武道館ライブ当日、キャストより先に会場入りした湊音は楽屋で睦ではなく自分自身のメイクをしていた。
(……肌の調子は良い。今日の証明に合わせたメイクも考えてある)
ステージの上に立つのは湊音ではなく睦なのに、妙な胸騒ぎのせいで落ち着かない。
顔のパーツは世界で一番可愛い筈の自分の表情が可愛くないことにすら腹が立つ。
「こう……」
鏡に写った湊音がピースした左手を頬に添えて笑顔を作る。
スマホの内カメラではなく、外カメラで自身の写った鏡を撮影して映りを確認する。
「なーにしてんの?」
「自分の顔で今日の仕事の練習」
シャッターを切った瞬間に楽屋の扉が開いて若麦が入ってくる。
こんなところでSNSにアップロードもしない自撮りをしている湊音に自画自賛もここまで来たかと若干引いていた。
「キャストの楽屋入りにはまだ早いと思うけど? こんなとこに来てもやることないだろ」
「遅れるよりかいいじゃん」
「そりゃそうだ」
若麦が適当な椅子に腰掛けると、湊音のスマホにメールが届く。
すぐに内容を確認すると送り主は睦からだった。
『今日、祥と会わない方がいい』
『どういうこと? ちゃんと説明して』
端的すぎる言葉に思わず声が漏れそうになりながらも返信すると『そっちで話す』と睦から簡潔に言葉が帰ってくるだけであった。
「そーいや、ムーコからメールでアンタとやり取りしてるって聞いたけどなんで? アプリで良くない?」
「色々あって、アプリは消した」
メールでのやり取りは単純に不便ではないかと思った若麦がうんざりしたような表情を湊音に向ける。
睦以外にも連絡を取る相手は居るだろうに、それを周囲に強いるのもどうにかしている。
どうせ祥子絡みなのだろうという確信があるが故に触れれない。
「ふーん。まぁ、どうだって良いけどねー」
若麦からしたらAve mujicaは成り上がるための手段に過ぎないのだから。湊音がどんな連絡手段を使っていようがどうだっていい。
(結局サキコは勧誘に失敗したってワケね)
若麦が加入する際に提示した条件の中に「若麦を桜に会わせる」というものがあった。
けれども、初めて間近に見る湊音は桜などではなく、芸能界から降りた「若葉湊音」でしかなかった。
(やっぱり人任せじゃあ上手く行くわけないか)
元々上手く行くとも思ってもいなかったが、ここからは待ちの姿勢は止めると若麦は決めた。
その気がないのであれば、その気になるしかない状況を作ってやれば良い。
「睦達が来るまで散歩してくる」
「あっそ。ムーコが来たら戻って来なよ」
ただ座っているのも何故だか居心地が悪く適当に辺りを散歩することで湊音は気を紛らわせるために楽屋を出た。
(アレ、もしかしてハツネか?)
湊音が自販機で飲み物を買って歩いていると見覚えのある金色の毛先が廊下の曲がり角から見えた。
(いや、白鷺さんだったらくっそ気まずいな。やだな)
金髪でロングといえば、芸能関係で千聖の方がこの場に居る確率は高い。
こんな場所で会ってしまったらまた何を言われるかわからない。
こっそりと曲がり角から顔を出して様子を伺うことにした。
「湊音くん?」
曲がり角に手を掛けた瞬間に後ろから声を掛けられた湊音がびくっと肩を震わせる。
振り返ってみると、そこにはスタンバイが終わった初華が居た。
「びっっっっくりした俺も可愛いと思わない?」
「ごめん。ちょっとよくわかんないかも……ってそうじゃなくて! 睦ちゃん達着いたよ!」
別に誤魔化すこともないのだが、誤魔化しが口に出た湊音に初華が困惑する。
が、本来の目的を思い出した初華に楽屋に連れ戻れた湊音は睦のメイクを始める。
(やっぱり、好き……)
睦はメイクされている間、目元のメイク以外では瞼を閉じない。
何故ならこの時の間こそが湊音が自分を一番見てくれている時間になるから出来るだけその時を味わっておきたい。
湊音から祥子に向いている感情も、祥子から湊音に向いている感情も知っているし、二人には幸せになってほしい。
双子だから、幼馴染だから、そう願うのが当たり前なのに、湊音のことをどうしても諦められない。
この原型を留めていない心はもう限界に近い。
「ほい、終わり。世界で二番目に可愛い」
「……湊音、仕上げして」
「仕上げ?」
普段そんなことはしておらず湊音がメイク道具を片付けながら不思議そうにしていると、仮面を着けた睦は覆われている方の頬を湊音の唇に押し付けた。
「──」
一瞬だけの接触の間に漏れた息がどちらの物かはわからなかった。
もしかしたら二人とも同時だったかもしれない。
「モーティス、時間ですわ」
「ほら、行ってきな」
「うん……」
そんなことを考える前に、仮面を着けた祥子が部屋に入ってくる。
既に睦は湊音から離れていたが、それでも心臓に悪いものは悪い。
(……後で、空に説教だな。いや、それよりもさっちゃんか。ライブが終わってから何があったかくらいは聞こう)
最近の睦からスキンシップが多くなったことを空の入れ知恵の仕業かと考えながらも、湊音の思考の先はすぐに祥子に対する心配に切り替わっていた。
祥子と睦の背中を見送った湊音は関係者席に向かって、マスカレードを見守る姿勢に入った。
(……正直、曲はともかく演劇の方は好きって訳じゃないんだよなぁ。可愛くない)
内容が理解できるできないの問題ではなく、単に好みではないものの、スマホを片手に見るほど非常識でもない。
祥子の顔ばかり追ってしまうことに湊音は気づいていなかった。
『心から笑わないと──こんな風に!』
「は?」
ボケーっとしながら観劇していると、若麦が仮面を外して素顔を晒した。
素っ頓狂な声が漏らしながら、湊音は若麦の視線が関係者席から睦に移った瞬間に関係者席から走って逃げた。
(事前に睦から聞いてた脚本と違う! そもそも顔バラしするなら一スタッフの俺にも通達されるはず! だから、アレは若麦の
今から走ったところで止められる距離ではないし、また、どうすることもできない。
でも、今は動いた方が良いと本能的に湊音は自分でも訳がわからないまま走っていた。
「湊音……」
「睦! 大丈夫!?」
全力で走ったものの、湊音が舞台袖に着いた頃には全てが終わっていて、祥子と若麦が今にも喧嘩を始めてしまいそうだったが、それは何とか仲裁しようとしている初華に任せて、睦の元に駆け寄る。
「顔、見られた、私……たくさん、人に……」
「大丈夫、大丈夫だから……」
もう舞台を降りたというのに、未だに顔を手で覆っている睦を落ち着かせるために、湊音は手近なところにあった丸いすに彼女を座らせて頭を抱いた。
「後で戻るから先に行ってて」
ひとまずは睦のメンタルを優先して、祥子達を先に行かせて湊音はその場に残る。
「お守り、貰ったのに、私、落として……顔、見られて、湊音と、同じ──」
「睦、睦!」
睦がパニックに陥っているのは、
「湊音、私」
「ゆっくり、息を吐いて」
向かい合うように座った湊音が、抱くように睦の背中を擦る。
過呼吸気味になっている睦を落ち着かせるために、できるだけ柔らかく可愛く彼女を宥める。
程なくして睦の吐息が耳に届き、湊音は安堵する。
「偉い可愛い。もう少し落ち着いたら楽屋戻ろうな」
「うん……」
呼吸は安定してきたがまだ脂汗が酷い。
睦の額の汗を湊音はハンカチで拭き取って崩れてしまったメイクを補修するためにポーチから道具を取り出す。
また、
「ほら、これでまた可愛い」
「ありがとう……」
「楽屋戻れそう?」
「うん……」
睦はメイクが終わって手鏡で顔を見せてもらって完全に落ち着きを取り戻した。
湊音が楽屋へ向かうために引いてくれた手の温度が不思議なくらい暖かった。
アークナイツのコラボイベントのおかげでしれっと戻ってきました。
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