冷たい…
ひんやりした地面の感触が顔に伝わってくる。
ざらざらした所々細かい砂が私の顔に当たって痛い。
でも、なんだか懐かしい感覚。
あれ…私今まで何やってたんだっけ────。
頭が真っ白になった私は自らの身体が奪われたことを思い出して顔を上げる。
「あれ…ここは…体が動く…?やった、解放されたんだ。あの人が助けてくれたの?」
周りを見渡すと、目の前には綺麗な赤髪が風で靡く女性の姿。腰に鞘を差し、右手には鮮やかな紺色の刀を握り、立ち尽くしていた。
「あなたは一体…」
「気がついたのね、無事でよかった」
振り返る女性の顔には目が行かなかった。
まず目が行ったのは女性の服装。
「メイド服…?」
「あっ、これはごめんね。仕事中だったから」
笑みをこぼす女性はとても美しい顔立ちをしていて、どちらかというと夏海に似たタイプの美人だった。
「それよりも、危険だからもっと後ろへ下がって」
メイド服が気になり女性の声が耳に入ってこなかった。
「え?でもメイドさんが私をどうやって助けてくれたんですか?」
「それは後で話すわね。一度後ろへ」
「はい。わかりました」
メイド服の女性の背後へと移動し、女性がなぜ後ろへ下がってと言ったのか分からず目の前を見るとようやく妖花は状況を理解する。
「あ、あれは…何?」
それは真っ黒の人型の影と思われるもの。影ではあるが影ではない。影のようなもの、そうとしか言えなかった。影の形は成人女性のような形をしており、妙に立体的でうずくまってこちらに顔を向けている。
「あれは〈
メイド服の女性はそう言った。
「影女…?」
「えぇ、妖怪よ。信じられないかもしれないけど」
「妖怪?え、どういうことですか?」
「あなたの身体を奪い取っていたのは妖怪なのよ。まぁ、一般人が妖怪に出くわすなんてことそうそうないから、知らなくて当然だけど」
「そんなものが実際するわけ────」
その言葉を飲み込み、すぐに妖花は答えを変える。
「いや、信じます」
信じるしかない。実際に私自身が身体を奪われ、こうして目の前の女性に助けられたのだから。信じない訳には行かない。
「あなたの言葉を私は信じます」
「そう、ありがとう。あなたが素直な子でよかった」
「それはどうも…でも影女なんて妖怪…」
影女という妖怪は聞いたことがなかった。
オカルト部の活動の中でも一度もそんな名前の妖怪を聞いたことがなかったからだ。
たまに自分で妖怪について調べて見たときもそんな名前の妖怪を見た記憶はなかった。
まだまだ知らないことばかりだと感じる。
「でも、存在するんですよね。影女という妖怪は」
「えぇ、その通りよ。あの妖怪は人のことを知り、そしてその人間になりきろうとする、そういう妖怪。
それは昔。影女はある男に惚れ襖の前に現れた。とても綺麗な姿の影を見た男が実際に会いたいと思った。しかし、影だから会う事ができなかった。だから実際に会うには本当の人間にならなければならない。だからこうして人に入り込もうとするの」
「なるほど…。でも、なぜ今回私が狙われたんでしょうか…」
「そのあたりは私も知らないのよ。なぜ影女が今回あなたのことを狙っていたかなんてことはね。事情は様々。妖怪が何を考えているかなんてどうでも良いけど」
たんたんと語るメイド服の女性に対して少し感心してしまうがやはり服装も相まってかなんだかそんな気持ちも少し薄れる。
「だからあの妖怪にはできる限り本名、特に苗字を言うことは避けたほうがいいわね」
「苗字、ですか?」
「えぇ、苗字っていうのはその人の先祖。先祖代々引き継がれたものだから、妖怪にとって苗字はその人へ繋がる証になる。その人を知るきっかけにもなる。もちろん、結婚していても同じことよ。苗字っていうのは特別なものだから。名前と同様にね」
「メイドさんよく知ってるんですね」
「まぁ、仕事だからね。あとメイドさんはやめてね。えっとそうね…今はやっぱりメイドでいいかな」
「分かりましたメイドさん!」
そう話していると呻き声が聞こえてくる。
『なぜ…なぜなぜなぜなぜあなたは私の邪魔をするの』
「邪魔か…悪いけど私はこの子を助ける、それだけ。だからあなたを斬るから、恨まないでね」
冷静なメイドに目を向けつつ、私はどうすればいいのかを考える。考えても答えは出てこない。逃げるべきなのだろうか。
「あの、メイドさん…」
私が声をかけた直後だった。
「悪いけど今は話を聞いてられないかも」
影女が動き出したのだ。
『まずはお前から…そして次はあの子を…妖花を…』
名前を呼ばれて妖花は少し心臓が痛くなった。多分、影女が人に入り込むための過程のひとつなのだろう。
そう呻き声を上げて壁に手を尽く。
すると、「え?消えた!」影女の姿がなくなる。
「落ち着いて、奴は影の中を自由に動くことができるんだと思う。だから、注意深く見ていれば大丈夫」
冷静なメイドに憧れを抱くのもつかの間、呻き声が止み、シーンとした時間が流れる。
上を見上げるとちょうど雲で太陽が隠れ、路地全体が影に覆われる。
「運が悪いわね…。気をつけてね、どこから出てくるかわからないから」
「あの妖怪が逃げるってことはありますかね?」
「ないと思う、あれは憎悪を持っている。ここで何とかしなければまたあなたを狙ってくるはず。それに、何か目的があるからあなたに取り憑こうとしてる」
その言葉に息を呑み、どこから出るであろう影女の姿を探すために躍起になる。
何か音が聞こえる。そう思った時
『捕まえた』そう声が聞こえてその方を振り返るとメイドの足元に影女の姿があった。
「そういえばまずは私って言ってたわね」
影女がメイドの足元から出てきて、右足をつかんでいた。右足を力一杯握りしめる影女だったがメイドは顔色一つ変えず、影女に目を向けている。
「悪いけどまだ仕事あるから時間かけてられないのよね」
メイドの言葉を無視して、握りしめた手ではない方の手を変化させ鋭い爪のような形にして、襲いかかる。
「危ない!」
すると、メイドは笑みを浮かべてこう言った。
「これぐらい平気。あなたは離れていて」
メイドは掴まれていない方の足で素早い爪の動きを読んで踏みつけた。
ぎゅっと踏み締める音が聞こえたと同時に鞘に手を置き、刀を抜く構えを取る。
大きく息を吸い込むと「透式」そう呟いた。
「透破斬」
メイドは影女に向けて刀を抜いて斬りかかる。
それに影女は気づき、変化させた影を元に戻す。そして一瞬のうちに影の中に潜り込んだ。
踏み締めていた手もすでに影に変わり、なくなっていた。
メイドはそれでも刀をしまうことなく、斬りかかる。
「そんなことで防げるとでも?」
メイドの刀は土を透過して影の中へと入っていく。
すると影の中から影女の金切り声が聞こえた。
『ギャーーー!!!!』
影女はずるずると影から這い出てきた。
見ると腕の部分から黒い液体がポタポタと垂れ落ちていた。
そして片方の手には斬った腕を持っていた。
綺麗に片腕を切り落としていた。
『うぅ…痛い…痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い』
影の中から声が聞こえて攻撃をしたということがそこでやっと妖花はわかった。
それは妖花の目線では透過して当たったということがわからなかったためである。
影女は斬られた腕を投げつけ、それをメイドは避ける。
『あなたは許してはいけない…』
直後、影女は影から影へと高速に移動していく。
先ほどの速さとは比べ物にならない目にも止まらぬ速さになり、目で追えなくなる。
「流石にここまで早いとどこから攻撃してくるからわからないわね」
そんなことを言いつつもほんの少し笑っているように見えたメイドは刀を構えて影女を探していた。
影女は影を行き来しつつ、メイドの一瞬の隙をついて鋭く尖らせた影を使って攻撃をする。
「くっ…」
素早い影女の攻撃をうまく避けることが出来ず、鋭く尖らせた影が左腕に直撃する。
「うっ…」
影女の攻撃を受けた左腕からは血が出てきていた。
「これはまた鋭い…思いのほか深いかもね」
左腕を押さえながら血を止めつつ、次の攻撃に備える。
影女は影から影へと移動を続けながら何度も何度も朱理へと影での攻撃を続ける。
目にも止まらぬ速さで攻撃する影女の姿を妖花は目で捉えることも出来なかった。
妖花はメイドが攻撃を受ける姿を見ていることしかできなかった。
「あ、メイドさん!!!」
「平気だよ…これくらい」
白かったはずのメイド服は破れ、血が滲んで真っ赤になっていた。それにポタポタと血が垂れて、体は傷だらけになっていた。
「何か、何か影をとらえる方法はないの?」
メイドは考える。今の状況を打開する策を。
しかし、何も浮かばない。自分の透ける刀でさえ、まともに捉えることができない相手をどうやって倒そうか。
本気を出すか、いや、そうしたら彼女に被害が及ぶかもしれない。
本気を出すことを躊躇していたメイドは妖花の方へと向くと妖花がこちらへ何かを伝えようとしていることに気づいた。
「ど、どうかしたの!?」
妖花はもうメイドが傷つく姿を見ていることができなかった。
傷だらけのメイドを見て妖花は叫んだ。
「か、影女!こっちへきなよ!あなたの狙いは私でしょ!な、なら!私へ攻撃してきてよ!」
妖花は涙声で影女に向けて叫んだ。
そんな妖花を見てメイドは怒号を飛ばした。
「あなた!そんな馬鹿なことを言わないで!私はあなたを助けにきたんだから!」
そう言われても妖花は無視した。
「すみません、でも!私はあなたが傷つく姿を見ていることはできないんです!だから!」
私のせいで誰か傷つくことは耐えられない。それなら自分が傷ついたほうがマシだ。
それに今、影女を倒せるのはメイドだけ。ならば自分が狙われているうちにどうにかして影女を倒して欲しい。私が死んでも影女が倒せたなら私は嬉しい。だから、お願い…
「きなさい、影女!私が相手になってあげる!あなたにされたこと私は忘れない!」
そう影女に対して言うとメイドへの攻撃が止んだ。そこで妖花は影女が自分に向かってきていることが分かった。
「今のうちに逃げてください!」
妖花は路地を走った。出口に向かって全速力で。
しかし、それはうまくいかなかった。
「逃げたいのは山々なんだけど、まさかさっき斬った腕で足を固定してくるとわね」
よく見るとメイドの足に影から伸びた腕が掴み、動けないようにしている。
先ほど投げつけたのはこの気を狙っていたからだった。
「それに、この腕にはもう感覚機能は無いみたいでいくら斬っても意味がない」
「メイドさん…」
妖花は走りながら失敗した…と感じた。そして自分の脚を影女が掴んだことに気づいた。
「きゃー!」
脚を掴まれて転んだ妖花は自分の足元を確認する。
そこには影女がこちらを見ながら鋭く尖った影をこちらに向けているのが見えた。
「あっ…私…このまま…」
自分の死を覚悟して目を瞑った。
すると大きな音が響いた。
「待って。あなたの相手は私よ…その子には手は出させない…!」
メイドは自分の刀を影女に向けて投げつけたのだった。それが影女に当たりその刀が落ちた音が先ほどの大きな音だった。
「メイドさん…」
「あなたの覚悟!受け取ったわよ。だから、だからこそ、あなたを助けたい!」
メイドはフッと笑って影女に向けて叫んだ。
「あなたは、弱いものにしかとりつけない弱者よね!そんなだから私みたいな脅威を恐れてあなたは先に殺れる彼女を狙ったんでしょ?本当にそんなことだからあなたは弱いのよ!彼女を攻撃したならあなたはそれを認めたことになる!どうするの?あなたは弱者のまま私と対峙するのかそれとも…」
そう影女に向けてメイドが行った時それを遮るように影女が叫ぶ。
『私は…私は…弱者…弱者…弱者ァァァァァァ!!!!!!!!』
「な、何…!?」
影女は妖花から離れてメイドの方へと向かう。
それを見て妖花も何かしようとするも何も浮かばない。
自分は非力だから何をしようにも邪魔になってしまう。
「何か、何か私がやるべきことはないの………」
そう思った時だった。音が聞こえる。
微かではあったがスゥーっと何かが移動する音。この音は風でもない、足音でもない。
これは影を這いずる音。あの影女が影を這いずる音が聞こえる!
「これは…もしかして!」
妖花はメイドの刀を持って投げつけた。そしてそれをメイドは受け取り、抜刀する。影女に向けて斬りかかろうとすると、妖花の声を聞いた。
「後ろです!メイドさん!」
メイドはその声に反応して後ろに刀を振るうと、影女に刃が届いた。
『ぐぁっ…痛い…』
やはりそうだった。音、影女の音を探知できていた。
どうやら私の耳は影女の影を這いずる音が分かるみたいだ。これは、私にしかできない、私だからこそできること。これで彼女の、メイドの助けになるかもしれない!
「やっぱり!メイドさん、大丈夫ですか!?」
「ありがとう、助かったわ」
メイドは血だらけの体を刀で支えて起き上がると、こちらを見てにっこりと笑った。
その顔からは血が滴り落ち、なんとも痛そうだった。
「はい、私耳がいいので…。あの妖怪がどこからくるのかわかります!」
「そう…それは助かる!」
妖花の声で状況がひっくり返った瞬間だった。
〈登場人物紹介〉⑪
影女(かげおんな)
物の怪のいる家で、月影に照らされた女の姿の影が家の障子に映るものとされる。人の苗字を知ることでその相手の身体を乗っ取ることが出来る。
何故この妖怪が人に乗り移り続けるのかそれには理由がある────。