先生が『彼女』の存在を知ったのは、とあるゲヘナ生徒と共に雑誌を眺めていた時のことである。
その日のシャーレの当番は『
彼女は、休憩時間に雑誌を読んでいた。
「その雑誌、面白そうだね」
先生は、当番としてシャーレに来るのが初めてであるマホと交流を深めるため、読んでいる雑誌について訊ねる。日常会話のきっかけにするには丁度いい話題だった。最近はそうでもないのかもしれないが、雑誌というものは若者の流行を色濃く反映しているので、流行に敏感なキヴォトスの生徒のことを良く知るためにもこういった日常会話からも情報収集は欠かすわけにはいかない。
「これですか?週刊
マホは、顔を上げると、ソファーの座っている位置を左に寄せ、隣に座るよう促してきた。
「いいの?」
「もちろん!はい、どうぞ」
先生は、マホに軽く礼を言うと隣に腰かけ、週刊万魔殿の記事に目を通す。
この週刊万魔殿という雑誌は万魔殿の書記である『元宮チアキ』が作成している校内誌のようだ。内容の約半分は同じく万魔殿の『丹花イブキ』という生徒について特集しており、校内誌と呼ぶにはやや内容が偏りすぎていないかと先生は言いたくなったが、残り半分は校内や自治区内のイベントの紹介、食堂の特集などごくごく普通の校内誌と言った感じだった。この奇妙な配分の雑誌は、意外なことにゲヘナ内外でそこそこの人気があるらしい。
まあ、正確にはこの『丹花イブキ』という生徒が人気なだけなのでは、と先生は思ったが、それは書いた本人に失礼な気がしたので口には出さない。時々顔を合わせる万魔殿の『棗イロハ』の口ぶりからしてイブキは学園のアイドル的存在の生徒なのだろうということはなんとなく予想がついていた。時間があったら会ってみたいものだ。チアキにも、イブキにも。
今後の予定を頭の中で整理しながら、雑誌のページをめくっていく。どのページも魅力に溢れていて、読んでいて飽きることがない。この雑誌を作っている元宮チアキという生徒はきっとこのゲヘナ学園が大好きなのだろう、と素直に感心した。
だが、1ページだけ、異様な雰囲気を放っているページがあった。正確には一文だけなのだが、その文章だけ明らかに他の文章とは毛色が違う。そのページにはこう書いてあった。
今週も『週刊万魔殿』を最後まで読んでくださりありがとうございました!
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それではまた次号でお会いしましょう!
編集・発行 元宮チアキ
違和感。見た目こそ似ているが明らかに違う何かが入り込んでいるような、そんな名状し難い違和感が存在していた。
例えるならBlu-ray Discが並んでいる棚にCDが一枚だけ紛れ込んでいるのを見つけてしまった時のような気持ち悪さだ。ここに居るのが普通のことであるかのような顔をして紛れ込んでいるが、明らかな異物。
それがこの『「羽沼マコト」に関する情報』という一文だった。
常日頃から七神リンや早瀬ユウカに書類は隅々まで読み、咀嚼してから飲み込むよう注意されていたので読み飛ばすことはなかったが、そうでなければ読み飛ばしてしまっていたかもしれない。それほどまでに溶け込んでいた。
「ねえ、この『羽沼マコト』って誰なの?」
先生は、キヴォトスの生徒は約7割ほど、ゲヘナ生徒は現役生徒なら顔と名前はすべて把握しているが、それでも『羽沼マコト』という名前に
「あー……やっぱり気になっちゃう感じですか。先生はシューパン読むの初めてですし、最近ここに来たばっかりですからね……」
羽沼マコトについて訊ねられたマホの顔は、めんどくさそうという感情を隠す気もないほど露骨に歪んでいた。話したくないなら自分の足で調べるから構わないのだが、あまり触れたくない話題であるだけで、話したくないという訳ではないようだ。
「羽沼マコトってのはまあ、そうだね、この週刊万魔殿を書いてるチアキ書記が探してる生徒って噂。真偽は知らないよ?私はそこまで深入りしたくないし」
マホは、体を伸ばしながら話した。
「一時期はほんとすごかったんだ。この最後のページが行方不明者捜索のポスターみたいになってて……私は実物を見たことないけど。うん、苦情が入って今みたいな感じになった……って噂。あくまで友達から聞いた話だけどさ」
聞けば聞くほど明るくポップな内容の記事で満ち溢れていた週刊万魔殿とはかけ離れているようにしか思えない話だ。
「だから、そうだね。『羽沼マコト』と『食堂の主』と『雷帝』……これは今のゲヘナ生徒の暗黙の了解になってる。深入りしない、調べない、触れない」
マホは、指を3本立てて目の前に突き出してきた。
話を聞く限りでは、「羽沼マコト」は一種の都市伝説のような存在のように思われる。しかし、ここまでのマホの話はあくまで『噂』をベースにした話ばかりで、まだ少し情報に信憑性が足りない。明日あたりにイロハに連絡を取ってチアキに逆取材を試みる方が良いだろう。
雑誌に載せてまで探そうとしている生徒がいるのなら、シャーレの先生として手伝ってあげた方が良いはずだ。
「……先生はこの後調べるんだろうから、忠告しておくけど」
そのマホの言葉に、先生は、内心を見透かされてしまったようで思わずギクリとした。
マホとは、ついこないだ出会ったばかりの仲ではあるのだが、もうある程度の行動が読まれるほどになってしまったようだ。そういうことをしそうなパブリックイメージが「シャーレの先生」にまとわりついているのは事実ではあるのだが。
「あくまでこれも噂だけどさ、正体は幽霊だとか、"2年前の件"で歴史から抹消された生徒だとか、食堂の主と一戦交えて追い出されたとか……」
先ほどまでの雑誌を一緒に読み、和気藹々としていた空間は、既にドキュメンタリー番組のような緊迫感溢れる空間へと変貌してしまっていた。
「羽沼マコトに関する情報は一切無いけど、"よくない噂"は死ぬほど出てくる。それが『羽沼マコト』という存在」
マホは続ける。先生にこれ以上踏み込んでほしくないような調子で話しつつも、どうせ自分が引き留めたところで先生は突き進むのだろうと分かり切っているからなのか、彼女の顔には呆れのような、あきらめのような感情がにじみ出ていた。
「正体が一体何者なのか、私には全く想像がつかないけど、正直私は知りたくない。純粋に週刊万魔殿を楽しむ購読者でありたいからね」
これはマホからの最終警告だと先生は受け取った。噂好きのマホだからこそ、この『羽沼マコト』は『触れてはいけない何か』なのだろうと直感的に分かってしまっているのだろう。
噂好きの彼女が決して超えようとしないライン、ここから一歩でも足を進めれば『羽沼マコト』はただの噂話ではなく『触れてはいけない何か』へと変貌してしまう境界線。そこに、先生は今立っているのだ。
「心配してくれてありがとう。でも、私は調べるよ」
「はぁ……だと思った」
それが決して戻ることのできない道だとしても、その先で困っている生徒がいるなら歩みを止める理由にはならない。
「先生!本日は取材のご協力ありがとうございます!」
先生は、マホと話してから、イロハに連絡を取り、3日後チアキと会えるように予定を確認してもらい、許可を取ってから万魔殿の会議室へと出向き、元宮チアキと会っていた。
元宮チアキは、先生よりもやや低いぐらいの身長でスタイルも良く、万魔殿の制服に身を包み、ゲヘナの生徒の特徴でもある角は内側が赤っぽくてなかなかお洒落な生徒だった。明るく朗らかな性格でありつつも、こうして取材として向き合っているとその真剣さが伝わってくる。丁寧な口調でインタビューしているが、その心の内に秘められた取材への情熱、記者魂は間違いなく本物だ。
まさに週刊万魔殿の文章がそのまま人の形をとっているような性格、いや、週刊万魔殿に元宮チアキの魂がそのまま写し取られていると表現した方が良いだろう。先生として活動している自分に引けず劣らずの交友関係の広さが証明しているように、話の要点を簡潔にまとめてくれるので話しやすく、会話していて非常に心地良い。おそらく、それぞれの個性が強い万魔殿のまとめ役、潤滑油の役割を担っているのだろう。
「いやぁ~前々から噂は聞いていましたので、そのうち頃合いを見てシャーレにも取材に伺おうかと思っていましたが、まさか先生の方から来てくれるとは思いませんでしたよ!」
「いえいえ、こちらこそわざわざ時間を作ってもらっちゃって……」
あくまで今回の取材は「週刊万魔殿を読んで素晴らしいと思い、チアキに会ってみたくなった」という体で申し込んだものであり、これはまずチアキがどういう生徒なのか探るため、そしてチアキに先生という人物が信頼するにたる人物かを判断してもらうためのものだ。
「そんなことありませんよ!先生はゲヘナだけでなくキヴォトス全体で噂の有名人!取材できる機会があれば逃すわけにはいきません!それがこの週刊万魔殿の元宮チアキの信条ですから!」
「そんな大袈裟な……」
「そんなことありませんよ!先生がどれだけ素晴らしいかは、
先生は、謙遜のつもりでそう言ったのだが、チアキはそれを否定するように、目を輝かせながら返す。目の前でそう言われてしまうと少し恥ずかく、照れてしまうが、ここまで真正面から褒められると悪い気はしない。
「……とにかく!今回は先生の貴重な時間を割いていただき、本当にありがとうございました!」
「こちらこそ。チアキと話せて楽しかったよ」
腕時計をちらりと確認すると、インタビューを始めてから既に2時間近く経過していた。体感では30分ぐらいしか経過していないような気がしたが、それだけチアキとの話が面白く、興味深かったということだろう。チアキの話し上手、聞き上手さがなせる業だ。
「……それじゃあ、またあとで。何かあったら『何でも』言ってね。力になれるかは分からないけど、善処はするから」
「はい!またお願いしますね!記事が完成次第、真っ先にお届けするので!」
「ははは、楽しみに待ってようかな」
軽く笑って、取材は終わりとなった。席を立ち、会議室の出口に向かおうすると、後ろからチアキが呼びかける。振り返ると、彼女は少し申し訳なさそうな様子で先生を見つめていた。何か言いたそうにしている様子に、先生は足を止める。
そして、チアキは意を決したかのように口を開いた。
「……あの、先生」
「何かな?」
「先生って、キヴォトスの生徒のこと、どれぐらい把握してますか?」
「……名前だけなら多分7割ぐらい。顔と名前が一致するのはその半分だね。ミレニアムとかゲヘナとか関わることの多い学校の生徒なら現役生は全員把握してるよ」
先生は、少し考えたそぶりを見せてからそう答えた。シャーレで活動するならこれぐらいの記憶力がないとやっていけない。というか自然に頭に刻み込まれるものだが。
「そうですか……」
チアキは、それだけ言って黙ってしまった。先ほどまでの明るく朗らかな様子はどこへやら、何か深刻そうな表情で黙り込んでしまっている。何か迷っているような表情を浮かべたまま黙っているため、何も分からないままだ。
「聞きたいことがあるなら、何でも聞いていいよ。答えられる範囲のことなら、答えるから」
「……実は私、1年間探している生徒がいるんです」
先生の方からそう促すと、チアキは少し迷ったようにしてから口を開いた。
「学校見学会の時に出会って……その時すごく素敵な人だなぁって思って、入学してから再会できるのをずっと楽しみにしてたんです」
言葉はゆっくりと、重たく流れ出す。
「会えませんでした」
「もしかしたら卒業しちゃったり、入院でもしてるのかもしれないなって、いろんな人に聞いてみました」
「でも、誰もそんな生徒は知らない、聞いたことがないって口を揃えて答えるんです」
「週刊万魔殿でも訊ねてみました。返ってきたのは変な記事を載せるなっていうお叱りだけでした」
「……おかしいのは、私なんでしょうか」
チアキの声は震えていた。
「あんなに立派に、素敵な夢を楽しそうに語っていたあの人が、入学してからは影も形もありません」
「私はちゃんと覚えているのに、こんなにも心揺さぶられているというのに、私の記憶以外にあの人が存在していたことを証明できる証拠がないんです」
チアキは、目を伏せる。その肩は小刻みに震えていた。
「ねえ、先生」
「マコト先輩って、知ってますか?」
──やはり、聞いたことのない名前だった