羽沼マコト。現時点では万魔殿書記元宮チアキの証言以外では存在を確認できていない生徒。入学前の学校見学会で出会った万魔殿の生徒であるらしいのだが、そのような記録は一切存在しない。
また、チアキ本人の主張する見学会当日の行動と、記録されていたチアキの行動は一致していない。その証言と異様な執着から何らかの記憶障害の疑いをかけられたが、検査の結果、元宮チアキはいたって正常だった。
──ゲヘナの一部では別世界線の記憶ではないかと囁かれている。
特異現象捜査部活動記録『████』(執筆者:和泉元エイミ)より引用
「チアキさん、本日の私の業務はこれで終わりですか?」
元宮チアキは、万魔殿の執務室で自身の業務を片付けている途中で『議長』に声をかけられ、その手を止めた。
「えーっと……そうですね!この後緊急で要件が入ったりしなければ終わりのはずです!」
チアキが予定を確認し、そう答えると、議長は腕時計を確認し、にこやかに微笑んだ。
「11時49分……まだ間に合うでしょう。では、私はこれで失礼します。緊急の要件等があれば13時以降に伝えてください。お疲れさまでした」
「はい!お疲れさまでした!」
テキパキと机の上を片付け、荷物をササっとまとめると、彼女は銀色の髪を優雅になびかせながらあっという間に退室してしまった。チアキはそんな議長の後ろ姿を見送ると、物憂げな表情で机の上の書類に目を移し、再びペンを走らせる。
相変わらず、議長の仕事は早い。今日は朝9時から万魔殿の執務室で事務作業を行っていたが、あっという間に片付けて昼食へ行ってしまった。
「やっぱりすごいなぁ……」
たとえどんなに膨大な仕事が襲いかかろうと、決して食事の時間はずらさない。
そんなこだわりを持っているのが、万魔殿議長こと──
元宮チアキは、人のほとんどいない食堂で昼食を食べていた。今日はハルナ議長が午前中で業務をほとんど片付けたので、急ぐ理由もない。あえて時間をずらし、人の少ない時間を狙っていた。ワイワイ食べるのも楽しいのだが、こうして一人でのんびり食べるのも悪くない。それに『彼女』に取材を試みるならこの時間帯の方が都合が良いのだ。
注文したのは日替わり定食、この日のメニューは和風ハンバーグとご飯、みそ汁。シンプルなメニューだが、だからこそ素材の味が引き立つというものである。ハンバーグに箸を差し込むと、中から肉汁があふれ出す。口に含むと、肉のうまみがじゅわっと広がり、チアキは思わず笑みをこぼしてしまった。
「ん~!今日もおいしいですね!」
「本当!?そう言ってくれるとこっちも作り甲斐があるってものよ!」
給食部の部員である赤司ジュンコは、チアキの感想を聞いて嬉しそうに笑った。
「ごちそうさまでした!」
「あ、じゃあ食器下げちゃうね」
定食を平らげ、食べ終えた食器を下げようとしたが、給食部副部長の獅子堂イズミがサッと食器を運んでいく。自分が運ぶからいいですよと断ろうとしたが、万魔殿はスポンサーでありお得意様だからこれぐらいやらせてくれと逆に頼まれてしまい、結局そのままお願いすることにした。給食部の部員たちは、本当に働き者である。この食堂は、彼女たちの細やかな気遣いによって今日もおいしい定食を食べにくる人たちであふれているのだ。
「あ、そうだ。チアキ先輩」
食器を持っていかれて手持無沙汰なチアキが水を飲んでいると、同じく給食部の牛牧ジュリがテーブルを拭きながら話しかけてきた。
「はい?どうしたんですか?」
「私、聞いちゃったんですけど……今期の予算の3割がこの食堂と給食部に使われてるって噂は……、本当なんですか……?」
「ちょっとジュリ!そういうことは……」
「あ、ごめんなさい!私ってば……聞かなかったことに……」
ジュリは、その問いかけを聞いた給食部部長の愛清フウカに怒られてシュンとしてしまったが、チアキは苦笑いしながら答えた。別に秘密でも何でもないことだからだ。
「いえいえ、予算の使い道はちゃんと公開されてるので別に全然いいですよ!」
予算の使い道はきちんと公開されている。というか公開しないとまずい資料なのだが、この様子を見るに、誰も読んではいないのかもしれない。黒舘ハルナが議長になってから、ゲヘナ生は今までにないぐらい政治の関心が高まっているようだが、元が低すぎたので他自治区と比較すれば標準、もしかしたらやや低いぐらいだろうか。
「そうですねぇ……3割ってのは間違いですね」
「よ、良かった……そんなに予算が使われてたら、見合った活動ができてるか不安で不安で……」
フウカは、ホッとした様子で胸を撫で下ろしていた。だが、申し訳ない。現実はもう少し非情、いや非常識である。
「正確には3.5割です!」
「……へ?」
フウカは目を丸くしていた。
「ついでにハルナ議長の私費もちょっと……って感じですね」
「ハァ……?」
例えば、先ほどイズミが運んだ食器を洗っているミレニアムの最新型食洗器は、ハルナが私費で購入して設置しているものであり、給食部の材料費の『一部』もハルナが支払っているのだ。
「えーっ、じゃあ今度ハルナ議長が来たらご飯大盛りに……」
イズミが軽口を叩く。おそらく事の重大さを理解していないのだろう。ジュリとジュンコは、先ほどのチアキと同じく苦笑いしている。
「いや、もうそんなレベルの話じゃあ……っていうかこれタダの職権乱用……」
職権乱用。そう言われても仕方がないのかもしれない。
しかし、だ。
食堂と調理場の改装によってハルナの支持率の上昇、および治安に若干の改善が見られたのもまた事実である。
黒舘ハルナ。
ゲヘナの『そこそこいいところのお嬢様』である。彼女の持つ圧倒的なカリスマ性と『太い実家の後押し』もあり、あっという間にゲヘナの頂点に立った生徒だ。
『雷帝』の件で混乱に混乱が続いていたゲヘナをその手腕で見事に治め、今ではゲヘナ自治区の治安は大幅に改善されている。それでも、他自治区と比較すれば酷いものではあるのだが、過去のゲヘナと比較すれば屈指の治安の良さだ。以前までの万魔殿と違い、風紀委員に対して何とも思っていないのも治安向上の一因なのかもしれない。
そんな彼女の行ったことで最も象徴的なのが、食堂および調理場の改築、給食部の待遇改善だ。どんなに業務が忙しくても食事の時間を大幅にずらすなんてことをしないように、どうやら彼女は『食』に対して並々ならぬこだわりがあるらしく、食堂の改築を指示したのだ。その結果、ゲヘナ生の食事への満足度上昇、給食部の面々はより働きやすい環境で仕事ができるようになり、さらにハルナ議長の支持率も上がったのだ。
ただやはりと言うべきか、先ほどのように『職権乱用だ』とハルナを非難する声が少しだけあるのもまた事実である。
そう、例えば私費の投入。そのこと自体は設備向上に限れば大した問題でない。
先ほど少しだけ触れた『給食部の材料費の一部』の負担、これが問題として反対派から挙げられている。
チアキは、コップの中の水を飲み干した。
自分が探している『羽沼マコト』は不本意だが、ゲヘナの三大タブーの一つとして数えられてしまっている。ただ人探しをしているだけなのに、随分と難儀なものだ。では残り二つは何なのかと聞かれれば、『雷帝』と『食堂の主』である。前者に関しては
後者、つまり食堂の主は、少し事情が異なる。調べようと思えば調べられるし、実際、今チアキがいるのはその「食堂」だ。
チアキは空になったコップを置き、視線を食堂の隅に向けた。その場所で、一人の少女が飢えた獣のような勢いで食事をかき込んでいる。ゲヘナの制服をまとい、立派な角と輝く金髪が彼女の特徴だ。
彼女こそが『食堂の主』と呼ばれる存在。名前も素性も誰も知らない。ただ、給食部の活動が始まるとどこからともなく現れ、隅の決まった席に座って黙々と食事を始める。
その姿がまるで亡霊のようだとチアキはつい思ってしまうが、それは失礼だろう。彼女は自分の足でこの食堂に辿り着き、自分の手で食事を自分の口に運んでいるのだから、生きている生徒のはずだ。多分。
食堂の治安が保たれているのは彼女の存在による部分が大きく、もし彼女の食事を邪魔してしまえば、その逆鱗に触れることになる。過去に一度、食堂が半壊したらしく、最悪の場合命を奪われるという噂さえあるが、真偽は不明だ。とはいえ、命を危険に晒してまで確認する者は誰もいないし、たとえ読者からの要望だとしてもチアキだって検証しない。
そんな彼女の正体は「食堂拡張工事で亡くなった生徒の亡霊」だという噂もあり、生徒たちはまるでそこに彼女が存在しないかのように振る舞っている。とはいえ、運ばれた料理がきれいに食べられているのも、空の皿が積み上がっていくのも事実であるのだから、失礼なことだなあとチアキは常日頃から思っていた。
ちなみに、彼女の食費を負担しているのはハルナであるのだが、それが一部の批判を受けているらしい。もっとも、逆に言えばそれくらいしかハルナを責める材料はないのだが、これは今の話と関係ない。
しかし、だ。
そんな明らかに何か違う彼女だからこそ、羽沼マコトの手がかりを知っているかもしれない。チアキにはそう思えて仕方がなかった。
意を決し、チアキは食堂の隅へ向かう。食堂の主は一切こちらを気にする様子もなく、食事に没頭している。仕方なく、恐る恐る声をかけた。
「あの~、すみません。少しお話を……」
その瞬間、食堂の主の手が止まる。そして一言。
「食事の邪魔をしないでください」
それだけ言うと、また黙々と食べ始めた。
「あ、あはは……ですよね~……失礼しました……」
すごすごと引き下がったチアキは、そのまま食堂を後にする。今までに幾度も取材を試みているが、食事の邪魔をしないでください以外の言葉が返ってきたことはない。
羽沼マコトのことは気になるが、週刊万魔殿の読者はそれを求めてはいない。結局のところ、自己満足にすぎないのだ。
一縷の望みにかけて先生にも聞いてみたが、やはり知らないようで、協力こそしてくれるらしいが、望み薄だろう。やはり、自分一人でどうにかするしかなさそうだ。そう思い直し、チアキはミレニアムへ取材に行くために、列車の時刻を確認すると足早にその場を去った。
「空いてるお皿、下げますね」
当然、返事はない。そこには人の姿はないのだから。
フウカは無言の相手に気を遣いながら、食堂の主が積み上げた皿の山に手を伸ばす。
「チアキさんには……あなたが見えているんですか?」
問いかけても、やはり返事はない。
フウカは小さくため息をつき、目の前で
食堂の主。
食堂に住み着いている亡霊の呼び名である。その姿は一切視認できないのだが、彼女が座っている席に料理を運ぶと料理だけが虚空へと消えるので『何かがいる』のは確かな事実である。正体について様々な憶測が建てられているが、給食部も何も知っていることはない。
彼女の食費はハルナ議長が払っている。フウカたちが食堂の主に食事を提供しているのもハルナの指示であるが、その理由は教えられていない。おそらく何か知っているのだろう。
フウカは、考えた。先ほどのチアキはあたかも食堂の主と会話しているように見えたが、彼女には本当に見えているのだろうか。それとも、ここにいるのが噂の羽沼マコトなのだろうか。
どちらにせよ、この食堂の主を刺激するわけにはいかない。フウカ率いる給食部は、今日も給食を届けるだけである。