「データセンターで立て籠もり事件……ですか」
「そーなんですよぉ!」
3日間の出張から帰還した生塩ノアが、留守番していた後輩へお土産を渡しに行くと、最初に聞かされたのは出張中に発生した立てこもり事件の話だった。
まぁ、こうした事件というものは、このキヴォトスにおいて珍しいものではないのだが、ミレニアムではなかなか発生しないタイプの事件でもある。
「っていうか、セキュリティに感知されることなく侵入したんですよ!?やばくないですか!?」
「ふむ……設備の見直しをした方が良いのかもしれないですね。次の定例会議で検討しておきましょう」
「いやぁ、こういう事態に私たちは慣れてないし、いつもは先輩方が先導してくれるから、バタバタで……」
「大変でしたね。お疲れさまでした」
自分たちの対処が後手後手だったことを悔いているが、対処しようと動いてくれただけありがたいものだ。諸々に対して全く反省の意を見せない
生塩ノアは、そう記憶していた。
「C&Cの皆さんが解決してくれましたが、データセンターの中で暴れてやばかったし、和泉元さんが犯人を締め上げたせいでまだ目を覚まして無いし……はぁ、ノア先輩もユウカ先輩も、荒事に慣れててすごいですねぇ……尊敬ですよ尊敬」
「あら、エイミさんが協力していたのですか?」
「え?そうですけど」
どうやら和泉元エイミも事件解決に駆り出されたらしい。C&Cの美甘ネルと一之瀬アスナがノアたちの出張に同行していたとはいえ、立てこもり事件程度なら残りのメンバーでも十分に対応できそうなものだが。
いや、この後輩の言い方からして、ミレニアムに残っていた生徒たちはこういう事態に慣れておらず、対応が遅れに遅れて被害が拡大したのかもしれない。
「報告書とかありますか?」
念のため何があったのか確認しておいたほうがいいだろう。
「ああ、ありますよ。はい」
「どうも」
ノアは、後輩が差し出してきた報告書を受け取り目を落とす。おそらく室笠アカネが書いたのであろう報告書を読み進めていくうちに、立てこもり事件の情景が生塩ノアの脳内に浮かび始めた。
犯人の侵入経路は不明。
ミレニアム内部に張り巡らされた様々なセキュリティシステムに一切感知されることなく、ミレニアムサイエンススクール内に侵入。
最初に犯人は運動場で制作物の動作テストを行っていたエンジニア部と接触。白石ウタハと数分間の問答を繰り返したのち、犯人は激昂してミレニアムタワー方向へ逃走。白石ウタハによると、犯人は「自分のことを覚えているか」などと詰め寄ってきたが、エンジニア部には心当たりがないらしい。
そのまま逃走した犯人はヴェリタスの部室へと侵入。当時部室に居たのは小塗マキのみだったため、彼女に対してエンジニア部と同じような問答を繰り返す。その最中、小塗マキは小鈎ハレが部室内に置き忘れていた「アテナ3号」を使用して異常事態を外に知らせることを試みたが、犯人に看破され失敗。それがきっかけとなり、犯人は再び激昂。小塗マキを拉致してデータセンターへ侵入し、立てこもりを開始。
その後はC&Cによって制圧され、小塗マキは救出。特に外傷もなく、データセンターからの情報流出も現時点では確認されていないらしい。
なお、飛鳥馬トキがデータ流出を防ぐためにエンジニア部製のジャミング装置(未認証品)を作動したため、学園内で5分間のネット障害が発生。また、室笠アカネがデータセンター内で爆発物を使用したため、犯人が侵入した部屋で保管されていた██年度生徒名簿の一部が焼失。そして、和泉元エイミが犯人を取り押さえる際の攻撃で、犯人は肋骨を4本骨折、意識不明の状態。そのため、現在取り調べが不可能。
「ふむ……」
読み終えたノアには、気がかりな点が2つあった。
最後の
まず、「角盾カリン」は何をしていたのか。
犯人が立て籠もっていた部屋には窓があり、凄腕のスナイパーである角盾カリンの腕ならば、狙撃が可能なはずである。それならばアカネやエイミが内部で暴れる必要も無かったはずだ。
だが、角盾カリンが何らかの要因で動けなかったという可能性は考慮できる。そうなれば、その代わりに和泉元エイミが出てきたという点に納得はいく。
だが、そうなると別の点が気になってくるのだ。
「……どうしてエイミさんが『C&C』のメンバーであるかのように書かれているのでしょうか」
「ん?何か言いましたか?」
「いえ、この報告書にミスを発見したので、修正をお願いしてこようかと」
「えっ、本当ですか!?うぅ、念入りに確認したのに……どうしてミスってのは終わった後に発覚するんだろう……」
落ち込んでいる後輩にお土産のお菓子を与えて機嫌を良くしたところで、ノアは立てこもり事件の概要と報告書のミスを確認するため、室笠アカネを探し始めた。
ノアがC&Cの部室前に辿り着くと、ドアの向こうから騒がしい声が聞こえてきた。別に自分の用事は急ぎではないので、何か取り込み中ならば後回しでも構わないのだが、ただ騒いでいるだけかもしれないので、一応ノックをして確認する。
コンコンと扉を叩くと、数秒もしないうちに室笠アカネが扉の隙間から顔を覗かせてきた。
「……すみません、今お忙しいですか?」
「忙しいと言えば忙しいですが……そこまででもないので大丈夫ですよ。どうかしましたか?」
「出張中に発生した立て籠もり事件の詳細をお聞きしたいのと、報告書にミスを発見しましたので……」
「それは……申し訳ございません。念入りに確認したつもりでしたが……すぐに修正いたします」
アカネが頭を下げると、部室内の様子がノアの視界に入ってきた。どうやら『見覚えのない生徒』と美甘ネルたちが何やら話し合っているらしい。
「やあ、ちょっと久しぶりだね」
「あっ、先生」
部室の中には、C&Cだけではなく先生も座っていた。今日はミレニアムに訪問してくる予定は無かったはずなので、C&Cが呼んだのだろう。
「ちなみに今はどういう状況なんでしょうか?」
「ああ、なんだかこの子が『自分はC&Cだ』って言ってるんだけど、私もみんなも心当たりがないし……それを置いておいても、どうやら『記憶がほとんど無い』みたいで」
「あら」
生塩ノアという生徒には、基本的に『忘れる』という概念が存在しないため、現象の理解はできているのだが、感覚としての理解はできていない。
故に、彼女が今どういう気分なのかを真に理解することも不可能なのだ。
「あの……ノアさん」
「はい、なんでしょう」
「その、すみませんがどのあたりにミスがあったのか教えて頂いてもよろしいでしょうか?」
ノアが記憶を失くした生徒に対して思いを馳せていると、報告書を見直していた室笠アカネが、申し訳なさそうな顔をしながら報告書を差し出してきた。読み返せばすぐに分かるようなミスだと思ったのだが、そうでもないらしい。
「このエイミさんに関係する文章なのですが」
「ここですか?」
ノアが指で指し示すと、アカネは不思議そうな顔をした。
「はい。まるでエイミさんがC&Cのような文章になっていますよ?」
「えっ?」
どういうわけか、室笠アカネは鳩が豆鉄砲を食ったような顔のまま、動かなくなってしまう。
「いや、ですからエイミさんはC&Cではありませんよね?」
ノアがそう発言した瞬間、C&Cの部室内にはしばらくの沈黙が流れた。何かおかしいことを言ってしまったのかと、ノアが自身の記憶を振り返るも、何もおかしいことはない。
「……なぁ」
最初に口を開いたのは、美甘ネルだった。
「まさかとは思うが、未だにエイミをC&Cとして認めてねーとかじゃないよな?」
「え?」
エイミをC&Cとして認めるとはどういうことだろうか。確かにエイミはミレニアム所属のエージェントではあるのだが、C&Cではない。
今の3年生が卒業した後、エイミをC&Cとして迎えて戦力の低下を防ぐとかそういう話が出ていたことをノアは記憶しているが、そのあたりの議論が自分の知らないところでまとまったのかもしれない。
だが、仮にまとまっていたとして、セミナーの書記である自分の耳に入らないなどということがあり得るのだろうか。
「……確かに、エイミはアカネを半殺しにしたり……まぁ、色々あった。でも、今はもう立派にC&Cの一員だ」
「……?」
ノアは、ネルが何を言っているのか理解ができなかった。言語は理解できるのだが、その内容が意味不明なのだ。
「まだまだ課題はあるけど、肩を並べて戦う仲間なんだよ。……何かの間違いなら、訂正してくれ」
ネルは、怒っているというよりは、悲しんでいる様子だった。
「……ええと」
ノアは、助けを求めるために部室を見回したが、おかしなことを言っているのは自分の方であると理解するのに、時間はかからなかった。
出張の疲れが出ているのだろうか。いや、そんなはずはない。
疲れていたとしても、エイミがC&Cなのはどう考えてもおかしいし、アカネをエイミが半殺しにしたという事実に覚えはない。
「……少し現実を整理します。よろしいですか?」
C&Cと先生、そして『見覚えのない生徒』がノアの顔をジッと見つめてくる。
「まず、C&Cのメンバーは5人で間違いはないですよね?」
「ああ。ずっと4人でやってきたところに、1人加わったから5人だな」
「それでは、メンバーを確認します。まず、今回の出張に同行していた美甘ネルさんに一之瀬アスナさん」
「はいはーい!」
一之瀬アスナが、元気よく返事をした。
「次にこの部屋にいる室笠アカネさんに、飛鳥馬トキさん。そして……」
ああ、そうだ。彼女に何かあったのか、まだ確認していなかった。
「『角盾カリン』さんですよね。今は何処にいらっしゃるのでしょうか?」
「…………」
再び、部室内に沈黙が流れた。
「……なぁ、どうして急に『存在しない部員』の話をする生徒が2人も出てきたんだ?」
そして再び、美甘ネルが口を開く。
「え?」
「いや……C&Cどころかミレニアムに『角盾カリン』なんて生徒は……」
「それだッ!!」
ネルの話を遮ったのは、『見覚えのない生徒』だった。
「そう……そうだよ!私は『角盾カリン』なんだよ!」
「えっ、えっ?」
彼女がいきなりノアに掴みかかり、揺さぶってくる。
「ありがとう……本当にありがとう……!!」
そのまま泣き始めてしまったが、一体何が起こっているのだろうか。
「ノアが覚えていてくれなければ……私は……!!」
「…………」
「こんな姿になって……何もかも忘れて……かろうじてC&Cだったという記憶しかなくて……!!」
本当に、何が起こっているのだろう。ノアは、全く理解ができなかった。
「……すまん、取り乱した」
一先ず状況を整理するため、泣いていたカリンが落ち着くまで待ち、部室内の椅子に座らせた。
「……とりあえずあなたが『角盾カリン』さんで、良いんですよね?」
「ああ。信じてもらえないと思うが……その名前を聞いた瞬間『これだ』と確信したんだ。間違いない」
「ふむ……」
ノアの目の前にいるのは、緩やかにカールした長い白髪、顔は前髪に半分ほど覆われていて、研究者用の白いコートを着用し、その下にミレニアムの標準的な制服を身に着けている少女。
『今これを読んでいるあなた』に向けて分かりやすく説明するならミレニアムの生徒B、即ち『モブ』である。
もちろん、ノアの記憶の中の角盾カリンとは似ても似つかない姿だった。
「じゃあなんだ、ノアの話を信じるなら……その『角盾カリン』って生徒が本来のC&Cのメンバーで、エイミはC&Cじゃない……と」
「そうですね。私の記憶が確かなら」
とはいったものの、今は状況が状況なので、ノア自身も自分の記憶に対する自信が揺らぎ始めていた。
「その……角盾カリンがどんな生徒だったか……覚えているのか?」
「ええ、C&Cのスナイパーで……」
C&Cでどのような活躍をしていたか、そして普段はどのような生徒だったか。特筆すべきことでなくても覚えてしまうノアは、自身の記憶の中の角盾カリンについて、話せる限りのことを話した。
「……という感じでしょうか」
「名前程ピンとこないが……そうだったような気がする……」
「ふむ……一旦状況を整理しましょうか」
想定外のことが立て続けに起こったせいで、ノアは昨日までの出張よりも疲労を感じていた。
まず、角盾カリンは「何らかの要因」で記憶を失い、見た目が変化。それに伴って歴史の中からも角盾カリンが消滅。
そして、その角盾カリンが抜けてしまったことによる穴を和泉元エイミたちが埋めたことにより、エイミがC&Cのメンバーになっているのだろう。
他にも細かい変更点が見られるが、エイミがカリンの代わりに捩じ込まれたことで発生した変化という認識でいいはずだ。
ただ、カリン自身が「どうしてこうなったのか」を覚えていないのがもどかしい。
何に対してどのように警戒すればいいのか、カリンを元に戻すためにはどうすればいいのかが、全く分からないのだ。
「……私が覚えていて良かったですね。そうでなければ、異変に気づくことすらできなかったかもしれません」
「ああ。ノアが居なかったら、私はただの頭がおかしい人だった。本当にありがとう」
だが、こうして異変に気が付けただけ幸運だと考えるほうがいいだろう。
「コッチは全然しっくりこないが……まぁ、一旦『そうである』と仮定して考えるとするか」
どうにも、この異変を異変だと理解できているのは、今のところ生塩ノアと巻き込まれた角盾カリンの2名のみらしい。
ノアは、ズシリと何かが肩に乗ったかのような感覚がした。
自分は『本来のミレニアム』をハッキリと覚えている。しかし、角盾カリンは、この様子だとあまり頼りにならないだろう。
先生や特異現象捜査部も協力してくれるだろうが、中心となって動くのは自分になるはずだ。
まぁ、今のエイミが頼りになるかどうかはまだ判断に迷うところだが。
「……とりあえず、カリンさんのようになっている生徒が他にもいないか確認しましょうか」
「ねぇノア」
これからしばらく名簿やらなんやらと睨めっこしなければならないのかと、ノアが気を落としていると、先生が訊ねてきた。
「はい、何でしょう」
「えっと、『誰かの記憶の中にだけ存在する生徒』はカリンと同じようなことになっていると考えてもいいのかな」
「もしかして心当たりがあるのですか?」
確かに、先生であれば『人探し』の依頼が舞い込んできてもおかしくはない。
それに、記憶の中にしかいない生徒に対して真摯に向き合ってくれるのも、先生ぐらいだろう。
「うん。ついこないだ、そういう相談をしてきた生徒がいてね」
「なるほど。ちなみに……その記憶の中の生徒さんのお名前は?聞き覚えのある名前だったら、分かるかもしれません」
とは言え、聞き覚えのあるミレニアム以外の生徒となると、今までにノアが関わったことのある生徒に限られてしまう。セミナーやシャーレを通じて他学園との交流はあるが、きちんと把握しているのは上層部の生徒ばかりなのだ。
だが、カリンのようになっているならば、その立ち位置にエイミのような他の生徒が捩じ込まれているということである。
エイミの時点でかなり歪な形であるのだから、上層部ともなれば学園そのものが揺らぎかねない事態だ。
ノアは、心の準備をしながら先生の言葉の続きを待った。
「『羽沼マコト』って生徒に心当たりはある?」
「万魔殿の現議長ですが……あの、もしかして」
「そうか……えっとね、今の万魔殿の議長は……『黒舘ハルナ』なんだ」
ノアは、軽く眩暈がした。
どうやら事態は想像以上に深刻らしい。