食堂の主。ゲヘナ学園の食堂に住まう亡霊のような存在の通称。姿は視認できないが、食堂のとある席に料理を置くと空中に消えていくため、存在自体は確認可能。消えていく場所を口と仮定した場合、身長は160cm後半だと考えられる。
正体は食堂の改装工事で死亡した生徒の亡霊などと噂されているが、死亡事故は起こっていない。また、食費は『黒舘ハルナ』が払っているらしい。
── 同じくゲヘナ学園の都市伝説『羽沼マコト』との関連が疑われている。
特異現象捜査部活動記録『████』(執筆者:和泉元エイミ)より引用
「むむむ……やっぱりそんな気がしてましたけど……」
元宮チアキは、ノアの言葉に唸った。
確かに、食堂の主はマコトと何かしら関係があるのではと思っていたが、角盾カリンという『別人に変化してしまった生徒』の例を考えると本人の可能性が浮上してくる。
「今のカリンさんは、時間の経過と共に記憶が消えています。今では『何が起こって変化したのか』すらも思い出すことができません。……そう考えると、人々から忘れられて亡霊のようになってしまった『食堂の主』さんは、カリンさんの未来の姿かもしれませんね」
「こ、怖いことを言わないでくれ……」
カリンは、声を震わせていた。しかし、それも無理はないだろう。誰からも認知されない存在になってしまうのは、恐怖でしかない。
常に友達と一緒にいるようなチアキだからこそ、その恐怖はとても共感できるものだった。
「記憶が消えているというよりは、『存在』を消されていると解釈した方が良いのかも」
「そうですね。キヴォトスという世界が、角盾カリンを忘れつつあるのが現状でしょう」
「で、でも!ノアは……覚えていられる……んだよな?」
「保証はできません」
カリンの必死の訴えも虚しく、ノアは申し訳なさそうに答えた。確かに、キヴォトス全体を巻き込んでいる(かもしれない)異変に対し、『記憶力が良い』というだけで対抗できるとは考えにくい。
「……そんな」
「大丈夫!」
先生は、落ち込んでしまったカリンの両肩を掴んで励ました。
「そうなる前に解決しよう!みんなで協力すれば……できるかもしれないし、その『食堂の主』って子もきっと元に戻れる」
「そうですね。先生、エイミ、ノアさん、そしてチアキさんも居れば……何とかなる可能性はあります」
「はい!私もがんばりますよ!」
とはいえ、ミレニアムの専門家に、記憶力がすごいセミナーの生徒、何故かだるま落としが白熱しているメイド集団、そして先生がいるのだ。これで何とかならないことがあったら、逆に困る。
「……ただ、現状分からないことが多すぎますけどね」
「あ、あはは……」
ノアの言う通り、今は『変化した結果』しか分からないのだ。何が原因で変化が起こっているのかが判明しなければ、対処の仕様がない。
「まあでも、分かることは3つある」
エイミは、指を3本立てて突き出した。
「3つ?」
「まず、角盾カリンが『その時何をしていたのか』の推測」
「……いや、さっきも言ったが私も覚えていないぞ」
カリンは、申し訳なさそうに俯いた。
「確かに、かくd……いや、カリン先輩の記憶はどんどん消えているのが現状。でも、記憶を失ったカリン先輩が何をしていたのかはしっかり記録として残ってる。……ですよね?アカネ先輩」
「ええ、確かに。私がちょうどその報告書を書いている時に、カリンさんがいきなり部室に入ってきまして、その後に追いついてきた大山先輩が『そいつは産業スパイだから捕まえろ』……と」
アカネは、手に持った小さな木槌で、テーブルに置かれた一枚の紙を指し示しながら答えた。その顔の横にだるまが見えるのは、一旦無視で良いだろう。
「そして、そこから逃げたところで先生と通話しているヒマリ部長を発見。先生やヒマリ部長なら何か分かるのではと縋ってたところで……」
「私がぶん殴って壁にめり込ませた。それで、カリン先輩が起きるまで待って……今に至る。まぁ、これは関係ないから置いておく」
拘束具が無いからと、ヒナ委員長が生徒を壁に埋めている姿をチアキは見た覚えがあったが、それが他の学園でも行われているとは思わなかった。もしかしたら、一部では共有されている方法なのかもしれない。
「で、大山先輩がカリン先輩に気が付いたのは昨日の15時ごろ……データセンター立て籠もり事件が一段落ついたぐらいの時」
「ああ、私がトキさんと会った時のアレですか?」
「アレです」
チアキは、昨日の出来事を思い出していた。そういえば、あの時犯人を締め上げていたのはこの和泉元エイミだったなと、脳内で点と点が繋がっていく。
「そして、大山先輩の話では『自分の部屋のパソコンを知らない奴が勝手に弄っていた』」
「……あ、もしかして」
「そうです。その時にアカネ先輩は報告書を書いていた……でも、カリン先輩がC&Cだったという事実を踏まえるなら……」
「『角盾カリン』が消えたのは『報告書を書いていた時』ってことになるね」
となれば、警戒すべき対象が少しは絞られる。
「報告書はミレニアム生徒全員に配布される文書作成ソフトで書く決まりですから……原因はそのソフト?」
どうやら、ミレニアムの規定は割としっかりしているらしい。ゲヘナ学園でもせめてフォーマットぐらいは統一させておいた方が良いのだろうかと、チアキは少しだけ考えた。
「……そこまではまだ分からない。そうかもしれないし、違うかもしれない。でも、きっと使っている時に『何か』があった」
チアキは、とりあえず事件が解決するまで、週刊万魔殿の原稿は手書きにしようと決意した。『パソコンで何か書くこと』がきっかけだった場合、次の犠牲者は自分になってしまう可能性がある。
いや、いっそのこと完全におやすみして、『羽沼マコト復活スペシャル』とかにするのもありだろうか。
「そして、2つ目」
エイミは、先ほどの話の中に出てきた『立てこもり事件の報告書』を手に取る。
「この事件で、犯人は白石ウタハやヴェリタスに『自分を覚えているか』と詰め寄り……マキを連れて『名簿』が保管されているデータセンターに侵入」
「ああ、アカネがちょっと燃やしちゃったアレですね」
アカネは、無言のまま、手に持っていた小槌でトキの頭を軽く叩いた。
「たぶんだけど、私たちはもうひとり誰かを忘れている」
会議室の空気が、若干重くなったのをチアキは感じ取っていた。
「……一つ確認します。ヒマリさん、ヴェリタスは何人ですか?」
「私とエイミ含めて5人ですね」
「またエイミさんに押し付けられてるんですか……大変ですね」
ノアは、小さく溜息をついた。
「そうなんだ。実感ないけど」
エイミは、特に気にしていない様子である。だが、もしかしたら、この和泉元エイミという生徒は、この異変において一番の被害者なのではないだろうか。
「まぁ、一旦それは置いておきましょう。とりあえず、この報告書の中には『小塗マキ』と『小鈎ハレ』の名前は確認できます。SNSで『音瀬コタマ』の存在も確認できました。そしてヒマリ部長は今目の前に居ます」
「残りの一人は……私だけど、これも違うんだね?」
「はい。私の記憶では『各務チヒロ』が副部長でした」
ノアは、少しだけ残念そうな声だった。
「……なるほど『チヒロ副部長』ですか」
だが、ヒマリにはどうやら心当たりがあるらしい。もしかしたら、自分と同じように断片的に覚えていたのではないかと、チアキは少しだけ期待する。
「……覚えていたんですか?」
「いえ、コタちゃんが『うふ~ん チーちゃんよ~ん』ってクネクネしていたので、何事かと問いただしたら『ノアがSNSで私の名前を間違えてたから架空の生徒になりきってた』と」
「そうですか」
心底どうでも良さそうな返事だった。
「まぁでも、もう一人見つかったならちょっと話を聞いてみようよ。カリンみたいに名前を教えたら何か思い出すかもしれないし」
「そうですね!聞いてみましょうよ!」
先生は、とりあえず話してみれば分かるかもしれないと上機嫌で提案し、チアキもそれに同意する。情報を集めれば、何かしらの手がかりは掴めるかもしれない。
だが、その瞬間。だるま落としで遊んでいたメイド集団の動きが止まる。
「……エイミが肋骨を4本折ったので、今は意識不明のまま入院中です」
アカネは、少しだけ申し訳なさそうに答えた。エイミも若干目をそらしている。
「事情聴取は……起きてからですね」
流石にここまで予測して行動しろというのは難しいので、誰が悪いというワケでもないだろう。立てこもり犯を確保する時に、少々怪我をさせてしまうのは仕方のないことだ。
「その時に……記憶は残っているのでしょうか」
「……ヴェリタスってことは、パソコンで何かしている時に何かあった可能性はあるよ」
エイミは、バツの悪そうな顔をしながら答えた。どうやら、ヴェリタスというのはハッカー集団らしい。
「とはいえ……現代社会からパソコンを取り上げるのは、厳しいでしょう」
難しそうな顔をしながら、ヒマリはこめかみに手を当てた。
「そうだねぇ。私もシャーレの仕事でずっと使ってるし……怪しいメールとかサイトは開かないでくださいってお願いするのがギリギリってところかなぁ」
チアキも、先生と同じ意見だった。
ミレニアムほどではないが、チアキが原稿をパソコンで管理しているように、ゲヘナにもパソコンを使う生徒は大勢いる。というか、今やパソコンに関わっていない自治区の方が珍しいだろう。
先生の言うように、ネットリテラシー向上を呼び掛けるぐらいしか、取れる手はない。
「そして3つ目。これが一番大事」
エイミは、少しだけ真面目な顔つきになった。
「ゲヘナとミレニアムでは『法則』が違う可能性がある」
「そうなんですか?」
チアキは、思わず聞き返してしまった。同じ異変が起こっているのではないのだろうか。
「まず、ノア先輩の話ではミレニアムであった大きな事件……それの『スタート』と『ゴール』には大きな変化が無かった」
「……そう考えると『エデン条約』の件は妙ですね」
「『アリウス』はその存在ごと消えて、一度失敗するはずだった調印式も、無事に成功してる」
「私の記憶の中よりも、ゲヘナとトリニティの関係が良好なので、そもそものスタート地点が違うのでしょう」
実感がないので、チアキはまったくピンとこなかったが、エイミたちがそう判断したということはそうなのだろう。確かに、トップが変わっているならば、関係性自体が変わっていたとしてもおかしくはない。
「やっぱり、『アリウス』がその概念ごと消滅しているのは妙だよ。『誰かひとり消す』ならその創設者とかを消さないといけなくなる……いや、歴史を改竄できるなら、遠い過去にも介入可能なのかも……?」
エイミは、そのままぶつぶつと考え込んでしまった。
「……まとめると、ミレニアムとゲヘナでは『変化』の仕方が違うということです」
「なるほどぉ……」
なるほど、とは言ったものの、チアキは違いがイマイチ理解できていない。まぁ、とりあえずいろんな可能性を考慮した方が良いという話だろう。
「……とりあえず、まだまだ分からないことが多すぎるので、引き続き情報収集かな」
先生は、腕を組みながら発言した。分かったことはいくつかあっても、分からないことがそれ以上に多い。
「チアキさんは、同じくゲヘナ学園でカリンさんのようになっている生徒さんや、存在しない生徒を覚えている生徒さんの捜索。それと、『アリウス』についてもお任せしてしまってもよろしいでしょうか?」
ヒマリは、チアキの目を見ながら言った。異変に巻き込まれた関係者とはいえ、他校の生徒に、それも生徒会の幹部に色々と頼みごとをすることに対して、少しだけ申し訳なさそうにしているようにも思える。
「もちろん!私にできることだったら協力しましょう!」
しかし、チアキとしてはそんなことはどうでもよいことだ。チアキの目的は、最初から『羽沼マコト』に再会することである。そのためなら、何だってする。
それに、カリンたちには申し訳ないが、とても面白そうなネタだ。やはり、次の週刊万魔殿は『羽沼マコト復活スペシャル』にしよう。
「あと、その『食堂の主』に確認ができそうだったら、それもお願いしたい」
「はい!わかりました!」
ここまでに分かったことと、チアキがやるべきことを確認したところで、会議はお開きとなった。
チアキが会議室の外に出ると、既に空はだんだん赤くなりつつあった。それほど長い時間滞在していたつもりは無かったのだが、チアキがそう思ってしまうほどに情報量が多い会議だったのだろう。
今まで何も分からなかったのに、この数時間だけで大きく事態が進展したのだ。一歩や二歩前進したとか、そういうレベルではない。きっとハーフマラソンぐらいは走っている。
「ふふふ……」
チアキは、自然と笑みを浮かべていた。