武道館ライブまで残り一週間を切った頃。
時間になると睦の部屋のカーテンが自動的に開き、部屋に射す日差しで目が覚める。
(おはよう。睦ちゃん)
(おはよう……)
朝一番に決まって空が一番最初に挨拶をしてくる。
同じ身体を共有しているのだから、当たり前ではあるのだが、それを望む相手はまた別に居るせいで朝から睦の気が滅入る。
(いつもより早いけど、今日もムジカ?)
(うん。今日は演劇の方……)
練習と言ってもAve mujicaは演奏だけではなく、祥子の脚本で演劇もする。
睦に割り振られた役は寡黙で、祥子が演じるオブリビオニスに従順な妹のモーティス。
自分と大きく乖離している人格の役ではないため、問題はないのだが、台詞を覚えて祥子のディレクションに合わせるために、合わせ稽古をする必要があり、今日のスケジュールの半分はそれである。
(どっちも変わってあげられなくて、ごめんね)
空にはギターも演技の才能もない。
昔は人間関係の折衝やテレビの撮影で、明るい性格で居た方が都合が良い時には変わってもらっていた。
しかし、
(大丈夫……)
(そう? 無理しないでね。なんかあったらすぐ変わるからね)
(……ありがとう)
一言くらい湊音と話したかったが、彼はまだ眠っている時間だったせいでまたしても気が滅入りながら家を出た。
◇ ◇ ◇
「ねぇ、ムーコー」
「何?」
スタジオ練習も終わり、いち早く湊音が居る自宅に帰るために睦は帰り支度をしていると、若麦に声を掛けられる。
「ミナトに役者復帰しろってムーコから説得してよ」
「……なんで?」
『桜』を望んでいる人間が一定数居ることは過去に湊音の代わりとして起用されたことのある睦が知らない筈もない。
「アイツ、ムーコには結構甘いじゃん」
「……湊音、演技向いてない」
「はぁ?」
きっと、あの舞台の上に立っていた湊音は演技などしていない。
当時は今ほど仲の良い双子でもなく、彼の心の内はわからなくても、それくらいのことは理解できた。
「ムーコ、本当にあの舞台見てたの?」
あの立ち姿だけで、『桜』という少女を表現した湊音という輝きに若麦は魅入られた。
なのに、双子の睦に否定されてしまうと、思わず声が低くなってしまう。
「……全部見てる」
二十数回公演された『桜花嵐』全てを睦は見ている。
毎公演、湊音と共に楽屋に入って、公演が終われば湊音と共に帰って、食事をした。
なのに、一度も目を合わせてくれたことはなかった。
空に相談して、代わってもらっても、どんなことをしても視線は交わらなかった。
「けど、好きじゃない」
「あっそう、じゃあムーコでもダメなら違う手を考えるかぁ……」
いつも睦の表情が動くことはないが、これ以上話を掘ると良くないモノまで掘り起こしそうになる気配を察知した若麦はわざとらしく口元に弧を描いて餌を撒く。
睦が協力しないのならば、手段は選ばないような仕草をしておくことで、彼女が協力せざる得ない状況にすればいい。
「祐天寺さん。睦が困っていますのでそれくらいにしていただけます?」
二人のやり取りを見ていて、見かねた祥子が間に割って入る。
見れるのであれば再び板の上に湊音が立つ姿を見たくはあるものの、それで彼が御せるのであれば祥子は苦労していない。
「やだなぁ。ちょっとお願いしてただけじゃん。お堅いなぁ」
「馴れ合いなど、Ave mujicaには不要ですわ。睦、行きますわよ」
祥子が睦の手を引いて、スタジオの外に連れ出す。
こうでもしなければ、押し切られていたであろうことを考えると、思わず溜め息が漏れる。
「ごめんなさい……」
「貴女達の相性の悪さは想定済みですが──」
祥子から散歩ほど離れた位置から睦がか細い声で謝罪する。
メンバーの全員に話題性と一定の技量を求める以上、どうしてもメンバー間の相性の良し悪しは出てしまう。
特に、睦と若麦の相性はどうしようもない。
「嫌ならハッキリ断りなさい。湊音を復帰させたくないと言い出したのは睦なのですから」
そうなれば、必然的にまた世間の注目が
現状、Ave mujicaの仮面は然るべきタイミングで外す予定であるため、湊音を解き放つにはまだ時期尚早である。
「……」
どこまで行っても『湊音』で息が苦しい。
最初は睦の代用として、湊音を使った筈なのに、いつの間にか彼を皆が求めている。
「睦?」
「……大丈夫」
祥子に対する贖罪と湊音を守るためにAve mujicaに加入し、モーティスという仮面を着けた睦に取って、今の状況は自ら望んだ結果である。
湊音が自分を見てくれさえすれば、それでも良い。それで良かったのに望む結果だけは手に入らない。
自分以外の自分ならば、こんな気持ちにならなかったかもしれないと思うと、呼吸が浅くなる。
何とか平静を取り繕って帰宅した睦は一度ベッドの上に倒れ込む。
(疲れた……)
(変わろうか?)
ぐったりとしていると、空が声を掛けてくる。
彼女に変わってもらっても良いのだが、今日はまだ湊音と会話するどころか顔を合わすことすらできていない。
(……大丈夫)
何とか気力を振り絞って睦の部屋にあるテレビのリモコンに手を伸ばして操作すると、十年近くレコーダーに入りっぱなしになっているディスクが回り始める。
どうせ最後までは見ることはないためそのままリモコンは握ったままにしておく。
(湊音、何考えてたんだろう……)
映像の中で幕が開くと、『桜』としての湊音がそこに居た。
その表情は目元は冷たく、口元は僅かに緩く微笑みを浮かべている。
あの頃、空が湊音に伝えていた『思わざれば花なりき、思えば花ならざりき』という言葉の通りで、今の彼が自分ではない誰かに作り変えられた『若葉湊音』という存在であると思うと震えが止まらず、リモコンの一時停止ボタンを押す。
(……嫌)
そして、その誰かというのは考えるまでもなく──。
「睦?」
ドアをノックする音の後に湊音の声が聞こえる。
先ほどまで指先以外はまるで動かせる気力が無かった睦の身体が羽のように軽くなった。
立ち上がってテレビの電源を落としてドアを開ける。
「何?」
「帰ってきてたみたいだし、何にしてんのかなって。それだけ」
「……そう」
昔の湊音なら自分から睦の部屋に来ることなど絶対にしない行動だった。
それが嬉しくて、今日あった嫌なことなど忘れらそうなのに、この言動も作り変えられた結果だと思うと、また心が鬱血していく。
「……今日は疲れた」
睦が一歩前に出て、全身で湊音にしだれかかる。
湊音は驚きはするものの、タックルでもないのであればよろけることもなく、睦の軽い身体を受け止める。
「っとと……珍しい。そんなに疲れた?」
何となく、こうして甘えてくるのは空のイメージがあったが、最近も朝布団に侵入してきて待機したりがあったため、そんなもんかと湊音は納得して手櫛で彼女の髪を解かす。
「よしよし、可愛い可愛い。世界で二番目に」
「ん……」
湊音の左手で頭を撫で、右手で手櫛をされると、睦は気持ち良さそうに目を細める。
甘えている。甘んじている。
きっと、泥水のような心の底を隠したままなのに、彼の優しさにしだれかかる。
紙の方がシーズンオフになったのでこっちの更新頻度戻せるように努力します。
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