(……もう匂いしなくなっちゃった)
空は湊音の部屋のベッドの上で、クローゼットから引っ張り出した服を辺り一面にばら撒き、その中に埋もれていた。
そうすれば、湊音の匂いで睦が帰ってくるような気がしていた。
そんな願いが叶うはずもないことは、空自身が一番よくわかっていた。
「──い! あ──! 空!」
誰かが自分を呼んでいる。
ぼんやりと服の山の隙間へ視線を向けると、湊音が心配そうに覗き込んでいた。
「湊音くん……?」
「空!」
その声を聞いた湊音は、自分の服など気にも留めず、乱暴に掻き分ける。
服に埋もれていた彼女の身体を抱き起こすと、そのまま強く抱き締めた。
「湊音くん、睦ちゃんが……私、睦ちゃんを……」
「落ち着いて、大丈夫。大丈夫だから」
さっきまでの自分もこんな姿だったのだろう。湊音は空を落ち着かせるために背中を擦る。
「でも、睦ちゃん……消えちゃって……」
「消えた?」
離島へ向かう前に聞いた話とは違う。意味を確かめるように、湊音はその言葉を繰り返す。
「私のせいで、消えちゃった……」
「順番に説明して……ゆっくりで良いから」
空は湊音から身体を離す。
一度だけ彼の顔を見て、それから伏し目がちに言葉を溢した。
「……湊音くん、今でも自分の顔のこと嫌い?」
「そんなことない。この顔だったから、さっちゃんが可愛いって言ってくれたんだから。大好きだ」
「……だからだよ」
どうあっても『若葉睦』という存在は『若葉湊音』という存在を救えない。
右目だけ涙を流しながら、顔の左側を空は手で覆う。
「睦ちゃんは湊音くんのこと好きだったのに、昔の湊音くんはこの顔が嫌いだった」
手を差し伸べたくても、愛している存在にとって、自分はコンプレックスの象徴でしかない。
その苦しみは自分では救えない。その事実が、睦の心を殺した。
「好きなのに嫌われて、急に出てきた祥子ちゃんに湊音くんを取られた睦ちゃんはどうしたら良いの?
産まれてからずっと一緒だったのに、双子だから諦めて嫌われてても良いって思ってたのに! なんで!」
「……そう、だったんだ」
睦本人の言葉ではないと思いつつも、ここまで取り乱した空の言葉を嘘だとも思えない。
ただただ、睦がそんなことを考えていたとは思いもしなかった。
「何も知らなかったんだな。俺も……なら、やっぱりさ」
睦は元々口数は多くなかった。
それでも、一緒にいるだけで通じ合えていると、湊音は勝手に思い込んでいた。
それならば、やらなければいけないことも決まっている。
「もう一度睦と話をしよう」
「だから、睦ちゃんは、もう……」
「ライブやろう。俺も一緒に立つから」
もう二度と板の上に立つことはない。
そんな風に湊音は考えていたが、あの舞台で『可愛く』なれたのなら、もう一度立つ理由くらいにはなる。
「なんで……?」
「睦は世界一可愛いギタリストだからかな」
空との話を終えた湊音は友希那に一報を入れ、数時間前に出たばかりのカズの家へ、再び向かうことになった。
「空、ちょっとだけ歩いたりできそう?」
「……無理。歩きたくない湊音くんおんぶして」
「だよな……」
流石に空を一人残していくわけにもいかず、一緒に行こうとした結果がおんぶだった。
カズの家まではさほど遠くない。
それでも、自分と同じくらいの体格の空を背負ったまま歩くには、身体が鈍った今の湊音には十分重労働だった。
「着い、たぁ……!!」
「おお、お疲れさん。友希那さんならリビングに居るぞ」
汗だくになりながらもカズの家に着くと、彼に出迎えられる。
リビングまでまた空を運んでソファーに寝転がせて、出されたミネラルウォーターをごくごくと飲んだところでようやく湊音は一息つけた。
「ライブ、やるのね」
「はい」
事前に連絡を受けていた友希那が、確認するように呟く。
理由はどうあれ、やると言ったからには妥協などさせない。
「メンバーはどうするの?」
「俺の中では決まってて……それで多分一番実力が足りないのはボーカルをやる俺だから、友希那さんに色々とお願いしたいです」
「他のメンバーはギターの睦とキーボードで豊川さんってところかしら?」
湊音がどんなメンバーを選ぶかは大体想像がついた。
ベースとドラムがいない以上、同期音源は必須になる。その調整は祥子の負担になるだろうが、その点は心配していなかった。
「さっちゃんにはまだ相談してないですけど……まぁ、大丈夫かなと」
もし祥子が逃げるなら簀巻きにしてでも連れてくるくらいの気持ちでいた。
「そう。なら、段取りはカズがやるから自分のやるべきことに集中しなさい」
「え!? 俺!? というか事務所のマネさんにも連絡しないでまたそういうことして! 誰がケツ拭くと思ってるんですか!?」
カズが抗議を始めると、友希那は「カズはこちらで説得するから」と湊音たちに帰宅を促された。
とんぼ返りになってしまったが、疲れ切った空をベッドで寝かせる。
(……初華とあんなことがあって、さっちゃんと仲直りして、空があんなになって、それでライブをしようって……色々あり過ぎ)
空が眠ったことを確認すると、湊音はそっと部屋を出てリビングのソファへ腰を下ろした。
最近の出来事を振り返って、色々なことが起こり過ぎて頭がパンクしそうだった。
(カズさんには大分お世話になっちゃったな……これからもだけど)
自分が仕事自分が突然仕事を放り出した件は、カズが根回ししてくれていたらしく、大事にはなっていなかった。
(一回、散歩いこっと)
一度、頭をリフレッシュするために湊音は軽く身支度をしてから散歩に出掛ける。
もう日は落ちていても、暑さを感じるともう夏真っ盛りだということを思い知らされる。
「あれ……? 湊音くん?」
特に何も考えずにぶらぶらと歩いていると、ハツネと出くわした。
(……初華の話が本当なら、そういうことなんだろうな。世間が狭すぎる)
初対面の時からうっすらと似ていると思っていたが、あの話を聞いた後だとなおのことそっくりに見える。
「ハツネも散歩中?」
「ちょっと用事があったんだ」
祥子とは和解できても、身体に染み付いた恐怖まで消えたわけではない。初華と同じ顔だというだけで、少しだけ身体が強張る。
「そっか。こっちの方には馴染めた?」
「まあ……そこそこに。湊音くんの方が色々大変だったんじゃない?」
世間的には芸能活動を再開したと思ったらすぐにまた停止した湊音の方が大変そうに見える。
睦が所属するAve Mujicaも活動休止したことも相まって尚更である。
「……みなみちゃんにも迷惑掛けちゃってるからなぁ。まぁ、それはそれとして、今度ライブやるからさ。暇だったら来てほしいかな」
「ライブやるんですか!? 湊音くん音楽経験ないですよね?
というか絶対睦ちゃんとですよね! 昔から
「お……おう」
ライブの話をした途端に目を輝かせるハツネに気圧される。
何故こうも、自分のファンには祥子といい、若麦といい、癖の強いファンが多いのかと思うと、渋面を浮かべてしまう。
会話もそこそこに切り上げて帰宅した後、荒れた自分の部屋を整理した頃には日付は変わってしまっていた。
「さっちゃんに電話しよ……」
しばらく電源を入れていなかったスマホには大量の通知が溜まっていた。
それらを処理し、メッセージアプリも再インストールしてから、祥子に通話を掛ける。
『湊音? どうかなさいました?』
ワンコールもしない内に通話に出た祥子の声は少し困惑しているようにも聞こえた。
今まで連絡を絶っていたのだから無理もない。
「今日、睦のことで話したいことがあるんだけど……って、さっちゃんって今の睦の状況どれくらい知ってる?」
『空のことなら存じています。と言えば伝わります?』
「じゃあ睦が起きてこないことも?」
『ええ、理由までは聴けませんでしたけれど……』
湊音がベッドの上に寝転がるとまだ疲れが抜けきっていないのか、瞼が重たくなってきた。
「ライブ、やることにしたから……さっちゃんにも、お願いしたくて……」
『湊音?』
「…………」
『もう……寝てしまいましたのね』
通話の向こうから聞こえる穏やかな寝息に、祥子は思わず小さく笑みを漏らした。