その“怪物”は富士山麓、樹海の奥地から現れたという。
最初にその報告を受けたとき、わたしはただの誇張された災害情報か、あるいは誤報であるとさえ疑っていた。
しかし、その後わずか数時間で事態は一変した。防衛省からの緊急報告によると、その「何か」は既に静岡県の市街地に到達し、想像を絶する破壊の痕跡を残しながら首都圏へと向かっているという。
地上からの写真や映像は不鮮明でその正体を確認することはできなかったが、その巨大な影だけは、わたしたちの想像をはるかに超える規模のものだった。
ただちに防衛出動の要請がなされ、自衛隊が出動した。
「目標、依然進行中です……総理、武器使用の承認をお願いします」
防衛大臣からの要請に、わたしは頷く。
「わかった……今より武器の無制限使用を許可しますッ」
しかし、その想定をはるかに上回る速さで、怪獣は進撃を開始した。
自衛隊の各駐屯地から臨時編成された地上部隊、航空自衛隊のスクランブル、海上自衛隊のヘリも緊急展開し、複数の防衛ラインを張り巡らせたが、それらをまるで紙細工のように突破していったのだ。
「ぐ、ぐぬうっ! ……総理、残念ですが、ここまでですっ」
渾身の防衛作戦を容易く突破され、悔しげに唸る防衛大臣にわたしは答えた。
「わかった……作戦を終了する!」
そして事態はすぐさま次の段階へと移行する。
我が国の自衛隊は、怪獣の進攻を食い止めることが出来なかった。出来なかった以上、進向方向に住まう国民たちの安全を確保しなければならない。
脅威が迫る中わたしが各方面への指示を下していると、内閣の危機管理官がこんなことを言い出した。
「怪獣の予想進路内に、官邸も位置しています。自衛隊で阻止できなかった奴です、米軍も駆除できない可能性があります!」
……まさか。わたしは危機管理官を問い質した。
「まさか、ここを捨てろと言うのかっ!?」
ここを捨てる、つまり撤退だ。
わたしの言葉に、危機管理官は「はい!」と頷きながら答えた。
「市谷も有明も危険です! ただちにここを退去し、官邸機能を立川予備施設へ移管する必要がありますっ!」
ここを退去だって? そんなわけにはいかない。わたしは反駁した。
「しかし米軍の攻撃が始まるっ、わたしには此処でその推移を見極める義務があるっ! それに国民を置いて、わたしたちだけ逃げ出すことは出来ない!!」
この国を導く立場にある以上、わたしには逃げることも、恐怖に屈することも許されない。そんな不退転の決意表明だった。
……ところが。
「……お言葉ですが、総理」
今度は周りの側近たち、内閣官房の面々が口を開いた。
「総理には東京を捨ててでも守らなければならない、国民と国そのものがあります」
「幸い、都庁は機能しています。しばしのあいだ、指揮は都知事に任せましょう」
「どうか、ここは、退去を!」
そう言って撤退を促す内閣官房の面々を前に、わたしは熟慮を重ねた。
……心情としては国のため、そして国民のために殉じる覚悟は出来ている。
しかし、そんな意地や矜持だけでどうにかなる事態ではないことはわたしも理解している。たしかに内閣官房の面々が言うとおりだ。たとえ臆病者と謗られようが、わたしには総理として、為政者として、この国を守り抜かねばならない責務があるのだ。
苦渋の決断だった。最後まで迷いながら、それでもわたしは頷いた。
「……わかった」
至急、木更津からヘリが二機用意された。
ヘリへ乗り込む途上、米軍の爆撃が開始されたとの報告が入る。
耳をすませば遠くから聞こえてくる轟音。繰り出されたのは米軍の新兵器、MOPⅢ。かつてゴジラにも使用された爆撃弾の強化型で、その威力はかつてのMOPⅡの10倍を誇るという。
その絶大な破壊力に、流石の怪獣も深手を負ったようだ。
「地中貫通爆弾、MOPⅢが命中! 目標の出血を確認!」
「いけるぞっ!」
「流石米軍だ……!」
閣僚たちは歓声を上げ、傍らのわたしもまた安堵の溜息をついていた。
……やはり米軍は頼りになる。我が国が自力で討伐できなかったことについてはまったく痛恨の想いであるが、国民の生命を守ることが出来たことだけはただただ安堵するばかりだ。
だが、まだ予断は許さない。
「……総理、まもなくヘリが到着します」
危機管理官の勧めに応じてヘリに乗り込もうとした、まさにそのときだ。
「怪獣の反撃が始まりました! 米軍機が……米軍機が次々と撃墜されています!」
「なっ……!?」
唐突な報告にわたしは思わず立ち止まり、背後を振り返った。
遠くの空で、白色の閃光とオレンジの爆炎が幾つも走っているのが見える。花火などではない。爆発する戦闘機の残骸だ。
「総理、ドローン偵察機からの映像です……!」
そう言って勧められるがままに携帯端末を開くと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
「こ、これは……!?」
……大都市東京。コンクリートジャングルの中心地に、八つの首を高く屹立させた『怪獣』が佇んでいた。
無数のビルに囲まれたその巨体は、まるで街の地平線を覆いつくすかのように圧倒的な存在感を放っている。それぞれの首は充血して浮き上がった血管に包まれ、爬虫類のような光をたたえた目がぎらぎらと周囲を見渡していた。ガラス張りの高層ビルが朝日に照らされ、キラリと光を散らす光景の中、その異形はまさに神話の怪物そのものだ。
……いや、曖昧な言い方は止そう。ハッキリ言う。
その姿は、チンチンが八つ束になった化け物。
まさに、ヤマタノオロチンチンだ。
雄叫びとともにチンチンのうちの一本が、白い破壊光線を吐き出した。
それは一瞬、閃光をともなってビル群に着弾し、鉄骨やガラス、コンクリートを容赦なく砕き散らす。街路を埋め尽くしていた車は爆風に巻き上げられ、火を噴きながら空中を舞った。地響きの中、ビルが傾き、ほどなく巨大な瓦礫の山へと崩れ落ちる。まるで紙細工のごとく脆く崩壊していく東京の街並みを背景に、ほかの首も次々と白光を吐き出し始め、空気は灼熱に煮えたぎるかのように揺らめいていた。
ヤマタノオロチンチンの鈴口から漏れ出す咆哮は重低音となり、都心の地面を揺るがす。
「――――――――――――ッッ!!」
必死に逃げ惑う人々の悲鳴、遠くで割れ砕けるガラスの音、街を覆い尽くす粉塵が混じり合い、東京は地獄絵図さながらの惨状を呈していく。無事避難できずに取り残された車両や地下鉄の入り口からは黒い煙がもうもうと湧き上がり、道路は火炎が走るように燃え広がる。ビルの高い位置に設置されている巨大な電光掲示板が光線に貫かれ、一瞬の閃光を最後に音もなく落下しビルの壁面を直撃した。
それでもヤマタノオロチンチンの進撃は止まらない。白い破壊光線のあまりの威力に、最先端の防御兵器も次々と沈黙を強いられ、洗練されたビジネス街の面影は、もはや跡形もなく吹き飛ばされていく。
轟音と閃光が支配する廃墟と化した中心地で、八つのチンチンは一層高々ともたげられ、荒れ狂う破壊の嵐を巻き起こし続けるのだった。
……あまりの光景に、その場にいる一同はその場で立ち尽くしていた。うち一人、科学技術長官がぽつりと言った。
「そんな、どうしてヤマタノオロチンチンが……」
わたしもまた呆然と呟く。
「ダメだ……もうおしまいだ……」
驚天動地の大怪獣。
怒り狂うヤマタノオロチンチンによる“逆襲”はまだ始まったばかりだ。