甲龍歴421年 中央大陸最北部最西端。
"剣の聖地"と呼ばれるその最果ての地にて、彼女は牙を研ぐ――
強くなる為に家名を捨て、愛する者を置き去りにした狂犬、エリス・グレイラット。
これは、彼女がルーデウスの牙であり盾になる、その途中の物語――
これは、むかし、むかしの物語──
──甲龍歴421年 中央大陸最北部西端。
そこは、北方大地と呼ばれる中央大陸最果ての場所。
その最西端の岬には、一見、何の変哲もない町がある。
宿屋があり、ギルドがあり、様々な物を売る店々がある。
だがその町は、とある理由からこう呼ばれている。
初代剣神が流派を興し、弟子たちに剣を教えた終の棲家、終焉の地──
──ゆえに”剣の聖地”と。
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失意のルーデウスが北方大地に向かう馬車の中で、新ヒロインのサラとすったもんだ(比喩)している頃。
エリス・グレイラットは、剣の聖地で無心に鍛錬を積む日々を過ごしていた。
エリスの朝は早い。
夜が明ける前に起き出し、愛用のミグルド剣鉈を持って名も無き北の岬に行く。
辿り着くや荷物を放り出し、一心不乱に剣を振りだす。
風が吹こうが、雪が降ろうが、そんな事は彼女には関係が無かった。
凍えるような寒さよりも、一瞬の休みも取らずに剣を振る熱量の方が勝った。
掌のマメが潰れ、血が噴き出しても気にしない。
そんな痛みよりも、ルーデウスが目の前で殺された事の方が痛かった。
ルーデウスを失う以上の苦痛は、今も、これからも、エリスには無い。
白黒の記憶に、あの日の真っ赤な色が塗り重ねられる。
胸に走る電撃のような恐怖に耐えようと、余計に剣を振るう速度が加速していく。
どれほどの時間をそうしていたのか。握っていた剣鉈の柄がぬるりと滑った。
「──チッ!」
出血で滑るので仕方なく素振りを止め、ボロ布で掌を雑に巻いてまた素振りを再開する。
日は陰り、また空腹が耐え難くなった時、やっと彼女は休んだ。
道場から持ってきた薪の束に魔術で火を放ち、暖を取る。
初めて修得した火魔術は、ルーデウスとの絆の魔術──彼女はそう思っていた。
彼のお陰で身体を温められる。炎を見ると、彼の優しい面影を思い出せる。
凍りかけた石のように硬い黒パンをガツガツと貪り、腹がくちくなると、また素振りを再開した。
そうして薪が燃え尽きる時、やっとエリスは道場に戻り眠るのだった。
そんな狂った日々を過ごしていた、ある日の事である──
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「おい、小娘」
ぞんざいな物言いで、エリスは呼ばれた。
ギレーヌとの立ち合い稽古の為、今日は離れの小道場にいたエリスである。
「お前は殺気が強すぎる。時には瞑想をして抑える訓練をしろ」
ギレーヌからそう言われていたので、早朝から座して瞑目していたのだ。
瞑想と言われても、エリスには瞑想の意味がわからぬ。
だから、ルーデウスを思い浮かべてみた。
微笑むルーデウス。
凛々しいルーデウス。
にちゃっとしたルーデウス。
困惑するルーデウス。
必死なルーデウス。
やりきった顔のルーデウス。
etc.なルーデウス。
様々なルーデウスが浮かんでは消えて行った。
彼を想像するエリスの顔には、ニマニマとした笑みがいつしか浮かんでいた。
だがそれが唐突に引き締まり、全力で歯を食いしばりだす。
龍神オルステッドにより、胸を貫かれたルーデウスの光景がフラッシュバックしたのだ。
眼を閉ざしながら、凄まじい殺気を迸らせるエリス。
そんな彼女に、声をかけた人物がいたのだ。
世界広しといえど、聖地に二人しかいない剣帝の片割れ。
剣神ガル・ファリオンの義弟、ティモシー・ブリッツである。
彼は常々、エリスの存在を苦々しく思っていた。
理由は単純である。
少し前、天才の呼び名の高かった実子のジノが、新顔のエリスに叩きのめされた。
──いや、ジノが負けたのはいい。
自分に似ぬ不出来な息子が、単に弱かっただけのことだからだ。
だが彼は、息子が負けた事によって、自分の面子がエリスによって汚されたと感じた。
ギレーヌに伴われてふらりと現われた、薄汚い小娘によってだ。
そしてそんな山猿のような小娘を、師である剣神ガル・ファリオンが妙に気に入っているという。それどころか直弟子にすらしたのだ。これは異例の事である。
自分ですら、実の妹を献上するような形で弟子入りしたというのに……。
気に入らなかった。
聖地でのNo.2は、他でもない自分なのだ。
ガル・ファリオン──唯一無二、最強の剣神の名跡は、自分が継ぐ。
ジノでも誰でもない、俺だけの物なのだ──彼はそう妄信していた。
そこに突如として闖入してきた不心得者。
気に入らなかった。泥の付いた足で新雪を踏み荒らされたように感じていた。
だからこそ、ティモシーはエリスが気に入らなかった。
いつか、あの綺麗な顔を形が変わるまで殴りつけ、思う存分踏みにじってやりたい。
心をへし折って、豚のように奴隷として扱ってやりたい……。
そんな粘着質な情念を、いつしか腹の底に秘めていた。
そうしてその日、ティモシーは稽古を付けてやると言い、エリスに木刀を放った。
エリスは床に転がった木刀を無言で見る。
小道場に、剣帝の後からぞろぞろと剣聖達が入り込んでくる。
ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる、生っちろい顔の面々。
剣帝の直弟子達。顔も名前も知らない、永遠に道場から巣立ち出来ない有象無象。
きっと、叩きのめされる自分を嘲笑おうと思っているのだろう。
エリスはこの四面楚歌の状況を、そう正確に理解した。
──フンッ!
エリスは鼻で笑い、転がる木剣を拾い、そしていつものように構えた。
暫くの睨み合い。
ティモシーはエリスの構えから、幾多の斬り返しで屠る幻視を視ていた。
さすがに剣帝。まだまだ粗削りな彼女の隙を、いくつも見出していたのだ。
先手はエリスだった。
「ウッラアアァァッ!」
唸るような咆哮と共に放つ斬撃。
ティモシーはそれを余裕を持って躱した。
エリスは矢継ぎ早に剣を振るっていく。
凡百の剣聖では対応できないであろう凄まじい殺意の剣撃。
その嵐のような剣風の中、ティモシーは彼女の振り下ろす両腕を狙い、斬り上げた。
グシャッ!!
鈍い音と共に木刀が宙を舞う。
エリスの両腕はティモシーの一撃により、無惨にもへし折れていた。
木剣が、まるでスローモーションのように宙を飛んでいく。
(……見た事か!!)
剣帝の顔は、会心の侮蔑をゆっくりと浮かべる。
道場に居並ぶ剣聖達も卑屈な嘲笑を浮かべようとした。
木剣がゆっくりと飛んでいく。
──その瞬間だった。
「ッラァッ!!」
エリスは勢いを止めずダンッと踏み込むと、剣帝の顔面に頭突きをぶちかました。
爆発するような音と共に、剣帝は吹き飛ぶ。
観衆の剣聖達は反応すらできず、嘲笑を半ば浮かべた顔のまま、固まっていた。
さらにエリスはそのままの勢いでティモシーに肩から体当たりし、諸共床に倒れ込む。
バァンッと派手な物音が床板を鳴らした。
「がっ……ぶぁぁっ!?」
鼻血を吹き出し、かつて味わった事の無い痛みと衝撃により、恐慌に陥る剣帝。
痛い! 痛い! 痛い! 星が……視界がひっくり返る──
訳が分からなかった。
剣神との稽古ですら、こんな痛みと衝撃はかつて味わった事が無かった。
いや、生まれてこの方、こんな異常な事態は初めてだった。
顔面に頭突きを喰らった時点で、剣は既に手放している。
涙でぼやける視界に映るのは、爛々と殺意をその赤い瞳に宿らせ、牙を剥く獣の顔──
「ひっ──」
原初の恐怖から、咄嗟に両手を突っ張るように前に出す。
だが赤い獣は止まらなかった。
「ゴアアァァァァァッッッ!!!!」
獣はその牙を、剣帝の喉元に突き立てた。
「びゃぁああぁぁああぁああぁぁ~~ッッ!?」
道場に、聞くに堪えない悲鳴とも断末魔ともつかない叫びが響き渡る
「グルォアァアァァァァァッッ!!!」
そして──獣の咆哮。
剣帝は激痛の中、エリスの牙を剥がそうと殴ったり引っ掻いたりと必死に抵抗する。
だがエリスの牙は、ティモシーの喉を抉って抉って止まらない。
剣帝の直弟子である筈の剣聖達は、身体が竦んで誰も動こうとはしない。
剣のエリートである彼等にとって、初めての異常事態。
呆気に取られていた。恐怖に囚われてもいた。理解が及ばなかった。
それ以上に、動いたら最後、次に喉を噛み千切られるのは自分だ──そう感じていた。
「そこまで!!」
割って入ったのは、黒狼ギレーヌ。
エリスにとって、頭の上がらない地上唯一の存在だった。
ギレーヌは剣神からの頼まれ事で、早朝から町まで出かけていた。
エリスとの約束に間に合うように足早に戻ったのは、決着が付くその時である。
道場から凄まじい殺気と怒号と悲鳴を感じ、一足飛びで駆け付けたのだ。
「医者を! 早く!!」
ギレーヌが叫ぶ。
彼女がもう少し遅ければ、剣帝の喉笛は完全に食いちぎられていただろう。
金縛りが解けたように、のろのろと動き出す剣聖達。
「ぶぎゅぅぅ……ぶぎゅるぅぅぅ……」
ティモシーは気管に詰まる己の血に溺れながら、必死に酸素を求めて足掻いていた。
ゴボゴボと絶え間なく血の泡を噴き、さらに失禁もし、脱糞までしていた。
剣聖達が彼を抱えて運ぼうとするも、無暗に暴れて中々連れ出す事が出来ない。
「ペッ!」
エリスは血と肉の混じった唾液をべしゃりと床に吐く。
「……豚みたいな声」
そうして、血泡に溺れる剣帝を見下ろし素直な感想を呟いた。
ティモシーは赤い獣のそのガラス玉のような瞳を見て、決定的に怯え、自覚してしまった。
──己はぬくぬくと肥え太った家畜であり、こいつは血に飢えた野獣なのだと。
恐怖と激痛と酸素不足により、剣帝は失神。そして弟子達によって運ばれて行く。
ようやく静けさが戻った道場。
「エリス、お前、腕が……」
ギレーヌは運ばれて行く剣帝を見、エリスを振り返って、そう絶句する。
「……あぁ」
師の言葉に、エリスは今更ながら己の腕を見る。
木剣で折られ、さらに揉み合う中でさらに滅茶苦茶になり血塗れになっていた。
しかし、そんな事はどうでもいい事だと鼻を鳴らすエリス。
「遅いわよギレーヌ。早く稽古をしましょう」
「……その前に、お前も医者だ。それでは剣も握れまい」
「……フンッ! そうね」
腕こそ組めないものの、仁王立ちでふんぞるエリスであった。
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この一件以来、剣の聖地でエリスは不可触の存在となる。
……元々腫物扱いではあったが。
剣帝ティモシーはエリスを故意に避けるようになり。
剣聖達は心底震え上がり、表立って彼女に関わろうとしなかった。
唯一、剣神ガル・ファリオンだけが拍手喝采を挙げた。
「やっぱり、自由で強ぇ奴は面白ぇな!!」
つまり、これはそれで、一件落着という事だ──。
ー完ー