「あら、愛音さん。ごきげんよう」
土曜日の昼下がり。
湊音の居るマンションへ向かう途中、駅前でばったり遭遇した愛音に祥子は軽く会釈した。
「おっ、さっちゃんじゃん。今からどっか行くの? って決まってるか」
「まぁ……そういうことですわ」
「まぁ、そっか」
休みの日にまで行くなんて本当に通い妻じゃん。と愛音は口にしそうになったが、ぐっと堪えて愛音は祥子の顔をじっと見つめる。
「……何ですの?」
「湊音くんに会いに行くにしては、ちょっと怖い顔してない?」
「余計なお世話ですわ」
厳めしい顔になってしまっていたとしても、今の祥子に浮かれている余裕はない。
故に愛音の明るいところに助けられているところはあるのだが、それを言うと彼女に調子に乗られそうなので黙っている。
「よし、買い物行こ」
「はい?」
あまりにも脈絡のない提案に祥子は思わず聞き返した。
相変わらず人の家に好きに出入りしている友希那に伝えた時間にはまだ余裕があるが、余計な荷物は増やしたくはない。
「次は平成ギャルが流行るらしいんだよね」
「だから何ですの」
「付き合って」
令和だというのに、それが何だと言うのだろうか。
とてつもなく嫌な予感がした祥子は適当にあしらってマンションへ急ぐことにした。
「嫌ですわ」
「お願い!」
「湊音くんに可愛い姿見せたら喜ぶんじゃないかなぁ?」
卑怯なことを言う愛音に祥子は露骨に眉を顰めた。
「……」
「ほら、その顔」
その十分後。
祥子の髪は両サイドを緩く編み込まれ、胸元に青色のリボンを結んだ水色のブラウス、丈の短いチェック柄のスカート。腰にはクリーム色のカーディガンが無造作に巻かれていた。
「いや、流石にこれは……なし、ですわ」
祥子は深く嘆息した。
結局愛音に押し切られてしまった自分にも、試着室の鏡に映る自分にも、呆れ返ってしまう。
「似合ってるじゃん!」
祥子が試着室から出てみれば、愛音は特に着替えもせず待っていた。
「愛音さんも試着するって話でしたわ!?」
「んー……よく考えたらさ。私って元々ギャルっぽいし、新鮮味薄くない?」
そうだとしても、それは話が違う。
これではただの辱しめではないだろうか。祥子が歯噛みしているのをよそに愛音はヘアピンを彼女の髪に付けていく。
「てかさ。こういうの湊音くんが喜びそうじゃん。可愛いし」
「その手には乗りませんわ……」
湊音の名前さえ出せば祥子を上手く乗せられると愛音は思っているのか、調子に乗り始めている。
「良いと思うけどなぁ。あっ、これ良さそう」
「そもそも、わたくしにこういうのは……」
「いや、顔良いんだから大体なんでも似合うでしょ」
愛音が並んだヘアピンを取って、祥子の髪に翳して吟味していく。
「星は……違うなぁ。ハートも違うし、あっ、これ!」
「それはダメですわ!」
桜の花びらの意匠が付いたヘアピンを選んだ瞬間、祥子が声を荒げる。
愛音は少し驚きはした後、すぐに理由を察する。
「あー……『桜』だもんね」
『桜花嵐の桜』そんな風に呼ばれていたことのある湊音のことを連想しているのだろう。
それはそれ。だったら付けろという気持ちで愛音は祥子の髪の分け目にヘアピンを刺した。
「ですから。今の私にこれは……」
湊音のケアをすることを建前に、彼に縋ろうとしている今の自分が、そうするだけの覚悟が足りない。
「何でさ」
「何でも、ですわ……」
愛音に恋愛経験などない。
だから、もし、自分にそういう相手が居たと仮定して考える。
自分の好きなことを相手が好きでいなくても気にはしないが、好きでいてくれる方が何倍も嬉しい。
そう思うとやはり、桜のヘアピンを付けるべきだと思える。
「無理に。とは言わないけど、とりあえず買っといたら?」
「ですから──」
買わないと言おうとしたその時、祥子のスマホからアラームが鳴る。
それはそろそろ電車に乗らなければならない時間を知らせるモノだった。
「もうこんな時間!?」
「時間?」
「ええ……着替える時間も惜しいですわね……」
しかし、険しい顔をしていても祥子は平成ギャルファッションのままである。
流石にこんな格好で湊音の元へ向かうのは憚られるが、背に腹は変えられない。
結局、そのまま会計を済ませる。
「気をつけていきなよ、さっちゃん」
「愛音さん、忘れませんわよ……!」
気楽そうに言ってくれる愛音にそう言い捨てて祥子は駅へ向かって駆け出した。
「申し訳ございません。遅れましたわ」
「……あなた、そういう格好するのね」
マンションに着いて早々、友希那に意外そうな顔をされながら出迎えられた。
「ち、違いますわ!」
「ファッションくらい好きにすればいいわ」
即座に否定するものの、軽く流される。
これ以上否定すると必死すぎて、逆に言い訳がましくなってしまうため、黙らざるを得なかった。
「湊音なら今は寝てるわ」
「そう、ですか……」
会いに来たというのに寝ていることは、残念だが今日に限っては助かったかもしれない。
こんな姿を見られずに済んだことに、安堵している自分が居た。
「柔らかいものなら食べれそうな様子だったから、用意しようとしたのだけど……うまく行かないものね」
回復食を用意するために、キッチンに向かうと盛大に失敗したであろう鍋がコンロに鎮座していた。
「今朝はリサに用意して貰ったのだけど、自分でとなるとダメね」
早くカズが帰ってくれば、わざわざ苦手な料理などしなくて済むのだが、今はまだ帰ってこないと連絡が来ているため、文句は帰ってきてからにしようと友希那は心に留めておく。
「それは、まぁ……」
そこまで親しい訳ではない高校のOGに何と言えば良いかわからず反応に困る。
「私は部屋に居るから何かあったら言ってちょうだい」
そう言い残して友希那はキッチンを出ていく。
残された祥子は髪に刺さった桜のヘアピンへと手を伸ばした。
「まったく……」
小さく零しながらそれを外し、ポケットへしまう。
ギャル姿のまま料理するのもどうかと思い、一度お手洗いで着替えることにした。
「ふぅ……ようやく落ち着きましたわ」
着替え終わり友希那の使った鍋を隅に避けて、料理を作り始める。
まだ胃に重たいモノは避けて、鳥むね肉を用意して、不足しているであろう栄養を補うために野菜も鍋を分けて蒸す。
(……これで後は起きた後に温めれば大丈夫ですわね)
一通り調理を終えた祥子が物音を立てずにリビングに居ると、相変わらず顔を見せないように湊音が寝ていた。
起こさないようにソファーの空いているところに腰を降ろす。
(よく寝ますわね……顔色はよくはなってて良かった……)
毛布の隙間から見える湊音を見て安堵する。
(……湊音があの姿を見たらなんというか……普段の湊音ならきっと……)
愛音のせいで柄にもない服を着させられてしまったが、いつもの湊音だったならば、言うことは考えるまでもない。
ポケットから桜のヘアピンを取り出し、眠る湊音の顔の傍へそっと翳した。
「……やっぱり、可愛いですわね」
あの頃に戻れたら。
こんな風に眠る顔を眺めながら、何を言えば良いのか悩むこともなかったのだろう。
そんなことを思いながら、祥子はそっとヘアピンを握り締めた。
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