「湊音、これ知ってる?」
「ネイル塗ってるからちょっと待って」
若葉家のリビングで湊音がネイルを塗っていると、睦がスマホの画面を見せてきた。
ネイルを塗り終わり乾かしている間に睦に動画を再生してもらう。
『こんにちにゃむにゃむ~』
にゃむちという配信者が美容について語っていて、そもそも湊音がこの手の動画やクリエイターに興味がないということもあるが、その姿と挨拶に何とも言えない気持ちにさせられる。
「配信者? なんか愛音がなんかどーたらこーたら言ってた気がする」
「祥がスカウトしてバンドに入る人。湊音に会いたいらしくて……」
もう既に睦の専属メイクとして巻き込まれてはいるものの、他メンバーのことまで面倒は見たくない。
あくまでも睦のために協力してるだけであって、祥子のメンバー集めに協力をするつもりは毛頭ない。
「えぇー……いつ?」
「今日」
「今日!?」
一応日取りを聞いてみたらこれである。報連相もへったくれもない。
「湊音、既読付かないって祥言ってた」
「あー……そうだった……」
例の一件から以降、祥子から届く夥しい量のメッセージに恐怖した湊音は彼女のアカウントをブロックするのではなく、メッセージアプリをアンインストールしてしまったことを思い出した。
不便ではあるものの、両親がわざわざ連絡してくることはなく、睦も大体は口頭で伝えてくるぐらいであるため、被害はメールでのやり取りを強いられている友人にだけ出ていた。
「これは俺が悪い。場所は?」
「場所は──」
今朝、そういうことがあり、指定された喫茶店に少し早めに訪れた湊音は先に軽食を注文して待つことにした。
注文からほどなくして海老カツパンとメロンソーダが届く。
気持ち的にはチキンナゲットとポテトフライも食べたかったが、カツパンの大きさを見て食べ終わった後に余裕があれば頼むことにした。
(結局ペロリと行けてしまった……一旦お腹は膨れたけど、もうちょい食べたいな)
完食した後にまだ少しだけ食欲が満たされない湊音はメニューを見ていると背後から肩を叩かれる。
「どうも、お待たせ。こんにちにゃむにゃむ。にゃむちでーす」
後ろを振り返ると今朝動画で見せられた紫髪の少女が立っていた。
良く言えば親しみやすい、悪く言えば馴れ馴れしい。そんな印象を湊音は抱いた。
可愛くないかどうか、まだ判断に悩む。
「ていうのはさておいて、ワガママ聞いてくれてありがとう。私は祐天寺
「それで、なんで俺なんかに会おうと? 有名人に会いたいって話なら、睦の方がよっぽど有名だったと思うけど」
ほぼ本名のままな活動名義にツッコミを入れたかったが、そういうことをする人間が自分の名前を気に入っていない筈がなく、ぐっと飲み込んで今日呼ばれた理由を訊ねる。
「桜花嵐の『桜』の若葉湊音。一度会ってみたいなぁって思ってたんだよね」
ドリンクを注文した若麦は品定めをするような視線で湊音の顔を見る。
自分で可愛いを自称するだけのことはある顔で、過去の経験からそういう目を向けられても、慣れたような、だけど、少し複雑そうな表情をしている。
「……そういうこと」
桜花嵐。
湊音が幼少期の頃に役を演じたことのある歌舞伎の演目。
当時は
それ以降、湊音にドラマや舞台演劇のオファーが来たが、どれにも首を縦に振ることはなく、コアな歌舞伎ファンの中では語り草となっている。
そして、湊音と祥子の出会いのきっかけでもある。
「とりあえず、ちょっと追加で飲み食いするけど、そっちは何か食べる?」
それはそれとして、空腹が抑えられなかった湊音は注文用のタブレットを操作してチキンナゲットとポテトフライのバスケットと追加のドリンクを注文する。
「いらない。って言うか、ここのパン食べた上でよく食べられるね」
この喫茶店のメニューはどれもこれもサンプル写真より実物が大きいことで有名である。
海老カツパンもその例外ではなく、かなり大きいのだが、それでも食べ足り無い湊音に若麦は驚きを通り越して呆れた。
「いっぱい食べる子が可愛いって、よく言うだろ」
湊音の体型は女子そのものなのだが、それに加えて食べてもあまり太らない。
そして、カロリーを取りすぎたとしても体型維持のために通っているジムで全て消費できる。
故に湊音に食べ過ぎて太るという悩みとは無縁だった。
(なーんか、食べてるとこ見るとうちのチビ達っぽいなぁ)
バスケットが届くなり、むしゃむしゃと食べ始める湊音に、
「……やっぱり食べたくなったとか?」
「違う。双子で兄妹なのか姉弟なのか公言してないけど、こうして見てると、アンタの方が弟っぽいなって思っただけ」
「にゃむちがそう思うんだったらそうで良いんじゃない。俺達はどっちでも良いと思ってるから気にしてないだけだし」
「ふーん……」
今は空の件もあり、彼女が本当に姉ならば、湊音は弟でもあり兄でもある可能性はあるが、兄ではない可能性もある。
結局のところは両親に確認する必要があるのだが、機会を逃し続けている間に他の問題が山積みになっているのが現状である。
「客席で見た時より綺麗だし、正直同業じゃなくて良かったと思う。
だからさ。私のチャンネルに出てくんない? 一回で良いから」
「え、嫌だけど?」
「うそーん!」
理由は知らないが湊音が二つ返事で断ると、テーブルに突っ伏してズコーと音が聞こえてきそうなリアクションを取った。
「何で!?」
「そういうの、興味ないからな」
即座に顔を上げてテーブルを叩く若麦をよそに湊音はタブレットを操作する。
思ってた以上に身体が空腹を訴えているため、甘味も注文圏内だった。
「興味ないって、あんだけ自分のことを可愛い可愛い言っててその表現する場には興味ないワケ?」
「俺が世界で一番可愛いんだから、それを宣伝する必要ないだろ。それに……」
世界で一番可愛い自負はあるものの、以前ほど自信を持って言えなくなっていた。
祥子のことでメンタル的に不調が出ているのは確かで、それを睦にも見抜かれている。
だから、世界で一番可愛かったとしても、メンタルの問題でそういうことをするつもりは無かった。
「睦とバンドやるんだったら、俺よりかそっちと仲良くしてくれると助かるかな。
悪いけど、俺はもう『桜』にはなれないし、なるつもりもないからさ」
祥子との出会いで良くも悪くも湊音は変わってしまった。
その影響で演じずに演じた『桜』のメンタリティーと当時の記憶を思い出すことはできない。
「うちゃアンタんこと憧れて東京にきたばってん! そぎゃん腑抜けたこと言いなすな!」
変わり果てた湊音に怒りを隠せず、もう一度強くテーブルを叩く。
思わず熊本弁が出てしまい、それに湊音はワンテンポ遅れて驚きの表情を浮かべる。
「……なんて?」
「もういい。一旦今日は帰る」
幸か不幸か、熊本弁のお陰で湊音には言葉の意味が通じなかった。
大声を出したせいで周りから注目され始めたのを感じ取って若麦は伝票を引ったくり、支払いを済ませて喫茶店を出ていった。
(ちゃっかり伝票は持っていったな……打算的なのか、良い人なのか微妙に判断し難いな……)
残された湊音は何とも言えない表情で残ったコーラを飲み干した。