいいんだが―――
そんな時だった。
「失礼しまーす!弟子入り希望でーす!」
甲高い声とともに、ドアが勢いよく開いた。
俺は顔を上げた。
そこに立っていたのは―― 丸い頭に鋭い目をした、小柄な少年。
「……誰だ?」
少年は俺を見るなり、ピタリと動きを止めた。
「あぁ!君が武天老師様が言っていた奴か!! 俺もこれから弟子になるんだ!よろしくな!!」
「…………あぁ、あのじいさん…… 話が終わったあとすぐにどっか行ったと思ったら…… お前のところに行ってたのか。」
言いながら、俺の頭の中では別の思考が動き始めていた。
敵か?
味方か?
殺すべきか?
利用すべきか?
クリリンの顔を見た瞬間、 こいつがそこそこの力を持った人間だと本能が察した瞬間、俺は無意識に“戦闘の構え”を取ろうとした。
肩の筋肉が勝手に収縮する。 視界が狭まり、呼吸が深くなる。
(……やめろ。 今は戦う場面じゃねぇだろ……)
必死に押しとどめる。
こいつは敵じゃない。 たぶん味方になる。 じいさんの弟子なら……殺す必要はない。
そう判断した瞬間、 俺は自分の思考にゾッとした。
(ははっ……)
乾いた笑いが漏れた。
あれだけじいさんと話したのに、 その言葉が胸に刺さったのに、 俺はこの“良い奴そうな少年”の命を 平然と天秤にかけていた。
(やっぱり…人はそう簡単に変われねぇらしい。なぜならここは――夢物語でもなんでもない現実なんだから)
俺はきっとじいさんの言ってることを本当の意味で分かっていないのだろう。ただ感動的な映画を見て涙をするように、与えられた言葉を"受け取った"だけだ。
ーーー傲慢だ。
ーーー愚かだ。
ーーーただの、人間だ。
「おい!」
「え?」
甲高い声に、思考が現実へ引き戻された。
「君!名前はなんなんだよ! さっきからずっと無視して!!」
「あ……あぁ、わりぃわりぃ…… 考え事しててよ。」
自然と“悟空の演技”が戻ってくる。
「オラは悟空だぞ。よろしくな!」
吐き気がするくらい眩しい笑顔を作る。意味がないことだとしても 悟空らしい、明るい笑顔を。
クリリンは一瞬だけ固まった。
「……なんか、お前……すげえいい笑顔するな。」
「全く楽しそうじゃねぇけど」
胸の奥がひやりと冷えた。
「なんだよ。それ。」
「いや……悪い意味じゃねぇけど…… なんか……うまくいえねぇや……」
クリリンは首を傾げた。
俺は笑顔を崩さない。 崩せない。
(……やめろよ。 そんな目で見るなよ。)
クリリンは続けた。
「でも、強そうだな悟空! オレ、負けねぇからな!」
手を伸ばしてくる。 その笑顔は眩しかった。
“普通の少年”の笑顔だった。
ーーーきっと俺には出来ない表情だ。
俺は…… どう返せばいいのか分からなかった。
ーーーーー
翌朝。 まだ太陽が昇りきらない時間に、じいさんは俺たちを叩き起こした。
「ほれ、牛乳配達じゃ。」
「えぇ!?修行ってこれかよ!?」
クリリンが叫ぶ。
俺は黙って牛乳瓶を受け取った。 身体が勝手に動く。 走る。 跳ぶ。 山道を駆け抜ける。
(……相変わらず不思議だ。)
身体は軽い。 まるで当然かのように、自身の意思に反して体は勝手に想像以上の動きをしてくれる。
クリリンは息を切らしながらついてくる。
「はぁっ……はぁっ……悟空、お前……なんでそんなに速ぇんだよ……!」
「んー?分かんねぇけど……身体が勝手に動くんだ。……それにおめぇも十分はえぇじゃねぇか!」
「……お前それ本当に本心で言ってるのか?まぁ言ってくれることは嬉しいんだけどさ」
クリリンはひと呼吸おくと呟いた。
「……お前優しいよな。全く怒らねぇし。」
「けどなんか全部一拍遅いよな。あとなんか全部我慢してる感じ。」
呼吸がわずかに乱れる。
(…………しょうがねぇだろ。)
次の修行は畑仕事。 その次は岩運び。 その次は海での泳ぎ込み。
どれも単純に見えて大変な作業だ。 だが俺の身体は、どれも軽々とこなせる。
(……気持ちわりぃ)
心では"こんなこと不可能"だと思う。だが肉体は常に自身が考えている結果以上の動きをする。そんな肉体が少し、気持ち悪かった。
――その不快感は、確かに俺の精神を狂わせる。
クリリンは汗だくになりながら言った。
「悟空……お前、ほんとに人間か……?」
「ははっ、どうだろな。ひょっとして宇宙人だったりしてな」
「お前…冗談下手だな……」
「……今のは悟空っぽくなかったかな。」
「?」
ある日じいさんに言われた。
「……悟空。お主の身体は十分に強い。じゃが……心が追いついておらん。」
その言葉に、胸が痛んだ。
(……分かってるよ。 俺が一番分かってる。)
だからといってどうすればいい?この身体はこの世界から与えられたプレゼントであり、呪縛だ。俺自身ではどうしようもないだろう。
ーーーーーーー
修行が進むにつれ、クリリンはどんどん俺に話しかけてきた。
「悟空、好きな食いもん何だ?」 「悟空、どこで育ったんだ?」 「悟空、将来どうしたいんだ?」
その度に、俺は“悟空らしい答え”を探す。
「肉だな!」 「山だぞ!」 「強くなりてぇ!」
クリリンは笑う。
「悟空。お前、さっきなに考えてた?」
「え?」
「いやおまえ急に黙るからさー。」
「…そ、うか?」
「色々言いたいことはあるけどよ。」
クリリンは一拍おいて照れ臭そうにつぶやいた。
「お前良いやつだよな。」
「…!」
意外な、言葉が返ってきた。
「修行の時も色々助けてくれるしなー。ちょっと変な感じだけどかけてくれる言葉は優しいしさ!」
その言葉が、胸に刺さる。
(……こいつは俺を受け入れるんだな。)
クリリンに向ける優しさだって、ただ仲間だと思ったから向けてるだけなのに。そんなことも知らず、こいつは俺をただの友人として受け入れた。
…認めるよ。俺も、何も気にせず明るく話しかけてくれるこいつのことは嫌いじゃなかった。
――つい、孫悟空としての役割も関係なく、俺自身がこいつを友人として見てしまっていた。
ある日の夜。 クリリンがぽつりと言った。
「悟空……お前、時々すげぇ怖ぇ顔してるぞ。」
思わず息を呑んだ。
「え?そうか?」
「うん……なんか…… “別人みたいな目”っていうか……」
クリリンは笑って誤魔化したが、 その言葉は確かに俺の罪悪感を刺激した。…そうだろう。文字通り本来とは別人なのだから。
ーーーーーーー
夜。 海風が静かに吹く。
俺はひとり、海を眺めていた。
明日は武道会。 初めての“本番”だ。
(……戦うんだ。)
心臓が早くなる。 怖い。 でも身体の調子は十分すぎるくらいだ。
(俺は悟空じゃない。でも悟空として戦わなきゃいけない。)
クリリンの笑顔が浮かぶ。
(あいつは……友達なのか? 俺にそんな資格あるのか?)
初めて自身の役割に関係なく、見つけた良い奴だった。不覚にも"主人公の仲間"、ではなく"俺の友達"として見てしまった奴。…俺が戦うのをやめたらアイツも死んじまうのかな。
拳を握る。
(……やるしかねぇか。)
風が吹く。 俺は静かに目を閉じた。
ーーー俺は孫悟空だ。 明日も、そう演じてみせる。