早朝、父の清告のいびきとテレビの音で祥子は目を覚ます。
(……寝ながらテレビを見るのは止めてと何度も言ってますのに……このクソ親父は!)
相変わらず酷い目覚めで、働きもせずに娘の金で飲み歩いている清告に腹が立つ。
Ave mujicaの活動開始によってある程度は金銭面は改善されてはいるものの、結局は未成年の高校生が稼げる額でしかない。
祥子が今でも質素な生活をしているのは、地面師詐欺にあい、その損害の責任を取る形で豊川家から追放された清告を支えるためで、父であったとしても今の彼の姿は見るに堪えない。
(……そろそろ、支度しませんと)
テレビの電源を落としながら時計を確認すると、いつも登校する時刻が差し迫っていた。
手短に最低限の準備を済ませて駅に向かう。
高校に入学してからの祥子は毎朝始発電車に乗って登校している。
あの家に居る時間を増やしたくなく、普通の時間に登校しているところを睦以外の元CRYCHICのメンバーに見つかりたくないというのが主な理由である。
最近はこの時間の静けさも好きだ。
(そろそろ、この本も読了が近いですわね)
学校に到着し、誰よりも早く登校して無人の教室の自分の席に座った祥子は読みかけの本を鞄から取り出して読書を始める。
登校中も登校してからも、自由時間があれば読書に時間を費やす。
電子書籍ではなく、紙の本を好むのは紙の匂いやページを捲る動作が好みだというのもあるが、古本屋で安く手に入れることができるということに助けられている。
できればAve mujicaの作業も学校でやってしまいたいのだが、仮面バンドとして正体を隠している以上は外部の人間にバレてしまうリスクを背負うことはできない。
入学以来、クラスメイトと特別交流があった訳ではないが、今まで以上に校内の人間とは関わりを断ち始めた祥子の周りに人は居ない。
居ない筈だった。
「またですか、愛音さん」
「いやー、豊川さんの周りって席空きがちだから席取り楽なんだよね」
午前のカリキュラムを終えて、祥子が学食に向かおうとすると、別のクラスなのにわざわざ教室の外で待っていた愛音に呆れた表情と声を向ける。
羽丘女子学園の学費の中には学食のサービスも含まれており、生徒は専用のIDカードを使うことによってドリンクとデザート付きのランチを無料で食べられる。
「ナチュラルに無礼ですわね……」
普段の愛音は燈や自分のクラスメイトと昼食を共にしているのに、最低でも週に一回は同席する。
「ごめんて。でもさー、お昼にいっつも一人で食べてるの寂しくない?」
「別に。慣れてますので」
春頃、祥子が音楽室でピアノを弾いているところにバンドを組む前の愛音と出会った頃からの付き合いではあるが、彼女のバンド活動は応援していたものの、迷子のバンド、今は正式に『MyGO!!!!!』という名前に決まったらしいバンドにはあまり良い感情を持ち合わせていない。
「えー、さっちゃん冷たーい」
「その呼び方、やめてくださる?」
「やっぱり冷たいじゃん!」
その呼び方をされると否が応でも湊音を連想させるせいで、学校で被っている仮面が剥がれそうになる。
「……それに、その呼び方。可愛くないですわ」
「いや、可愛いでしょ。さっちゃんって湊音くんが呼ぶくらいには」
「今、その名前はあまり聞きたくはありませんわ」
その呼び方をしている人間が可愛かったのであって、たまに学食で相席する程度の愛音に呼ばれたいかと言うと話は別だった。
(こりゃ、相当拗れてるなぁ。いや、私が湊音くんとさっちゃんの仲に対して世話焼くことないんだけどね?)
愛音は本当に席が空いてるだけで相席しているのではなく、なんだかんだで継続してチケットを購入している湊音が一人分のチケットしか買わなくなったのを不審に思い、客席で隣に居た祥子を探ってみているだけである。
そうしたところで何かあるわけではないのだが、見えている範囲で拗れた関係が見えてしまったら気になりはする。
固定客を取り戻すという打算半分、元CRYCHICで燈が気にしているため放ってはおけない半分で祥子に絡んでいるに過ぎない。
「何このカツカレーハンバーグラーメンって……食べる人居るの?」
「さあ? 男子が居る共学や男子校ならともかく、女子校の羽丘でこのメニューを置く意味はわからないですわ」
学食の珍妙なメニューにツッコミを入れながらも液晶パネルを操作して注文を決める。
本格的なモノには届かないがとりあえずドリンクにアイスティーを選び、今日はAve mujicaの活動もあるため、いつもよりは多めに食べておきたいが、午後の授業に支障が出るのはよろしくないところが悩ましい。
「そういえば、この学校って月一でビュッフェあるらしいけど、アレって卒業した生徒会長が発案したらしいよ」
「そうなんですのね。前年度の生徒会長といえば……確か、Pastel*Palettesの氷川日菜さんですわね」
睦がカラオケで歌うくらいには好んでいたユニットの人間だったこともあり、頭の片隅で名前は覚えていた。
祥子個人としては特別何かあるわけではないので、それ以上でも以下でもない。
「なんか、ここ周辺ってガールズバンドの有名人多いよね。ブームの始まりになったライブハウスが昔ここの近くにあったっていうのは知ってるけどさ」
「SPACEですわね」
「あー、そうそう、それそれ。うちのギター……楽奈ちゃんのおばあちゃんがオーナーさんやってたらしいね」
なんだかんだで拒絶する理由もないため、雑談に乗っかりながらも無難にパスタとサラダのセットを注文し、受け取った後に席を確保した。
「さっちゃんって食べる時の仕草が所作って感じで綺麗だよね」
「こういうことはできないよりはできる方が良いですわ」
「いや、私は良いかな。あ、でも、ANON TOKYOが世界進出したらそういう会食とかにお呼ばれするかもしれないし、そうなったら身に付けるのはありかも?」
愛音が自作しているバンド衣装のブランド。とされているANON TOKYOだが、その実態は他のメンバーは特に衣装にこだわりはないが彼女が一人で作ると言っては毎回徹夜三昧になり、ライブに間に合わなくなるため他のメンバーに手伝ってもらっているという残念な自己顕示欲の塊である。
「愛音さんの場合、余計に空回りしそうですわ」
「私も私だけど、さっちゃんも結構酷くない?」
「はて、何のことやら」
なんだかんだで雑談しながらも昼食を食べ終わると食堂で愛音と別れると残りの昼休みは音楽室のピアノをひたすらに弾く。
ボロアパートではできない分の練習を少しでも埋めるためにも貴重な時間であるものの、羽丘七不思議の一つとして恐れられているのはまた別の話である。
放課後になれば次回のための打ち合わせと練習のためにまっすぐに事務所へと向かう。
「これなら、本番も問題なさそうですわね」
軽く打ち合わせをした後、本番に向けての曲合わせも問題なく終了した。
(何か、違いますわね……)
しかし、祥子は心の何処かで満足していなかった。
演奏技術も問題無く、自分の作曲にも不満はない。だけど、何かが足りない。
衝動に突き動かされるままに漏れ出る心の叫びが足りない。
「さきちゃん? 私どこか間違えちゃったかな?」
「……いえ、初華もよくやってくれていますわ」
練習を終えて各々が片付けをしていると、初華が何かを悩んでいそうな顔を見せた祥子に声を掛ける。
自分を下にする癖がある初華だが、メンバーで唯一楽器未経験者かつsumimiというハンデもある中で祥子の言う通り良くやっている方である。
そもそも初華に求めているのは楽器の腕ではなく、歌声ということもあるが。
「……じゃあ、湊音くんのこ──」
「違いますわ」
「流石に無理でしょ?」
湊音の名前が出た瞬間に祥子は即座に否定し、睦はギターケースのチャックを閉じる手が一瞬だけ止まった。
これで湊音のことで悩んでいないと言うのは無理がある。
「若葉湊音と言えば、若葉さんの双子のお──」
「どっちでも良い。先に帰る。お疲れ様」
二人の話が聞こえていたベースの八幡海鈴が睦に目を向けながら彼の話を広げようとすると、彼女はさっさと帰り支度を終わらせてスタジオを出ていった。
「帰っちゃった。そいで、桜花嵐の桜で今はムーコの専属メイクで……ほーんと、もったいない」
若麦が誰かのせいだと言いたげに祥子に視線を向ける。
「別に、わたくしが悩んでいたとしても、皆さんには関係ありませんわ」
祥子の集めたメンバーは、いずれ仮面の下を明かす時が来た時にネームバリューがあるメンバーかつ各ポジションとして一定の水準を求めただけであり、個人個人の夢や目標については知ったことではない。
「では、わたくしも帰りますので、ごきげんよう」
祥子自身が忘れるために始めただけのバンドに、キラキラもドキドキも不必要だった。
あのさきが普通に友達やってたって良い。