睦の通う月ノ森女子学園の中庭の菜園には、園芸部の生徒が育てている色とりどりの季節の花が咲いている。
その中で異彩を放つのが睦が管理している菜園。
周囲が初夏の花やこれから開花するであろうひまわりではなく、きゅうりやピーマン、ナス等々の夏野菜が立派な身を着けている。
(こっちのはそろそろ収穫してもいいかも。先週のは湊音に食べてもらったし、次は祥にあげよう。
……次は──)
いくら肥料や元の種の品質が良いものを使っていたとしても、八百屋に並んでいても違和感のないほどのモノを育てたのは睦の努力の賜物だった。
「おはよう睦ちゃん。祥ちゃんの居場所知ってるよね?」
次の収穫が終わったら次は何を育てようか、美味しい夏野菜を渡したら、この前のことで少し気不味くはあるが、祥子は喜んでくれるか。
そんなことを考えている最中にCRYCHICが解散してからはあまり話さなくなった同じクラスのそよが祥子の居場所を聞き出そうと睦に近づく。
「……前にも言ったけど、教えない」
「どうしてかな?」
正直少し面倒臭い。
教えないと言って素直に引き下がらない場合、人の言うことや考えをあまり理解するつもりがない。
このままだと強引にでも祥子の居場所を吐かされるか、あるいはそれに近しい状況になるだろう。
「今、会っても良いことない……」
「……どういう意味?」
無自覚な睦の煽りにそよが顔をしかめる。
会ったとしても、祥子は今はバンドの結成とバイトで忙しい彼女が原因の一員であるそよに会ったところで、お互いの仲に無駄な亀裂が入るだけである。
これ以上口を開けば、また、あの日の繰り返しになってしまう。
そう思うと息が苦しくなった。
「……そのまんまの意味。いいや、会わせてあげる。ただその代わり、もうこういうのやめて」
「えっ……?」
冷たい表情になり、声のトーンが低くなった睦にそよは驚きの声が漏れる。
今まで湊音が睦の振りをしていた。と言われる方がまだ納得できる。
「じゃあ、そういうことだから、私もう行くね。放課後にまたね」
「う、うん。祥ちゃんによろしくね?」
言うだけ言ってその場を去った睦と入れ替わった空はそよが着いてきていないことを確認して、人通りが少ない非常階段下で腰を下ろした。
(……ごめん)
(いい……それより、いつから……?)
階段で遮られた青空を見上げながら勝手に入れ替わって動いたことを脳内で睦に謝る。
(睦ちゃんが高校生になった時くらいかな?)
(……そう)
(あ、そうだ。名前ないと不便でしょ。空でいいよ)
(……空)
最近になって記憶の連続性が保たれず、気がついたら知らない状況になっていることで薄々気づいていたが、数年振りに彼女の声を聞いて睦は安心すら感じていた。
(……祥、怒るかな?)
(あー……多分怒るんじゃないかな。それもごめんね)
空なりに庇ってくれたのだろうが、かなり雑な対応だった。
昔は睦に代わった後のフォローもしていてくれたが、今はしてくれないらしい。
(……帰ってギター弾きたい)
最近は湊音も毎日何処かに出掛けていて、家では難しそうな顔で何かをしていて、それを聞いてもはぐらかされてしまうため、一人リサイタルにも誘い難い。
だから、一人でギターを弾くしかないのだが、未だに自分の納得が行く演奏はできていない。
練習が足りないのか、それ以外の何かが足りないのか。わからないままだった。
その日の夜。
祥子にそよの件で連絡して二人を引き合わせた睦は空気の重たさに今すぐ抜け出したくなっていた。
「何の用ですの?」
「今日は会ってくれてありがとう。どうしても会って謝りたいことがあるの」
謝りたいことがあるのは本当である。
CRYCHICで曲を作っていた祥子にとって、勝手に曲を演奏されることが彼女を傷付けたことを謝ってやり直そうと今まで利用できそうな人間にまで愛想を良くしてきた。
ここでしくじれば努力が無駄になってしまうそよは必死だった。
「やらないはずだったのに、やる流れになっちゃって……本当はね、祥ちゃんと睦ちゃんも呼んでやり直そうお思ってたんだよ。だから──」
「どうでも良いですわ」
そんなことにもう意味はない。もう忘れた過去の話である。
いつか、彼の口から告白を聞くことを期待した未来も、そのために足掻いた今も、全部壊してその割れた破片の中を歩もうとしている祥子にとって、CRYCHICが復活することはあり得ない話だった。
「いつまでもそんなものにしがみ付いていないで、今の方々と仲良くなさったら? わたくしももう暇ではありませんので、どうぞ、新しいバンドでお幸せに。
睦、行きますわよ」
どうでも良い。
新しいバンドのためにメンバーのスカウトや下準備の最中の祥子に、そよの戯れ言に付き合っている暇などなく、そよを置いてその場を去った。
「だから、言ったでしょ。
良いことないってさ。じゃ、もう二度と睦ちゃんに付き纏わないでね。バイバイ」
追撃と言わんばかりに、そよの耳元で彼女にしか聞こえない声量で睦が囁く。
「ちがっ……! 私は皆のこと大好きで! だからそのために必死で……!」
取りつく島もなく置いてかれたそよは、その場に立ち尽くして自己弁護することしかできなかった。
◇ ◇ ◇
何も見えない暗闇で、音もくぐもった水音しか聞こえない。
そんな場所でぼんやりと自分以外に二人居ることを感じる。
きっとこの暗闇を抜け出せるのは三人の内二人だけ、誰か一人は熔けて消えるしかない。
二人は目覚めていなかった。
──空と書いてあおいなんてどうだろう?
ボヤけた声が聞こえる。
その言葉の意味はまだわからない。だけど、それが自分の事である確信はあった。
二人より先に確定した存在であるのなら、二人を守る存在として自分を定義した。
二人はまだ目覚めない。
時が経つに連れて、一人の存在が揺らいだ。
じわじわと熔けていき、存在がなくなってしまいそうだった。
そうなれば、暗闇から抜け出せる存在が決まる。
もうこの静寂に怯えなくて良い。
そう、安心するはずだった。
彼が消えてしまったら、自分で定めた存在理由が矛盾する。
守るために生まれたと定めたのに、生まれる前にその存在を消してしまうことによる自己矛盾が怖くなった。
消えたくない。消したくない。
そう思うと勝手に熔ける彼を包んで代わりに熔ける自分が居た。
(……変な夢、見た)
睦が嫌な汗を掻いてしまい目が覚めた。
また少しだけ空に代わって貰ったあと、家に帰ってきて遅めになってしまったが、湊音と一緒に食事をして、また風呂上がりに手入れをしてもらって気持ち良く寝ていたのに、身体が震えていた。
「……っ、ひゅ……ごめ、身体、勝手に」
(空……? どうかしたの?)
主導権を握った空が過呼吸気味になりながらもベッドを這い出て、壁にもたれ掛かりながら湊音の部屋まで何とか歩いていった。
「湊音くん湊音くん……」
睦とお揃いの柄のパジャマを着て、寝相のせいでキャップタオルがズレた湊音が涎を滴しながら心地良さそうに眠っている。
(……空? 何してるの? 何で湊音のベッドに入ってるの? やめて……!)
睦がいくら呼び掛けても一切返事をしない空は湊音の寝ているベッドに潜り込んで、そのまま彼女は覆い被さるように彼の上に乗ってしまった。
「……うひ、ふあ……ふぅ……こんな時間になに……? もうトイレひとりでいけないとか言わないでよ……て、それはむつみかー……あおいもそんなんでお姉さんなわけないでしょもう……」
寝惚け眼でトロンとしながらも湊音が喋る内容に色々ツッコミどころはあったが、そんな余裕は睦にも空にもなかった。
「ここで寝るだけだから気にしないで湊音くんは寝てて良いよ」
「……んあー、ならいいや……」
寝惚けたまま湊音が再び眠りにつくと、電源が落ちたかのように空も眠りについた。