何が言いたいかって今回ちょっと短いって話です。
あの日。祥子は舞台の上で輝きを見た。
(綺麗……)
幼少期に連れられて見に行った歌舞伎の舞台に女形として立つ彼の姿と母が大事にしている人形が重なって見えた。
その女形の演者の名前は若葉湊音。
歌舞伎の舞台が伝統により女子禁制の歌舞伎で、綺麗で完全に女性にしか見えなかったその演者に祥子は驚いた。
(会ってみたい……!)
父に聞いてみれば、湊音の母の森みなみが豊川グループのCMに出演していたこともあり、すんなり会うことができた。
「お人形さんみたいで可愛いですわ!」
舞台を演じたのは初めてで、
そのファーストコンタクトが功を奏したのか。湊音との交流が続いた。
「さっちゃん。ピアノ上手だね。音が綺麗だ」
「ふふっ。ありがとうございます」
週に一回は豊川の屋敷に湊音が祥子のピアノを聴きに睦を連れて訪れるようになった。
会う回数を重ねるごとに湊音は化粧とコーディネートを覚えていき、文字通り可愛くなっていった。
「湊音はもう舞台には立ちませんの?」
「あの時は立ってるだけだったし、みなみちゃんの息子として下手な演技はできないから、そうなる前に辞めとく。
それに今の可愛い俺の方が好きだしね」
「そう、ですのね」
歌舞伎の舞台に立ったことも、偶然が重なった結果一度だけやってみる。ということで、元より継続するつもりはなかったらしい。
令嬢である祥子は欲しいモノは家が用意してくれた。
これと言って物欲が強いわけではないが、初めて『手に入らない悔しさ』から来る物欲のようなモノを経験した。
お気に入りの服を買ったから見せたいとか、たまに睦と入れ替わり、それに祥子が気づくと物凄く嬉しそうにしていたり、そういう湊音も可愛いと思えたから、残念ではあるものの、それ以上に大切な日常として受け入れられた。
母が亡くなった時も変わらずそういう彼であってくれたから、その日常が支えにできた。
「……なのに、また……わたくしは──」
それも全て、汚して、蔑ろにして、壊してしまった。
湊音が家を去った後、祥子は久方ぶりに感じる手に入らなかった悔しさのせいで彼に対する執着を強めていく。
手に入ると思い込んでいたものが手に入らないとわかると、何をしてでも手に入れたくなってしまうのが人間の心理である。
(でも、もう湊音は……)
自分の手で壊した日常がどうなるかなんて、痛いほどにわかっているのに、感じている別の痛みを彼に理解してほしくて、衝動的に行動してしまった自分の愚かしさを呪う。
もう後戻りはできない。
戻ったところでそこにはもう彼の姿がないのであれば戻る理由もない。
CRYCHIC解散から止まっていた時計の針を前に進めるしか、もう祥子には残されていなかった。
いつか、戻れない過去さえ忘れ去るために、誰かの戻る過去を奪うことすら厭わない覚悟を祥子はその胸に宿す。
◇ ◇ ◇
いつも以上の身体の重たさを感じながら湊音は、特定の時間になると開くように設定されたカーテンのお陰で朝一番の日差しを浴びて起き上がる。
(学校、行かないと……)
昨日何があろうと、全人類に平等に朝はやってくる。
重たさの原因が以前の時と同様に睦の仕業かと思い、周りを見渡してみても、彼女の姿は無く、ただただ自分の調子が悪いだけということに気づいた。
まるで身体が言うことを聞く気はしなかったが、日課の肌のケアから着替えまでは全自動で動いてしまって気が付けば朝食が目の前にあった。
「げっ、今日の星座占い運勢最下位じゃん」
「……休んでなくていいの?」
テレビの星座占いを気にしながら納豆に醤油と辛子をかけてから箸で混ぜる湊音の姿は、昨日の今日でいつも通りに戻っている方が睦は心配になる。
「大丈夫だよ。ちゃんと朝は食べないと健康に良くないしね」
「休んだ方が良いと思う……」
ここで可愛いという単語を使わない辺り、湊音の不調を確信する。
表情だけはいつも通りではあるのに、周囲を誤魔化し切れるほどの演技力は湊音にはなかった。
「心配性だなぁ……そういう顔してても可愛いな。うん、流石に双子」
睦のあまり動かない表情筋が微かに動くのを尻目に、白米の上に納豆を乗せて掻き込む。
決して、睦が可愛いから飯が食えるというわけではない。
「……きゅうり貰ってくれなかったの?」
「……そよがいらないって」
今の今まで食卓に置かれていたが、見て見ぬふりをしていたきゅうりの一夜漬けに手をつける。
丸々一本を漬けたモノに割り箸を刺したそれを齧るとほどよく染みた塩分と瑞々しい食感を味わう。
「美味しいのにな……」
ボリボリと一夜漬けを食べきった後に朝食を完食した双子はそれぞれの通う学校へと登校していった。
その日は特に何事もなく、普通に授業を受けて放課後にジムで汗を流しに行った。
(今日は有酸素だけで良いかな……)
ジムに着いた湊音はトレーニングウェアに着替えてランニングマシーンの設定を始めた。
最初は軽めにしておいて、身体が温まってきたら負荷を増やして走る。
(……あの時、拒まなかったらどうなってんたんだろう)
身体は走ることに集中しているのに、頭の中は先日のことで埋め尽くされていた。
祥子の表情、身体の重さ、掴んだ手の強さ。
それら全てが恐怖として身体に刻まれている。
(……やっぱり可愛くないな)
初めて可愛いと言ってくれた祥子があんな風に自分をモノにしようと思っていたことが可愛くない。
湊音自身が祥子に対してそういう感情を持ったことがないかと聞かれればノーとは言えない。
(……だとしても、そうさせたのは俺かもしれない)
あの時、隣に居れば、ライブに間に合っていれば、そもそもライブに誘っていなければ、ちゃんと気持ちを言葉にしていれば、そんな後悔と祥子に対する嫌悪と好意が無限ループしながらランニングマシーンの上で走り続ける。