「今度は靴箱か」
早朝、世南は上履きに履き替えるため自分の靴箱を開くと、そこには手紙が入っていた。昨日零に手渡しされたギャンブルのお誘い文と内容は同じで、いつ、どこでやるとしか書かれていない。
ちょっとした戯れのギャンブルに誘われることは以前からあったが、生徒会長選挙が始まってからは誘われなくなった。少し寂しいが会長に勝ったギャンブルの腕が認められていると思えば悪い気はしない。
手紙に書かれた場所に時間通りに行く途中、世南は鈴井と夢子に出会った。夢子は世南と同じように手紙を持っており、彼女もまた誘われた側なのだと世南は推察する。夢子も世南と連日ギャンブルができることに喜びを感じていた。しかしその一方で、鈴井は暗い顔をする。
「鈴井、少し…」
友人を励まそうとしたとき、左手にある扉の前にいた背の高く腰にまで届く長い髪と垂れた一本にまとめられた前髪の女子生徒が世南に抱き着こうとした。トチ狂ったギャンブラーの多い学園だが、スキンシップを好む生徒が多い学園かと言われるとそうではない。恨みを買うことが多い世南は反射的にステップを踏んだ後に跳び上がり2mの高さにある壁の僅かな突起部を足場にして距離を取った。
「…どちら様でしょうか?」
「失礼しました。私、陰喰三欲と申します。対戦相手である世南琉偉様と会えたことが嬉しくてつい…」
「そのお気持ちはありがたく受け取りますが、婚約者がいる身なので」
「そうですか。では蛇喰夢子様。抱擁を交わしても?」
「是非!!」
夢子と三欲が抱擁しているのを見て壁から降りた世南はもう一人、目的地の部屋の扉の前にいることに気付いた。
「ええっと、あなたは陽喰三理さんでしたね?」
「…」
返事をしないお団子頭の背の小さな少女は抱擁を終えた三欲が隣に立って初めて挨拶をした。
「陽喰三理だ」
「はい、あなたも是非!!」
腕を広げて抱擁を待つ夢子だったが、三理は何もせず入室した。無視されたため寂しい夢子を後に世南も入室すると、その部屋は高級中華料亭のような内装で、机やソファー、驚いたことに銅鑼まであった。
「やっと来たね、皆」
机の上で行儀悪く座っていた少女、黄泉月は机から降りると陰陽の二人組をじっと見つめた後、行うギャンブルについて説明する。
ニム零式と呼ばれるギャンブルで、0~3の4種類のカード各10枚合計40枚をプレイヤーに4枚ずつ配り、手札を確認。フォールド或いは合意が取れるまでベッティングした後にフォールドしなかった参加者が1枚ずつ手札を切り数字の合計が10以上になった時点で最後にカードを出した参加者の負けとなる。敗者はベット額を他の参加者に配当する。三回戦制である。余談だが、チップが不足した場合は生徒会が発行するサーブチップを使用する。代償は1枚につき24時間の学園への奉仕である。
「…世南君、このギャンブル、僕がやっていいかな?」
各々が座り始めた時、鈴井は世南に声を掛けた。この前の指切りギロチンを通じてただ傍観者でいるのではなく、友達の力になりたいと強く感じるようになったらしい。もちろんギャンブルでは世南の方が強いことは知っている。それでも鈴井は戦いたいのだ。
「分かった。ただ招待されたのは俺だ。だからお前を代打ちに指名する。他人のチップだ、気楽にやれ」
そう言うと世南は恵理美に勝った時の分を合わせたすべてのチップを鈴井に渡す。この学園において代打ちは珍しい。ギャンブルで勝つことがこの学園におけるヒエラルキーの向上に繋がるため代打ちを頼むこと自体が誤りなのだ。また仮に頼むとしても法外な値段が請求されるため現実的ではない。
ソファーに座った世南はギャンブルの流れを聞く。他の人の手札が見えないよう座る場所は鈴井の後ろで、腕を組みながら天井を眺めていた。端的に言えば鈴井がギャンブルを代行しているので暇だったのだ。
「夢子?」
そう鈴井が呼びかけたことで、世南はテーブルに目線を移した。名前を呼ばれた夢子は遠くを見つめている。夢子はその声でハッとして自分の番を回した。その後も同じようなことは複数回あったが、一回戦目は夢子と鈴井の勝ちで終わった。
その後、二回戦目に向けてカードの回収をしようとしたとき、再び夢子が固まる。
「どうしたの夢子ちゃん?」
「あ、大丈夫…で…」
「夢子⁉」
返事をしようとした夢子が、カードを散らしながら倒れた。世南と鈴井が駆け寄ると、浅い呼吸を繰り返して完全に意識が朦朧としているようだ。
「これ、毒でしょ?」
極めて冷静に、淡々と夢子の容態を黄泉月は言った。三理と三欲は先日、西洞院を相手にしたギャンブルでも毒を用いることで勝利したらしく、今回のギャンブルを仕組んだ黄泉月はそれを選挙管理委員会への挑戦と捉え、この場を用意した。
「扉の前で盛ったのか」
夢子と三欲、或いは三理が接触したのはギャンブルを始める前、扉の前で抱き着いた時。そのときに遅効性で接触することで効力を発揮する毒を使ったのだと世南は考え、己の不運を呪った。
「そんな…卑怯だぞ!!」
「黙れ鈴井、今は非難よりも処置が優先だ。そっちのソファーに寝かせるから手伝え」
「あら? 処置…と?」
夢子をソファーに移したとき、三欲が世南をあざ笑うように忠告する。
「私の陰喰家は代々製薬を家業としてきた家。ですから言えますが、解毒に大切なのは毒を特定すること」
「なるほど、つまりお前は半殺しになった挙句に毒について教えたいのか」
一切三欲の方を向かずに脈や瞳孔を確認する世南は怒気を含んだ声で黙らせる。友人の一大事に無駄話をする余裕はない。
「ちょーっと。ギャンブル中の暴力はよくないなー」
夢子のことをおそらく心配しているであろう黄泉月は、世南にその気がないことを知りながらも一応牽制する。だがそのことに鈴井がキレた。
「でも夢子はこいつらに!!」
「そう。夢子ちゃんは二人に毒を盛られた。でもそれはギャンブルの外。選挙管理委員会は絶対中立、ギャンブル外でのことを勘定に入れた裁定は下さない」
「証拠もないのによく言う。ですが幸いなことにここには蛇喰さんを蝕んでいる毒に対する治療薬があります」
三欲は小さな袋に入った注射器を机の上に並べた。
「これを30チップとして扱う、どうでしょうか?」
「なっ…そんなふざけたことを…」
「鈴井…さん…」
そのとき、夢子が弱弱しい声で鈴井を呼ぶ。
「夢子⁉」
「芽亜里さんを…彼女なら、きっと…」
それだけ言うと夢子は力が抜けて再び意識が朦朧としてしまう。
「よ、世南君…」
「やれ、鈴井。パトロン命令だ。早乙女を呼んでこいつらから治療薬を奪え」
「分かった!!」
世南の言葉で決心がついたらしい鈴井は電話で芽亜里を呼んだ。その間に世南は懐の中から明らかに懐に収まる大きさではない機械を取り出す。
「…なんです、それ?」
三欲が機械について質問した。世南は再び懐から片側の先端に針のついたチューブを二本取り出すと、針の方を夢子の両腕に刺し、反対の方を機械に挿しこんだ。
「お前たちが時間稼ぎに出る可能性がある。だから血液透析を行い、遠回りだが確実に夢子を回復させる」
世南が機械に触れると起動してと夢子の腕から血液がチューブを伝って機械に流れ込む。血液は機械の中で少しの時間を経た後、別のチューブから再び夢子の身体へと還っていく。
「血液透析…て、あれってもっと大きいよね? でも世南君が取り出したのは小さな鞄サイズじゃん? それでできるの?」
「
世南が血液透析を開始してしばらくした後、芽亜里はリリカを連れて現れた。
「早乙女、状況は聞いているな? 頼むぞ。こっちは毒の特定で忙しい」
「あんた、なにを…まあいいわ」
芽亜里は席に座り、黄泉月の配ったカードを見る。
「このゲーム…勝てる!! レイズ、100票!!」
どこにそんな票があるのか。そう思ったとき、芽亜里はリリカの持っていた箱を開けるとそこに詰められていたチップを机に叩きつける。
「鈴井、お前もやれ」
「え、でも世南君にそんな票は…」
「サーブチップがある。やれ」
パトロンに言われればやるしかないと鈴井も100票、三欲と三理は治療薬3本とチップ10個を出す。しかしそれに加えて三理は針山を机の上に出した。三欲が言うには追加のルールで次からフォールドした者、または敗北者はその針山に指を通すことを求めた。そうでなければギャンブルは続けないという脅しで受け入れさせる。
「その針には、夢子さんが苦しんでいる毒と同じものが塗布されています」
三欲は毒という圧倒的な恐怖で場をコントロールしようとしていた。そのため他の参加者にも毒を味わう可能性があるのだぞと暗に伝えた瞬間には世南は立ち上がり迷わずその針で指を刺していた。
「な⁉」
好んで毒に苦しむ者など、余程の変わり者でなければいまい。
そう思っていたからこそ、三欲は世南の行動に驚いた。体内に分散している蛇喰夢子の血液から毒物を特定することは困難だ。それなら同じ毒を塗っているため、敢えて指を通し毒を判別する方が効率的である。しかし効率的だからといって自ら死への坂道を下るとは思ってもいなかった。
「…なるほど、粗末な毒だ」
右手の人差し指から出てくる血液を見ながら、世南は呟いた。
「世南⁉ あんた正気なの⁉」
「この毒なら何もしなくても60分は死なない。100票もレイズしたなら薬は3本手に入る。なにも問題はない」
血を指の腹で擦っている世南に芽亜里は詰め寄るが、二人のことを信頼している世南は言い終えると再び機械に向き合った。
第二回戦が始まると、芽亜里は鈴井に手札の公開を要求。鈴井がそれに応じると三欲は世南と同じで調教済みだのなんだの言ってくるが、世南はそっちに構っている余裕はない。夢子に行っている血液透析で採取した血液から毒が本当に針に塗布してあるものと同じが特定するのに腐心していた。
「やった!! 勝った!!」
夢子の血液から検出される物質の中に自分の指に付着した毒と同じものがないか見比べていた時、鈴井が歓喜の声を挙げた。どうやら芽亜里の機転で三理をバーストさせたらしい。鈴井は早速薬を2本持ってきたが、世南はそれを制した。
「まだギャンブルの途中だ。集中しろ」
「何を言っているんだ世南君⁉ 君も、夢子も、これが無いと…」
「世南君の言うとおりだよ、鈴井君。ギャンブルはまだあと一回残っている。最終的な勝負が決するまでは使用を認めないよ」
小さな体躯から発せられるものとは思えない圧で薬を手に持つ鈴井を黄泉月は呼び止めた。感性がまとも過ぎる鈴井にとって、この学園内でのギャンブルに対する熱量は計ることができない。自分の感情と置かれた状況に苦悩しながら、次のレイズを行う。
「レイズ、1万票」
芽亜里がまるで紙くずを賭けるかのようにさらりと1万という大量の票を賭ける。それに鈴井も黄泉月も三欲も三理も驚くが、世南は違った。
「鈴井、GO」
誰かが何かを言う前に、世南が命令する。ハッタリなのか自信からかまだ見抜けていない三欲と三理も、同じように1万票をレイズする。とんでもない量のレイズだが、黄泉月は一応用意していたらしく、普通の一票とは形状から違う1万票分のチップが渡される。
「にしても1万票って、おじいちゃんおばあちゃんになっても卒業できないよ?」
「1万人に分身すれば1日で終わる」
「…世南君が言うと冗談に聞こえないんですけど」
そして始まった最終戦、再び芽亜里は鈴井に手札の公開を求め、鈴井はそれに応じる。そして各々がカードを一枚ずつ出していくが、途中から二回戦で負けて毒針を刺した三理の様子がおかしくなる。夢子が倒れた状況を見ていた芽亜里を除く全員が、それは毒の初期症状だと察していた。
そして肝心の結果だが、芽亜里と鈴井の勝利に終わった。黄泉月は三欲と三理が毒という圧倒的なアドバンテージがあっても鈴井と芽亜里が勝てるよう特殊なシャッフルをしており、それに気づけば簡単に勝てるよう仕組んでいた。それに気づかず毒という力に驕っていた二人は敗北することが確定すると、どちらの番でバーストするかが問題になった。三欲でバーストした場合、手持ちの解毒薬が全て無くなるため、治療できなくなる。かといって三理をバーストさせると、毒の二度刺しに加えておよそ2万日の奉仕が課される。そのため本来なら悩むべきなのだろうが、三欲は己が三理よりも優秀であり三理が犠牲になるべきなのだと言って三理をバーストさせた。
「世南君、これを!!」
支払いが確定し、薬を手にした鈴井はすぐに世南に渡す。世南は迷わず薬の入った注射針を夢子の腕に突き刺した。
「これで安心だ」
血液透析の甲斐もあってかすぐに呼吸が落ち着いた夢子を見た世南は、三理を担いで部屋を出ていく三欲を追って部屋を出る。
「なにか用でしょうか。三理を運ばなければならないため忙しいのですが」
「毒の件で、治安維持委員会として警告しなければならないことがある」
鉄仮面を被った世南は三欲の行き先に立ちはだかった。
「当学園ではギャンブルで賭けの対象にした場合を除く身体への傷害を禁じている。毒物の使用は当然だがこれに違反する。…しかし、状況証拠はあっても確定的な証拠はない。用意するとしても時間がかかり陽喰三理が命を落とすため詳しい調査はしない。次やれば容赦はしないが、今回は見逃す」
「それはどうも」
「それと、あなたたちは多分、姉妹でしょう? それも、言葉を使わないで仕草だけで意思疎通ができるほど。さっきはあれだけ罵っていましたが、妹さんとは仲良くね」
すれ違いざま、世南は三欲の肩を叩くと再び部屋に戻っていく。
「…」
色々と思うところがあったのか、三欲は黙ったまま三理を保健室へと運び、ベットの上に寝かせる。そして薬を三理に打った時、不自然に手が震えていることに気付いた。
「なに…これは…まさか…」
動揺と恐怖で纏まらない思考の中、三欲は自分がなぜ体に異常が起こっているのかを理解した。この症状は、自分が世南に盛ろうとして失敗し、その後に夢子と三理、そして自分から罹った世南を苦しめた毒の作用だったからだ。
「抽出した毒を…肩に触れた時に…」
力の入らない手でまだ残っている薬を一本取り出すと、自身の利き腕ではない方の腕に注射する。既に意識が朦朧としているためこのまま気絶することは避けられないが、とりあえず命の危機は脱したことに安心しながら、三欲は頭の中にあの鉄仮面を思い浮かべる。
「世南…琉…偉…」
それだけ言い残すと、三欲は三理を寝かせたベットの上に倒れた。
後日、ベットの上で目を覚ました三欲は隣で眠る三理を見ながら自身が敗れたギャンブルについて思いを馳せていた。
「そういえば、毒の回りは三理の方が世南よりも速かったわね。世南の方が早く毒に罹ったというのに。血液循環もしていなかったはずなのに、なぜあれほど動けたのかしら」
鉄仮面の下では顔面蒼白だったのだろうか。しかし気力だけで取り繕えるものではない毒であることは三欲自身の身体で証明している。毒物に対する耐性があるのか、あるいはもっと別の…。
そう思いながら、再び重くなった瞼に従って三欲は眠りについた。