元宮チアキは、大量の荷物を携えてゲヘナ学園内を歩き回っていた。
「あとは……」
食堂の主に対し、本格的な取材を試みなければならない時期が来てしまったことを、チアキは感じ取っていたのだ。
しかし、相手は怒らせれば食堂が半壊するかもしれないというあの『食堂の主』である。ゲヘナの記録にそのような事実が存在していないとはいえ、噂とは馬鹿にできないものだ。実際にそんな力を持っていないとは言い切れない。
そこで、チアキは自身の交友関係をフル活用し、装備を万全に整えることにした。ゲヘナ生徒の8割を友達だと思っているチアキは、どの部活に行っても大抵1人は見知った顔がいるので、予想よりもスムーズに必要な物品はそろっていく。
まぁ、全部使うかと聞かれれば怪しいが、備えあれば憂いなしというやつである。
ノアや先生に伝えれば、何かしらの手配はしてくれそうなものだが、ゲヘナ学園の問題はゲヘナ学園内で片付けておきたいというチアキの個人的な感情が優先されてしまった。それに、ガチガチの装備で身を固めて食事の席に向かうと、それはそれで怒らせてしまいそうな気がしたのもある。
とりあえず、制服の下に仕込んでおく『防具』は揃えた。
火力研究部による全力の一撃くらいなら、ボディで受ければ耐えられないこともない。
──歯を食いしばれば、という条件付きだが。
しかし、それ以外にも問題はある。
「首より上を守るのは……難しいですよね……」
食事の場に行くのにヘルメットをかぶっているのは『失礼』なはずだ。別に何か特殊な事情があるならば構わない。食事に重きを置いているハルナ議長だって、咎めることはしないだろう。
だが、チアキにそういう事情はない。
ヘルメット等の防具を身に着けている状態で取材をするというのは、『あなたのことが怖い』と宣言しているようなものである。
故に、チアキはあからさまな防具は選んでいないのだ。制服の下には、防刃・防弾チョッキ。さらに、防火素材でできたコート。これに関しては普通にデザインが好みだったので、普段使いするかもしれない。
「でも……護るなら頭部を優先すべきですよねぇ……」
頭部は、五感のほぼすべてを担っており、脳という明らかな急所まで有している部位だ。何故そんな部位が、転んだときに一番ダメージを受けそうな場所にあるのか。
その上、頭部の守りを固めるとコミュニケーションや食事が困難になってしまう。まったく、不思議な構造をした生物だと思わずにはいられない。
これは自然観察部からの受け売りだが、生物というのは、そんな非合理性が美しいものらしい。とは言っても、もう少し合理的なデザインをしていたら、自分はどんな姿だったのだろうかと、チアキは考えてしまう。
食堂の主も、こういうことを考えたりするのだろうか。
「…………」
まぁ、その辺りは取材の中で分かることだろう。
必要最低限の装備は集めたので、取り敢えず生きて帰ってくることぐらいはできるはず。そう考えたいところだが、そもそも常識の外側に居るような相手が、常識的な攻撃をしてくるとは思えない。集めた装備が役に立つかどうか半々なのが、チアキの正直な感情ではある。
「あ!チアキ書記だ!」
次は救急医学部のところへ、もしものための緊急治療セットでも貰いに行こうかと考えていたところで、チアキは元気な声に呼び止められた。
「温泉開発部の皆さんじゃないですか!」
そこに居たのは、温泉開発部の
同じ部活のメンバーと共にドラム缶を転がしながら、声をかけてきている。後ろのメンバーがコンクリート製のブロックと薪を抱えていることから推測するに、ドラム缶風呂でも作るつもりなのかもしれない。
装備品を集めている最中だったが、良い『ネタ』の匂いがしたので、チアキは一度中断して温泉開発部への取材を開始した。どうせ今日は準備に一日使う予定だったので、暇と言えば暇だし、諸々が済んだ後の週刊万魔殿のネタ作りにもちょうど良い。
決して、あわよくばお風呂に入れないかという思いがあったわけではない。
火力研究部の実験に付き合ったせいで体が埃っぽいとか、大量の荷物を抱えていたから汗をかいてしまっているというのもあるが、あくまで取材のためだ。本音と建前というやつである。
「じゃーん、ドラム缶風呂!」
チアキの予想通り、メグたちはドラム缶風呂の用意をしていたらしい。
「おぉ~!!」
部員に混じったチアキは、誇らしげに胸を張るメグへぱちぱちと拍手を送る。
「いらないドラム缶の処分に困っている人がいて、ピンと来たんだ!」
「なるほどぉ~それでですか!」
「じゃあ、一番風呂はいつも通り部長だね」
「はーい!」
メグが服を脱ぎ始めたので、チアキはそっとカメラを下げた。本人はそこまで恥ずかしく思っていないようだが、流石に雑誌に掲載するような絵面ではない。一応、パーテーションを立てているとはいえ、強い風が吹いたら倒れてしまいそうな様子で、少しだけハラハラしてしまう。
「うーん……まだちょっとぬるい?」
「よし、薪を足そう!」
「空気を送り込めばいいんじゃない?」
部員が思い思いの方法で、火を強くしていく。
チアキは、その様子を、なるべくメグの裸体が写り込まないよう写真に収めた。楽しいことを全力でやる姿というのは、誰のどんな活動でも、魅力的に見えるものである。
その瞬間を切り取って共有することが、チアキにとっての楽しいことでもあった。
温泉開発部という部活動は、下倉メグを中心として『4人』の温泉好きが集まった部活動である。時々アスファルトに穴を開けて怒られたりしているが、本人たちはとても楽しそうに活動をしている。
それが、チアキから見た彼女たちの姿だった。
「ちょっと……熱いかも?」
「あわわ、弱くしないと……」
チアキが取材メモに色々と書き込んでいると、いつの間にかドラム缶の中の湯はぐつぐつと音を立ていた。あのままでは、メグが茹でられてしまうのではないかと思ってしまうほどに煮だっている。
それを何とかしようとしている部員たちが動き、元々形状が歪だったドラム缶が揺れる。
「ちょ、ちょっと出る……!!」
流石にメグも異変に気が付いたようで、ドラム缶からの脱出を試みていた。だが、どうやら色々と突っかかってなかなか抜け出せない。メグと部員たちがジタバタしている間にも、お湯の温度は上昇し、ドラム缶はぐらついていく。
メグが外に出そうとした時、今までで一番傾いた。
「あ!危ない!」
チアキの声も虚しくドラム缶は倒れ、中に入っていたぐつぐつの湯と素っ裸のメグが地面に放り出されてしまう。
「アチチチチチチ!」
運の悪いことに、部員の一人は熱々のお湯を頭から被り、また別な部員は投げ出されたメグに潰された。
ドラム缶が倒れた衝撃で、頼りなかったパーテーションも倒れ込み、そのまま燃え盛る薪の山に突っ込む。
「あ!部長の服が!」
どうやらパーテーションは燃えやすい素材だったらしく、一瞬で燃え広がってしまった。そのまま延焼し、畳んで置かれていたメグの洋服に燃え移る。
「…………」
チアキは、集めた装備の中から『消火用手榴弾』を取り出し、無言でピンを抜いた。
平均的な手榴弾のおよそ1.3倍の値段がする商品だったが、今このタイミングで使用を惜しんでいては無用の長物だろう。
説明書に書いてあった通りに、火元に向かって投擲。破裂音と共に、真っ白な泡のような消火剤がまき散らされ、火は消える。性能に問題はなさそうだが、別の問題が目の前に山積みになっていた。
「あー……えっと……怪我とかはありませんか?」
ひとまずボヤ騒ぎにならなかったことに安堵しつつ、チアキは真っ白な泡の中から温泉開発部の部員たちを引っ張り出すことにした。
「……失敗しちゃったね」
メグは、チアキが持っていた装備を服代わりにして立ち尽くしていた。素肌の上に防弾チョッキを身に着けているという奇妙な光景だが、今はそんなことに言及している場合ではない。
眼前に広がるのは、泡まみれになったドラム缶風呂、そして燃えカスになったパーテーション。見るも無残な光景だった。
「次回は成功させればいいんですよ! 今回は何がダメだったのかちゃんと分析して……」
「でも、分かんないよなぁ」
部員の1人が、こぼした。
チアキは、場をなんとか盛り上げようとしたが、どうにも空回りしているような感覚がする。今はこういう言葉をかけるべきではなかったのかもしれない。
何故だろう。最近、コミュニケーションが空回りしているような気がしなくもない。
焦っているのだろうか。
「そうだね。私ら、部長含めて全員難しいこと考えるの苦手だし」
彼女たちは、お世辞にも成績が良いとは言えない。赤点を回避できるかどうかの戦いをするレベル帯である。まぁ、授業を受けているだけマシと言えばそうなのだが。
「えー、ひどーい」
「こないだ赤点回避合宿をしたばっかりじゃないですか」
「う……」
そういえば、温泉開発部が数日間どこかに旅行へ行っていたという話を、チアキは聞いたことがあるような気がした。まさか勉強合宿だとは思いもしなかったが。
「私らはさ、難しいことを考えずに温泉に浸かってるのが好きなんだ」
「でも、温泉を作るには難しいことを考えなきゃいけないのが……難しいよなぁ」
確かに、温泉というものは掘れば出てくるようなものではない。事前調査、機材、人員……まぁ、色々必要だ。
「うちらにも……欲しいよなぁ、さんぼー? ってやつ」
「参謀ですか? 確かに、皆さん体力はあるのでまとめ役がいれば、色々とうまくいくかもしれませんね!」
考えてみれば、温泉開発部に必要なのは、計画を立てられる生徒だろう。体力面は足りているどころか有り余っているので、そういうメンバーが加われば温泉開発部は一皮剥けるかもしれない。
「あ!じゃあ、次の週刊万魔殿に募集載せてみるってのはどう?」
「おお! もちろん大歓迎です!」
それはいい考えだ。週刊万魔殿の内容の大半はイブキを中心とした万魔殿の関連こととはいえ、それ以外の情報も当然掲載されている。部活紹介をする時もあるし、読者投稿の何かを載せる時もあるのだ。
たくさんの人に見てもらうという面で考えても、効果的だろう。それに、雑誌が盛り上がるなら、何だって大歓迎である。
「じゃあ、今日はその内容を考えようよ! ……ドラム缶風呂はもうできなさそうだし」
温泉開発部は、文章がまとまったら連絡するということで、一旦別れることになった。
「ふぅ……なんか思ったよりバタバタしちゃいましたね……」
可能であれば風呂に入るつもりだったが、余計に汗をかいたし、更に埃っぽくなってしまったような気がする。これならば、一旦部屋に戻ってシャワーを浴びてもいいかもしれない。
「とりあえず、明日の取材の用意はこれで十分でしょう!」
ただ取材に行くだけだというのに、まるで前線に駆り出されるかのような緊迫感がある。
しかし、こっちがそんな感情で向き合っていたら、向こうも警戒してしまうだろう。あくまで、1人のゲヘナ生徒として取材する。
チアキは、シャワーで埃を洗い流しながら、どういう内容で取材をするべきなのか考え始めた。
シャンプーを流し、着替える。部屋着になったところで、温泉開発部のメンバーからメッセージが届いていることに気が付いた。
「あれ、もう出来たんでしょうか」
どうやら、ある程度のアイデアがまとまったから一旦送ってきたらしい。何か不備が無いかどうか、チアキは一旦落ち着いて読むことにした。
「なんというか……」
目を通す。
彼女たちが欲しているのは、計画を立てられる参謀である。教養があって、メンバーをまとめ上げるカリスマ性があって、行動力と判断力がある生徒。そんな生徒が居れば、温泉開発部はもっとすごい部活になるだろう。
チアキには、そんな生徒に心当たりがあった。だが、彼女は温泉開発部の部員にはならないという確信もある。
「ハルナ議長みたいな生徒がもう1人居れば、ぴったりなんでしょうけど……」
ハルナが温泉に興味があるかないかでいえば、あるのだろう。しかし、温泉開発をメインに活動してくれるかと聞かれれば、NOと答えるはずだ。
「まぁ、そんな生徒は何人もいませんよねぇ」
とはいえ、ハルナのような人がそう何人も居るわけがない。
とりあえず、今は取材について考えることが優先だ。食堂にいるであろう主に何がなんでも答えてもらわなければならない。
チアキは机に向かい、気合を入れた。
取材は、明日の昼。
和泉元とカスミが協力して戦ってる回想するだけの章なので話は進みません。(だからカットした)
書けてるところまで置いておきます。暇だったらどうぞ(今話より長いです)
「ああメグ……ドラム缶風呂はもう少し土台を安定させて……」
鬼怒川カスミは、一人呟いていた。
この部屋の中でいくら叫んだとしても、メグに届かないことぐらいは理解している。
「『今回も』エイミは来ない、かぁ……」
そして、なかなかやってこない
「まぁ、それなら仕方ない。やれることをやろう」
カスミは、これからの作戦をより確実なものにするため、今までの戦いを思い返すことにした。
最初に違和感を覚えたのは、『アリウス』と名乗る集団からの接触だった。
「……この学園に、復讐したいとは思いませんか?」
「断る」
今の鬼怒川カスミは、特別収容室に閉じ込められている生徒である。それを利用しようと思ったのだろう。善からぬ輩が接触を図ってくることがあった。だが、カスミとしては、そういうことをするなら自分でやる方針である。
「私たちはアリウス……」
またこいつか。カスミは溜息を吐いた。
「断ると言ったのが伝わってなかったのか?前回も同じことを言った。私の意思は変わらないぞ」
どうやらゲヘナに恨みを持っているらしいが、カスミとしては少々方向性の違う相手である。その上、手を組んでも面白く無さそうな雰囲気が漂っていた。
故に、2回目の使者を送ってきたとしても、乗る理由がない。
「……前回?」
「なんだ? 錠前サオリから聞いていないのか? 報連相もできない組織なら、ますます手を貸す理由が無いな」
「錠前……サオリ……? そんな生徒はウチには……誰かと勘違いしていませんか?」
「……?」
どこか、様子がおかしい。前回自分を勧誘しに来たのは、
偽名を使っていたのかともカスミは考えたが、それにしてはこの扉の向こうにいる生徒は心底不思議がっているようにしか思えないし、そもそも『前回』があったような態度ではない。
まぁ、結局受けないのでどうでもいい話ではあるのだが。
「──マジか」
それから数日後、黒舘ハルナはエデン条約調印式会場で暗殺された。
「……はい」
「それで……『アリウス』って集団に占拠されて、戦線がこのゲヘナ学園まで後退してくると?」
「行政官はそのように」
報告をしてくれたのは、風紀委員のお友達。まぁ、風紀委員の役目を捨ててカスミのところまで走ってくるような生徒ということだけ覚えておけばいい。
「じゃあ……逃げるか!」
行政官が判断しているということは、あの風紀委員長は今手が離せない状況だということだろう。もしかしたら、既に敗北しているかもしれない。
お友達がボロボロの状態でも、仲間を見捨ててカスミのところに来るぐらい絶望的な状況なのだということは、容易に予想が付いた。
つまり、逆に言えばこのまま身を隠すにはうってつけのタイミングである。
「そうですね。しばらくどこかの自治区に逃げ……」
扉の向こうで、乾いた音がした。そして、誰かが倒れる音。
ついさっきまで話していたお友達は、何も言わない。頭から血を流しているから、何も言えない状態なのだろう。
「……おいおい」
代わりに聞こえてくるのは、大勢の足音。靴の音からして、風紀委員ではない。
まさかとは思うが、既に風紀委員は全滅しているのではないかという想像が、カスミの脳を過る。
「鬼怒川カスミさん、ですよね?」
「……やあ、久しぶりだね」
「はい。アリウススクワッドの『梯スバル』です」
その声は、ついこの前自分を勧誘しに来た生徒と同じだった。
「そうか……君がここまで来たということは、そういうことなんだね」
「ご想像の通りかと」
さて、ここからどうするべきか。
カスミは、あくまで平静を保ちながら状況を冷静に見極める。
「今度は、一緒に来てくれますよね?」
スバルの言い方は、優しいものの、確かな圧力を感じる。
「また断ったら?」
「ご想像の通りです」
直接言っていないが、この誘いを断ったらただでは済まないのは考える間でもない。
「分かった分かった。良いだろう」
「賢明な判断です」
「ただ……ここから出してくれたら、という条件付きだけどね」
今は言うとおりにする以外の選択肢は無い。従いはするが、何とか逃げ出す方法を考えなければならないだろう。
「……鍵は何処に?」
「君が風紀委員長だったとしたら、部屋の中の生徒に鍵のありかを教えるのかい?」
スバルが小さく溜息を吐くと、周りにいた何人かに探しに行くよう指示を出す。一応ここは風紀委員本部の中なのだが、探索する余裕があるということは既に制圧されているのだろう。
まぁ、カスミは『内側』から開けられるのだが、手札は隠しておいたほうが良い。
鍵を発見されるまでに、なんとか外の情報を引き出してやろうと、カスミがここからの道筋を考えていた時だった。
「スバル先輩!助けッ……!!」
「きゃぁああああ!!!!」
「……あ?」
ゲヘナ学園の制服に身を包んだ『何者か』が、スバルたちを強襲したのだ。
「スバル先輩!!」
激しい物音。
収容室の小さい窓からはよく見えなかったが、スバルが何者かに文字通り『振り回されている』ということだけはかろうじて確認できた。何度も壁や床に叩きつけられ、呻き声と共に壁や床が赤く染まっていく。叩きつけられる衝撃で、カスミのいる収容室の中まで揺れていた。
おそらく、スバルはもう駄目だろう。助かったとしてもしばらくは戦闘出来ない状態に違いない。だとすれば、逃げるチャンスも掴みやすい。
しかし、だ。
カスミは、逃げる選択肢を取らずに、部屋のベッドの下に潜り込み、怯えるという選択をした。
「くそっ、なんだコイツ!! 情報にないぞ!!」
「戒律の守護者はどうした‼!」
「知らん!! 全部
「ハァ⁉」
少なくとも、この状況はアリウスが意図したものではないのだろう。しかし、ここまでのことができる人物に、カスミも心当たりはない。
「う、うわあああああああ!!こ、こいつ……食べやがった!」
「銃も、爆弾も、守護者も……スバル先輩も!!」
「返してよ! スバル先輩を……!!」
「待てマイア!」
どう考えても、味方でもないし、助けに来てくれたという雰囲気ではない。
「ひ、ひぃぃ……」
カスミは、恐怖のあまりガタガタと震えることしかできなかった。
一体、扉の向こうには何がいるのか。
黒舘ハルナの暗殺を成功させ、風紀委員を正面突破したアリウスのリーダーを、あそこまで一方的にいたぶり、そしてよく分からない『何か』までも『消して』しまうらしい。
──そして、そこからどれほど震えていたのだろう。
「カスミさん、今日の新聞です」
「……へ?」
気が付いたら、いつもの『お友達』が、こっそり新聞を窓の隙間からねじ込んでいた。穏やかな朝という感じで、つい先ほどまで繰り広げられていた戦闘の気配はどこにもない。
「ちょ、ちょっと待て!」
これはどういうことだ。カスミは、立ち去ろうとする友達を慌てて呼び止める。
「……呼び止めないでくださいよ。バレちゃうじゃないですか」
確かに、いつものお友達だ。風紀委員という仕事に飽きを感じ、刺激を求めてカスミのところへやってくるような、あの子で間違いない。
「無事だったのか?」
「ただの打撲なのに心配してくれるんですか?」
窓の隙間から覗いてみれば、お友達は頭に大きめのガーゼらしきものを貼り付けていた。どう考えても、頭を撃ち抜かれた跡ではない。
カスミの記憶が正しければ、あれは彼女が1ヶ月ほど前に担当した事件の時の傷。たしか、爆発で吹き飛んだ鉄パイプが直撃した際にできたものだった。
「打撲?いや、君は確かアリウスに頭を撃ち抜かれて……」
「アリウ……なんですか? そんな部屋にいるから悪夢でも見たんでしょう。ピンピンしてますよ、私は」
話が噛み合わない。
そういえば、アリウスとも話がこんなふうに噛み合わなかったことがある。もしや、さっきまでのことと何か関係があるのか。
「そうか、ならいい。ところで、『エデン条約』ってどうなったんだ?」
「エデン条約ですか……」
お友達は、窓の外──トリニティのある方向へ顔を向けてから答えた。
「ハルナ議長が頑張ってますよ。残り1ヶ月ってところですし、こっちも忙しいです」
「……確かに1ヶ月前だなぁ」
差し入れられた新聞は、調印式の日付のおよそ1ヶ月前を示していた。
「時間が巻き戻ったと考えて良いのか……?」
しかし、何も分からない。
とはいえ、興味深い現象ではある。しばらく退屈しなさそうだなぁと、カスミは少々楽観的に考えていた。
この時は。
「……この学園に、復讐したいとは思いませんか?」
スバルが尋ねてきた時と全く同じ日。アリウスは再びカスミの部屋の前へやって来た。
「やぁスバルくん、君も無事だったのか」
「私たちはアリ……………えっと?」
だが、やってきたのは『守月スズミ』という生徒。
「あの、勘違いしていませんか? 私たちの仲間にスバルという方は……」
「ああ、そうかもな」
薄々そんな気がしていたが、どうやらスバルはアリウスにはいないらしい。となれば、前回錠前サオリで話が噛み合わなかったのもそういうことだろうか。
どうやら、時間がただ巻き戻ったという訳ではないらしい。
「スバルが存在しない世界線に移動していると見るのが自然か……」
「あの、話を聞いていますか?」
「すまない、君には興味がないんだ」
「……分かりました」
スズミは、悲しそうな声をして帰っていった。今まで勧誘にきたアリウス生徒とはずいぶんと違うように思える。まぁ、おそらくスズミのような生徒を出さざるを得ない状況なのだろう。どうでもいいことだが。
エデン条約調印式は、無事に終わった。その裏で、黒館ハルナの暗殺
「……で、その後アリウスの指導者?をしていた『路上生活者』?みたいな奴がハルナをおかしくしたところでまた時が戻って、気がついたらアリウスは完全に消滅していた……というわけだ」
「……なるほど」
「そこで私は、色々と『デマ』をばら撒いたりして検証した結果、世界が書き換わる瞬間には必ず黒舘ハルナにまつわる『致命的な何か』が起こっていると判断した」
まぁ、その過程で『お友達』が消えてしまったのは、少々計算外だったと言わざるを得ない。
「黒舘ハルナ……やっぱり、『ノア先輩』の言う通り、この異変はゲヘナ学園が中心……」
しかし、その代わりに新しいお友達が来てくれたので、まだ手はある。
「他にも分かっていることはありますか? 予想でも構いません」
和泉元エイミ。
どうやらミレニアムの『対人特化ではない』エージェントらしいが、徹底的に秘匿されているようで目の前に現れるまで、カスミですら一切情報を仕入れることができなかった。*1
「……この学園の『食堂の主』は知っているかい?」
だが、逆に『あいつ』に認識されていない生徒とも言える。きっとこの異変を解決する重要な『駒』にはなってくれるだろう。
「はい。ゲヘナ学園は調べられる限り調べたので」
「そうだな。だから君は今私の目の前にいる」
彼女がここに来た経緯としては、どうやら『物覚えの良い先輩』とやらがいるらしい。その記憶のズレを調査した結果、『議長』が変わっているゲヘナで何かがあったのだと判断。
そして、現在のキヴォトスと違う歴史を知っているカスミまで辿り着いたらしい。デマとして『真実』をばら撒いたのは無駄ではなかったようだ。
物覚えの良い先輩がどれぐらい覚えているのか気になったが、言葉の節々から判断するに『時間の巻き戻り』には対応できてはいないらしい。ということは、おそらく『一週目』の記憶ということだろうか。
まぁ、存在しない過去が存在することにされている今のキヴォトスとの『ズレ』は認知しているので、これ以上なく頼もしい味方ではある。
「私は、その食堂の主と呼ばれている存在がアリウス生徒を『食べて』いた場面に遭遇してね」
「……食べた?」
和泉元エイミという生徒は、観察している限り無表情な生徒のようだったが、この時ばかりは一瞬険しい顔つきになった。おそらく、『生徒を食べる』という言葉から連想されるものを想像してしまったのだろう。
「この部屋にいたから直接視認したわけじゃないが、襲われている生徒が『食べられた』と発言していた」
「そのアリウスという概念そのものが消えているということは、概念……いや、時間の巻き戻りも考えると食べているのは『歴史』か……?」
今のキヴォトスがおかしいという前提知識を所有しているのもあるだろうが、和泉元エイミという生徒は物分かりが良い。情報を少し渡せばある程度の予想を付けてくれる。流石は調月リオが隠し持っていたエージェントと褒めておくべきだろう。
「ふむ、とりあえず相手は概念的な攻撃をしてくるということだけ理解しておいてくれ」
「しかし……そうなると、不用意に手を出すのは危険……」
エイミの言う通り、下手に手を出せばアリウスの二の舞になってしまうのは馬鹿でも分かること。
「ああ。だが、1つ仮説があってね」
「仮説?」
「……アイツを倒す方法、だよ」
興味深い現象ではあるが、巻き込まれ続けると面白くないし、同じ時期ばかりで飽き飽きしてきているのが、カスミの正直な感想である。
「君、
「……まぁ、
次の日、ゲヘナ学園の食堂。
鬼怒川カスミは、そこを堂々と歩いていた。すれ違った生徒が、あんな生徒いただろうかと思ってチラチラ見てくるも、ゲヘナの制服を着ているのでそこまで気にされることはない。
愛清フウカも、特に気にすることなく日替わり定食を提供した。
「やぁ、隣いいかな?」
しかし、その見慣れない生徒が座った席が問題だった。
「…………」
座ったのは、あの『食堂の主』の隣。
初めて来た生徒だから『暗黙の了解』を知らないのではないか。何人かの生徒は教えてあげようかと思索するも、自分が巻き込まれてはたまらないと距離を取る。
「いやぁ、私はここの食堂で食べるのが初めてでね。歴が長そうな君に色々話を聞いてみたいんだ」
まぁ、上機嫌に話しかけているあたり、害しようとする感情はないのだろう。カスミの周りで食事をしている生徒は、胸を撫で下ろして食事を再開した。
「とりあえずおすすめの『日替わり定食』を選んでみたが……、君個人のおすすめってあったりするのかな?」
「…………」
「個人的には人が少ない時間に食べたいのだが、どのぐらいに来るのが良いとかあるかい?」
「…………」
「そうだ、ハルナ議長はいつもどれぐらいに食べているんだ?」
「…………」
姿の見えない相手にここまで楽しく話す生徒は、ゲヘナ学園だと元宮チアキぐらいである。彼女も『同類』なのかもしれない。
だとすれば、主を怒らせるようなことはしないだろう。
そう、誰もが考えていた時だった。
「なぁ、喋れないのか? でも感情はあるんだろう?」
「…………」
「私は君が『アリウス』に怒り狂っているのを見たことがあるぞ」
カスミがそう言った瞬間、食堂の主はカッと目を見開いてカスミの方を見た。
「おっ、話す気になったかな?」
「…………」
「じゃあ、ひとつ聞かせてもらおう。何がしたいんだ?」
「アリウスだの路上生活者だの……色んなものを消したりして、何を目指しているんだ?」
【この後の流れ】
カスミは、ゲヘナと全く関係のないミレニアムのエージェントに発見されてしまったので、たまたま近くにいた生徒を人質にして立て籠もりを開始。ミレニアムのエージェントは独自判断で『狙撃』するも、うっかり誤射して人質の『顎』を撃ち抜いてしまう。
「大変だ!それじゃあ『食事』するのにも一苦労だろう!」
食堂に居合わせてしまった一般生徒は風紀委員に連絡しようとするも、風紀委員の通信システムや食堂の防災設備が外部から『ハッキング』されていたので事態を知らせることができない。
カスミは、暇だったので人質と談笑するが、人質は結婚指輪をしていることに気が付く。
その瞬間、カスミは鋼鉄に包まれたゲヘナ学園に一人立っていた……
「というのが『前回の私』が残したメッセージだ」
「……なるほど?」
カスミは、反省室の中に放置していた携帯電話にメッセージを送り続け、次の週のカスミに情報を残していたのだ。
早速次の手を打つため、エイミを呼ぶも『狙撃』や『セキュリティ』を教えてくれる『先輩』なんていないから『前回と同じことはできない』と言われてしまう。予想の範囲内ではあったので、次の作戦を考える。
だが、その途中にカスミはメグのことを思い出してしまう。何故忘れていたのかという悲しみ、メグを自分から引き剥がされたという怒り、そして再び奪われるのではないかという恐怖。
これを『警告』だと受け取ったカスミは、メグを再び失う恐怖から何もできなくなってしまう。仕方が無いので、エイミはカスミを放置して1人で戦いに向かった。(『距離』を食べて獲物を追い詰めているのだと理解し、あと一歩のところまで追い詰めるも、ハルナが介入してきたので逆転される)
気が付けば時間が巻き戻っており、エイミはゲヘナに来てすらいないことになっている。連絡先として教えられていた『ノア先輩』も『出張中』で連絡できなくなっていた……
なお、カスミは蛇足で再起する。
【鬼怒川カスミは戦えない 完】
没理由(と遅れた理由)5選+1選
・この章をのんびり書いてたら原作とネタ被りしそう
・エイミ好きすぎて依怙贔屓しがちなので普通に勝ちかけた(ご都合主義的な負け方しか思いつかなかった)
・べらべら喋らせたら『食堂の主』がしょぼく見えた
・カスミ書きたくて始めた話じゃない
・トモコレたのしい
・鍵が特異なこと受け入れられなさ過ぎてブのモチベ下がった(もうすぐ半年経つんだからそろそろ認めろ)