(……お腹空いた)
ある休日の朝。
バンド活動が始まったことによって普段よりカロリーを消費するようになったからか、食べる量が増えてきた睦は寝起きから身体が空腹を訴えてきた。
(たまには睦ちゃんが朝ご飯作ってみたら?)
(お手伝いさんに任せた方が美味しい……)
空がそんなことを提案してきたが、普段から料理をする方ではない睦がやったところで出来栄えが良いモノは作れない。
精々半生か半焦げの何かが生成されるくらいなら、折角金を払って雇っている家事手伝いさせた方がよっぽど良い。
(でも、睦ちゃんが作ったら湊音くん、喜んで食べてくれると思うよ?)
(……やらない)
湊音にお弁当を作った時もバレンタインでお菓子を作った時も、なんだかんだでほぼ祥子に作ってもらったようなもので、自分にギター以外は向いてないことはとっくに理解していた。
尤も、そのギターも納得の行く演奏ができた試しはない。
外は強めの雨が降っていて、それをBGMにしてリビングで湊音が置きっぱなしにしている雑誌を読みながら朝食が出来上がるのを待つことにした。
(……一頁目から最後まで読み終わっちゃった……おなか、すいた)
(というか、今日って日曜日だからお手伝いさん来ないんじゃなかったっけ……?)
(…………忘れてた)
中々出来上がってこない朝食に疑問を持ったところで、空から指摘されてようやく気付く。
日曜日は昨夜の残りか湊音が気紛れで料理をするか、もしくは簡単なもので済ませている。
(起きてこない。湊音、まだ寝てるのかな……?)
朝食までには起きてくる湊音が来る気配すらないことを不審に思った睦は、彼の様子を確認しに部屋へ向かった。
「湊音、起きてる……?」
一応ノックをしてから数秒待って返事がないことを確認して湊音の部屋の中に入る。
ベッドの上で横になっている湊音に近づくと、彼が呻いてゆっくり目を開く。
「ごめん、今日ちょっと……体調悪くて……熱とかはないから、寝てれば大丈夫だとは思うから…」
ぐったりして弱った様子の湊音が申し訳なさそうな湊音を見ると、手が勝手に彼の頭を撫でていた。
「……何か食べる?」
「お腹は空いてないから大丈夫。もう少し寝るから、睦はコンビニで何か買って食べておいて……」
そう言うと目を瞑った湊音を見て、邪魔をするべきではないと判断して睦は一度部屋を出る。
あそこまで元気がない。体調の悪そうな湊音は見たことがない。
看病した経験も看病された経験もないため、どうしていいかわからない。
(……どうしよう)
具体的なことを何も考えずに自分の空腹すら忘れて、キッチンに来て冷蔵庫に残っている材料とにらめっこしてきた。
助けを求めようにも、空はこういう時に限って眠ってしまっていて、頼れる人間も祥子しかいないが、彼女を呼ぶには問題がありすぎた。
両親も仕事で一日居ない状況では、睦がどうにかするしかないのである。
(……とりあえず炊飯器にあるご飯使えばいい?)
釜の中に残っていた三合ほどの米を全て鍋の中にぶち込み、それがヒタヒタになるまで水を注ぎ、塩等々の調味料を適当に入れて蓋を閉じたらコンロの火を入れる。
(……暇)
コンロはIHであるため火事の心配もないが、一応見ておくために丸椅子に座って鍋の前でじっと見守り続ける。
(雨は嫌い……)
雑誌を読んでいる時は気になりはしなかったが、ただ見ているだけの状態で聞く雨音は祥子に傘を差し出すこともできなかった無力感を思い出させる。
大切なモノが壊れる時はいつも自分が言葉を発した時で、それならいっそのこと、見ているだけの方が自分が加害者にならなくて済む。
だけど、見ているだけで何もしなかった後悔がずっと残ったままで雨音と祥子の泣き声が頭の中でリプレイされる。
(……違う。本当に嫌いなのは私)
あの時、あの場に居たのが、湊音なら、空なら、こんなことにはなっていなかったかもしれない。
「……っ」
沸騰した鍋が吹き零れたことでようやく鍋の状態に気づいた睦は慌ててコンロの火を止める。
鍋の中を確認すると三合分もの米が水分で膨張してとてつもない質量になっていた。
(……湊音、よく食べるしこれくらいあった方がいいかも)
湊音の胃袋を過信して、丼が山盛りになる量をよそい、薬味としてきゅうりの浅漬けを添える。
二人分の茶碗とレンゲも盆に乗せて再び湊音の部屋に向かうと、あまり変わらない様子でベッドの上で横になっていた。
「湊音、お粥持ってきたから食べて」
「んぅ……ぅー……ありがとう、やっぱり──」
食べないと元気にならない。と言おうとしたところで睦が持っている盆の上の丼に湊音が絶句する。
その間にも睦が黙々と湊音の茶碗に山盛りにされているが、丼からの圧のせいでその他諸々含めてツッコミを入れる余裕がなかった。
「……?」
湊音に茶碗とレンゲを渡そうとしても、惚けて反応がない様子を見た睦はレンゲで一口分掬って湊音の口の前に持っていく。
「あーん……」
それでも湊音が食べる気配がなかったため、お粥から湯気が立ったままのレンゲを無理矢理に彼の口に押し込む。
「うぶ。んぐ……しょっ! から! あっっっっつ!?」
身構えていない状態で冷ましていないお粥を口内に捩じ込まれた湊音は火傷で口内をズタズタにされながらも、枕元に置いてあったミネラルウォーターで何とか口内を冷却しながら咀嚼せずにお粥を流し込む。
実にこの間十数秒の出来事である。
「……大丈夫? まだ具合悪い?」
「たった今口内環境はズタズタになったよ! 人の口に熱々のモノを押し込むんじゃありません!」
クエスチョンマークの輸出量世界ランクでトップを狙えそうな睦にいくつか聞きたいことがある湊音は冷静に一つずつ事情聴取を始める。
「とりあえず、どうやって作った?」
「お米とお水、沢山入れてから塩と醤油とゴマ油とかも入れた」
料理番組でよく見る調味料を入れておけば何とかなるだろうという安直な考えだった。
問題は調味料の種類ではなく、分量と入れ方による不均等による味の偏りである。
「味見した……?」
「……してない」
料理ができない。又は得意ではない人間の原因の何割かは味見をしないことにある。
途中経過で味が良くなかった場合やどこか足りない場合は調味料を使う必要があるのだが、味見を怠ると失敗に気付かずに味が調えられないまま料理が完成してしまう。
「……次からはしようか。作ったのはこれだけ?」
「炊飯器に入ってたお米全部使った」
「…………マジ?」
湊音の記憶が正しければ、炊飯器の中には三合ほど入っていたはずなのだが、それを全て使ったとなるととてつもない量のお粥ができあがっている筈である。
今、お出しされているお粥の状況を見るに底は焦げていて、それを混ぜるようなこともしていないことは想像に難くない。
「マジ……」
「そ、っかぁ……」
天を仰ぐと同時に睦にもある程度料理をできるように教えようと湊音は心に誓った。
残りは夕飯で消化するとして、何とか目の前の丼のお粥を全て消化する頃には湊音の腹は九分九厘目まで膨れていた。
「……ごめん」
「謝らなくていいよ。結果じゃなくて、やろうとしてくれた気持ちだから。ありがとう」
次は美味しく作ってくれるともっと可愛いけど。と付け加えて睦の落ち込んだ頬を揉む。
失敗も理解して許してくれる湊音だから、睦は甘えてしまう。
湖の底まで沈んだ自己肯定感を湊音の優しさという月の光に照らされるのは心地が良くて、その誘蛾灯に惹かれてどこまでも心が堕ちてゆく。
「うん……」
それでも、まだ心が鬱血していくのは、湊音の中の一番にはなれていないから。
Ave mujicaの初ライブの時に、舞台の上から湊音の座る席を見たが視線は舞台の上に向けられていたものの、それは自分に向けたモノではなかった。
結局は何かスレ違いがあったにしても、心はまだ祥子に向いている。
二人のことは応援していたのに、あの日以来安心している自分と、何かしらの解決を願っている自分が居て、心の血が吹き出そうになる。
「……元気になった?」
「なったよ。ありがとう。雨だし、今から外に出るのは時間的にも嫌だけど、家の中でなら付き合うよ」
なんだかんだで身体に燃料を入れられるとそれなりに元気は湧いてくるモノで、カロリーは偉大だと湊音はお粥を用意してくれた睦に改めて感謝する。
「ギター、弾く」
「それくらいなら、お安い御用」
睦が手を差し出して、湊音が差し出された手を掴むと二人でスタジオまで向かう。
Ave mujicaが始動してから中々双子だけの時間というのは取れていなかったこともあり、久しぶりのリサイタルだった。
(素っぴんでパジャマのままだったな……)
先ほどまでベッドの上から動いてなかったため当たり前ではあるのだが、髪もボサボサで何一つ可愛くない可愛くなかった。
「ちょっと前に練習してた曲。やってみる」
準備が終わった睦がギターの弦を弾くと、聴き慣れたギターの音が聴こえてくる。
漏れ聴こえてくる睦の声とギターのメロディーから聴いたことがない曲であることだけは理解できた。
「キラキラ、お星様宿した……あなたの……eyes……」
湊音の目の前ですら上手く歌えないことに自分の才能の無さを痛感する。
それでも、彼の中で一番になるには、彼に目を向けてもらうには、これしかなかった。
この作品の若葉睦のテーマ曲としてファタールがハマり過ぎたのが悪い。