湊音と空の二人は最初に施設内にある水族館に来ていた。
(水族館なんて来るのいつ振りだっけ……)
海の生き物は嫌いではない。
むしろ、好きな部類で可愛いランキング上位五十位内は余裕で狙えるとすら思っている。
「湊音くん湊音くん! このサメさんサメなのにサメじゃないんだね! 変!」
「うん、静かにね」
最後に水族館に来た頃の思い出に浸ろうとしようとしたが、はしゃぐ空にそんな気分も掻き消されてしまう。
「むー……デート中だよね? 何でお魚の方に集中しちゃうかなぁ」
「水族館だからだよ」
順路通りに水槽を眺めて進んでいると、深海魚コーナーに着いた。
そこでは水槽の中の生き物に対して与えるストレスを抑えるために、照明が落とされていてよそ見をしているとぶつかってしまいそうな明るさだった。
「空……?」
深海魚コーナーに入って少ししてから直前まで騒がしかった空の姿が見えず、振り返ってみると彼女は額から大粒の脂汗を流して踞っていた。
その様子から暗いところが苦手では済まないことは明白だった。
「あ、空……? 大丈夫、じゃないよね」
「ごめ……かひゅっ……湊音、く──」
「無理しなくて良いから」
湊音が空を背負い、そのまま真っ直ぐ深海魚コーナーの出口を目指す。
普段からジム通いをして鍛えていたおかげか、それとも睦の身体が軽いだけなのか、どちらにせよそこまで苦ではなかった。
「……だっこが、いい。かな」
「余裕無さそうに余裕そうなこと言うんじゃないよ……」
意味のない見栄を張る空を背負ったまま、深海魚コーナーを出てすぐ近くにあるテラス付きのフードコートの椅子に彼女を座らせる。
掻いた汗を拭き取るために湊音がハンカチを空の額に当てて介抱をする。
汗を拭ったハンカチを見ると薄くファンデーションのパウダーが付着していることがわかる。
「あはは、ごめんね。昔のこと思い出しちゃって……」
「それって……いや、いいや。顎引いて、顔上げて」
湊音が常備している常温のミネラルウォーターを渡されて、それを数口飲んだ空は落ち着きを取り戻す。
自分から言うのではなく、湊音が聞いてくれそうな言葉を選んでみると、彼は鞄の中から化粧道具を取り出していた。
「え、何? というか私の話、気になんないの?」
「そんなことより、崩れた化粧の方が気になるかな」
「そ、そんなことって……私のこと知りたくないの?」
ハンカチに付着していたパウダーは湊音が使った覚えのないモノだった。
つまり、睦が自分で用意して、自分で化粧をしてみたということである。
睦が自発的にそうしたのか、今朝から空の人格と変わっていてやってみたのか。
どちらにしても、湊音からすれば言えることは一つだった。
「可愛いなら何だって良い」
空の化粧は多少は汗で流れてしまった。
リセットをかけるほどでもないが、化粧直しは必要である。
ナチュラル系のメイクだったお陰で少し補修してやれば問題はない。
「……変なの」
「ズレちゃうから喋らないで」
睦のため、湊音のため。
色んな理由であの日、デートを要求した。
だけど、ワガママで湊音を振り回したり、こうして崩れた化粧を直してもらったりと、なんだかんだで楽しんでいる自分が居ることに気づく。
(結局は、また消えたくないだけ……それだけなのに私が睦ちゃんを利用してるだけ……情けないお姉ちゃんだ……)
人格が違うだけで、文字通り同じ身体を共有してるせいか。睦の心と同じく空の心も鬱血していく。
結局は自分のために弟と妹を利用しているだけに過ぎない。
「よし、これで可愛い。もうちょっと外の空気吸ったら違うとこ行く?」
化粧直しが終わって満足そうな表情で湊音が空の横に顔を並べて自撮りをする。
睦と二人で撮った写真はあれど、空との写真は存在しない。
むしろ、今撮った写真でさえ事情を知らなければ、仲の良い双子の写真でしかない。
「空も写真映り良いな」
それでも撮っておきたかった。
多重人格だろうが何であろうが、こうして写真に撮っておけば『若葉空』が記憶に残らずとも、記録には残しておける。
「……やっぱり、変なの」
「可愛くて悪かったね」
「可愛いなんて一言も言ってないけどね。次、ゲームセンターとか行きたいな」
「仕方ないなぁ」
何が理由かはわからない不調が嘘のように先ほどのワガママっぷりが戻ってくると、困惑はあるものの、元気になったことに対する安心感の方が勝る。
そのままされるがまま、手を引かれて水族館を出て、ゲームセンターまで移動する。
「ちょっとお腹空いてきたかも……」
「おいおい」
運良くゲームセンターの横にハンバーガーチェーンがあったため、食べようと思えばすぐに行ける距離だが気分にムラがありすぎて困惑させられる。
どこかで見た覚えもある気がするが、どこで見たのか思い出せずに少しだけモヤモヤする。
「エビのやつも気になるし……この限定のやつも気になる……うーん」
「両方頼んで半分こにすればいいじゃん」
「一個ずつで食べたいの!」
アイスの件を思い出すと、どうせ半分くらい食べたら食べれないと言い出す可能性が高いと、湊音は推測する。
それなら半分ずつに分けた方がマシだと考えてシェアすることを提案した。
「絶対残すじゃん」
「残さないもん!」
「残したら怒るからね」
これ以上問答しても、駄々をこねられるだけだと悟った湊音は、どうせ残すであろう空の分を代わりに食べる前提で自分の分を少なめに注文した。
「「いただきます」」
適当な席を確保した二人は、バーガーの包みを開いて食事を始める。
湊音が一つのバーガーを両手で掴んでいるのに対して、空の方は両手で一個ずつバーガーを掴んで交互に食べていた。
「
バーガーを両手食いしているせいで手が空いてないせいでポテトを口に入れろと要求してきた。
大きくもない口で頬張るせいで服には溢していないが口回りはソースでお世辞にも可愛いとは言えないことになっていた。
「いや、それくらい自分でしてよ……あー、もう、ほっぺにソース付けて……化粧ごと取れちゃうでしょ」
ナプキンで空の頬についたソースを拭いながら、今日何度目になるかわからないが、本当に姉なのだろうかという疑問が湧いてくる。
「んっ!」
「……はいはい」
二本ほどポテトを摘まんで空の口に押し込むと、そのまま中に吸われていく。
いっぱい食べる君が好き。という言葉があるが、主導権を握っているのが空なだけであって、身体そのものは睦のものである。
普段少食の睦の身体でバクバクと食べる姿を見るのは、何かストレスを抱えているようにしか見えなくて不安になる。
「うぷ……湊音くん……」
「ごちそうさまでした……何か言うことある?」
全体で言うと半分ほど食べたものの、途中から露骨に食べる速度が落ちた空を横目に、湊音はしっかりとドリンクだけを温存して完食していた。
「う、ごめんなさい……」
「はぁ……仕方ないなぁ」
多少意地は悪くなってしまうが、ワガママを言われ続けるよりかはここで一度痛い目に遭ってもらった方が今後のためになるだろう。
なんだかんだで涙目で頼まれたらそれで許してしまう自分のことをちょろいと思いながら湊音は空の食べ残しに手を付ける。
(予定外のカロリーだ……帰ったら運動して消化しないと)
なんだかんだで食べきれてしまう辺り、胃袋は男の子な湊音に余裕はあったが、摂取カロリーが可愛くない。
時間的にジムに行く余裕もないせいで、家でできる運動でケアするしかなかった。
「ふんふーん……」
それからはゲームセンターのクレーンゲームでキーウィのぬいぐるみをせがまれて慣れてないのにすぐに取れてしまったせいで、それで調子に乗った空に色んな景品の乱獲を指示されて、景品が入った袋を両手に持ってご満悦な空であった。
「満足いただけたようで何よりだよ」
疲れた。
それが今日のデートを終えて夕陽が照る最寄駅から家までの帰り道に出た湊音の感想だった。
空のことは、ようやくその人格の呼び方が決まったことと、暗所恐怖症なことと、ワガママなこと。
名前が決まっただけ良かったとしておかなければ、やってられない。というのが正直な気持ちである。
「……明日からは大丈夫そうだからさ。私が眠っている間は睦ちゃんのことお願いね」
「明日は大丈夫って……どういう──」
「それは内緒」
だけど、良い笑顔で湊音の唇に人差し指を当てる空の顔を見ると彼女が満足してくれたならそれで良かったと思えた。
「……?」
糸が切れたのと同時に自分の部屋で目が覚める。
(これ、湊音の……)
自分の着ている服が湊音の持っている服であることに気付いた。
(湊音の匂い……)
今の自分がいつかの湊音と同じ姿をしていると脳が認識した途端に下腹がジワりと熱くなる。
「みなと……」
着替えもせずに睦はベッドに倒れ込んだ。