(……一睡もしないまま朝になってしまいましたわね)
祥子は昨夜から眠ることができないまま、朝を迎えてしまった。
腰を起こすと途端に身体が重たく感じたが、そんなことも言っていられない。
何はともあれリサに挨拶しよう。
そう思いリビングに行くと、パンが焼ける香ばしい匂いが祥子の鼻腔を刺激する。
「……おはようございます」
「おはようさん。良く眠れ──てはなさそうだね」
リビングに降りてきた祥子の顔色を見てリサは思わず苦笑いしてしまう。
それだけ眠れなかったということは、それだけ湊音のことを考えていたのだろう。
向こうにはカズも向かっている。あとは二人次第だ。
楽観的と言えば楽観的だが、わざわざ拾った祥子を放り出してまで飛び出したのだから、そうでなければ説教モノである。
「ま、ご飯食べよっか」
「……いただきます」
リサに促されるまま席へ着き、焼きたてのトーストへハムエッグを乗せる。
Ave Mujicaの総指揮やキャストとしてタスクに追われ続けた日々の癖は抜けず、自然と手は効率を優先して動いてしまう。
「この後、カズの家に行くけど……一緒に行く?」
お嬢様らしからぬ食べ方に少し意外だと思いながらリサが祥子に提案してみる。
すると途端に祥子の手が止まる。
「……食べてから考えます」
「そっか……じゃあ、片付け終わったらまた聞くね」
◇ ◇ ◇
「そろそろ家に来るってよ。気持ちは変わってないか?」
昼過ぎ頃、カズの家のリビングでは相変わらず湊音は毛布に包まれていた。
エアコンが効いているとはいえ、暑くないのかとカズは思ってしまう。
「……うん」
「なら良かった」
毛布が小さく動くのと同時にインターホンが鳴る。
出迎えたカズが鍵を開けると、リサと祥子が入ってくる。
「友希那は?」
「まだ寝てる。昨日よく寝れてなかったらしい」
「ふーん……」
できれば、湊音と祥子を二人きりにしておきたいため出掛けたかったのだが、流石に寝ている友希那を置いて出ていくのは忍びなかった。
「あの……湊音は?」
「起きてるよ。昨日とあんまり変わんなかったけど、向こうはちゃんと会いたいって言ってたぞ」
湊音の心配をする祥子の顔色は悪かったが、ここに来たということは腹は括れているということだろう。
「まぁ、今更泣き言言っても逃がさないから。ちゃんと話してこい」
祥子の背中を軽く押したカズは返事を待たずして玄関を塞ぐように座る。
「アタシらは場を整えるくらいしかできないから、後は二人で解決するしかないと思うよ。ほら、行った行った」
「行きます! 行きますからわざわざ押さないでください!」
リサにまで物理的に背中を押され、いよいよ逃げ場がない祥子は重たい足取りでリビングへ向かった。
そこには数日前と変わらない毛布に包まれた湊音の姿があった。
恐る恐る祥子が湊音の隣に腰を落とすと、彼からか細い謝罪の言葉が漏れ出た。
「……さっちゃん。ごめんね」
「……いえ、わたくしこそ……ごめんなさい」
相応謝ってしまったせいで、数秒沈黙が続く。
「昨日は……さっちゃんが嫌だった訳じゃなくて……」
息を調えながら、湊音の言葉を吐き出す。
「あの夜から、さっちゃんがさっちゃんじゃなくなっちゃったみたいで、それが嫌で……」
「そう……でしたの」
「初めて可愛いって言われた時から好きになったのに、そうじゃなくなっちゃったみたいで……」
「……っ」
思わず息を呑む。
最近はぎくしゃくしていたものの、そうなる前はお互いにお互いへの好意は隠さなかった。
それを言葉にする勇気がお互いになかったせいで、正式に付き合うこともなかった。
「もうあの頃のままではいられませんわ……」
春日影は、CRYCHICだった頃の思い出は、もう別の存在に塗り替えられてしまっている。
あの日々に取り残されたのは自分だけで、前に進めない気がしたから。
「だから、わたくしはAve Mujicaで全て忘却しようとしたのに……この様ですわ」
「……違う」
結局、自分が好きなのは目の前の豊川祥子だった。
「変わったと思っても、さっちゃんはさっちゃんだから……」
毛布を外して祥子の肩を掴んだ湊音が不安そうな目で見つめる。
祥子はこんな湊音を初めて見たような気がしなかった。
「湊音……?」
初めて出会った頃と同じだった。
自信はなくて、自分を諦めているような。そんな顔をしていた気がする。
「ねぇ、さっちゃん……今の俺って可愛い?」
「可愛いですわ……」
まだ、湊音の隣に居たい。
それも変わらないことの一つだった。
自然と左手が湊音の頬に伸びる。触れた瞬間に彼の肩がピクンと跳ねるが、逃げることはしない。
「ありがとう」
その言葉だけで、本当に心が軽くなってしまうのだから、祥子には勝てないと湊音は悟る。
「……にしても、酷い顔ですわね」
「そういうさっちゃんも寝てないでしょ。目の隈酷いし」
可愛いと言ったばかりだというのに、矛盾してる気もするが髪は乱れ、顔色も悪い今の湊音を見れば、思わず苦笑いが漏れてしまう。
「……」
「……」
しばらくお互いに無言で触れ合ったままでいると、湊音が顔を朱くして目を背け始める。
「今更恥ずかしがりますの?」
「いや、落ち着いて来ると、これ、凄い恥ずかしいなって……」
それでもこうしていたいのか、湊音は離れようとしない。
それくらいには今までの反動が来ている。
素直に言えば良いのに、見栄を張るところが──。
「ふふっ……やっぱり湊音は可愛いですわね」
「……さっちゃんこそ」
微笑みながら自分を肯定してくれる祥子から目が離せない。
きっと今の『可愛い』には少し意地悪も混ざっている。
目を逸らせば、また笑われる。
だからといって見つめ返せば、もっと笑われる。
そんなやり取りが懐かしかった。
「でも、その髪はいただけませんわ……せっかく可愛いのですから。少しくらい整えさせてくださいな」
「……うん」
少し固まった後に、湊音が不安そうにしながら祥子に背中を向ける。
祥子はテーブルの上に置かれていたブラシを手にとって深呼吸をする。
(本当はちゃんとヘアメンテしたい……でも、今は……)
本来であれば、数日もヘアメンテをしていないのは湊音にとっては発狂してしまいそうな大事件なのだが、今は祥子にブラッシングされるのが心地良い。
「痛かったらちゃんと言うんですのよ」
毛先から時間をかけてゆっくり丁寧に髪を解かしていると、湊音の頭が前に倒される。
どうやら眠ってしまったらしい。自分のしたこととはいえ、襲われかけた相手にあまりにも無防備だと思ってしまう。
「ふあ……ぁ……わたくしも、少し眠気が……」
一睡もしないまま迎えた朝だった。
眠気に耐えながらもブラッシングを終わらせ、ブラシをテーブルの上に置いてソファーにもたれかかる。
湊音を床で寝かせるわけにもいかず、とはいえ、ソファーは一つしかないため、彼を膝枕して寝かせる。
湊音の穏やかな寝息につられるように、祥子の瞼もゆっくりと閉じていく。
ようやくここまで来たので、お砂糖、スパイス、ステキなもの多めにしときますね……。
あとはユートニウム博士が余計なもの入れなければ大丈夫です。
感想は余計ではないのでたくさん欲しいです(欲)