放課後、トレーナー室━━━━。
「……」
マグカップを傾けるドリームジャーニー。
暴君オルフェーヴルの姉という下バ評にふさわしく、クラシック三冠や春シニア三冠・秋シニア三冠など、破竹の勢いで複数のG1を制覇。名だたる強敵を千切っては投げ、千切っては投げ、ちんまい見た目に反した豪脚でターフに爪痕を残し、瞬く間にトゥインクルシリーズの3年を駆け抜けた。
アネゴに会ってからは積極的にレースに参加しなくなったものの、衰え知らずの走りは観客を魅了し、彼女が参加するレースは重賞・平場問わず多くのファンが押しかける。
(さて、どうしたものか……)
競走バとして生ける伝説となった彼女は、物憂げな眼差しでトレーナーのデスクを見つめる。
(トレーナーさんは何がしたいのでしょう……)
彼の机には海外レースについての資料が散乱してる。特にダートが盛んなアメリカやドバイのレポートや雑誌が多い。海外遠征に重点を置くならば、香港やフランスなども候補にあるはず。最近ではレースの発展目覚ましい韓国も悪くない。
しかし、書類はなぜかアメリカとドバイがメイン。
日本国内だけでなく、海外遠征の相談も受ける『遠征支援委員会』の自分に相談もなく、海外のレースを研究している。
(まさか……私が知らないだけで、よそから引き抜きの話が出ている……?)
心当たりがないわけではない。ルーキーながら担当を持って1年目でG1タイトルを連戦連勝。ジャーニー自身も、トレーナーが優秀であることをメディアのインタビューでアピールした。それはもう熱烈に、手放しに称賛した。
その結果が引き抜き。
あり得る。
(引き抜きだとすると、素直で真面目なトレーナーさんが担当の私に何も相談をしないというのが気にかかる。いの一番に私に相談をするはずだ。しかし、健気で心優しいトレーナーさんなら、私にいらぬ心配をかけまいと黙っていた可能性も考えられてしまう。最悪の場合、私の担当から外れる可能性も……)
ネガティブな思考が悪い方へと転がりだした。トレーニングより、スマホを弄るより、本を読むより、遠征支援委員会の仕事より、トレーナーの机に興味が注がれる。
(トレーナーさんは優秀で人柄も良いですから、遅かれ早かれコバエがたかるとは思っていましたが、私の知らないところで事態が進んでいるのが気がかりだ。どうにかして、あの資料をかき集めている真意を問いただしましょう。ひとまず、引き抜か否かだけでも突き詰めたい。しかしどうしたらいいものか……会話のとっかかりになるようなことがあればいいのですが……)
彼女の中に「ストレートに聞く」という選択肢はない。
過去、競バ場で出会った好青年と運命の再会を果たしたのに声をかけず、本に手が届かない小娘アピールをして、重厚でスモーキーな香水を振りまいて、どうにか当時の記憶を呼び起こさせようという回りくどい手段を取った女だ。乙女でいじらしさの詰まった感動の再会エピソードが、彼女がいかに奥手かを物語っている。想い人への度胸の無さで言えばスマートファルコンに比肩するだろう。
(……そう言えば、トレーナーさん達には秘密のSNSアカウントがあるんでしたよね)
一部で囁かれている噂だが、ネットを使いこなす若手トレーナーは大手SNS『ウマッター』で、第三者に見られない鍵アカウントを用いているとかいないとか。そこではトレーナーが秘密の展望を語っていたり、現実では接点のない交流が生まれているらしい。
それを覗き見れば何かしらのヒントが得られるのでは。
(お優しいトレーナーさんのことだ。もしも海外からの引き抜きが現実のものだったとしても、私に気を遣わせずに一人で抱え込み、悩むに違いない。ならば、気兼ねなく内心を吐露できる鍵アカウントで本音が見られるか……。それに、個人的にもトレーナーさんがどのような呟きをしてるのか興味がある)
部外者をシャットアウトする鍵アカウント。
プライベートな日常や本性が津々浦々に綴られる鍵アカウント。
二人三脚で歩むウマ娘なら、自分のトレーナーがどんなことを呟いているのか気になるのは自然の摂理。
(なんとかして鍵アカウントを覗いてみるとしよう。私達の今後のためにも)
思い立ったら即行動。マグカップを置き、鍵アカウントを見るための作戦を考え始める。
━━━━━━━━━━━━
「……想像以上に上手く行きましたね」
①トレーナーがノートPCを使い始める
②ウマッターで自分の呟きに変なところが無かったかチェックしてほしいとお願いする
③トレーナーがノートPCでウマッターを開く
④(急ぎの用事ではないので後日でもいいらしいが)今朝方、たづなさんがトレーナーを呼んでいたのを連絡し忘れていたと伝える
⑤トレーナー早足で出ていく
こうして、ノートPCのブラウザを開いたままトレーナーを部屋から追い出したジャーニーは、まだ温もりのあるオフィスチェアに腰掛けた。
「用意周到な私が連絡を忘れていたなどという言い訳を信じ、説教もせず、待たせては悪いと早足で駆けていくなんてお人好しにも程がある。ふふっ……出会った頃と変わらないなぁ。私と二人三脚で歩んでいるのに全く染まらない……。実に好ましくて、それでいてもどかしい……。甘い匂いには煩わしいコバエがたかるというのに……イケナイ子だ……」
トレーナーの性格を回りくどく褒めそやし、したり顔で頷きながらノートPCを眺める。
映るのはデスクトップ画面ではなく、雑多に色々と開かれたメモ帳やウェブサイト。そして予定通り━━━━。
(これが、トレーナーさんのウマッター……)
大手SNSウマッターの、トレーナーのアカウント。
ヘッダーはドリームジャーニーが勝負服で走っている写真。
白い背景に黒い「T」のアイコン。
アカウント名も『ドリームジャーニー広報担当』。
外面の良い、作り物のSNS。呟いている内容もドリームジャーニーの予定やレース結果のみ。そこにトレーナー本人の意思はない。
このアカウントは、ジャーニーと相互フォローになっている広報用のアカウント。彼女の呟きをチェックするためにウマッターを開いたのなら、このアカウントで確認するのも頷ける。
用事があるのはこんなものじゃない。
「……これか?」
マウスカーソルを動かし、ブラウザの左下にある「T」のユーザーアイコンに重ねた。
ウマッターは、この左下のユーザーアイコンをクリックすることで複数アカウントの管理ができる。もしも同一ブラウザで複数アカウントにログイン情報を保存してるなら、アクセスできてしまうのだ。
トレーナーのパーソナルスペース。恥部たる、鍵アカウントに
「……」
モニターの明かりで眼鏡が光る。彼女のガラスに、瞳に、曇りはない。
カチカチッ━━━━
迷いなくアイコンをクリックすると、錠前のマークがついているトレーナーの顔のアイコンが表示された。
匿名性がウリのSNSで、アカウント名はハンドルネームではなく本名。
噂通り鍵アカウントは本当にあった。広報アカウントと違ってフォローしてる数は多いが、フォローされてる数は50人にも満たない。
(噂は本当だった……。しかし、このパソコンで見れてしまうとは……鍵アカウントは秘匿性の高い情報が詰まっているのだから、せめて自宅のパソコンかスマートフォンにするべきなのに。他人がパソコンを覗き見るなどと、これっぽっちも疑っていないのでしょうね……。本当に素直で、従順で、性善を信じ、警戒心の低い、お可愛らしいお方だ……。しかし疑うことを知らないトレーナーさんとは言え、機密情報の脆弱性は看過できないな。後でそれとなく注意しておこう)
「……さて、私のことは呟いてくれているかな……」
自分への愚痴が書かれているのか。それとも褒めちぎってくれるのか。友人や他トレーナーとの交流か。それは同性か、異性か。悪夢と希望が詰まったパンドラの箱。
カチカチッ━━━━。
他者の呟きが掲載されるホーム画面から、当ユーザーのみの呟きが表示されるプロフィール画面へ移動。淀みない操作で深淵を覗く。トレーナーを部屋から追い出した時点で作戦は決行されている。時間との勝負なのだ。
ためらいなんて、ない。
(これは……)
バッとブラウザに広がったトレーナーの呟き。そこには━━━━。
『@shipgoldhorse お前の奢りなら飲みに行くぞ!』
『ランスリンガー』
『@bluekiryuin 先日はためになるお話をありがとうございました。また今度お時間ありましたらお願いします。』
『ソラトオオナミ』
『ジェイドリバリー』
『アークエレガント』
『ハピネスウォリアー』
『@omatsuriwassyoi 一番怖いのそれよな 負けるよりも怪我 怪我だけは絶対にさせちゃなんねぇって思ってるけど、事故ったらどうしようもないもん レース中は神様に祈るしかない ジャーニーが勝つのは嬉しいけど、無事にゴールして手を振りながら走ってくれるだけで涙出る』
『カミナリサマ』
『イーヴァイ』
『フォーリアス』
『@taduna_hayakawa いえ、ジャーニーに寝てないことを見抜かれて心配されましたが、たづなさんと一緒に飲んでいたと知ったら安心してくれました。担当を心配させるなんてまだまだ未熟だなと実感させられます』
『@taduna_hayakawa 先日は朝までウマ娘談義に付き合ってくださりありがとうございました』
『ハクロウ』
『ライトオブザムーン』
.....
.....
...
...
.
.
広報アカウントと違う、トレーナーのありのままが書かれた呟き。普段の彼からは想像もできないタメ口やネットスラングや熱い想い。これだけでも覗き見した価値がある。
「ふむ……」
マウスホイールがカラカラと回る。どれだけスクロールをしても自分への不平不満は見当たらないのは僥倖。海外トレーナーを志すような呟きも見当たらない。やはり自分の思い過ごしだったか。
「おや」
ピタリとホイールが止まった。
『ジャーニーの旅がどこまで続くのかわからないけど、俺はずっと着いてく。そう決めたんだ』
「おやおやおやおや……。ふふふっ……あの人は……本当に……ふっ……ふふふふ……」
ピコピコと忙しなく耳を動かすジャーニー。
悪口や陰口どころか、むしろ好意的に捉えている文面まであった。知り合いしか見ないであろう鍵アカウントですら、面映ゆくなることを呟いてしまう人なのだ。時事ネタはおろか、世間への不満すら訴えていないネットリテラシーの高さ。
鍵をつけてまで誹謗中傷する人ではないと信じていたが、改めて誠実さの垣間見える呟きに一安心。胸を撫で下ろす。解釈一致。
(しかし……@後の返信は知り合いとの雑談でしょうけれども、このカタカナの羅列は……)
一方で気になるのは意味不明な単語が並べられていることだ。試しに『ソラトオオナミ』を自分のスマホに打ち込むと、トップに出てきたのはウマ娘の名前が登録されているサイト。
となると、ここに並んでいるのは全部ウマ娘━━━━。
最近のトレーナーは、ダートについて熱心に勉強していた。自分は芝しか走らないのに。
「まさか……」
再びスマホで検索する。有志によって集められた出走履歴が収集されたウェブサイトを開き、トレーナーが呟いていたウマ娘を検索すると、着順こそふるっていないが出走コースはダートのみ。
「……まさ、か」
他のウマ娘の名前を片っ端から検索する。
ダート。
ダート。
ダート。
ダート。
ダート。
芝から転向した子もいたが、直近のレースではダートを走っている。
「……」
アメリカやドバイと言えばダートコースが主流。日本のクラシック三冠にあたるレースも、アメリカではダート。急転直下。幸福な気分がスッとなくなり体の芯が冷える。
点と点が線でつながっていく。
(私を……捨てる……? 本当に、海外から、引き抜きの打診が━━━━)
初期に想定していた最悪のケースが脳裏をよぎる。
(……落ち着け、私。トレーナーさんが私を捨てる? 本当に? 鍵アカウントで私への思いの丈を呟いていた人が? 私のトレーナーさんは、そんな血も涙もない非道な人か?)
盲信とも心酔とも違う。鉄の契り━━━━『ドリームジャーニーの走りに夢を見た』と契約したのだ。その夢を見失うほど落ちぶれてないことは、この鍵アカウントの呟きからもわかる。
(トレーナーさんがダートレースを気にかけているのはわかりましたが、これはノイズになる。一旦忘れよう。もっと深い根っこの部分……。そもそもの話、海外から引き抜きの話があったとして、トレーナーさんは私に隠そうとする。いらぬ不安を持たせないために……。そう仮定したとして、私を相手に隠せるか……?)
財布をスられてこの世の終わりが如く意気消沈する彼が、トレーナーを選んだ理由が「扱いやすいから」という見当違いな自虐でショックを受けていた彼が、どこからか引き抜きが来たとして隠し通せるか?
無理だ。ちょっとした隠し事でも普段の態度が余所余所しくなるのに。
多分、気づく。
ない。
自分を捨てるなど、天地がひっくり返ってもありえない。
隠せるはずがない、私のトレーナーが。
(トレーナーさんと私は二人三脚。切ろうと思って、そう簡単に切れる縁ではない。少し考えればわかることだったのに……あぁ、私は、あろうことかあの人を疑ってしまった……。これは私の落ち度だ。私に関わる重要なことなら彼を観察していれば、わざわざ鍵アカウントを見ずともわかるのに……。なぜ私はトレーナーさんを疑ってしまったのだろう。それだけ私が焦っていたのか……?)
「はぁ……落ち着け、私……」
トレーナーの屈託のない笑顔を脳裏に浮かべて深呼吸。一つ、信頼を裏切ってしまった。引き抜きの打診があったら真っ先に自分に相談してくれるだろうに。
運命の人を信じきれなくて情けないが、自己嫌悪に浸る暇はない。彼が帰って来る前に真相を探るのだ。
(トレーナーさんのこととなると周りが見えなくなるのは悪いクセだが、自己分析は後にして、他に考えられるケースは……)
ウマ娘の名前がこれだけ並んでいるのだ。なにか意味がある。再びマウスホイールを回す。
(ふむ……ウマ娘の名前が並び始めたのは1ヶ月前から……かなり最近だ。1ヶ月前、何があったか思い出して……いや、心当たりがあれば鍵アカウントなんて覗きやしない。ダートレースの話題で盛り上がったのはG1タイトルだけだ。それもとりとめのない世間話。スマートファルコンさんや、ワンダーアキュートさん、コパノリッキーさんの話もしたけど、それが何の関係が━━━━)
「私の他に、ウマ娘の、担当を」
ティンと来たのは複数ウマ娘を担当してチームを作ること。これならば合点が行く。
新人のトレーナーが、初めて担当したウマ娘でG1を勝利しまくったのだ。他のウマ娘から注目されるには十分すぎる。それに、徒党を組んで挑むアオハル杯というのも開催されるそうじゃないか。自分は芝しか走ることしかできないのだから、ダートを走れる子とチームを組めたら万々歳。
ダートを走るウマ娘の面倒を見ることになった。これが可能性としては一番高い。
カラカラカラカラカラ━━━━。
『@VVRS_T ドバイ行くってマジ? 頑張れ! 日本から応援してるぞ!』
『@shipgoldhorse でもお宅のウマ娘って奇行は多いけど頭良いよね 話してて知性を感じる ジャーニーと仲いいし』
『@naka_yama_san 先輩の受け持った子、これからデビュー戦でしたよね 応援してます! 頑張ってください!!』
『@B_hero_rider なるほど、砂かぶりを慣れさせる特訓が思いつかなかったので勉強になります ありがとうございます』
『@taduna_hayakawa わかりました、今度ジャーニーに伝えておきますね』
(……これもまた、相談はないですね)
他トレーナーとのやり取りに焦点を当てるが、新たなウマ娘を受け持つことや、チームを作る話はしてない。新しいウマ娘の担当になる線が薄くなった。
しかしやはり、ダートについて質問している形跡がある。
何のために?
謎すぎる。
なぜ彼はここまでダートを重視しているのだ。
「……」
他に目に止まったのは「いいね欄」。
文字通り「あ、いいな」と思った他人の呟きをピン留めする機能だが、自分がいいねしたものは他人に見えない仕様になっている。身内しか見られない鍵アカウントの深淵。シークレット中のトップシークレット。
「……」
カチッ━━━━。
自分のレース、どこかのトレーナーと飲んでいた写真、知らないウマ娘の写真、知らないウマ娘、知らないウマ娘、たづなさんとのツーショット、知らないウマ娘、知らないウマ娘、料理、自分のレース、また知らないウマ娘、自分のレース、知らないウマ娘、知らないウマ娘、自分のレース━━━━。
トレーナーのいいね欄は、自分でも顔を知っているトレーナーか、もしくは名前も知らないウマ娘のメディアで埋まっていた。そのウマ娘に共通しているのは、全員がダートのレース中の写真であること。
「……」
お手上げだ。
もう何も思いつかない。
鍵アカウントを見れば、アメリカやドバイなどを研究することについてヒントがあると思ったが、結局は『なにやらダートについて調べているらしい』という謎が深まっただけ。収穫らしい収穫といえば、いいね欄を一ヶ月前まで遡ると自分の写真ばかりになり、褒められるようなツイートがあったこと。それとセンシティブな画像もない。この2つだけでも収穫としよう。
(もうそろそろ時間ですね)
トレーナーが部屋を出てから10分経過した。たづなさんの口ぶり的に些細な用事だったので手短に済んだはず。戻って来る前に証拠隠滅をしなければ。
最後に、カラカラカラとマウスホイールを転がす。
アカウント作成日時は今から1年前と短い。最初に彼がどんなツイートをしたのかが気になる。呟き数は多いが遡れない日時ではないので、それだけ見て終わりにしよう。
ここからは個人的な趣味、ではなく、トレーナーへの知見を深める有意義な情報収集だ。
(……あった)
栄えある最初の呟きは━━━━。
『@shipgoldhorse 言われた通り鍵垢作ったったぞ』
こんなものかと、ブラウザを閉じようとしたジャーニーの手が止まる。
『@shipgoldhorse 本当に作ると思わなかったってひどくない?』
『@shipgoldhorse みんながジャーニーを怖いだのヤ◯ザだの好き勝手言うんだもん あの子は可愛いの いい加減認めろな あの子は世界一可愛いの これ言うためだけにアカウント作った じゃあね』
カシャッ━━━━。
『じゃあね』という捨て台詞を書きながらも鍵アカウントを使い続けてるじゃん。というツッコミをするより早くスマホのシャッターを切っていた。
(……?)
呆然。
トレーナーが自分のことをそんな風に思っていたとはつゆ知らず。たった一言「可愛い」の単語を処理できない。深刻なメモリ不足。
(……あの方が、私を、可愛いと?)
3000mのレースを走ったように心拍数が跳ね上がり、頭が真っ白になる。
勝負服が格好いいと言われたり、私服が大人びて素敵だと言われたり、走る姿に見惚れるなどと褒められたことはあった。けれどトレーナーから直接「可愛い」と言われたことはない。
「私の本性を知りながら、なお可愛いと……? トレーナーさんの女性の趣向はどうなっているんだ……? そう言えば、トレーナーさんの好みの女性はプライベートすぎるからと調査を後回しにしていたが……私のようなちんちくりんがタイプ……? いや、ありえない、可愛いと言ってもマスコットのようなものでしょう。そうに違いありません。私は身長が低いですから。女性として可愛いではなく、小動物的な可愛いとか、そういう類ですね。きっと」
自分だけを吹き飛ばす爆弾を起爆してしまったジャーニーは頭を振り、鍵アカウントから逃げるように証拠隠滅を始める。
元の広報アカウントに戻し、PCの設定をチェック。
スリープモードは自動10分に設定されていたので手動でスリープモードに。ハンカチでマウスを拭き、ワークチェアも暖かさが残ってはいけないのでさっと立ち上がり、手でパタパタと仰いで温度を逃がす。ついでに尻尾の毛も払う。
香水は最初から部屋に漂っているので匂いでバレることもない。
証拠隠滅は徹底的に。
(さて、なぜダート関係を調べていたのか核心にはたどり着けなかったが、トレーナーさんが私を捨てて海外に行くことも、新しいウマ娘を担当することもないと。それで十分だ。最後のアレは見なかったことに……は、できない、か)
冷静に分析しながら空っぽのティーカップに新しく紅茶を注ぐドリームジャーニー。豪速球のドストレートを受け止めた彼女の動揺は、振り切れんばかりに左右に揺れる尻尾に現れていた。
(全部、それとなく聞いてみますか)
ソファに座ることでブンブンと振れる尻尾を物理的に押し殺し、ティーカップを傾ける。
それから1分もしない内にトレーナーが戻ってきた。
「ただいまジャーニー。伝言ありがとう」
「おや、お帰りなさいトレーナーさん。早かったですね」
「うん、大した用事じゃなかったから」
「そうでしたか。大した用事ではないということは、私に関するものや、仕事の内容ではない……。例えばプライベートな用事……でしょうか? 今度都合が合えば飲みに行く……とか」
「え……まぁ、そんなとこ……うん……。洞察力鋭いなぁ……さすがジャーニーだ……」
(貴方の鍵アカウントから、たづなさんとの関係を推測した推理ですよ)
つい先程得た鍵垢の情報からカマをかけると一発で釣れた。怯んだトレーナーに手応えを感じたドリームジャーニーは畳み掛ける。
「ところでトレーナーさん、他のウマ娘を担当するおつもりで?」
「え、いや、そんな予定ないけど……?」
「しかし、最近のトレーナーさんはダートにお熱のようですから」
それとなく遠回しに真意を探るため、違うとわかっていながら机を指差すジャーニー。乱雑に散らばる海外のレース雑誌やレポートのことだと察したトレーナーは納得するように手を打った。
「あー、あれね。まぁダートにお熱っていうか……後学みたいな?」
「後学……。私が現役を引退した後、ダートが得意な子で海外レースに挑戦する、と?」
「いやそういうのじゃなくて、まぁ、うん、そうか、このままだと君に余計な心配をかけてしまうのか……でも……うーん、どっちにしろか……参ったな……」
「どうしても喋りづらいことでしたら、無理に、とは言いません。どうぞ、心の中にしまっておいてください」
「あぁいや、そこまで秘密にしとくほどでもないんだけど……そうだな。話しておくか。しょうもないことだけど……」
トレーナーは観念したよう口を割った。
「実は、いつか君がダートを走るって言い出すんじゃないかなって思って。その時のために、勉強っていうか、予習っていうか……」
「私が? ダートを?」
「……うん」
そんな素振りをしただろうか。
いや、ない。
どういった思考プロセスを経て、自分がダートを走るという考えに至ったのか甚だ疑問だ。悩むジャーニーを見かねたトレーナーがつらつらと語る。
「……過去に、ステイゴールドがダートを走ったことがあったからさ」
「アネゴが」
あった。
言われて思い出す。
もちろん知っている。
アネゴこと、ステイゴールドは過去にダートを走った。
芝のレースを2つ走り、1番人気に押されての初ダート。途中までは順調に走っていたが、砂を被り続けたのが嫌になったのか、それとも走る気力が失せたのか、最終コーナーで曲がることなくコースを外れて競走中止。
印象的なレースだったので自分も覚えている。
「先月、ステイゴールドの香港レースを回顧しただろ?」
「しましたね」
「それでふと思ったんだ。君がステイゴールドみたいにダートを走りたいって言い出したらどうしようって。ダートは俺じゃ知識不足すぎるし、言われてから勉強したんじゃ格好つかないだろ? それで今からダートについて勉強してて……。いやぁ、流石に君には隠せなかったか……って、隠せるはずないよね。こんだけダート関連の書類が積まれてたらさ……ははは」
備えあれば憂いなしってね、と照れ笑いするトレーナー。
「……そう、でしたか……。そういう、考えが、あったのですね」
ウマッターでダートウマ娘ばかり調べていたのも、彼女たちの走りを参考にするためか。
唖然とするドリームジャーニー。無表情を貫く彼女だったが、ソファと体で挟んだ尻尾が今にも暴れだしそうだ。
まさか、不確定な未来のために勉強を━━━━?
芝で走れてる自分がダートに挑む━━━━?
未勝利で模索してる段階ならまだしも━━━━?
こんなことのために私は頭を悩ませたのか━━━━?
貴方はどこまで私を困らせるんだ━━━━?
喉元まで出かけた言葉を飲み込む。彼はするのだ。どれだけくだらない理由でも、それがドリームジャーニーのためならば、心血注いで努力する。ドリームジャーニーと対等でいたいから。性格を買われたのではなく、トレーナーとしての実力を示して隣に立ちたいから。
誰から聞かれても、胸を張って「ドリームジャーニーのトレーナー」と言えるように。
『俺は、君自身の走りに夢を見たんだ』
寝る間も惜しまず勉強する。全てはドリームジャーニーの旅のために。
(この方は……私と出会わなかったら、どうなっていたんだ……? 私は、この方と出会わなかったらどうなっていたんだ……? あぁ……私は、なんて恵まれているんだ……)
取り越し苦労。
いらぬ心配だった。
けれども、それ以上の成果が得られた。
「ふふふふっ、ふっ、ふふっ……。あの頃から、何一つとして変わっていない。あぁ……貴方は本当に努力家で勤勉ですね。ふふふふっ……」
「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃん……」
「いえ、いいえ、違うのです。面白いから笑っているのではありません。嬉しくって、笑いが止まらないのですよ。こんなに私を愉快な気分にしてくれるとは……ふふふっ、イケナイ子だ。こんなに甘い匂いをさせたらコバエがたかってしまうのに……ですがどうか、貴方はそのままでいてくださいね。ふふふふふ……ふふふ……」
「?????」
底抜けに明るい笑顔の担当を、心底不思議そうに見つめるトレーナー。上機嫌なので横槍を入れるマネはしないが、腑に落ちない顔できょとんとしている。
「はぁ……いやぁ笑った笑った……。ところでトレーナーさん、話は変わりますが」
「今度はなに?」
「私のことを『可愛いウマ娘だ』と、お酒の席で他のトレーナーさんに触れて回っていたそうですが本当でしょうか?」
「え!? どっ、どこで、いや、誰がそんなことを!?」
「さぁ? 別に誰からでもよろしいでしょう? 私が知りたいのは、真実か、否か、です。私のことを、可愛いと、仰っていた?」
「あっ、それは、まぁ、その、ご、ごめん……。俺、お酒は好きなんだけど酔いやすくて……お酒飲んだら思ったことすぐ喋っちゃうんだ……」
「あぁ……謝ってほしいのではないのですよ。トレーナーさん」
聞かずともわかる答えを、トレーナーの口から言わせたい。
意地悪な笑みを浮かべた小悪魔ジャーニーは、尻尾と耳を忙しなく動かし、顔を赤らめてそっぽを向くトレーナーににじり寄る。
「どうぞ包み隠さず、是非とも"貴方の可愛いウマ娘"に、どこが可愛いのかをご教授頂きたいのです」
もちろん言えますよね?
私のトレーナーさん。